2019年10月16日

デューン/砂の惑星(録画・再鑑賞)    再び映画化されると知ってビックリ 


 先月BS録画撮りをしていた『デューン/砂の惑星』(デヴィッド・リンチ監督・脚本 1984年制作 1985年日本公開)を観ましたので短く記しておきます。

これは日本公開時に観に行きました。SF好きでしたので。

今回は再鑑賞というわけですが、当時鮮明に脳裏に焼き付いた映像は今回観てもやっぱりキョーレツ。
物語については細部は勿論忘却の彼方でしたが、今回は要所要所でメモを取りその全容把握に努めた結果、、、これって137分では到底描き切れないあまりに壮大な世界だったのだと実感するに至りました。


                        デューン映画.jpg

story
映像化不可能といわれたフランク・ハーバートの大長編SF小説を鬼才デヴィッド・リンチ監督・脚本により映画化。
人類が恒星間帝国を築きあげた遥か未来。不老不死の香料メランジの唯一の産出星である“デューン”と呼ばれる砂の惑星アラキスを舞台に繰り広げられる勢力争いを壮大なスケールで描く。。。というもの。   
 ※映画情報サイトより転載


 130分余では到底描き切れない。
だから字幕による解説や登場人物による説明的な台詞はどうしたって必要となってしまって、前半は特に情報量が次から次に押し寄せてきて付いていくのに必死状態になります。
でもそんなのを超えて、冒頭から醸される独特の世界観にはなぜか引き寄せられてしまうのです。

SFなんだから当然ですが想像を遥かに超える特異な設定の世界を、それを更に増幅させる特異な映像美で見せてくれます。
トラウマになりそうな映像もあり、不気味なものを不気味に(とことん気持ち悪く)描くところは流石のリンチ監督です。

今から35年前の映像技術でこういう世界を描き出してくれたっていうのはやっぱり凄いことなのではないかと思い、興業的に失敗したと言われつつも密かに? 語り継がれている?? のは何となく分かる気がします。

主演のカイル・マクラクラン(惑星カラダインの侯爵家子息ポール・アトレイデス役)がビジュアル的に爽やかな美青年過ぎたとことが却ってちょっぴりマイナスだった気もします(チラシのイメージも作品自体が持つイメージと違う気がするんですよね)が、同監督のドラマ『ツイン・ピークス』では人気を不動のものにしたのですよね、マクラクランさん。


作品の尺と物語性とが咬み合わなかったところは否めないにしても、とにかく終盤の闘いにおける壮大な映像は必見、途中の幾つかの気持ち悪さも必須の「記憶に残るSF作品」だと思います。

本作、再度映画化されるそうですが、今の最新の映像技術でどう生まれ変わるのかが楽しみです。


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晩夏のころ、友人との赤ワイン乾杯
また一緒に乾杯できますようにー。ぴかぴか(新しい)


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2019年10月05日

僕のワンダフル・ライフ(録画鑑賞)     傍にいてくれるだけでいいい


  日中は暑くとも、やはり秋の空、ですね。

録画していた地上波初放送の『僕のワンダフル・ライフ』(ラッセ・ハルストレム監督 2016年制作)観ました。
続編として制作された『僕のワンダフル・ジャーニー』(こちらは別監督作品)が現在公開中ですね。

ラッセ・ハルストレム監督、やっぱり好きです。
映し出される風景がとても心地よい。そしてこの監督はとっても犬が好きなのだろうなぁ…と。

初期作品『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』では宇宙船に乗せられたライカ犬への切ない想いを感じたし、以降の作品も犬が登場するもの多いですよね、『HACHI 約束の犬』なんてワンちゃんがギアさんと並ぶ主演でしたしね。
だからやっぱりワンちゃんたちの撮り方、見せ方が凄く上手い。溢れんばかりの愛があるんですね、きっと。



                      ワンダフルライフ.JPG


Story
  ゴールデンレトリーバーの子犬ベイリーは、少年イーサンに命を救われてからいつも一緒に過ごすようになり、彼と強い絆を育む。やがて青年に成長したイーサンは大学入学で故郷を離れ、ベイリーは年老いて死を迎えるはずだった。だが、ベイリーはイーサンに会いたい一心で何度も姿を変えて生まれ変わり……。  ※映画情報サイトより転載


 イーサンに会いたい一心でというより、ベイリー自身が犬として生きる意味や自己の存在理由を追求するが故の輪廻だったように感じました。
勿論イーサンを恋い慕うベイリーの心は一貫していて、だからこそイーサンとの奇跡の再会後にベイリーが確信的にとった行動はそれまでの彼なりの集大成だったのでしょう。

しかしラストにつむがれた、「ただ、ここに居ればいい。今を一緒に生きる。そのために居るんだ。」っていうベイリーの心の中の言葉はとても心に響きました。
生きる意味をあれこれ考えて過去に囚われるよりも「今を生きろ」という、私たち人間へのエールにも聞こえて。
幾度かの輪廻を繰り返してベイリーが「学んだこと」の結果だったのですね、それが。

幾度かの輪廻。
荒んだ生活からくるネグレクト(これも虐待)を受けることになったある飼い主との日々には観ていて辛くなったけれど、自分の人生(犬生)を求めて旅に出たベイリーの本当の意味の自立には雄々しさを感じたし、それがイーサンとの出会いに繋がったのですからね・・・ベイリーは学んで、そして強くなったのですね。

生まれ変わるどのワンちゃんも本当に可愛くて、だからこそ都度の別れには落涙。
その時その時の飼い主の心(その深い部分)に寄り添おうとする姿には“命あるもの”と共に暮らすことの温かみを改めて感じさせてくれました。
孤独な警察官カルロスとシェパード犬エリーのシークエンスは好き、だなぁ^^。


物心ついた時に実家にいた犬 m. も、数年前に逝ったウチ猫 a. も、輪廻を繰り返しているのかなぁ。犬から猫への生まれ変わりもあるのかなぁ。
私だけのことで考えれば、あの時の実家犬 m. が後に あのウチ猫 a. になって私のところに来てくれたのだったとしたら嬉しいなぁとちょっとだけそう思いました。


イーサンの幼少期(ブライス・ガイザー)、青年期(K・J・アパ)、そして壮年期(デニス・クエイド)を演じたそれぞれの役者さんの顔立ちが似ていて、時の経過が自然な流れに感じました。
何より、本作に出演の全てのワンちゃんたちの演技に拍手を送りたいです。
It was wonderful! そして Good Job! です。



                       Tや 明石の地酒 - コピー.jpg
  
私のワンダフル・タイム。 癒しの時間です。
いつだったかの、独り呑み。



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2019年09月28日

記憶にございません!     


突発的な出来事で暫く映画館に行けない状況が続いてしまっています。
そうなる前に観ていた映画のレヴューだけ簡単にまとめたので挙げておこうと思います。



  コメディー作品だったのでレヴューをまとめながら深く考え込むこともなく結果的に救われました。
鑑賞したのは三谷幸喜監督の最新作『記憶にございいません!』です。(アースシネマズにて)

安定の展開の2時間余り。
身構えず安心してシートに身をゆだねて三谷ワールドを楽しめました。
中井貴一さんって真剣な表情で観客をくすっと笑わせることのできる凄い役者さんなのですねー。

                        記憶に.JPG

Story
   国民からは史上最悪のダメ総理と呼ばれた総理大臣の黒田啓介(中井貴一)は、演説中に一般市民の投げた石が頭にあたり一切の記憶をなくしてしまう。各大臣の顔や名前はもちろん、国会議事堂の本会議室の場所、自分の息子の名前すらもわからなくなってしまった啓介は、金と権力に目がくらんだ悪徳政治家から善良な普通のおじさんに変貌してしまった。国政の混乱を避けるため、啓介が記憶を失ったことは国民には隠され、啓介は秘書官たちのサポートにより何とか日々の公務をこなしていくのだが・・・。         ※映画情報サイトより転載


  設定は、まぁあり得ないっていうか、そのあり得なさの意味が最後の最後に分かった後は更に“もっとあり得ない”感じなのですが・・・それはさておき。
あれだけの芸達者な役者さんたちが揃っていたら、“あり得なさ”を飲み込んだうえで存分に楽しませてくれるものなのですね。

本作も実はチラシを事前には持っていなくて、鑑賞中は出演者の顔ぶれに意外な面白さもありました。
素顔のROLLYさん、素顔でない有働由美子さん、随分お見掛けしていなかった山口崇さん。今や大人気の田中圭さんは長くはないご出演でしたけれど、ファンがまた増えそうな変化球的な起用のされ方だったのではないかと・・・。
エンドロールで名前があったのに全く気付かなかった天海祐希さん(←鑑賞後にググったらやっと登場場面が判明)は、もう一回観ないとそれこそ全く記憶にございません。


一国の総理大臣が突然全ての記憶を失くすってもの凄い大騒動なわけですが、コメディーとしてネタは満載ながら押さえたいところはちゃんと真面目に登場人物に語らせておられました、三谷監督。

「記憶を失くした総理大臣にしかできないことがある」とは女性秘書官(小池栄子さん)の言葉です。ブレーンって大切なのですね・・・しみじみそう思いました。

展開は何となく読めてしまうところは否めませんが、表現を変えればそれは裏切られることのない展開とも言え、最後はやっぱりあたたかいものが心に流れ込んでくる仕上がりでしたよ。

<ちょこっと付記>
●たしかに、かつての子供の「将来の夢」には「総理大臣になる」っていうの、ありましたよね。
●あの写真の買い取り要求額が2千万円っていうのは(総理大臣相手にしては)あまりに安い!!って思いましたけど。



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今夏いつだったかの、久々にお伺いしたお店での独りちょい呑みでした。
ジムビーム・ハイボールです。ご店主による絶妙の配合、美味しかったです。



  また映画を観に行ける状況になればよいなぁと願っているのですが当面は無理かな…。
観たい作品が幾つかあって残念なのですが、また違う形で更新は続けたいと思っていますのでどうぞ宜しくお願い致します(*^-^*)。




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2019年09月16日

SHADOW 影武者     映像美に心酔


アースシネマズにてチャン・イーモウ監督最新作『SHADOW 影武者』を観ました。

本作は不覚にもノーマークでした。作品チラシも無く殆ど予備知識なしで観ました。だから余計によかったのかもしれませんね。

オープニングのタイトルバックにまず心を奪われます。
その後も墨絵のように美しい、全編ほぼモノトーンを基調とした世界に時折深い紅が映える・・・芸術的な映像に心酔いました。

リアルで迫力ある戦闘シーンも見応えがあり、最後まで先を読み切れない物語にあっという間の2時間でした。


影 ちらし.JPG

story 
  「三国志」のエピソード「荊州争奪戦」を大胆にアレンジして描いた武侠アクション。
戦国時代、沛(ペイ)国が敵の炎国に領土を奪われて20年の時が流れた。炎国との休戦同盟により平和な時間が続いていたが、若くしてトップの座を継いだ沛国の王は屈辱的な日々に甘んじていた。領土奪還を願う男たちを束ねる同国の重臣・都督は、敵の将軍で最強の戦士としても知られる楊蒼に、手合わせを申し込む。王は都督の勝手な行動に怒りをあらわにするが、王の前にいる都督は影武者だった…。     ※映画情報サイトより転載


 都督の妻(スン・リー)の苦悶のシーンで始まるのですが、このシーンが持つ複雑な意味合いがラストで分かります。
そこには単なる武侠ものだけで終わらない、人間のもつ黒い部分とそれがもたらす皮肉な運命を描いた世界がありました。

私は予備知識無しでしたので始まって間もなく目の前の都督の雄姿に「影だったのね」と驚き、一気に物語に引き込まれてゆくのでした。
実際の都督と影武者としての都督の二役を演じたダン・チャオがイイです。
感情を抑えた影の演技と、毒を吐き内にある黒い部分を匂わせる本物の都督とを見事に演じ分けていました。
影との秘めた愛に陥る都督の妻を演じるスン・リー(実生活でもダン・チャオとご夫婦らしい)は“ザ・ヒロイン”という感じの女優さんで、ラヴストーリーとしても十分見せてくれます。


kage 1.JPG


戦闘シーンは刀戦だけにリアルに痛さを感じますが、その新兵器となる“あるモノ”がまさに「陰で陽を制す」術であり、雨に煙る適地の坂をなだれ行く“あの武器の大群”には異次元の世界を思わせるような不気味さと共に美しさをも感じさせてくれました。

兵士たちがまとう甲冑のゴシック美、流される血の透明な紅色、とにかく全てが「美」となっていたように思えます。


チラシにも描かれている<太極図>の象徴する「陽」と「陰」の世界がまさに当人と影が相対する本作の核でした。
光の届かない暗闇を「最も怖れるもの」と苦しみ続けてきた影。このまま影で終わるのか…苦悶の末に影がとった道を私は是としたいです。



hiyaoroshi - コピー.jpg 雄町ひやおろし - コピー.jpg

ひやおろしの季節です。ぴかぴか(新しい)
こちらは本田酒造<龍力 雄町・特別純米>のひやおろしです。
雄町は優しい柔らかみのある酒米ですが、その良さが最大限に活かされ、且つ濃醇な味わいを感じます。初春の初搾りも秋のひやおろしも、やっぱり今年も間違いのない美味しさを届けて下さっています。
ありがとうございます。


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2019年09月13日

フリーソロ     アレックス・オノルドという人


  シネリーブルにて『フリーソロ』(エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリ、ジミー・チン監督製作)を観ました。

高さ975m断崖絶壁。ロープなし、素手で登り切る。
フリーソロ・クライミングの若きスーパースター、アレックス・オノルドを撮ったドキュメンタリーです。
私には生涯通じて実際に体験することは「絶対ない」と言い切れる世界。本作はドキュメンタリーということで、そこに実際に生きる人を見てみたい…と思ったから。

Story っていうか 解説
  世界で著名なクライマーの1人として活躍するアレックス・オノルドには、1つの夢があった。それは、世界屈指の危険な断崖絶壁であり、これまで誰もフリーソロで登りきった者はいない、米カリフォルニア州ヨセミテ国立公園にそびえる巨岩エル・キャピタンに挑むこと。この前人未到のフリーソロのために幾度の失敗と練習を重ねてきたオノルドは、2017年6月3日、ついにエル・キャピタンへの挑戦を開始する。
   ※映画情報サイトより転載


                        フリーソロ チラシ.JPG


ドキュメンタリーということで、とにかく淡々と映像と語りが進んでいきます。

勿論ラスト20分の映像はすごいです。断崖絶壁をロープなしで登る、超人業としか言いようのない姿に間近で迫り続けるのですから。

しかし観終わって暫くして最も心に残るのはアレックス・オノルドという一人の人間への畏れに近い気持ちでした。

アレックスはいつも至極冷静でいます。
撮影クルーとの会話も、インタヴューで過去の恐怖体験を語る時も、恋人と過ごしている時でさえも。
彼自身が「登るために感情を鍛える。何事にも感情的にならないように。」と語っていますが、鍛えてきたから今の彼があるのか、彼自身の中に感情を抹殺できる素地があったのか。
とにかく私はアレックス・オノルドという人間を形成しているものに凄く興味を持ってしまいました。

「フリーソロには感情に鎧が要る」(アレックスの言葉)

親との関係が少なからず作用していたようにも感じました。
ご両親は離婚されていますが、父親は非常に気難しい人でハグの習慣の全くない家族だったとアレックスは語っています。彼の心の中にある「底知れぬ自己嫌悪がフリーソロをやる原動力にもなっている」とも言っていました。

恋人との関係性にも微妙な空気を感じました。
至極冷静に相手との距離を保っているようにみえるアレックス。クライミングを「恋人よりも優先する」と全く躊躇することなく言い切る彼は「(恋人も含め僕の周りの人間は)僕が死んでも、いっとき悲しむんことはあってもフツーに生きていくだろう」とも言っています。
そして「(滑落すれば破滅するが)いつ死ぬかわからないのは誰でも皆同じだ」とも。


とても冷静で、そしてとても強い。


表現している言葉に「きっとそうなのだろうなぁ」と私も頷きながら、それでも彼の中に人為の及ばぬ世界を感じてしまうのでした。アレックス・オノルドという人に、心的に触れたくても触れることは許されないような。

そんな彼が挑んだエル・キャピタンのフリー・ソロ。
これはもう実際に映像で観て頂くしか無いと思います。凄すぎて私は逆に恐怖を感じなかったです。それくらい、現実感を超えたものだったということです。

終始淡々と語り、ソロの最終ピッチでは撮影クルーに「よう相棒!」とまで笑顔で声をかけたアレックス。地上900mの垂直上で素手で岩につかまりながら、ですよ。

MRIによる脳検査によればアレックスは「常人よりもより強い刺激にしか反応しない脳になっている」とのことでした。それは訓練ゆえのことか否かはわかりませんが、とにかく彼の挑戦が成就したことに心から拍手を送りたいです。そしてやはり後には、畏れにも似た感情が最も強く残ったのでした。


白いエル・キャピタンの岩肌にアレックスの着る赤いTシャツの色が岩場に咲く花みたいに奇麗で不謹慎にも見とれてしまっていた自分がいました。

エンドロールで流れる楽曲が、それまでの作品のトーンと違ってやたらに“熱かった”のがちょっとしっくりこなかったです。

アレックス自身による語りが多かった本作ですが、低音の、とてもよいお声をされていました、アレックスさん。


                        Tya  生ビール小 - コピー.jpg

残暑厳しかった9月前半でした。
まだまだキンキンに冷えたジョッキで饗される生ビールが嬉しいですね。





posted by ぺろんぱ at 20:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月09日

命みじかし、恋せよ乙女     生きてるんだから幸せに


6日付のブログで書いていたもう一本の映画、『命みじかし、恋せよ乙女』(ドーリス・デリエ 脚本・監督)の感想を記します。
シネリーブルで鑑賞いたしました。

本作はこの邦題から受けるイメージと大きく違った作品でした。そして鑑賞後いまだに尾を引いていろんなシーンを反芻しております。

ドーリス・デリエという監督(ドイツ人の女性監督)はかなり日本に傾倒されているようで、過去にも日本を題材あるいは舞台にした映画を何作か撮っておられるようです。
後になって知ったことですが、本作はその中の一作『HANAMI』(日本では未公開)のいわば続編的世界だったらしいです。

とにかく映画を観て感じたのは「この監督の描く世界に何故かとても惹かれた」っていうこと。
この監督作品に出会えてよかったです。
『HANAMI』も『フクシマ・モナムール』(こちらもデリエ監督作品)も、いつか観てみたい。


   命短し恋せよ乙女 チラシ.JPG       映画チラシ

Story 
2018年9月に他界した樹木希林の初の海外デヴュー作品で、遺作ともなったドイツ映画。主人公が訪れる茅ヶ崎の老舗旅館「茅ヶ崎館」の女将を樹木が演じている。
 ミュンヘンに暮らすカールは、酒に溺れて仕事を失い、妻は子を連れて家を出てしまう。孤独に苦しむ彼のもとに、ある日ユウという日本人女性が訪れてくる。ユウは10年前に東京を訪れていたカールの父ルディと親交があったという。風変わりな彼女と過ごすうちに人生を見つめ直し始めるカールだったが、その矢先、彼女は忽然と姿を消してしまう。カールはユウを探し日本へ向かうが……。   (映画情報サイトより転載させて頂きました)


※以下、結末に触れる記述をしています。

 この監督が抱く日本へのイメージは、DNAのように古来から受け継がれ日本という風土に染みついているものなのかもしれません。霊の存在、幻想と魔界、あらゆるものが内包する儚さ、ものの哀れ、、、というようなもの。とにかく、スピリチュアルなものが中心にあった作品でした。
だから原題「Cherry Blossoms and Demons」の方がむしろ端的に本作品の世界を表してる気がしました。でも本作にこういう邦題を当てるところこそが「日本美」なのかもしれません。

父の死、母の精神的崩壊、兄弟・姉弟の確執、心と肉体の不一致、自己否定からくるアルコール依存、ドイツ極右政党を巡る兄一家の深い対立まで、あらゆる問題が描かれています。
説明的台詞や描写は一切無いので自分なりに感じて咀嚼することしかできませんが、その観念的ともとれる世界からはカールや彼の親族たちが抱える深い苦悩が息苦しいほどに伝わってくるのでした。

時折映し出されるドイツの風景はとても美しく、フラッシュバックのように挿入される日本の風景も幻想的で、本作に慈しみをもたらせてくれていたと感じます。


疑問は残りました。
何故最後にユウ(の魂)はカールを死の世界に引き込もうとしたのか・・・ユウは悪霊であったのか?しかし自身の悪霊に苦しむカールにずっと寄り添っていたのではなかったか?

もしかしたら、あの海での再会の瞬間までカールの中には死を望む心がまだ微かに残っていたのでしょうか。だから孤独だったユウ(の魂)はそれを感じて自分の世界に引き込もうとしたのかもしれません。
うーん、あの行為は私にとっては衝撃だったのでずっと考え続けてしまっています。


               命みじかし 2 - コピー.JPG
                         ※映画公式サイトよりの転載画像です


樹木希林さんの佇まいと存在感には、彼女がもうこの世に存在しいないという事実がより一層そう思わせるのか、深い深い味わいを感じずにはいられませんでした。口ずさむ「命みじかし恋せよ乙女」の唄も然り。個々人にとっての大切な唄というのはこういうものであるのだなぁ…と。

「あなた生きてるんだから、幸せになんなきゃ駄目ね」
希林さん演じる女将のこの言葉には胸をつかまれました。ある意味、この言葉がカールを死の世界からこちら側の生の世界へと導いてくれたのかもしれません。

「あと少し、あと少しだけ、生きてみる」
全うしたとしても短い、でも価値あるものなのですね、人生は。


主演のゴロ・オイラーは長身な体躯ながらナイーブさの漂う、魅力ある俳優さんでした。
ユウを演じた入月絢さんはカーネギーホールの公演でソロダンサーを務めたアーティストで、本作での舞踊シーンは(長くはないシーンでしたが)観る者を引き付ける力強さを感じました、さすがですね。

この先ドイツを旅することがあったらノイシュバンシュタイン城のスノードームをお土産に勝って帰りたい!です(本作に登場のアイテムでした)。



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やっと美味しいジンを味わえました。ぴかぴか(新しい)
サンボアBARにての、ジン・トニックならぬ、こちらは<ジン・ソニック>です。
夏は終わるけれど、もう少しジンの美味しさを噛みしめたいです。


    
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2019年09月06日

引っ越し大名!     やっぱり「動かす」のは「人」     


この数日で(しかも短いスパンで)全く真逆に位置するような映画を二本観ました。

難しいこと一切考えずにシートに身を委ねて笑って観られた映画と、観終わった後もずーっと尾を引いていろんなことを考え続けてしまってる映画と。

前者は『引っ越し大名!』(犬童一心監督)、後者は『命みじかし、恋せよ乙女』(ドーリス・デリエ 脚本・監督)です。
『命みじかし…』は邦題から受け取るイメージと大きく違う作品でした。

先ずは鑑賞時系列で『引っ越し大名!』の感想をサクッと。

story
  姫路藩主の松平直矩は、幕府から豊後・日田への国替えを命じられ、度重なる国替えで財政が困窮している上に減封と、藩最大のピンチに頭を抱えていた。ある日、人と交わらずにいつも本を読んでいて「かたつむり」と呼ばれている書庫番の片桐春之介(星野源)は、書物好きなら博識だろうと、国替えを仕切る引っ越し奉行に任命される。     ※映画情報サイトより転載させて頂きました。

引っ越し大名!チラシ - コピー.jpg
 
                                           
  その時代にあってはきっと凄ーく大変であったろう国替えという出来事を、現代風コメディとしてシンプルに上手くまとめ上げられた一作だったと思います。
違う視点、違うアプローチの仕方を取れば感動の一大巨編にも出来たであろう史実ですが、軽妙なやりとりで現代のサラリーマン世界にも通じる悲喜交々(サラリーマン世界を想定したという事は犬童監督ご自身が語っておられた事です)がたっぷり。ちょっぴりBL要素も散りばめられていて、“何となく⁇ミュージカル”っぽい演出も。

“やな奴”的な上司たちの冷ややかな期待?をいい意味で裏切って自分なりの誠実さで最悪の事態を乗り越えていく春之介。
勿論それは高畑充希演じるヒロイン於蘭の助力があってこそのものでしたけれど、周囲の心ある人間はその一歩一歩をちゃんと見ているんだなぁーって。
だから、ラストのあの流れは予定調和的ともとれるかもしれませんが素直に真っ当に行きつけばああいう形になって然るべきことなのです。第一、そうでなくては報われません。

気楽に楽しんだと言いながらも、史実に基づく内容であり、勉強にもなりましたよ。

国替えの指南書(実存)曰く…
●歌こそ人の心を一つにするものなり
●整理とは捨てることなり
●体を保て、たどり着くまで
なるほどの御指南でした。

リストラされ帰農した侍たちが開墾した田畑を俯瞰で捉えた画は実に美しかったです。長年にわたる自己との対峙、忍耐、努力、その上にあった開眼。
やっぱり人減らしが一番苦悩を伴うものだったと思うので「その後」をきっちり描いてもらえたのは嬉しかったですね。


大殺陣を披露する高橋一生さんの剣術バカ的なキャラが面白かったかな。あとは直球すぎるくらいドンピシャの配役ばかりで(友情出演の向井理さんの吉保、姫路出身の演歌歌手・丘みどりさんのお妾さんは遊び心で)安心安定の布陣。

ピエール瀧さんの出演シーンはそのまま上映されてました。
映画はテレビとは違って見たくない人は見に行かなければよいのだし、それでいいのじゃないかなぁって思いました。どこで線引きするかは難しいところかもしれませんけれど。


さてさて同じお店でそれぞれ違う日の日本酒の画、二葉。
それぞれ違う思いを抱えての独り乾杯。

         雪彦山純吟 - コピー.jpg 雪の茅舎 - コピー.jpg


『命みじかし、恋せよ乙女』の感想もなる早でまとめてアップしたいと思います。ぴかぴか(新しい)



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2019年08月27日

ロケットマン     すべてが今の彼の礎と思いたい


  アースシネマズで『ロケットマン』(デクスター・フレッチャー監督)観ました。

世界的ミュージシャン、エルトン・ジョンの半生を描いたミュージカル仕立ての作品。エルトン・ジョン本人も制作総指揮として名を連ねています。

storyぴかぴか(新しい)
イギリス郊外の町で両親の愛を得られずに育った少年レジナルド(レジー)・ドワイトは、唯一、音楽の才能には恵まれていた。やがてロックに傾倒し、ミュージシャンを目指すことを決意したレジーは、「エルトン・ジョン」という新たな名前で音楽活動を始める。そして、後に生涯の友となる作詞家バーニー・トーピンとの運命的な出会いをきっかけに、成功への道をひた走っていくが……。 ※映画情報サイトより転載


  エルトン・ジョンはLOVEバラード集のCDを一枚持っている程度なのですが、エルトンファンの友人からはよくその名を耳にしていましたっけ。
同性愛者であることは周知のことでしたが、それ以前にあのド派手なパフォーマンスに“きっと(精神的に)いろいろある人なのだろうなぁ”とは漠然と思っていましたが、本当にいろいろある(あった)人でした、エルトンジョン。

     
                         ロケットマン チラシ - コピー.JPG


映画タイトルは<Rocket Man>ですが<Goodbye Yellow Brick Road>の曲がまるで作品のメインテーマのように何度か流されます。
エルトンのバラードの数々はどれも素敵ですが、本作を観たあとの今はこの曲が脳内ヘヴィーローテーションになっています。とても好きな一曲になりました。


  心が穴だらけで冷徹な父親。
「閉じ込められた愛」で毒を吐くことでしか子どもと接することができない母親。
そんな中で育ち、レジー少年はいつしか自分自身を愛せなくなっていたんですね。
自殺未遂シーンはこの上なく痛々しく、且つこの上なく切なく美しいものでした。

エルトンのセラピーでは「自己を許す」ことが請われていましたが(今年観た映画『ドント・ウォーリー』でも同じことが言われていましたっけ)、エルトンにとって一番許さなければならなかった対象は、誰からも愛されなかった少年の頃の彼をずーっと愛せないままでいた“今のエルトン自身”だったのですね。
セラピーの輪の中でレジー少年と対峙するエルトンの姿には胸を強く掴まれました。

同性愛者であることも、やはり辛いことが多かったのですよね、エルトン。
肉親の愛にすがりたくて思い切って打ち明けた母親が「孤独な人生を選んだと思いなさい」と彼に言い放った言葉は非常に重く、受話器を握りしめたままのエルトンと共に私も心の中で泣きました。


生涯の友となる作詞家バーニー・トーピンとの出逢いのシーン、そしてあの名曲<ユア・ソング(僕の歌は君の歌)>が生まれた瞬間のシーン。
全編通して心に痛く辛いエルトンの姿がこれでもかと描かれ続けられていた中で、今思い出してもあたたかで柔らかく、確かに幸せを感じさせてくれるシーンでした。
エルトンを演じたタロン・エガートン本作での全曲を吹き替えなしで歌い上げています。
心に響く歌声で、その巧さには驚きでした。ナイーブな面持ちもある種の母性本能をくすぐる素敵さでした。


「未来は黄色いレンガ路の向こうにある…。」( Goodbye Yellow Brick Road より )
元の自分を消してなりたい自分になると「エルトン・ジョン」と名乗った彼ですが、元の自分レジナルド・ド
ワイトを受け入れて、どうかこれからも心を解き放つ人生であり続けてください。ぴかぴか(新しい)



                        raku namabi2 - コピー.jpg                      
  
  母親を演じたブライス・ダラス・ハワード。
好きな女優さんの一人なので彼女観たさもあっての本作チョイスでしたが、最初出てきた時にはブライス…って分からなかったです(肉付きが…)。それでもやっぱり好きな女優さんですけどね。

Goodbye Yellow Brick Road には「立ち直るまでには2、3杯のウォッカ・トニックが必要だ」っていう歌詞がありますが、ウォッカトニック2、3杯では私の立ち直りには多分足りないです。
そういえばいろいろあって今夏は大好きなジンを楽しめていません。

今はせめて今秋のジンを楽しみにしていよう…と思っています。





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2019年08月17日

トム・オブ・フィンランド     どんな形でも「愛」

 
シネリーブルで 『トム・オブ・フィンランド』(ドメ・カルコスキ監督)を観ました。

ゲイアートの先駆者としても知られるフィンランドの国民的芸術家トム・オブ・フィンランドの半生を描いた伝記ドラマです。
内容に興味があったこともさることながら、フィンランド作品ということと、主演のペッカ・ストラングの横顔にほんの一瞬だけですが故マッティ・ペロンパーの面影が被ったから…のチョイスでした。

幾つかの過激なショットも、根底にあった「愛」でさらりと流せた気がします。


                       トムオブ・・・ - コピー.JPG
story
同性愛がまだ法律で禁止されていた第2次世界大戦後のフィンランド。帰還兵のトウコ・ラークソネン(ペッカ・ストラング)は、鍵をかけた自室でスケッチブックに向かい、己の欲望をドローイングとして表現していた。彼がスケッチブックに描いたのは戦場で出会ったたくましい男たちの姿だった。妹のカイヤから広告の絵を描く仕事を紹介されたトウコは広告の世界で才能を発揮し、昼は広告会社、夜は部屋で作品作りに没頭する日々を送っていた。そんな中、トウコが「トム・オブ・フィンランド」の作家名でアメリカの雑誌の表紙を飾る。彼が描くたくましい男性のイラストは、数多くのゲイ男性たちの理想像として共感を呼び、その評判は世界中に広がっていった。    ※映画情報サイトよりの転載です。


みんな、愛を求めている。
ラストで語られたその言葉が全てだと思いました。

肉欲的な妄想が先行するアートだけれど、それも抑圧された世界故のことなのでしょうか。
誰かを愛することで、それだけのことで危険な状況を伴う時代において、精神的均衡を保つギリギリの自己表現(自己保存)行為だったと感じます、トウコのドローイングは。
だからこそ、多くのLGBTの人たちに切実に訴えるものがあったのではないでしょうか。

あのマッチョなイメージの男性の姿は、トウコ自身が戦争で殺めてしまった敵国・ソ連兵への弔いなのでしょうか?? そのソ連兵に再び命を与えようとするかのような。
そのソ連兵が憑依したかのような人物の映像が何度も挿入されていて、トウコの戦争による心的外傷の影響も少なからず感じられた作風でした。

ただ、アメリカの多くのゲイの人たちが何故あそこまで肉欲的謳歌を求めるのか、分かりえなかった私です、ごめんなさい。先述しましたが、抑圧された環境だからのことなのか・・・それでも、真に愛する人を求めるというより一時の性の相手を求めるような場面があり、そのあたりが私には上手く咀嚼できなかったのは確かです。


でもトウコとニパ(ラウリ・ティルカネン)の純粋な愛は最後まで支えたかったです、気持ちとして。外で手をつなぎたい・・・それが叶ったのはトウコがメジャーになって渡ったアメリカでのたった一度のことでしたね(やっぱりアメリカって凄い国!それだけ多様な人種の集った国だっていうことでしょうか)。
「僕たちのことを知ってもらって。」、そう言い残したニパの心が愛おしいです。

トウコの妹カイヤ(ジェシカ・グラボウスキー)の存在も素敵だったなぁ。
兄に対する拒絶からやがての心的融合へと・・・彼女もある意味で兄トウコによって人生が大きく変わってしまった人間かもしれないけれど。それを超えて兄を、そして慕っていたニパを理解したいと思たのですね。

みんな、愛を求めている。 確かにそうですよね。



                        プライムハイボール - コピー.jpg

 最近ちょっとハマっているセブン開発プライベートブランド品<プレミアム・ハイボール缶 8%>です。
甘くなく、変なレモン風味も無いのがよいです。

新幹線なら「all right! 」でも在来線ではたとえ遅い時間でも白眼視されるちゃう飲酒です・・・でも呑まずにいられない日もあるのです。
各停でこの日はお隣にどなたもいらっしゃいません、、、せめてもの言い訳ですが。

「トム・オブ・フィンランド」を想いつつの「ハイボール・イン・ザ・トレイン」です。



 
posted by ぺろんぱ at 19:02| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月09日

風をつかまえた少年     風だけは等しく吹いている


シネリーブルで『風をつかまえた少年』(俳優キウェテル・イジョフォーの初監督作品)を観ました。

同題の原作(ウィリアム・カムクワンバ,、ブライアン・シーラー 共著)に基づく実話です。原作者ウィリアム・カムクワンバの少年時代をマックスウェル・シンバが、その父親役を監督であるキウェテル・イジョフォーが演じています。


     風を・・・ チラシ - コピー.JPG

Story
   14歳のウィリアムは、2001年にアフリカの最貧国マラウイを襲った干ばつのために学費を払えず、学校に行けなくなってしまう。彼は図書館で見つけたある本から、独学で発電のできる風車を作り畑に水を引くことを思いつくが、雨乞いの祈祷をする村でウィリアムを理解する者はいなかった。だが、家族を助けたいという彼の思いが、徐々に周囲を動かしていく。(映画情報サイトより転載)


 2001年ってアメリカ同時多発テロが起こった年ですよね。
世界を震撼させた驚愕の事件も、電池でかろうじて起動させる古いラヂオで聞かねば知ることもない。そんな中、風の力で電気を起こす試作装置でイカレてしまっていたラヂオから再び音声が蘇った瞬間に大喜びする少年たち。世界の大事件も、明日の暮らしもままならない国の少年たちにはどうでもよいことだった…そのリアルさに軽い衝撃を受けたシーンでした。
その大事件のうらで、テロとは全く無関係の次元でただただ懸命に家族と暮らしを支えようとした少年がいたことに、先ずは頭をはたかれたような思いでした。

映画は終盤あたりまでずっとマラウイでの困窮の暮らしが描写され続けます、それは観ていて苦しいほど。盟友でもあった犬・カンバの死は殊に心に突き刺さりました。
追い詰められた状況下でも自棄的に暴力や犯罪の世界に走るのではなく知恵と学びの力で明日を切り開こうとした少年ウィリアムの姿には脱帽の思いでした。

ウィリアムを愛しつつも困窮のあまり彼に力を貸すことを頑なに拒む父親。
「父さんが知らないことを僕は知ってる」
最愛の父親に対してそう言わざるを得なかったウィリアムの心はどんなに辛かったことか・・・。
しかし、学び、それを“暮らしに活かす”ことの重要さをウィリアムはいわば本能的に知っていたのでしょうね、とても賢く強い子です。

愛する家族を守るために学ぶ。学んで明日への道を切り開いてゆく。
学ぶことの本当の意味はそこにあったのですね。

マラウイという国の名すら知らなかった私。
死者を弔う儀式の風習は幻想的な中に神聖なるものの存在を感じさせ、その映像はとても美しく心に残りました。
また一つ、佳き映画に出会えたことに感謝です。この映画との出会いも私にとっては「学び」でした。



無上盃 - コピー.jpg  


ラストに「神は風のごとく全てのものに触れる」という言葉がテロップで流れました。

何処にいても、そう感じることで少しは何かが変わってゆくのでしょうか、いまの自分自身も。




 
posted by ぺろんぱ at 21:38| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記