2020年08月06日

ぶあいそうな手紙    久々の映画館にて


気が付けばもう8月。
変わったことと変わりゆくことと変わらないことと・・・。 自分自身はどうなんかな・・・。



  シネリーブル神戸で 『 ぶあいそうな手紙 』 ( アナ・ルイーザ・アゼヴェード監督 ) 観ました。
約5か月ぶりの劇場鑑賞でした。 なかなか良い作品に出会えてよかったです。

< story >
 ブラジル南部のポルトアレグレに暮らす78歳のエルネスト。隣国ウルグアイからブラジルにやって来て46年になるエルネストは、頑固で融通がきかず、うんちく好きの独居老人だ。老境を迎え、視力をほとんど失ってしまったため大好きな読書もままならなくなってしまった彼のもとに一通の手紙が届く。手紙の差出人はウルグアイ時代の友人の妻だった。手紙が読めないエルネストは、偶然知り合ったブラジル娘のビアに手紙を読んでくれるように頼む。手紙の代読と手紙の代筆のため、ビアがエルネストの部屋に出入りするようになるが……。 (映画情報サイトよりの転載です)

ぶあいそうな手紙チラシ - コピー.JPG


 老いてこその選択、老いてこその決断。
自分もいつかそう遠くない未来にエルネストのような心境に陥るのだろうか…そしてその時果たして彼のように自らの直感に忠実に ‘思いきる’ 事が出来るのだろうか… 自問 。 ( 心境だけでいえば既に陥っている気がしないでもないですが。)

「老いというのは分かりあえる人々を失うこと」、この言葉が胸に刺さります。
ゆっくり死と向き合っていく姿がそこにはあったのですが、幾つになっても運命を劇的に変える分岐点は在るのだと思わせてくれる 「クラッシュ(=ときめくこと、劇中の詞)」 と 「悦び」 が、ある時点から力強く描き出されてくるのが小気味よくて段々前のめりになって観ている自分がいました。

ワケありのビアが若さ故かエルネストを振り回しているようにも感じられもしたのですが、その奔放さ(ある種の真っ直ぐさ)がエルネストの忘れかけていた何かを呼び覚ましたのだと感じます。
彼の中の何かがビアを遠ざけることをさせなかったのだと思いますが(決して品行方正とは言えないビアですがイケナイことはイケナイことと認識していたビアです)、それはエルネストの生来の直観力なのか、はたまた長きにわたる独居の寂しさからだったのか、いずれにしても孤独を抱えて生きてきたビアとは引き合う二人ではあったのでしょう。

だから、実はビアとの新しい形の日々があるのかな…とも思ったのでしたが、エルネストが決断したことは、提示されてみるとなるほど最も納得のいく道だったと分かる気がしました。

同じ希望と同じ喪失感を持つ人のもとへーーーーー。 
私には凄い決断に思えましたが、自分もエルネストの年齢になった時あんなふうに自分にとって大切なものを見極めて一心に向かえる人間であれたらいいのに、と思いました。

エンディングで流れる音楽も感動を高めてくれました。 どうか幸多き日々を。ぴかぴか(新しい)

友人ハビエルとの別れのシーンは秀逸です。
切なさがドーンときて、でもそういう友を持てたことが何にも代えがたいことなのだと思わせてくれました。
あのシーン、もう一回観たい。

**主演のホルヘ・ボラーニは、2005年に日本公開となった映画『ウィスキー』の人でした。
お歳は召されても味わいのある風貌は変わらない。確かチラシは残していたはず・・・もう一回観返したくなりましたね、『ウィスキー』。


                         ビールとモンブラン - コピー.jpg

こちらもかなり久々の、やはり半年ぶりくらいの某カフェ。
奥のモンブランは友人オーダーのケーキセットから写真用にちょこっと拝借しました、画的に何となく好いかなと。ありがとう。。。 でも私はやっぱりビールですが ( それやったらモンブラン借りるな、、、ごめんなさい )。



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2020年07月29日

一人称単数 ( 村上春樹 新刊 )  そして再び 中村文則小説 のこと


更なる豪雨災害、 そして自死を選んだ人や 自らの死を他者に委ねざるを得なかった人。
いろんなことが起こってて、ずっと前からの自分のぼんやりとした抱え事にも違った見え方がしてくるこの頃です。

 
 
 中村文則さんの2冊目『私の消滅』を読了し1冊目に引き続き重苦しい精神の闇みたいなものに打ちのめされてしまった私でしたが…思うところあって3冊目『惑いの森』を手に取ってしまいました(マゾか)。
1/4辺りまで読んだところで春樹さんの新刊が出たので辛抱し切れず、『惑いの森』は一旦置いて春樹さんの本へ移行。読み終えたので少しだけ想いを綴っておきます。( 『惑いの森』 もその後に読了したので後述します。)

                       一人称単数 本 - コピー.JPG

『 一人称単数 』(村上春樹著)

 『騎士団長殺し』(長編)から約3年半ぶりの新作でこちらは8篇からなる短編集です(短編集としては6年ぶり)。春樹さんの新刊を読めることをとても嬉しく思いながらページを繰りました。

現実と非現実(でも現実かもしれないと思わせるファンタジー)が重なってゆく世界。
主人公たちが皆、齢を重ねての安定感と背中合わせの深い喪失感みたいなものを抱え、やがて不思議な感覚に陥ってゆくのはやはり春樹さんワールド。しかし従来のそのワールドに(私などが分かった風に語れないことは十分承知の上で言わせて頂けるなら)良い意味で‘春樹さんご自身がお年を召された深み’みたいなものが加わって感じられたのでした。

二番目の収録作品「クリーム」が、最も地味かもしれないけれど最も好き…かな。心に刺さった一文がありました。
七番目の収録作「品川猿の告白」は2005年の短編集『東京奇譚集』の中の「品川猿」の内容を引き継ぐものでありながら、品川猿の老いと宿命の哀が描かれていて前作「品川猿」と基本的設定は同じでも趣きが全く異なる作品のように感じました。
最終話の表題作「一人称単数」は長編『色彩を持たない…』の世界を想起する展開(自己の認識し得ない部分の何かが他者を激しく害う、というような)で、またこの短篇から別の長篇が生み出されるのかもしれないなと思ったりしました。

勿論8篇全てそれぞれに惹かれるものは大きく、今後も何度か読み返すことになると思います。
村上春樹さんの作品を読み続けられていることを、何と言いますか、、、幸せに思います。


 ということで、そのあと中村文則さんの『惑いの森 〜50ストーリーズ〜』に戻りこちらも読了しました。

50篇のショートストーリーから成る一冊ですが、それぞれ違う作品でありながら深いところでつながっている‘一本の糸’を感じました。時折同じ(と思われる)人物や団体、情景などが登場します。
先に読んだ中村氏の他の2冊と同様、重く暗い、そして苦しいイメージが変わらず通底している気がします。
けれど50篇の中のほんの2、3篇の作品のラストには(上手く言い表せないのですが)微かな光のようなものを感じたのですよね。それでやっぱり、、、「もう一冊」と思って4冊目を手に取ってしまいました。

『悪と仮面のルール』です。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙の2013年ベスト・ミステリーの10作品に選ばれたらしいですが全く知りませんでした。 2018年に映画化されたらしいですが失礼ながら記憶に無いです(玉木宏さん主演のようです、本書を読み終えた後でならちょっと観てみたい気もします)。

本書に付されたキャッチコピーに今まで読んだ作品と違った‘救い’のようなものの予感が在ったので手に取りました。とにかく読んでみます。


                        曇天の向日葵 - コピー.jpg

曇天の下の向日葵。
実家への道すがら撮った一枚です。

お陽さんの光を浴びてない向日葵、ちょっと淋しげに見えるのは気のせいでしょうか。
関西は梅雨明けも近いのでしょうかね。 そうなったら元気に咲いておくれね。


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2020年07月19日

迷宮グルメ 異郷の駅前食堂 ( BS朝日 )


 連日決して明るくない幾つものニュースに接し続ける中でも、三浦春馬さんのことは衝撃でした。
空の上でどうか安らかに眠ってください。ご冥福をお祈りいたします。



  以前やはりBSでしたかヒロシさんの 『 ヒロシのぼっちキャンプ 』 という番組にハマったことがあったのですが、放送がしたりされなかったりで気が付いた時には終了していました。
よかったのになー、独りで火を起こしてハンモックから眺めてる姿とかそういうの。

で、今はふとしたことで知った、やはりヒロシさんの一人旅を撮った 『 迷宮グルメ 異郷の駅前食堂 』(BS朝日 金曜21時) にすっかりハマってしまっています。毎週録画して楽しみに観ています。

***内容(番組公式サイトよりの転載です)***
  世界の鉄道で旅をして、ふらりと降りた駅前の絶品グルメを異郷で探すふれあいの旅。
  言葉もわからない土地で、ジェスチャーと勘だけで地元の人に愛される駅前食堂を探し、
  人生で味わったことのない美味いモノと、人情に出会います。
 
迷宮グルメ キューバ - コピー.JPG
       ※キューバ・ハバナ中央駅の回。番組公式サイトよりの転載です。


 オープニング曲はニニ・ロッソの「 Arlecchinata 」、原曲はあのチャップリンの映画『ライムライト』の「テリーのテーマ」(チャップリン作曲)です。
旅する地を一本の列車が駆け抜けてゆく…バックにこの音楽が華麗に流れてきて、この瞬間一気に魂が旅の空に飛ぶのです。
もう一曲。ヒロシさんがその日のお店やオーダーするものを決めたりする‘ここぞ!’っていう時に流れるのが「さすらいの口笛」で、この曲は映画『荒野の用心棒』のテーマ曲(エンリオ・モリコーネ作曲)でした。

ヒロシさんがまさに流離いの人という感じです。
在るがままというか、もう無理しない、したくないっていう感じが全身から醸し出されている感じがするのです。(その辺りは芸能界でのご苦労もあってのこと?なのでしょうか。)

言葉が通じないせいでヒロシさんが無意識に(結果的に)吐いてしまった毒と、明らかに‘意識的に’吐いている(←私には何となくそう見える)毒があって観ていてハラハラする時もありつつ、街行く人やお店の人たちとのやり取りを楽しく眺めています。
出されたものを一口食べて「うん、これ豚だね」と言ってて放送時にはテロップで <※鶏です> とか出てたりします。多分カメラマンさんやディレクターさんがウラを取っておられるのでしょうけど、「俺、アレ結構傷つくんだよね」って言ってるヒロシさんがちょっと可愛いです。

「こんな無知な男が(この企画を)よくやってこれたよね」とヒロシさんは言ってらしたけれど、そういうヒロシさんだからこそこの番組が人を引き付けるのだと感じています。
旅する人の殆どが多分 博識家でもフーディーでもない普通の人間なのだから。

それぞれの人にそれぞれの旅があって、いつか自分もそうありたいと思う一つのかたちがそこに在る気がします。

コロナ禍の下いつまで新作が観られるのか(時々旧作の再放送も混じってます)分かりませんが、収録分が尽きてしまっても過去作を再放送してもらえたら視聴歴の浅い私なんかは嬉しいです。
勿論、そう遠くない未来に新たな収録の旅が可能となることを一番に望みますけれど。


                         自粛明けの試 - コピー.jpg

かなり久々の、地酒外呑み。
千鳥正宗しぼりたて(三田市のお酒です)。アルコール度数は19.9度です。
無濾過生原酒です、やっぱり美味しい。

そして村上春樹さんの新刊 『 一人称単数 』 が出ました、読みます。ぴかぴか(新しい)



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2020年07月13日

最近の読書から 中村文則さんとの出会い


豪雨災害、コロナ問題、日々抱えるいろんな事々。
豪雨で被災された女性が「何の試練なのか・・・」と仰っていたのが胸に刺さったまま抜けません。



  最近の読了本4冊と読みかけの1冊。

『噂』(荻原浩著)は何冊目かの同氏の小説で 未読だった一冊。
猟奇的な事件が扱われていて不気味な反面、事件を追う刑事側の人間模様にあたたかみも感じます。しかし、ほのぼのとしたムードで幕引きかと思っていたら最後の一行で凍り付きました。

『ほんまにオレはアホやろか』(水木しげる著)は某新聞記事に載っていたもの。
幼少のころからバカと言われ続けて自分の好きなことしかしなかった(御本人が「文庫版あとがき」で「健康でたくましい糞が出れば人生はめでたしめでたし」と書いておられるほど)とのことですが、本著に触れてーこの人は凄まじいサバイバルのなかを闘って生き抜いてきた人なんだなぁーって痛感しました。戦争体験然り、漫画家としての苦節然り。でもキョーレツなまでに前向きで心の向かい方が自由。そして何故かここぞというところで運に恵まれもおられる。それは水木さん自身の性格が引き寄せた強運に違いないと思わせられました。
自分の思いに正直であり続ければ何らかの道は開けてくるのかもしれないなぁ・・・。

『東京百景』(又吉直樹著)K女史のご紹介によるもの(K様ありがとうございます)
又吉さんの心に残る百の風景を綴った文章。東京を「果てしなく残酷で時折楽しく稀に優しい」と評しておられます。又吉さん自身が東京という街に深い愛を持っているからこその表現ですね。
他者がどう言おうと自分が信じたいと思うことはとことん信じるべきだということと、あと、この人って実はすごいマグマを内包している人やんやなぁと感じました(怖いくらいに)。

そしてその又吉直樹さんのご紹介で(…って、『東京百景』のなかで又吉さんがとても傾倒している作家氏として書かれていたってことなんですけどね)『世界の果て』(中村文則著)
作品を手に取るののは初めての作家氏です。


  世界の果て.JPG                      


「若き実存主義作家」という世間の位置付けにちょっと怯みましたがやっぱり私にはかなりハードルが高く、読了の今もそのハードルを越えられたのか否か分かりません。一冊目のチョイスとしては失敗だったのでしょうか。
短編集ですが全編ダークなトーン。その世界に入り込んでしまったら元に戻れないのじゃないかと、このまま読んでいて大丈夫なんだろうかと、ちょっと怖くなりながらもページを繰る手がなかなか止められず読み進めました。

5篇の短篇が収められていてどの篇にも自分が行くべき場所を求めてもがき続ける人間がいるように思えました。
圧倒的な孤独と先の全く見えない絶望。それでもいつか自分の手で光を掴むことができるのでしょうか。
うぅぅ…4篇目までは読んでいても -私はこの作家さんの発するメッセージを受け止めることができているのだろうか、そこに近寄れてさえいないんじゃないだろうか- と思っていました(つまりは‘置いてきぼり’にされてる感)が、5篇目の「世界の果て」で漸く其処に在る何かにちょっとだけ触れられたような?気がしました(心許ないほど微かにではありましたが)。

なので・・・同氏の小説にもう一冊トライ。
『私の消滅』(中村文則著)。
こちらは一篇の長編作品です。読んでいて苦しいところも怖くなるところ(←読んでいること自体が)もあります。
精神の深い闇に下りてゆく感じの展開。でもその先に何が待っているのか知りたくてやはりページを繰ってしまっています。
ただいま半分を少し過ぎたくらいのところ。


  カムイ - コピー.jpg 毘沙門天 - コピー.jpg トゥーフェイス - コピー.jpg

最近のウォーキング(時々 猫パトロール)から。

1枚目 : あ、目が合ったねカムイ
2枚目 : この子はいっつも逃げる、毘沙門天。繰り返しますが命名に深い意味はありません。
3枚目 : トゥーフェイス。いつも孤高オーラを放っています。

どの子もみんな達者で暮らせよ〜。ぴかぴか(新しい)



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2020年07月05日

遥か群衆を離れて ( BS.P. 録画DVD鑑賞 )


手探りで踏み出した感の現状でしたが再び不穏な数字が出続けていますね。未知のものはやっぱり怖いです。 未知のものばかりのなかで進化してきた人類なのでしたけれど。。。
更にここに来て豪雨による災害も。犠牲になられた方々のご冥福を祈ります。



  少し前に放映されていたBS.Pでの映画『 遥か群衆を離れて 』(ジョン・シュレシンジャー監督 1967年制作 イギリス )を私は観逃していたのですが、コメント下さっていたビイルネンさんが録画分をコピーして送ってくださいました。
送って下さってから少し日が経ってしまいましたが、やっとこのほど鑑賞できました。

トマス・ハーディーの小説を基に、19世紀のイギリスの農村で自身の思いに真っ直ぐに逞しく生きた一人の女性を描いた作品です。
トマス・ハーディーって映画『テス』の原作者でもあったのですね。『テス』・・・劇場に観に行ったのを覚えていて当時の自分をおぼろげに思い出しました。


遥か…チラシ - コピー.JPG
       ※この画像は映画チラシ情報サイトよりの転載です。


 人生はかくもややこしくもどかしい・・・。
一番しっくりくる(観る側も何となくそう感じる)着地点に辿り着くまでの、何と紆余曲折のあったことよ・・・。
けれど人生って概ねそんなものなのかもしれませんね。
多くの未来(選択肢)があると信じるが故の流離い、その様々な痛手から得た‘本当に大切にすべきもの’の存在。

気位と自立心が強い主人公バスシバは唯々諾々を良しとせず何かと周囲を振り回し、好きな女優さんジュリー・クリスティーが演じているとしても初めは安易な感情移入を許さない感じでした。
彼女の悪戯心の誘惑から本気で彼女を好きになってしまい最後には人生を崩壊させてしまったボールドウッドがとにかく不憫。演じたピーター・フィンチが紳士的で一途だったから余計そう感じてしまって。
自分の蒔いた種でボールドウッドが囚われの身になってしまって、それでカブリエルとの‘幸せの再出発’は無いだろうと私としては思いましたが、バスシバがそれを全て心に抱えたうえでのあの再出発だったのだと今はそう思いたいです。‘幸せ’にも‘背負うもの’はある、と。

若く自分を信じて疑わず突っ走っていたバスシバが終盤に見せる穏やかな表情に時の流れを感じます。
しかしバスシバのもとから去ろうとするガブリエルに対して「行かないで」ではなく「行かないでしょ?」と言う言葉にはやはり彼女の本質は変わっていないのだとも思いました。それが良いとか悪いとかではなくて。
若さ以外にも多くのものを失ってきて感動や喜びの沸点もきっと以前とは違っているであろう彼女だけど、これからのガブリエルとの日々を思い、エンドは実はちょっと複雑なものとして心に残ったのでした。

                        遥か…のジュリー - コピー.JPG
          ※ ジュリー・クリスティ この画像は本作の情報サイトよりの転載です。

長尺の約2時間50分の作品でしたが、舞台となる19世紀のイギリス西部の農村風景がダイナミックに捉えられていて人間ドラマ以上に魅せられます。

主要キャスト4人も其々に良かったです。
先述の二人に加えガブリエル役のアラン・ベイツは大地に立つ雄々しさと誠実さをずっと感じさせてくれたし、バスシバの不良夫トロイを演じたテレンス・スタンプは後年の映画『プリシラ』でとても好きになった俳優さんでしたが、本作はあまりに若き頃でスラリと細く長身で前半の役柄はとっても‘ヤな奴’で随分イメージと違ってました ^^; 。後半はトロイなりの生き方の美学を感じたりもしたけれど「じゃあなんで戻ってきたんだろう」と思いながら、彼がバスシバに関わった日々はやはり深かったのだと受け止めました。

そんなこんなの諸々の想い含め、いつかもう一回観たいです。送って下さったビイルネンさんに感謝です。



TTT - コピー.jpg

自粛明け初の外食は友人とのランチで、テラス席のあるオープンエアなカフェでした。
紫陽花に時折爽やかな風が吹いたこの日。
久々の再会といろんなことに気付かせてもらえた語らいをありがとう。

友人はアルコールのウェットティッシュも携帯していて日傘の柄も時折拭いていました。私も見習わないと。
With コロナ の時代なのですね。


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2020年06月24日

死の淵を見た男 ‐吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日‐ ( 本 )


いろんな規制が解除になった今、手探り状態の世の中ですが巷に笑顔が多くなりましたね。
実家に帰った時も隣家の人との平和な世間話も増えました。



  やっと順番が廻ってきた一冊。
気合が入ってたのか一気に読了しました。
『死の淵を見た男 ‐吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日‐』(門田隆将著)です。

2011年3月の東日本大震災による福島第一原発事故。
全電源喪失、メルトダウン、最悪の状況の中で決死の活動をし続けた現場の苦闘を描いたノンフィクションです。
映画化( Fukushima 50 フクシマフィフティ )されて上映後暫くしてコロナ問題が深刻化して気になりながらもそのままになってしまい、ならば原作を読みたいと思ったのでした。

死の淵を - コピー.JPG

 日本中が言葉を失ったあの日、3.11。
その直後から選択の余地なく始まった死闘の、その凄まじさに改めて今、再び言葉を失った思いでした。
家族、郷土、自身が生きて培ってきたもの、、、あの日あの時それら‘大切なもの’守り抜くために現場の人たちは何を心に決めたのか…「死」に直面する場に身を置いて何を思ったのか…。
そこには生々しい胸塞ぐ現実がありますが、当時の現場の、現場でしかわかりえない事々を知ることができてよかったと本書を読んで思いました。

 一人の女性(東電社員)の証言もあって。
事故当時はあまりの過酷さに精神が麻痺してしまっていて事故後の家族との通話でも涙が流れることもなかったのに、半年ほどを経て残る復旧のために誰もいない町中を車で現場に向かっていた時、骨と皮だけに痩せ細ったキツネが恐る恐る近寄ってきて・・・その姿があまりに哀れで持っていたあんパンを車から降りてそのキツネにあげたまさにその時、突然どーっと涙が出てきて止まらなくなった、と。
申し訳ないと、人間のみならず何の関係もない動物たちをもこんなふうにしてしまったと、自分たちへの怒りがこみあげてきて流れる涙が抑えられなかったそうです。
個人的にはここを読んでいて一番泣きました。
動物の哀れな姿と人々の酷い姿と、それを「自分たちへの怒り」と刻んだこの人たちと・・・いろんな姿がぐちゃぐちゃに混ぜこぜになって迫ってきた感じでした。
 
 周辺の人々の平穏な暮らしを崩壊させてしまった結果は勿論酷いものだったと思いますが、考え得る最悪の状態、その中の最大極限の事態を辛うじて回避できたのは現場のこの人たちの命をかけた戦いがあったからだと、改めて強く心の中で手を合わせる思いです。

 筆者の門田氏が「はじめに」と「おわりに」に記しておられる内容は冷静な分析であり、しかしながら深く心に響くものでした。
東電内で亡くなられた方もおられました。あらためて、どうぞ安らかにと祈らざるを得ません。


猫パト1 - コピー.jpg
沈思黙考

猫パト2 - コピー.jpg 「帰ってきたでぇー」「何処行っとったん!」的な?
猫たちの世界にもいろんなことがあるだろうけど、とにかくこの子たちも皆‘ 食べて寝て’元気で暮らせ!


                        インドの青鬼 - new.jpg

 最近の家呑みの一景。
インディア・ペールエール<インドの青鬼>が近くのスーパーに置いてあるのを知って買いました。
いつもアルコールのコーナーはガン見目していたのに死角でした。
久々のこの味、苦みとコクがクセになります。何年振りだろう〜、美味しく呑みました。


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2020年06月17日

心の旅路 ( BS.P. 録画鑑賞 )


 街をゆく10代半ばの若者たちの、雄々しく以前と変わらぬハツラツさにEnergyチャージさせてもらいました。 しかし若者は若者なりにこれから先に思い悩むことはきっとたくさんあると思います・・・ガンバレ若人よ!( オマエこそ頑張れよ と言われそうですが。)


  少し前に録画していたBS.Pでの映画 『 心の旅路 』(マーヴィン・ルロイ監督 1942年制作 アメリカ ) をやっと観ました。
ジェームズ・ヒルトンの小説を基に、第一次世界大戦で記憶を失くした男スミスと旅回りの踊り子ポーラとの長きにわたる愛の軌跡を綴った作品です。


心の旅路 ポスター - コピー.JPG
           ※映画ポスター Wikipediaからの転載です。


こういうのを古き良き映画というのでしょうか。
10年は超えるであろう長い物語の流れの中で、ポーラとスミシ―の互いへの愛がただその一点のみに於いて真っ直ぐに正攻法で描きあげられていました。

スミシ―が去しり後ポーラが体験した絶望と辛苦の日々が彼女の台詞として短く語られただけだった事とか、マーガレットと名を変えてチャールズ(スミシ―)の前に再び現れてからも彼女がその過去の辛苦を振り返るシーンが無かった事については、少しリアリティーに欠けるというかもう少しそこを深く掘り下げてくれてもいいのに、とも感じたことは事実です。
しかし、この映画がただスミシ―の(かつてのスミシ―としての)愛を取り戻したいというポーラの強い想いに焦点を当てて作られたものであるからだと思えばそれも納得できるのでした。実際、ポーラの一念は凄い、とても強い。スミシ―への愛の深さに圧倒されるほどでした。

難しいことは考えないでただただ物語の展開に身を委ねるのがよいかと。
ストライクゾーンにバシッとボールが収まるようなラストシーンはまるで大人たちに贈られたお伽噺のようでした。

一体いつ気付くのかとやきもきすることもあったので、二人の行く末が分かった今は安心し切ったゆったりとした気持ちでもう一回観たいです。


雨の紫陽花 - コピー.jpg
              
 は 雨の休日の画でした。
歩く人も無く、遊歩道の紫陽花がひっそりと雨に打たれていました。
色鮮やかな花は水も美しくまとう気がしますが、紫陽花はことのほか雨が似合う感じです。
こんな日はきりっと冷えた冷酒がいいですが、そういえば最近ずっと日本酒を呑んでいないなぁ。

この映画で序盤、ポーラがスミシ―と初めて会った日に馴染みのBARで「 ジンをちょうだい、この人(スミシ―)にはブランデーで 」って言ってジンをショットで呑んでいました。 
お気に入りのショットグラスがあるのでそれでジンをクイッと真似てみました。ジンはボトルごと冷凍庫に入れておくとトロリとしてストレートで呑むにはイイですよ。


西Navi - コピー.jpg
                  駅のホームにて。

 「西Navi 6月号」が出ていました。
まだお出かけは容易に出来ませんね、、、だからせめて机上の旅路で・・・。


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2020年06月09日

パーフェクト・ワールド ( BS.P. 録画鑑賞 )、 そして今読んでいる本のこと


 街の雰囲気が以前とはちょっと違う気がしますが ‘新しい生活様式’ のリズムみたいなのを自分なりに築いてゆければ、と思っています。 いろんなことがあると思いますが皆さんもそれぞれの歩みで・・・。



  録画していたBS.P.での映画 『 パーフェクト・ワールド 』 (クリント・イーストウッド監督 1993年制作/同年12月日本公開) を観ました。 これは未見でしたので今になりましたが観ることができてよかったです。

脱獄犯ブッチ(ケヴィン・コスナー)と人質となった少年フィリップ(T・J・ローサー)の心の重なり、犯人を追う州警察署長レッド(クリント・イーストウッド)の苦悩を描いた作品です。

                          パーフェクト・ワールド チラシ - コピー.JPG

 イーストウッド監督らしさに満ちた作品だったと思います。
観終わってからタイトルの「パーフェクト・ワールド」について深く考えてしまいました。
ブッチとフィリップそれぞれのパーフェクト・ワールドは違う時間軸のどこかにはあったはずのもので、もしかしたらあのまま二人の逃避行が続いていたら…とも思いましたがそれはほんの一瞬のこと。それは決して手に入らない「ロスト・ワールド」。 レッドにとってもブッチを救えなかったことでそれは永遠に‘損なわれた世界’になってしまいました。

最初の一撃をフィリップに負わせた展開は重いですね。
ブッチを根底では憎めない人間として描きながら彼にあの結末を用意したのは、結果として道徳的には許されないと考えたからではないかということ。そして真のバディであるはずだったフィリップにそれを判断させたということ。
それはとても悲しいことですが、幾つかあった‘それから後の道’に於いてこれが最善のシナリオだったのかもしれないと思いました。そして最期を迎えたブッチが やっと初めて目指すところに辿り着けた っていう表情だったことが救いです。

それにしても、少年フィリップを演じたT・J・ローサーに心持ってかれてしまいましたよ。この作品の後は出演作が殆ど無い?みたいですが、残念な気がします。



                          記憶喪失に… - コピー.jpg                     
ウォーキング途中の休憩ベンチにて。
              休日だったこともあり公園は以前より多めの人出。
              少しずつ前へ?

 画像は今読んでいる本です。 『 記憶喪失になったぼくが見た世界 』 (坪倉優介著 朝日文庫) 。
再開した図書館も閉館前に予約していた本は「まだまだ(順番は)先です」とのことで、営業再開のジュンク堂に行って出会った一冊です。
以前マスコミで話題になったらしいですが知らなかった(ポンコツアンテナが更に錆びついてしまってる私です)。

頭で想像しそれなりに理解できているのじゃないかと自分が思っていることは実は物事のほんのごく僅かな一面の更に一点でしかないのだと気付かされます。
清く澄んだものに触れるような感覚で読んでいってます。


 お酒タイムバーにトマトジュース、野菜ジュースは欠かせないアイテムになってしまいました。
ジンの消費量も増えました。
で、試していなかったのが < ハイボール + トマトジュース > でした。
薄いとトマトジュースに負けてしまうのでウィスキーを多めにしてライムも絞って。
ジンとはまた違う香りとパンチで中々好いです。


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2020年06月02日

エヴァ・キャシディさんが、浜田真理子さんが、、、歌う「ダニー・ボーイ」 


‘新しい生活’のリズムとやらも自分なりにできつつあるのかなぁ。
しかしウイルスとの闘いや付随する様々な苦悩は続くと思います。身体と心をどうぞ大切に。



  「ダニー・ボーイ」(アイルランド民謡、フレデリック・ウェザリー作詞)が好きで、時々思い出したようにCDでビング・クロスビーの歌うそれを聴くのですが・・・。
この曲を好きになったのは村上春樹さんの長編小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでからのこと。最終章近くで登場する時のこの曲の存在感が凄い。
『世界の終りと…』は(かなり以前にも書きましたが)春樹さんの長編小説の中で私にとっては最も愛する作品です。
ビンクロ - コピー.jpg
 NHKのEテレ番組 『 ららら・クラシック 』 で先日「禁じられた遊び」と「ダニー・ボーイ」をフィーチャーした企画があったので録画しておいて観ました。

アイルランド発祥の ‘タイトルも歌詞も無き歌’ がやがて ‘自国の歌’ を切望する人々の想いによって確たる存在になってゆくわけなのですが、そこには移民としての辛苦に満ちたアイルランドの人々の長い営みが大きく影響していたのですね。

1913年にフレデリック・ウェザリーによって歌詞がつけられてからは、1914年の第一次世界大戦で自分の大切な人を戦場へ送らねばならない人々の悲しみも重なってこの曲(歌)の存在が不動のものになります。

番組ではエヴァ・キャシディさんの歌うダニー・ボーイと浜田真理子さんがアイルランド楽器の演奏と共に歌うそれが紹介されていました。
浜田真理子さんのダニー・ボーイは深い母性を感じさせる、しみじみと聴き入ることのできるとても優しい歌声で聴き惚れました。しかしそれ以上に(実はほんの数十秒くらいしか流されなかったのですが)エヴァ・キャシディさんの歌うダニー・ボーイに心掴まれてしまいました。ソウルフルな歌い方に ‘苦しみに近いほどの悲しみ’ を感じて。速攻、YouTubeで全編を聴きました。

思えば前回ここに挙げたヘイリー・ウェステンラさんの歌もケルト音楽に通じるものがあり、ダニー・ボーイもアイルランド発祥の曲で・・・世の流れは繋がっているのだとしみじみ感じている今です。


もーれつ小太郎 - コピー.jpg

時々見かける もーれつ小太郎 (命名に深い意味はありません)。
スマホカメラを向けたら「ちょっと急いでるんで…」と目の前を駆け足で通り過ぎて行ってしまいました。 冷たいなぁ、でもまた会えるからいいか。


家呑みで最近の新たな試作。
ベルモットが近隣のスーパーマーケットにないので白ワインをジンで割って<なんちゃってマティーニ>バー作ってみました。ジン多め・白ワインかなり少なめで少しだけソーダも足して。
なんちゃって過ぎてもはや別モノでしたが これはこれで悪くないです。


posted by ぺろんぱ at 20:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2020年05月25日

いま聴いているCDのことなど 


少しずつ‘新しい生活’のリズムができていくのでしょうか。
まだまだウイルスとの闘いやそれに付随する様々な苦悩は続くと思います。どうぞ皆さん身体と心を大切になさってください。



  友人Nが先日送ってくれたCD(コピーしてくれたもの)に聴き入っています。

一枚はJUJUの『 DELICIOUS ~JUJU’s JAZZ 3rd Dish~ 』(2018年)、もう一枚はヘイリー・ウェステンラの『 プレイヤー 〜祈りのピュア・ヴォイス 』(2007年)です。

JUJU - コピー.JPG プレイヤー - コピー.JPG
                オリジナルのCD画像です

JUJUさんはNHKの番組「世界はほしいモノにあふれてる」で時々お見かけしていたくらいでJazzも歌っておられたとは知りませんでした。Jazzのアルバムはこれで3枚目とか。
1曲目はオリジナル曲の「リメンバー」でこれはテンションも高く華やかな歌いっぷりで元気をもらえます。その後はスタンダードなジャズ曲やジャズアレンジのメジャー曲がJUJUさん独特の甘切ない歌い方で歌われていて、全体的にライトな感覚で聴けるジャズという感じです。「Smile」はなかなか素敵です。
ラストの「メトロ」はジャズじゃないオリジナル曲で、大都会で生きる女の子の孤独と希望の想いが綴られた曲でした。JUJUさんのあのダイナマイトな外観とハスキーヴォイスからしてイイ意味でちょっと意外な世界でした。

ヘイリー・ウェステンラさんも実はちゃんと聴いたのは初めてでしょうか。
でも2003-2004年のTV.ドラマ「白い巨塔」の主題歌としての「アメイジング・グレイス」が彼女によるものだったようで、私はこのドラマを観ていたからその頃にはずっと聴いていたんだなぁとも思って…(遠い目)。
このCD、ヘイリーの歌声に一曲目「PRAYER -祈り-」から安全に魅了されてしまいました。
中盤曲の「ブライダル・バラード」「フロード」にもラスト曲の「サマー・レイン」にも、もの悲しい響きの中に包み込まれるような深い優しさを感じます。
魂がすーっとどこか遠くの国へ飛んでゆく感じ。聴きながら魂の旅をしていました。

このような状況の今だからこそシンプルに、美しいモノを見て美しい音楽を聴いて、どこかの誰か、今は触れることのできない何か、に想いを馳せるというのはいいものだと思いましたよ。
Nちゃんありがとう。

静かな夜にこのCDに聴き入っていたら危うく赤ワインのボトルを空にしてしまうところでした・・・って、空になったも同然なのですけれど。



お寺の掲示板 - コピー.jpg

 ウォーキングの途中でとあるお寺の掲示板を見ました。

まぁ、その通りですよね。はい、日々痛感しております。
けれどこの背景画の小さな女の子までもが「人生は思うようにならない」と思ってるとしたらちょっと、いやかなり切ないことですが。

お寺の一言貼り紙は見かけたらいつも見てます。
こうい印刷されたものは珍しく、たいていは手描きでそのお寺オリジナルのものが多いと思います。
かなり前のことですが、友人が某お寺で黒々とした墨文字で 「嵐に耐える、それが人生。」 と書かれたのを見たそうです。
そんなん見たらもう何も言えませんよね・・・。



posted by ぺろんぱ at 20:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記