2019年12月13日

ライフ・イットセルフ     大切なのは気付くこと


 シネリーブルで『ライフ・イットセルフ』(ダン・フォーゲルマン脚本・監督)観ました。

登場する人物のきっと誰かであるのだろう語り手が(ラストでは明かされます)、ボブ・ディランの名曲を背景にやや軽妙とも思えるトーンで物語に導いてゆく冒頭の演出。
独特の抜け感があって面白かったと思います。

悲惨な出来事が幾つか描かれているのに(しかも派手な効果音付きで)観終わった後は優しい気持ちで満たされていたのはそこにいつも「深い愛」があったからだと観終わった後じんわりと分かりました。


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Story
ニューヨークで学生時代から付き合っていたウィル(オスカー・アイザック)とアビー(オリヴィア・ワイルド)は、第一子の誕生を間近に控え幸せに満ちあふれていたが、悲惨な事故に巻き込まれる。一方、旅先のニューヨークで偶然その事故に深く関わってしまった少年は、その出来事をきっかけに、スペインで両親と父の雇い主であるオリーブ園のオーナー(アントニオ・バンデラス)の人生を変えることになる。
 ※映画情報サイトよりの転載です。



「信頼できない語り手」というのが若かりし頃のアビーが大学の卒論に取り上げたテーマの中の重要なワードだったのですが、これが本作そのもののテーマにも通じるものでした。

人生そのものが実は「信頼できない語り手」によって紡がれる物語だ、と。
これは「なんのこっちゃ?」的な一文ですが、多分本作をご覧になれば「あぁそうなのかもしれないなぁ」って思ってもらえることだと思います。

人生って何が起こるか全くわからない。
でも幾つもの荒波を乗り越えてこそ見つかる「愛」がある。文字にすれば既視感ばかりの言葉ですが、乗り越えてそこに到達した者にってはそれは揺るぎない真実なのですよね・・・。

愛を見つけたというよりこの物語には実は常に愛がそこかしこに隠れていて、それに気付いたっていうことなのだと思いました。
先述しましたが、実は愛に溢れたそれぞれの人生であったわけで、だから観終わった後に優しい気持ちに包まれたのだと思います。「そこに在ったんだ・・・」という気持ちで。

特に私はサチオーネの無償の愛に静かに心打たれました。
演じたアントニオ・バンデラス・・・初めてこの男優さんを素敵だと感じました。
残った孫娘を慈しみ育てたお爺ちゃんにも。
私が歳を重ねたからでしょうか。男女の熱愛より、ずっと静かで表現の仕方が難しいような愛に心寄せてしまうことが多いです。

過去の全ては未来に繋がる・・・真摯に向き合えばそこに辿り着く・・・。こういう作品は年を締めくくる一今、イイのじゃないでしょうか。

自分としては至極冷静に“淡々と”物語を追っていたつもりでしたが、ラストシーンの何気ない一言には何故かしら落涙。きっと確かな「幸せのかたち」がそこに在ったからなのだと思います。それもこの監督の物語の作り方、見せ方の上手さ?の為せるものなのでしょうか。
ボブ・ディランの曲(歌詞)も効いていましたよ。



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先日明石の天文科学館でちょっとしたお勉強をしてきました。

もう鬼が笑うほど先のことではないので記させて頂きますが、来年は天文学的に「当たり年」だそうです。
日食、惑星との大接近、流星群の大量出現、、、さらに(来年)末にはあの<はやぶさ2>が地球に帰還予定です。
こちらのプラネタリウムでは年末から来年2月初旬『138億光年 宇宙の旅』のプログラムが上映されるようで、これは今からとても楽しみなのです。

勉強会の帰りの反省会(と称する独り呑み)の画。
海の街、某店で酒肴とぬる燗です。


年の瀬ですねぇ・・・しみじみ。


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2019年12月06日

「3年連用日記」更新の年です     高橋書店から博文館へ


2020-2022年10冊目に突入します。


日記帳1 - コピー.jpg


購入した日は好天の日曜で街全体が“長閑な休日モード”でした。お陽さんも暖かくて体にも心にも優しい。
購入したジュンク堂を出たあと公園まで歩いて行って買ったばかりの日記帳をベンチの上でパチリ。

ベビーカーを押す若夫婦や老若それぞれのカップル、ワンちゃんを連れたファミリー等の幸せオーラを浴びながらベンチに何やら置いて一心に写真を撮る謎の女約一名・・・イタいですよね。
9冊目の2017-2019年が何となく自分の中で“流れ”がよくなかった3年だったので、10冊目の3年は「どうぞ佳い日々でありますように」との願いを込めて撮りました。


これまで愛用していた高橋書店さんのハードケース入り3年日記帳は製造販売がもう無くなってしまったらしく(ケースなしのシンプル形状のものは出ています)、こちらの博文館さんのケース入り3年日記帳に変えました。
日記をつけ始めたころは博文館さんのものを使っていましたので初期の頃に戻ったわけですが、高橋書店さんのは一日ごとに短歌や俳句が記されていて結構気に入っていたのですよね。
でも流れがよくなかったこの3年を思うと、ここで博文館さんのに変えるというのも「必然」と考えればいいのかもしれません。
いやいや流れが悪かったのは全部自分の弱さのせい。高橋書店さんの日記帳には本当に長らくお世話になりました。日々と静かに向き合えたことに深く感謝。時には酔酔っ払った解読不可能な文字で書き汚したこと、ごめんなさい

そして新たなこの一冊には「2020年からの3年間、よろしく」


    
ひよこちゃん - コピー.jpg 備前屋1 - コピー.jpg 備前屋2 - コピー.jpg


とある一日、池田市にひよこちゃんに会いに行ってきました。
勿論マイカップヌードルも作りましたよー。
その帰り、駅前で人気の老舗角打ちにての乾杯です。

ダブルで饗してくださるハイボールも美味しかったですが、そのあとはスタッフさんお薦めの日本酒を堪能しました。Nちゃん、お付き合い下さりありがとうぴかぴか(新しい)


あとひと月足らずの2019年、令和元年。
心穏やかに一年を締めくくれたらいいですね。




posted by ぺろんぱ at 19:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月01日

ターミネーター ニュー・フェイト    今は不吉な現実味も 


※結末に触れる記述をしています。


 大阪ステーションシネマで『ターミネーター ニュー・フェイト』(ティム・ミラー監督、ジェームズ・キャメロン原案)観ました。

シネリーブルも専ら神戸ばかりで梅田での鑑賞めっきり減りましたがこの大阪ステーションシネマでの鑑賞は本当に久しぶりです。LINKS UMEDAも出来て圧倒されつつEV.に乗り込みました。


本作ニューフェイト、1991年の『ターミネーター2』(T2)の正統的続編という触れ込みがよく分かりました。というか、核となる構成や物語の展開はほぼ「T2」と同じでした。
変化球だったのは“メキシコ人の小柄な女の子”ダニーの役割。
救世主を生む母親・・・じゃなかったのね。


  ターミネーターニューフェイト - コピー.JPG


Story
  人類滅亡の日である「審判の日」は回避されたが、まだ危機は去っていなかった。メキシコシティで父と弟とごく普通の生活を送っていた21歳の女性ダニーのもとに未来から最新型ターミネーター<REV-9>が現れ、彼女の命を狙う。同じく未来からやってきたという女性戦士グレースが、ダニーを守るためにREV-9と壮絶な戦いを繰り広げるなか、かつて人類を滅亡の未来から救ったサラ・コナーが現れる。
         ※映画情報サイトより転載


展開が「T2とほぼ同じ」と書きましたが、それって本作キャッチコピーの「時代は変わった。運命はどうだ。」の意味に深く通じるものがあったのですね。
スカイネットの「審判の日」はサラたちの手で回避されても、新たに命を得たサイバー戦争用AI<リージョン>の反乱で地球は壊滅的状況になっていたわけで・・・時代の在り方は変わっても人類の負った運命は何ら変わらなかった、ということですね。

シリーズの「3」や「4」や「5」の世界はどこへ?? とも思いますが、パラレルワールドって結局一つじゃないのですよね。多分幾つものパラレルな世界が同時に進行しているのだ、と。ふと村上龍の小説『5分後の世界』を思い出しました。


本作、いきなり死闘が繰り広げられます。
登場する最新型ターミネーターREV-9はとにかく、どこまでも、ひたすら、強い。
「T2」のT-1000の時も思いましたが今回は更に、もうこちらが(こちら??)闘う気力なんて消えてしまうくらい無限の能力を備えていて、最後はどんな葬り方をされるのだろうと・・・それって不可能なのじゃないかと思ってしまいました。(実は観終わった今もあのREV-9の葬られ方の科学的根拠が私にはよく理解できていません。)

とにかくREV-9は強くて不死身。
演じたガブリエル・ルナって本来は笑顔の方が似合いそうな“気のいい隣のお兄ちゃん”という感じでしたけれど、対する<強化型兵士(というらしい)>グレースを演じたマッケンジー・デイヴィスは役どころと合致したかなりの魅力を放っていました。顔立ちは美しいけれどマニッシュな雰囲気で、程よく鍛えられた感の全身がファイトにも美しさを感じさせてくれました。
ダニーとの関係性(これがラストで“効く”)もサラとのそれも丁寧に描かれていましたね。


かつてのT-800がカールとして現在を生きていたことの背景は“登場させることありき”でしつらえられた感が否めませんでしたが、それでもカールがいてこそのあの結末には(「T2」と同じ展開でも)やっぱり泣いてしまうのでした。このシリーズにはアーノルド・シュワルツェネッガーが不可欠の人だったということでしょうか。

ターミネーター、ターミネーター2、そして本作が正統的続編と銘打たれて制作公開されて、じゃあもうこれで終わりでいいじゃないですか・・・と思いきや、本作のラストは「次回作創る気満々!」っていう感じでした。

私はシリーズ一作目と二作目の世界だけを抱いて自分の中でピリオド打っときます。



冬のジン - コピー.jpg

大阪なので再びこちらのBARに寄ってしまいました。
寒くなってきましたがジンの香りが恋しくて。

ジン・トニックならぬ、今回もやはりジンをソニックにしていただきました。
安定の美味しさです、ありがとうございました。


それにしても、「ターミネーター」一作目の頃と比して今はAIの語を見ない聞かない日はなく、本作の世界もぐんと現実味を帯びてきていてそこは不気味ではありましたね。


posted by ぺろんぱ at 18:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2019年11月24日

マイ・フーリッシュ・ハート     損なわれ続けたもの


シネリーブルで『マイ・フーリッシュ・ハート』(ロルフ・ヴァン・アイク脚本、監督)観ました。

ネットでのあまりの酷評で一時は怯みましたが、観たかったのでとにかくそこは初志貫徹で。


チェット・ベイカーは、熱烈なファンではないですが(そう言えるほどには知らない)、CDは一枚持っていてCDラックのディスプレイ面に置いています。ジャケット写真の、レコーディングマイクに向かっている姿が見えるように。

Jazzトランペッターにしてヴォーカリスト。
中性的魅力と称された甘く切なく透明感のある若き頃の歌声は、多分一度聴いたら脳内に“イコール、チェットの声”とインプットされると思います。

熱烈なファンではないと書きましたが、以前にお伺いしていたJazz Barのママさんは、私がお店を訪れるといつもウェルカム曲としてこのアルバム〈CHET BAKER SINGS〉をかけて下さっていました…やっぱり好きなミュージシャンだったんですよね、私。(件のママさんにはJazz素人の私にもあたたかく接して下さったことに深く感謝。)

そしてそのBarで、スラリとした魅惑の横顔を持つチェットの後年のライブ画像を観せてもらった時は、、、驚きしかありませんでした。一体何があったのか…何が彼をそこまでに変えたんだろう…って。
だからこそ興味があったのですよね、この映画。


チェット - コピー.JPG


story
 1950年代にトランペット奏者、そしてボーカリストとしてジャズシーンを席巻し、1988年に謎の転落死を遂げたチェット・ベイカーの最後の数日間に焦点をあてたドラマ。88年5月13日午前3時、アムステルダムに滞在中のチェット・ベイカーが宿泊先のホテルの窓から落下して死亡した。うつ伏せの状態で頭部から血を流している遺体を確認した刑事ルーカスは、ベイカーが落ちたと思われるホテルの窓辺に謎めいた人影を目撃する。しかし、ホテルの部屋には誰もおらず、殺風景なその部屋の机にはドラッグ用の注射器などが散乱し、床にはトランペットが転がっていた。        ※映画情報サイトより転載

  

観に行って良かったです。

冒頭で「これはあくまでフィクションだ」と説明がされていましたが、監督が3年の歳月をかけてリサーチした上での本作は決して真実を逸脱したものではなかったと思います。

孤独ゆえの無償の愛を求める愛し方、去られることを恐れるがゆえの支配とDV、立ちきれなかったドラッグ。破滅的は日々はズタボロ、観ていて痛かったです。

ネットで酷評だったことの多くは、チェットの死を探っていく刑事ルーカスの生き様の方に焦点が当てられていたことでしょうか。
でもそういう描き方、ルーカスを通してチェットの死に迫ろうとした監督のチェットへの眼差し、私はいいと感じました。
だってルーカスとチェットって“同じ”だったから。ルーカスを追うことがそのままチェットの死を追うことになっていたと思いました。
映画が進行していく上で私の中でどんどん二人が重なっていくのでした。

映像はとても暗く重苦しいです。
ノワール調というのを超えて私にはまるでホラーの空気さえ漂っていたように感じました。終始“不確かなものの中に漂う感じ”があって、凄く心的に不安定で不思議な感覚に包まれ続けていた気がします。

それはラストショットで納得できました。
精神の均衡を欠くような感覚の意味が。
運命が交錯するどころか本当に重なってしまった二人。
ルーカスが辿るであろう「この先」を示唆するラストは秀逸でした。

ふと、ルーカスに次いでもしかして監督自身も本作を撮っていくうえでチェット・ベイカーという人間と重なり、憑かれてしまったのかもしれないなぁってそんな事も思いました。


ジャズの名曲が流れます。ぴかぴか(新しい)

マイ・フーリッシュ・ハート
イフ・アイ・シュッド・ルーズ・ユー
マイ・ファニー・ヴァレンタイン
イマジネーション
エヴリ・タイム・ウィ・セイ・グッドバイ
ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ

<マイ・ファニー・ヴァレンタイン>は一度目はトランペットで、二度目は歌で。二度目の歌は心にググッと来ます。
エンディングの<ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ>でチェットの最期の日々の余韻に浸りました。


「最大の喪失は死ではない、それは心の中で起こる」
チェットさんの死についてはこの語りが全てで、とても印象的でしたね。

チェットさんの生き様をイーサン・ホークが演じた『ブルーに生まれついて』もいつかきっと観たいと心に決めました。



ソネライヴ バーボン - コピー.jpg sone - コピー2.jpg


ジャズということでこのアルコール画を。
神戸のライヴハウスにての乾杯です。

訪れたこの日のJazzライヴは偶然にも好きなピアニスト氏(石川武司さん)の演奏で嬉しかったです。ありがとうございました。ぴかぴか(新しい)




posted by ぺろんぱ at 18:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2019年11月19日

ストラスブール美術館展     マルゴさんがひたすら気になる


姫路市立美術館に「ストラスブール美術館展」を観に行ってきました。
今はお城やこちらの市美周辺、すべての樹々が秋の彩りを見せてくれています。美しいです。      

観光客の方々でメインの大通りは賑わいを見せる姫路ですが、お城の直ぐ近くに位置しながらも中々この美術館に入って来られる方は多くはないようで、休日でも比較的ゆっくりとマイペースで画を眺めることができます。

姫路市美 - コピー.jpg


展覧会内容
 近代絵画の祖であるコロー、クールベなどの写実主義からモネ、シスレーをはじめとする印象主義、そしてピカソ、ブラックらのキュビスム、カンディンスキーの抽象絵画など、ストラスブール美術館の所蔵作品の中から厳選された約90点を展観しフランスの近現代絵画の主要な流れを辿るもの。
         ※同展公式ホームページより転載


ストラスブール - コピー.jpg



テーマの「フランス近現代絵画の主要な流れ」は解説パネルを読んでいけば概ね理解できます。
難しいことは抜きにして、美術館の楽しみである“どんなハッと心つかまれるような作品に出会えたか”“どの作品の前で(図らずも)足が止まって佇んでしまったか”という観点で感想を綴ってみました。

最初のブースに展示されていた印象派クロード・モネの作品<ひなげしの咲く麦畑>は、さすがは印象派を代表する画家の作品とあって初っ端から足が止まりましたよ。
印象派の印象派たる画風で、解説の言葉を借りれば「形態を光の中に没してしまう」が如く陽光に100%包み込まれたひなげしの麦畑の画が、時空を超えて今この時この絵の前に佇む私に幸福感をもたらせてくれた感じがしました。
モネはひなげしの花をテーマに少なからぬ作品を残しているようです。そして一つの作品に幾つものアングル、幾つもの(陽の)条件下でそれぞれ5〜6点もの作品を描いたそうです。結局その試行錯誤を経てモネ自身が最も納得のいく作品を世に問うたのでしょうね。

↓↓ ここからは私自身の備忘録として画家名や作品名が続きますが悪しからず ↓↓。

印象派のロタールフォン・ゼーバッハという画家の作品にも惹かれるところが多かった(作品<ラ・ドゥアンヌからストラスブールへの道、雨の効果>)ですが、驚きに近い感じで見惚れてしまったのはジェラール・ガジョロフスキーという画家氏の<宿命或いは家族の絆、もうひとりのマルゴ>という人物画でした。制作年は1972年です。

「画家の使命は目の前の対象主題を自己の才能や芸術性など介在させずただひたすら完璧に写実的に描くことだ」という氏の言葉(作品横に添えられた解説文)に反して、描かれたマルゴさんの肖像画はあまりにもガジョロフスキー氏自身の感性と独自の画風とその芸術性に満ち満ちたものでした。私が人物画が好きということもありますが、このマルゴさんの画は一度見たら忘れないインパクトがありましたね。
タイトルも非常に意味深で、このマルゴという女性が抱えた人生とは?もうひとりの、とは?描いたガジョロフスキー氏との関係性は?といろんな思いを馳せてしまいました。この画家の生い立ちや作品背景の解説はなかったので残念ですが、大きな図書館にでも行けばそのあたりを調べることができるかもしれません。

シュールレアリスム期のジュール・ペランという画家の作品にも不可思議で挑戦的な、鑑賞後も後を引く世界観がありましたねー。展示作品は<機関銃>、<ポプラの航海>の二点。

アンリ・リヴィエール、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、ヴィクトール・ブラウナー、、、事故や病気により体の一部あるいは機能を失うという不運な出来事に見舞われながら画家としての道を歩んだ芸術家たち、役人の仕事と芸術家としての謂わば真逆に位置するような道を長年にわたって両立させた画家ロベール・エイツなど、初めて知る画家の名も多くていろいろと勉強になりました。

それにしてもマルゴさんの画は凄かったです。



たなかや - コピー.jpg

「友夫妻在り、遠方より来たる。」 
少し前のお料理も美味しい人気店での乾杯の画です。
久々の再会で楽しい時間でした、ありがとう。ぴかぴか(新しい)

グラスはワインのように見える色合いですが山廃仕込み純米酒の原酒です。
古酒を思わせるような良い意味でのひね香が僅かにほんのりとあって大変美味しゅうございました。


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2019年11月12日

レディ・マエストロ    サラっと奇麗に流れた感


   シネリーブルで『レディ・マエストロ』 (マリア・ベーテルス監督・脚本)を観ました。
実話に基づく映画です。(ドキュメンタリーではなくフィクションです)

女性指揮者のパオニアと言われるアントニア・ブリコ(1902-1989)の半生を描いたものですが、私はアントニア・ブリコという女性を知りませんでした。
演じた女優さんは勿論とても美しいですが、本物のブリコさんも目鼻立ちのくっきりとした美しさの、意志の強さを感じさせる女性でした。(映画には画像は登場しません、鑑賞後にネットで調べました)

少なからぬ人が彼女を助けた事実は、人間としての魅力もあったのは否めませんが彼女の並々ならぬ音楽への情熱が人々を動かしたということに他なりません。そして言うに及ばず勿論「努力の人」でした。

助けた人以上に彼女の行く手を阻んだ人間が多かったのは、時代という以上に、悲しいかなそれが世の常であったのかもしれません。男性のみならず女性からのバッシングも多かった・・・女性が第一線へ進出することの地均しは実は今もまだ途上にあることがラストのテロップで何となく示唆されていました。


    マエストロ チラシ - コピー.jpg

story
  1926年のアメリカ、ニューヨーク。指揮者になることを夢見るオランダ系移民のアントニア(クリスタン・デ・ブラーン)は、ある事件で音楽学校を退学になってしまう。その後アメリカを離れたアントニアは、ドイツのベルリンでやっと女性に指揮を教えてくれる師と出会うが、レッスンに没頭する彼女にさまざまな困難が立ちはだかる。     ※映画情報サイトより転載


とてもきれいに作られた映画だったと思います。
さまざまなエピソードを詰めてアントニア・ブリコさんの生き様を存分に描き出そうとしてくれたと感じました。
しかし2時間20分という時間をもってしてもやはり全てを深くは描き切れないわけで、私には何となく<アントニアブリコの半生・ダイジェスト版>みたいな印象が残ったのがちょっと残念でした。

主演のクリスタン・デ・ブラーン、恋人フランク役のベンジャミン・ウェインライト、生涯の友となったロビン役のスコット・ターナー・スコフィールド、皆とてもはまり役という感じだったので尚更もったいない感じです。

一つのエピソードから次への展開が結構ドライに進んでいくので自分の中で余韻に浸りきれなかった気がしたのです。(私の完成の鈍さかも…ですが)
何処かのエピソードをカットしてその分もっと深く掘り下げてほしかったのはやはりキーとなる親子関係でしょうか。彼女を苦しめたものでもあり、音楽へといざない、より高みへと奮い立たせたものでもあったのですから。
特に養父母の心の葛藤にはもう少し触れてほしかったです。


しかしとにかくアントニアさんは強いのです。
指揮者になるために果敢に行動します。必ずしも世渡りは上手くはないけれど、その分懸命に道を切り開こうとする熱意は半端なく伝わってくるのでした。
あれくらいの強さがなければ昔は勿論のこと今も女性が何かを成すなんてことはできないのでしょうね。(今は昔より随分時代も進んでいるというのに何も成せていない今の自分が恥ずかしくなりました。)
そして本当に努力を惜しまない人間には、性別問わずいつか必ず支援者はつくものなのですね。特にロビンの存在はとても大きく、ロビンとの関係性が丁寧に描かれていたのはとてもよかったと思いました。演じた男優さんも凄く素敵でしたから。


実際の名指揮者、名楽団の名が出てきますし、クラシックの名曲が短いながら何曲か聴けたのは嬉しいです。ここでも敢えて言わせて頂くと、一曲くらいはガツンと聴かせてほしかったですね。音楽の力でもっと魅了させてもらってもよかったのになぁというのが正直なところでした。

でもオーケストラの指揮者ってやっぱりカッコいいなぁ!
西本智実さんは麗しの女性コンダクターでいらっしゃいますね。以前に西本さん指揮の公演はポディウム席から埋まると聞きましたが今もそうなのでしょうね。




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 たまにはアルコール以外の画で。

以前から訪れてみたかった喫茶店です。高台の街にあるのでバスに乗って行ってきました。
店内はヨーロッパの古城を想わせるアンティークな趣で静かにクラシックの曲が流れていました。オーナーのご趣味なのか、それぞれに違う様々なカップが置かれていました。

ホットココアがちょっぴりビターでイイ感じ。
添えられた手作りのクッキーとメレンゲの小菓子も美味しかったです。ぴかぴか(新しい)




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2019年11月06日

JOKERジョーカー     悪を生み出したのも悪


アースシネマズにて『JOKER ジョーカー』(トッド・フィリップス監督)観ました。

バットマンのジョーカー誕生秘話とのことで、ホアキン・フェニックスも好きなので気になっていました。今になってしまいましたけれど。

本編前の予告編で、ホラー映画ダメ人間の私は『ブライトバーン』やら『IT THE END』やら目をつむるのに必死でしたが、この『JOKER ジョーカー』も静止できず目をそむけたシーンがありましたねー。


ジョーカー チラシ - コピー.JPG

Story
  孤独で心の優しいアーサー(ホアキン・フェニックス)は、母の「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい」という言葉を心に刻みコメディアンを目指す。ピエロのメイクをして大道芸を披露しながら母を助ける彼は、同じアパートの住人ソフィーにひそかに思いを寄せていた。そして、笑いのある人生は素晴らしいと信じ、底辺からの脱出を試みるが・・・。 ※映画情報サイトより転載


救いは何一つありません。

あ、一つだけあったでしょうか・・・「ゲイリー、優しかったのはキミだけだ」っていうアーサーの台詞。
こんな台詞が吐けたのなら何処かの分岐点でジョーカーにならない生き方もあったのでしょうか。

ピエロメイクとクラウンメイクの違いは「涙」と聞いたことがあります。涙があるのがピエロだ、と。

「自分の人生は悲劇だと思っていた、でも僕の人生は喜劇だ」
「喜劇は主観だ」
「善悪を主観で決める。笑えるか、笑えないかだ。」
何という究極のエゴイズム、そこに裏打ちされた自己愛。

でも序盤にはこんな言葉も。
「つらいのはたくさんだ。」
何処までも押しつぶされたアーサーの人生を落伍者と呼ぶにはあまりに人として無責任な気がします。(ブルースの父トーマスはこの言葉を使ってしまってゴッサムに火焔を投じてしまったわけですが。)しかし、ならば誰かが救済者になりえたかというとそうじゃない。
背負ったものを悲劇から喜劇に変換することでしかアーサーは自分で自分を救えなかったのかもしれません。

ピエロダンスが象徴的。
地下鉄で事件を起こしたあと逃げ込んだトイレで踊る姿にアーサーからジョーカーへの変貌の瞬間が見えた気がしましたし、階段で踊る姿にはジョーカーとしての完全なる侵食が見えました。そして終盤の、暴徒と化したゴッサム市民を前に車上で見せるパフォーマンスには神がかり的なジョーカーの狂気が見えました。
悪(善悪を主観で決めるアーサーにとっては善行??)に恍惚となるアーサーの表情は、ピエロメイクの涙のその奥で狂気以外の何物でもなかったです。

 
観る前は、これは映画だけのオリジナルストーリーということで従来のバットマンシリーズとは一線を画す別物の作品なのだと思い込んでいました。
ですがウェイン家との因縁やブルースとの出会い、ブルースがバットマンになる切っ掛けとなったあの事件まできっちりと描かれていたことには驚きました。

ということは、ここまでのものを作ってしまったら今後このシリーズはコミカルな演出(本来はコミックスが原作の世界でしたので)はもう微塵も出来ないのでは?? 私は初期の頃のバットマンが好きでしたので何となく寂しいなぁとちょっと思ったりしたのですが・・・ラストシーンでそれまでの重苦しさをすっと別次元のステージに持っていく面白い演出がなされていました(私にはそう感じました、あの追いかけっこ)。
ということで今後のシリーズもまた観に行ってしまいそうです。

最後になってしまいましたが、圧倒的存在感のホアキン・フェニックス、すごかったですぴかぴか(新しい)



 
八重垣 - コピー.jpg 八重垣ひやおろし - コピー.jpg

<ひやおろし>と銘打たれた日本酒がお店で呑めるのもあとどれくらいなのでしょう。
美酒はその都度それぞれの美味しさを感じさせてくれますから、年が明けて新酒のしぼりたての時期にはそれを、夏になったら夏の生酒を、それぞれと真っ直ぐに向き合って楽しむのがよいのです。

お酒にいつも癒され救われています。ありがとう。ぴかぴか(新しい)

  


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そしてそして、散策タイム時にふと見かけた孤高の猫。ぴかぴか(新しい)
たった独り、ただ独りで、長い時間ずっーと大樹の下でどこかの一点をじっと見据えながら佇んでいました。
私もじっと見ていました・・・心持っていかれました。
いろいろあるけど互いに頑張ろうな。



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2019年10月31日

ドリーミング村上春樹     「ムラカミ的シュンカン」に酔う


  シネ・リーブルで『ドリーミング村上春樹』(ニテーシュ・アンジャーン監督)観てきました。
村上春樹作品を長年に渡りデンマーク語に翻訳し続けている翻訳家メッテ・ホルムさんの姿を追ったドキュメンタリー映画です。春樹作品ファンとしてこれは外せませんでした。

★こんな作品★ 
    1995年に村上春樹の小説「ノルウェイの森」と出会ったメッテ・ホルムは、20年以上にわたり村上の小説をデンマーク語に翻訳している。これまで村上の小説は世界で50言語以上に翻訳されてきたが、英語本からの翻訳はあってもメッテのように日本語から直接翻訳するスタイルは珍しかった。メッテは「風の歌を聴け」の翻訳作業をする中で、作中のある文章に思い悩む。村上春樹の世界に触れるために日本を訪れたメッテは、村上の故郷・芦屋の町を歩き、小説の舞台となった場所を巡り、村上春樹の世界に自らを浸らせていく。         ※映画情報サイトより転載


                       ドリーミング チラシ - コピー.JPG


 
  かえるくんが登場して語り始めた時、これはメッテさんの姿を追うドキュメンタリーであると同時に春樹さんの作品世界を幻想的に描くフィクションでもあるんだと思いました。

メッテさんは春樹作品と深いところで交わっています、それは文字通りの交わり。
翻訳という行為を通じて春樹さんを愛し交わっているのだと感じました。メッテさんの眼差しやちょっとした会話の端々から、それが同じ春樹作品に魅せられた者である私にも伝わってくるのでした。
たったひとつの言葉の訳語に思い悩み世界中の春樹作品翻訳家と議論を重ねる彼女。
翻訳本の装丁で試作本に対し「この色はハルキが好きじゃないかも」と作り直しを要求する彼女。
全身全霊で春樹さんの世界を自国語に変換しようとするのは愛以外の何ものでもないのです。


かえるくんは春樹さんの短編小説「かえるくん、東京を救う」に登場します。
『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社)に収められている一遍で、とても印象深い、私も大好きな短編作品の一つです。
小説でかえるくんが何度か片桐(主人公)に語りかける言葉が映画でもかえるくんの台詞として描かれています。理解し共に闘うという意味に於いて、かえるくんと片桐の関係は村上春樹(作品)とメッテ・ホルムさんの関係と同じなんだって感じました。


ピンボール、ジャズバー、深夜の公園、空に昇る二つの月、滑り台、首都高速。
初期作品や1Q84に登場するアイテムやシーンです。
滑り台の上に座って二つの月を眺めるかえるくんの姿とメッテさんが振り返ってそれを見る姿(でもメッテさんにはかえるくんの姿は見えていない)が交錯するシーンは、今思い返しても全身がゾクっとするほどの「ムラカミ的シュンカン」(メッテさんの造語)でした。異次元でつながった瞬間です。


「完璧な文章などというものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」
メッテさんはそこに「完璧な訳語」を探し求めて、身体も心も春樹さんの世界を旅するのです。

「孤独の中で成長する村上作品の人物たち」とはメッテさんの言葉です。
内面の自分と外に向かう自分、その「二重性」は現実の自分と時を超える自分との平行世界(パラレルワールド)に通じるのだというメッテさんの分析(とても愛ある分析)には、私もなるほどなぁって素直に頷く思いでした。柔らかいお声の穏やかな口調で語られるメッテさんの言葉の響きは春樹作品に触れる時の感覚とどこか似ている気がしました。

60分という短いこのドキュメンタリーですが、まさに春樹作品の魅力でもある現実と幻想のパラレルワールドに酔える作品でした。
メッテさん、そしてアンジャーン監督、ありがとうございます。ぴかぴか(新しい)



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いつだったかの、和食に合わせた優しい感じの白ワインの画です。美味しゅうございました。

美味しいお酒とともに自分の好きな小説作品や映画や音楽や、そんなのについてゆっくり語り合える時間があったらいいですよね・・・。ぴかぴか(新しい)



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2019年10月24日

おしえて!ドクター・ルース     彼女なりのサバイバル術

 
 少し状況が落ち着いてきたので久々に映画館に足を運びました。
シネリーブル(神戸)で終映間近だったドキュメンタリー映画『おしえて!ドクター・ルース』(ライアン・ホワイト監督)を観てきました。

★こんなお話★
 ホロコーストの孤児、元スナイパー、シングルマザー、3度の結婚。
時代に翻弄された、米国で最も有名な90歳のセックス・セラピストであるドクター・ルースの波乱万丈の人生を描いたドキュメンタリー。     ※映画情報サイトより


                       ルース - コピー.JPG


 生きた、実在の人の、その言葉はやはり大きい。

1930年代、ヒトラーの台頭。
激動の時代を生き抜き、常に「自分にできること」「自分がしたいこと」に忠実に、そして果敢に生きてきた人の言葉なら尚更に。

様々な人々と出会う中、自分の生死をも分ける力を持つ人々もいたわけですからルースさんは自ずと人を見極める鋭さを持っていったのかな。
父親を連行しにやって来たゲシュタポや、ドイツから逃れたスイス・ハイデンでの寄宿舎の管理人、それらへの観察眼に冷静な鋭感を見る思いでした。そういう感覚はきっと後の彼女のセラピー活動に活かされていたと思います。
「ノーマルという言葉がきらい」ときっぱりと言い放てるのも、それだけ辛苦を舐めて強さをまとって来たからなのでしょう。

思えば父親が一早く世情を察知してルースさんをスイスへ逃した事が彼女の命を救ったわけで…結果として家族を亡くした彼女の辛さを思うと苦しいですね。


彼女の幼少期から青春期がアニメーションで描かれていた事は、残存の写真やらナレーションだけでつなぐのではなくて新鮮ですごく良かったです。
ルースさんの、(苦労はあったけれど)とてもチャーミングな人間性が温もりをもって伝わってきましたから。

とにかく明るい。
全てに前向き。

どんなに違った環境の、どんなに違った性嗜好を持つ人々に対しても、常にその人たちの“人生の指針”をも示してくれるように寄り添うように温かく、且つ率直にダイレクトに回答を出してくれるルースさん。

映像は捉えていました。
どんなにその場がジョークで盛り上がっている時でも、彼女への相談が為される時に彼女の顔が一瞬とても厳しい表情になる事。緊張が彼女の中に走ることが分かるのです。
凄く真摯に相談の内容と向き合おうとするルースさんを感じました。


LGBTQに対する様々な偏見と差別の問題については、「その人の人生に敬意を持てばいい(それは無くなる)」という言葉には深く心を動かされました。
どんな人にも生きてきた日々(人生)があるという、当たり前だけど大切な事実を忘れるなということなのですね。


  でも本当は「苦しみ」がルースさんの体内に深く残り続けているのだということも

とにかく明るい彼女だけど、映画の終盤にホロコーストで家族を亡くした悲しい思い出について問われた時、口を真一文字に結んでぐっと涙をこらえる表情で言ったのが「それについては多くを語りたくない。語っても…誰も救ってはくれないから。」という言葉でした。
あんなに多くの人々を救っているルースさんなのに…。彼女の中で過去は決して過去ではないのだなぁ、と。
この言葉が実は一番深く心に残った私です。

「予定のない時もとにかく忙しく過ごす」
「常に前に進み続けることで心を保っている、それが私のサバイバル術だ」

深い苦しみが残り続けているからこそ“心を保つ”ためにルースさんは頑張っているんだなあーって思いました。

とても及ばないけど、私も私なりに頑張っていかないとなぁ。



                         IMG_4169 - コピー.jpg

呑める時にはしっかり呑んで。 明日への力となりますように・・・。



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時には空を見上げて、そして地を見て、風を感じてみる。




posted by ぺろんぱ at 20:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2019年10月16日

デューン/砂の惑星(録画・再鑑賞)    再び映画化されると知ってビックリ 


 先月BS録画撮りをしていた『デューン/砂の惑星』(デヴィッド・リンチ監督・脚本 1984年制作 1985年日本公開)を観ましたので短く記しておきます。

これは日本公開時に観に行きました。SF好きでしたので。

今回は再鑑賞というわけですが、当時鮮明に脳裏に焼き付いた映像は今回観てもやっぱりキョーレツ。
物語については細部は勿論忘却の彼方でしたが、今回は要所要所でメモを取りその全容把握に努めた結果、、、これって137分では到底描き切れないあまりに壮大な世界だったのだと実感するに至りました。


                        デューン映画.jpg

story
映像化不可能といわれたフランク・ハーバートの大長編SF小説を鬼才デヴィッド・リンチ監督・脚本により映画化。
人類が恒星間帝国を築きあげた遥か未来。不老不死の香料メランジの唯一の産出星である“デューン”と呼ばれる砂の惑星アラキスを舞台に繰り広げられる勢力争いを壮大なスケールで描く。。。というもの。   
 ※映画情報サイトより転載


 130分余では到底描き切れない。
だから字幕による解説や登場人物による説明的な台詞はどうしたって必要となってしまって、前半は特に情報量が次から次に押し寄せてきて付いていくのに必死状態になります。
でもそんなのを超えて、冒頭から醸される独特の世界観にはなぜか引き寄せられてしまうのです。

SFなんだから当然ですが想像を遥かに超える特異な設定の世界を、それを更に増幅させる特異な映像美で見せてくれます。
トラウマになりそうな映像もあり、不気味なものを不気味に(とことん気持ち悪く)描くところは流石のリンチ監督です。

今から35年前の映像技術でこういう世界を描き出してくれたっていうのはやっぱり凄いことなのではないかと思い、興業的に失敗したと言われつつも密かに? 語り継がれている?? のは何となく分かる気がします。

主演のカイル・マクラクラン(惑星カラダインの侯爵家子息ポール・アトレイデス役)がビジュアル的に爽やかな美青年過ぎたとことが却ってちょっぴりマイナスだった気もします(チラシのイメージも作品自体が持つイメージと違う気がするんですよね)が、同監督のドラマ『ツイン・ピークス』では人気を不動のものにしたのですよね、マクラクランさん。


作品の尺と物語性とが咬み合わなかったところは否めないにしても、とにかく終盤の闘いにおける壮大な映像は必見、途中の幾つかの気持ち悪さも必須の「記憶に残るSF作品」だと思います。

本作、再度映画化されるそうですが、今の最新の映像技術でどう生まれ変わるのかが楽しみです。


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晩夏のころ、友人との赤ワイン乾杯
また一緒に乾杯できますようにー。ぴかぴか(新しい)


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