2019年08月17日

トム・オブ・フィンランド     どんな形でも「愛」

 
シネリーブルで 『トム・オブ・フィンランド』(ドメ・カルコスキ監督)を観ました。

ゲイアートの先駆者としても知られるフィンランドの国民的芸術家トム・オブ・フィンランドの半生を描いた伝記ドラマです。
内容に興味があったこともさることながら、フィンランド作品ということと、主演のペッカ・ストラングの横顔にほんの一瞬だけですが故マッティ・ペロンパーの面影が被ったから…のチョイスでした。

幾つかの過激なショットも、根底にあった「愛」でさらりと流せた気がします。


                       トムオブ・・・ - コピー.JPG
story
同性愛がまだ法律で禁止されていた第2次世界大戦後のフィンランド。帰還兵のトウコ・ラークソネン(ペッカ・ストラング)は、鍵をかけた自室でスケッチブックに向かい、己の欲望をドローイングとして表現していた。彼がスケッチブックに描いたのは戦場で出会ったたくましい男たちの姿だった。妹のカイヤから広告の絵を描く仕事を紹介されたトウコは広告の世界で才能を発揮し、昼は広告会社、夜は部屋で作品作りに没頭する日々を送っていた。そんな中、トウコが「トム・オブ・フィンランド」の作家名でアメリカの雑誌の表紙を飾る。彼が描くたくましい男性のイラストは、数多くのゲイ男性たちの理想像として共感を呼び、その評判は世界中に広がっていった。    ※映画情報サイトよりの転載です。


みんな、愛を求めている。
ラストで語られたその言葉が全てだと思いました。

肉欲的な妄想が先行するアートだけれど、それも抑圧された世界故のことなのでしょうか。
誰かを愛することで、それだけのことで危険な状況を伴う時代において、精神的均衡を保つギリギリの自己表現(自己保存)行為だったと感じます、トウコのドローイングは。
だからこそ、多くのLGBTの人たちに切実に訴えるものがあったのではないでしょうか。

あのマッチョなイメージの男性の姿は、トウコ自身が戦争で殺めてしまった敵国・ソ連兵への弔いなのでしょうか?? そのソ連兵に再び命を与えようとするかのような。
そのソ連兵が憑依したかのような人物の映像が何度も挿入されていて、トウコの戦争による心的外傷の影響も少なからず感じられた作風でした。

ただ、アメリカの多くのゲイの人たちが何故あそこまで肉欲的謳歌を求めるのか、分かりえなかった私です、ごめんなさい。先述しましたが、抑圧された環境だからのことなのか・・・それでも、真に愛する人を求めるというより一時の性の相手を求めるような場面があり、そのあたりが私には上手く咀嚼できなかったのは確かです。


でもトウコとニパ(ラウリ・ティルカネン)の純粋な愛は最後まで支えたかったです、気持ちとして。外で手をつなぎたい・・・それが叶ったのはトウコがメジャーになって渡ったアメリカでのたった一度のことでしたね(やっぱりアメリカって凄い国!それだけ多様な人種の集った国だっていうことでしょうか)。
「僕たちのことを知ってもらって。」、そう言い残したニパの心が愛おしいです。

トウコの妹カイヤ(ジェシカ・グラボウスキー)の存在も素敵だったなぁ。
兄に対する拒絶からやがての心的融合へと・・・彼女もある意味で兄トウコによって人生が大きく変わってしまった人間かもしれないけれど。それを超えて兄を、そして慕っていたニパを理解したいと思たのですね。

みんな、愛を求めている。 確かにそうですよね。



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 最近ちょっとハマっているセブン開発プライベートブランド品<プレミアム・ハイボール缶 8%>です。
甘くなく、変なレモン風味も無いのがよいです。

新幹線なら「all right! 」でも在来線ではたとえ遅い時間でも白眼視されるちゃう飲酒です・・・でも呑まずにいられない日もあるのです。
各停でこの日はお隣にどなたもいらっしゃいません、、、せめてもの言い訳ですが。

「トム・オブ・フィンランド」を想いつつの「ハイボール・イン・ザ・トレイン」です。



 
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2019年08月09日

風をつかまえた少年     風だけは等しく吹いている


シネリーブルで『風をつかまえた少年』(俳優キウェテル・イジョフォーの初監督作品)を観ました。

同題の原作(ウィリアム・カムクワンバ,、ブライアン・シーラー 共著)に基づく実話です。原作者ウィリアム・カムクワンバの少年時代をマックスウェル・シンバが、その父親役を監督であるキウェテル・イジョフォーが演じています。


     風を・・・ チラシ - コピー.JPG

Story
   14歳のウィリアムは、2001年にアフリカの最貧国マラウイを襲った干ばつのために学費を払えず、学校に行けなくなってしまう。彼は図書館で見つけたある本から、独学で発電のできる風車を作り畑に水を引くことを思いつくが、雨乞いの祈祷をする村でウィリアムを理解する者はいなかった。だが、家族を助けたいという彼の思いが、徐々に周囲を動かしていく。(映画情報サイトより転載)


 2001年ってアメリカ同時多発テロが起こった年ですよね。
世界を震撼させた驚愕の事件も、電池でかろうじて起動させる古いラヂオで聞かねば知ることもない。そんな中、風の力で電気を起こす試作装置でイカレてしまっていたラヂオから再び音声が蘇った瞬間に大喜びする少年たち。世界の大事件も、明日の暮らしもままならない国の少年たちにはどうでもよいことだった…そのリアルさに軽い衝撃を受けたシーンでした。
その大事件のうらで、テロとは全く無関係の次元でただただ懸命に家族と暮らしを支えようとした少年がいたことに、先ずは頭をはたかれたような思いでした。

映画は終盤あたりまでずっとマラウイでの困窮の暮らしが描写され続けます、それは観ていて苦しいほど。盟友でもあった犬・カンバの死は殊に心に突き刺さりました。
追い詰められた状況下でも自棄的に暴力や犯罪の世界に走るのではなく知恵と学びの力で明日を切り開こうとした少年ウィリアムの姿には脱帽の思いでした。

ウィリアムを愛しつつも困窮のあまり彼に力を貸すことを頑なに拒む父親。
「父さんが知らないことを僕は知ってる」
最愛の父親に対してそう言わざるを得なかったウィリアムの心はどんなに辛かったことか・・・。
しかし、学び、それを“暮らしに活かす”ことの重要さをウィリアムはいわば本能的に知っていたのでしょうね、とても賢く強い子です。

愛する家族を守るために学ぶ。学んで明日への道を切り開いてゆく。
学ぶことの本当の意味はそこにあったのですね。

マラウイという国の名すら知らなかった私。
死者を弔う儀式の風習は幻想的な中に神聖なるものの存在を感じさせ、その映像はとても美しく心に残りました。
また一つ、佳き映画に出会えたことに感謝です。この映画との出会いも私にとっては「学び」でした。



無上盃 - コピー.jpg  


ラストに「神は風のごとく全てのものに触れる」という言葉がテロップで流れました。

何処にいても、そう感じることで少しは何かが変わってゆくのでしょうか、いまの自分自身も。




 
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2019年08月04日

岩合光昭写真展「ねこといぬ」     ちょっぴり映画のことも記します


  書写の里・美術工芸館にて『岩合光昭写真展 ねこといぬ』を観てきました。
ここは初めて訪れた美術館です。

夏休み中でしたので子供連れで賑わっていたようですが、(地理的利便性も低いし)きっと普段はひっそりとした館なのだろうと感じました。

                     書写 - コピー.jpg
                        
館内に置かれたベンチからは、夏日を受けながら風に微かにそよぐ竹林を眺めることができました。
静かにずーっと眺めていたい気持ちになりました。


                     
                      ねこいぬ たいとる - コピー.jpg                      

 うち猫a. は天に召されてもう5年半になりますが、今も傍にいてくれている気がします。

岩合さんのBSプレミアムでの『世界ネコ歩き』も好きです、ファンはすごく多いと思います。
今年公開の岩合さん初監督の映画『ねことじいちゃん』も観に行きましたが、、、、こちらもやっぱり“猫が主役”の映画でした。じいちゃん役の立川志の輔さんには日ごろの朗々としたご活躍の姿がダブってしまって、老いや心の陰りみたいなものを殆ど感じることができなかったのですが(ごめんなさい)、その友人役の小林薫さんは流石の黄昏の存在感でした。
都会を離れて島で暮らすことを決めた美智子さん(柴咲コウ)の生き方に「そういう人生の切り替え方もあるのだなぁ」などど、いろんな“気付き”もあった作品でした。


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                               ※撮影OKスポットでの一作

 さて本写真展。

犬好きも猫好きも満足の作品たちでした。
多分、動物って「自分を受け入れてくれる相手」を本能的に知るんでしょうね。
仲がよくて、時にはケンカ、時には猫からのツンデレを「やれやれ」的にやり過ごしている、いろんな犬たち猫たちがいましたよ。

撮影場所は実に41の地。
何気なく撮影地をメモに書き留めていっていたら最終的に国内外で41の都市・町・村になってました。
ギリシャのクレタ島、サントリーニ島なんて・・・いつか行ってみたいなぁ。(って、言うてる間に更に歳とって行けんようになる?? )

岩合氏、御年69歳。
まだまだたくさんの猫たちの(犬たちのも)写真を私たちに届けてください。ぴかぴか(新しい)


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  いつだったかの、神戸は元町の古きよき食堂でのちょい呑み。
いつ行ってもいっぱいのこちらのお店ですが何とか独り呑み席を確保。手前は勿論お水じゃなくて麦焼酎の水割りです。
こちらのお店も、混んではいても昭和な時間がゆーっくり流れてゆく空間です。
癒されました、ありがとう。




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2019年07月28日

ワイルドライフ     やっぱり幸せのかたちはひとつ


 シネリーブルで『ワイルドライフ』(ポール・ダノ監督)を観ました。

当初はあまり興味を抱いていなかった本作ですが、ふとしたことでちょっと観てみたい気になり今回の鑑賞になりました。

観終わって・・・・・グレもせずブレもせず、決して自分を見失うことなく成長していったジョーをただただ称えたい、です。


                        ワイルドライフ チラシ - コピー.JPG

Story
  1960年代、モンタナ州の田舎町で暮らす少年ジョーは、仲の良い両親ジェリー(ジェイク・ギレンホール)とジャネット(キャリー・マリガン)のもとで慎ましくも幸せな毎日を送っていた。ところがある日、ジェリーがゴルフ場の仕事を解雇され、山火事を食い止める危険な出稼ぎ仕事へと旅立ってしまう。残されたジャネットとジョーもそれぞれ仕事を見つけるが、生活が安定するはずもなく、優しかったジャネットは不安と孤独にさいなまれるようになっていく。(映画チラシより)


WILDLIFE(ワイルドライフ 野生生物)って、夫婦、そして親としての姿を捨て去ってしまったあの両親二人を表しているのでしょうか。家族という形の成立しない世界の生き物として。
親だって人間だから完全ではいられない・・・でもあの二人には何だか情けなくて怒りを通りこして悲しくなってしまいました。
プライドを優先させたというけれど、山火事消火の仕事に自ら従事したのなら息子の前であのような事件を起こすなんて到底考えられない父親ジェリー。 母親ジャネットには、寂しさと不安からの不倫を貧窮と子どものせいにしてほしくなかった思いです。
夫婦二人の亀裂はジェリーの失業が切っ掛けになっただけで、何か目に見えぬすれ違いが二人の間にずっと堆積していたからに違いないと思いました。
彼らが一言でいい、ジョーに「ごめんね」と言えていたら成り行きはきっと変わってたはず。

だから本作はひたすら息子ジョーのために、ジョーのためだけに最後まで見入った感がありました、それは本当に。
ジョーを演じたエド・オクセンボールドから受ける疑いようのない真っ直ぐな印象に引き込まれたも一因でした。

だからでしょうか、ラストショットにはジョーの気持ちを思って自然と涙が出てきて止まらなくなりました。物語の展開を冷静な思いで観ていたつもりだっただけに、急に涙がこみあげてきたのは自分でも驚きでした。
ジョーがアルバイトをしていた写真スタジオ店主の「人は佳きことを記録に残そうと写真を撮る。幸福の瞬間を永遠に残したいと思うために。」という言葉が脳裏に蘇ったからでしょうか。
ジョーはただひたすら両親と一緒のあたたかい暮らしを望んでいたのだなぁと思えたからでしょうか。

あのラストショットは秀逸でした。

監督を務めたポール・ダノは俳優としても名を馳せていて、しかし「いつか映画を撮る時はきっと家族についての映画を撮る」語っていたそうです。ポール・ダノ自身にとって、本作のテーマには胸を深く去来するものがあってのことなのでしょうね。

今回も佳き作品に出会えてよかったです。



    自社ワイナリーでの白 - コピー.jpg チーズ3種 - コピー.jpg

初めて入ったお店での白ワインとチーズ。
お酒なしには生きられない・・・こんな私もある意味ワイルドライフ。



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2019年07月21日

恐竜ワールド展     自分なりの感じ方がありました


 明石市立文化博物館の『恐竜ワールド展 〜生物進化の大冒険〜』に行ってきました。

こちらは以前に拙ブログにも挙げた<江口寿史のイラストレーション展>の他、怪獣映画の特撮展、誕生50年を記念したリカちゃん人形展、巨匠と呼ばれた画家たちの青春時代を追ったものなど、ちょっと変わった視点での企画展をしてくれています。勿論、各地巡回展で単館での企画ではないと思いますけれど。それぞれ面白かったですがリカちゃん展は殊に楽しめましたよ。

本展も写真撮影OKです(ストロボは不可)。

                   ティラノサウルス - コピー.jpg
                  <肉食恐竜 ティラノサウルス想像図  展示画像より>


今回は観覧料から推察して(一般800円でした)あまり大きな期待は抱いていませんでしたが、やはり展示品は化石やレプリカが殆どでした。
それでもじっくり見ているといろいろと勉強になることがたくさんあってそれなりに楽しめました。

何より改めて、とてつもなく大きな長い長い生命の歴史を前にして、都会ではない街のこの小さな博物館で独り感慨深い思いに浸れたことがよかったです。

今から46億年前に地球が誕生。
それから8億年経った38億年前に生命(バクテリア)が誕生。
最初の魚類が海に誕生し、植物が陸に生息し始めたのが4億8500万年前から4億2500万年前
さらに年月が流れて恐竜の誕生は2億3000万年前。映画に登場する巨大恐竜の出現は更に長い年月を経たジュラ紀後期の1億5000万年前頃です。
巨大隕石衝突による、その恐竜の絶滅が6600万年前
さらに長い年月を経て再び生命が生まれ、やっとホモ・サピエンスが登場したのが20万年前
長い長い、本当に長い年月。

今、西暦2019年。
自分が生まれてからはたったの・・・。そのなんと僅かな期間であることか・・・。
展示されていた地球年表を前に一瞬クラっと眩暈がしました。
地球の変遷と生命の進化の旅の中での、塵ほどに小さな小さな私の人生。その中のさらにさらに小さな一日一日。
生きていくこと、そして生きていることって凄いことなんやと、なんだかわけもなく心にズシンとくるものがありました。


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たくさんの化石、標本、標本レプリカに交じって実物の鉄鉱や隕石なども展示されていました。
上記写真は<植物食恐竜・トリケラトプスの全身骨格標本(レプリカ)>で凄く大きかったです。
肉食恐竜と違って佇まいは何となく穏やかでした。

「さわってみよう!」のコーナーではアンモナイト(化石)や恐竜の大腿骨(化石)の他、植物食恐竜の糞(化石)もあって一瞬 怯みました。せっかくの機会なので触りましたけどね、しっかりと。



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さてさて、明石に来たらお約束事のようにこのお酒を呑みます。明石のお酒です。
<来楽>(らいらく)、掲出画は某店にての無濾過生原酒タイプです。

人生も「来楽」であればよいのですけれどね・・・。




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2019年07月14日

アマンダと僕     ダヴィッドの決意を凄いと思う  


シネリーブル(梅田)で『アマンダと僕』(ミカエル・アース監督)を観ました。

時折小雨のふる大阪で、リブ梅4Fから眺めるビル群はしっとりと音をひそめて佇んでいるように見えました。

<アマンダと僕 story>
夏の日差し溢れるパリ。便利屋業として働く青年ダヴィッドは、パリにやってきた美しい女性レナと出会い恋に落ちる。穏やかで幸せな生活を送っていたが突然の悲劇で大切な姉が亡くなりダヴィッドは悲しみに暮れる。そして彼は身寄りがなくひとりぼっちになってしまった姪アマンダの世話を引き受けることになる・・・。(映画チラシより)

アマンダと僕 チラシ.JPG

 しみじみと心に沁みる佳い映画を観たなぁ― という感じです。
血はつながっていても何処かぎこちなかった関係の人間同士が徐々に互いの存在感を深めてゆく、非日常が日常になってゆく、そんな日々が丁寧につむがれていました。

あれ、これって何処だろう?と戸惑う瞬間もあったくらいに説明的な描写が排除されていて、それが却って自然な流れを感じさせてくれたのかなぁと思います。

いろんな人が一度に傍からいなくなってしまう…悲しみを耐えていてもある時突然に一気に負の感情が押し寄せてきて潰れそうになってしまう…そういうの、今はすごくわかる気がします。
ダヴィッドにとっては、記憶にも残っていない母、数年前に他界した父、事件で命を落とした姉、故郷に去っていった恋人レナ。母を亡くしたアマンダも勿論だけれど、ダヴィッドが堪えきれずに泣き出したシーンには胸に熱い塊がこみあげてきた私です。

でもお姉さんが二人に残して未来につなげてくれたものは大きかったですね。
それをつなげようと一歩を踏み出したダヴィッドと彼を信じてその手をつないだアマンダをとても愛おしく感じました。

Elvis has left the building. から、
“But it’s still Okay!”なラストに優しい光を感じました。



サンボア - コピー.jpg

大阪に出たので久しぶりのサンボアBARでのハイボール。
濃くて美味しかったです。






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2019年07月09日

Girl ガール     家族愛に恵まれていてよかった、せめて


シネリーブルで『Girl ガール』(ルーカス・ドン監督・脚本)を観ました。
観に行く前に抱いていたイメージに対してかなり(私にとっては)衝撃的なラストでした。
いつものことですが今回は敢えて「結末に触れる記述をしております」ことを最初に記しておきます。

story
   15歳のララの夢はバレリーナになること。しかしそれは簡単なことではなかった。彼女は男の体に生まれてきたから。それでも強い意志と才能、娘の夢を全力で応援してくれる父に支えられ、難関のバレエ学校への入学を認められる。夢の実現のためララは毎日厳しいレッスンを受け血の滲むような努力を重ねていくが、彼女へのライバルの嫉妬や成長による肉体の変化で彼女は次第に精神的に追い詰められてゆき・・・。(映画チラシより)

                     Girl チラシ - コピー.JPG


 文字通りの痛みと苦悶と、それを超えて余りある強固に抱き続けた夢への真っ直ぐな思い。
あれだけの痛み(壮絶な痛みも描かれます)に耐えても、ララはただひたすらに本物のGirl 女の子 になりたかったのですね。
途中、「ああ彼女は今ここで泣き崩れてしまいたいだろうなぁ…」って感じるシーンが何度も、何度も何度も何度もあって…。

周囲の大人たちはきっと心あたたかくララを支えてきたはずなのです。だけどやっぱり15歳でトランスジェンダーのララの心を、誰も完全に理解することはできなかったのですね。

「外観を気にし過ぎるのは良くないわ」
「物事の良い面を見るようにね」

ララのためにと語りかけられた言葉だったのですが、ララにとって物事の良い面って一体何なのでしょうか。

思春期の、意思の非常に強い彼女であるがゆえにララが最終的にとった行動は絶対に良くないことではあるけれど、誰にも彼女を責めることはできない気がしました。
結局ララが、それを、、強く望んで選んだ、、、のだから。

何をしようとしているかが分かった段階から画面を直視できなかったのですが、目を覆いながらも心のどこかで、ララが今そこで向き合っている現実を見届けるべきではないかとも自問自答していた私がいました。
最後には、あれほどまでのララの深く強固で切実な願いを目の前にしてただただ涙が止まらなかったです。
あまりの苦痛を前に、自分の中では拒絶反応のほうが強いと思った瞬間、何故だかもう嗚咽のごとく泣き出してしまっていました。


ララを演じたビクトール・ポルスターがとにかく透明感のある美しさで素晴らしかったです!
実際にバレエスクールに在学の現役トップダンサーとのことで、繰り返し描かれるレッスンシーンはドキュメンタリータッチでリアル感に満ちていました。
ララを必死で支えようとした父親を演じたアリエ・ワルトアルテの静かで深い憂いを湛えたような存在感も心に残りました。


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 この画はいつだったかのシネリーブル神戸からほど近い、世界地図が貼られていることで有名な老舗の角打ちです。
一人で入っていったら、「えっ、お客さん??」と言われてしまいました。私、スピリッツは酒呑みオヤジですから近かったらきっと「まいど」と言われるくらいになりたいところです。
世界地図を眺めながらの妄想も楽しいものでした。





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2019年07月05日

バルセロナ展      ある一作との出会い   


姫路市立美術館で『奇蹟の芸術都市 バルセロナ展』を鑑賞してきました。
姫路市立美術館は改装で企画展は長らくお休みでしたが漸く再開のようです。

市美 - コピー.jpg  生憎の曇天で…


〈カタルーニャ近代美術の精華〉と銘打たれた本展は約80年に渡るバルセロナの芸術文化の流れを追うというものでしたが、テーマがワイド過ぎて表層部分をさぁーっと撫ぜたような、そんな感じでした。
それでも個々の作品にはハッと心を掴まれるものがありました。
美術展ではそういう出会いって時々ありますよね。

後世にその方面での金字塔を打ち立てた画家、彫刻家、デザイナーの名前と当時の作品が展示されていましたが、私が一番魅入られたのはモデスト・ウルジェイという名の画家の『共同墓地のある風景』という一枚でした。私は全く知らなかった画家氏です。

共同墓地というにはあまりに殺風景な荒涼とした平原で、枯れかけた草木に日没寸前の微かな、本当に微かな夕日が優しく注いでいました。
とてもうら哀しい景色でありますが、何故か淡い温もりが感じられたその作品の前で随分長く立ち止まっていたと思います。
もしかしたら美術館の照明の加減でそう感じられただけかも知れませんが、そういうのもひっくるめて私には軽い衝撃の一作でした。

その画家の作品はそれ一点のみでした。
…どんな人生を歩んだ画家氏だったのでしょう、、、モデスト・ウルジェイ。



BS.jpg

最近、自宅で作るビア・スプリッツァーにハマっています。
白ワインをビールで割ってステアするだけです。(掲出写真はイメージ画像です。)

ちゃんとした?レシピでは氷を使わないようですが私は氷をしっかり入れてぐびぐび呑んでいます。
ワインやビールの銘柄を変えたり配分を変えたり…ささやかな楽しみです。


観たかった映画を観に行ってきましたが、かなり衝撃的なラストで自分なりに消化できれば此処に記したいと思います。




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2019年06月28日

GODZILLA キング オブ モンスターズ     しかしあそこまで破壊されて世界の復興はあり得るのか?


アースシネマズで『GODZILLA キング オブ モンスターズ』(マイケル・ドハティ監督)を観ました。

実はモンスター系パニック映画好きとして押さえておきたい一作でした。・・・と言いつつ終映間近での駆け込み鑑賞でしたが。

ゴジラだけでなく色んな怪獣が出てきます。
キングギドラも、ラドンも、モスラも! ケン・ワタナベも出てきます(←モンスターじゃないけど)。

   ゴジラ チラシ - コピー.JPG


 とにかく、大暴れするモンスター達を“スクリーンで”観ることができて幸せでした。
デジタルで造られたものと分かっていてもその迫力には圧倒されました。それにしても今日のVFX技術、CG技術…凄いものなのですね、改めて思い知らされました。

モンスターのキャラ設定は昔ながらの作品の流れが踏襲されていて、ヒールであるキングギドラと正義の味方ゴジラとの“真のキング”を巡る対決には前のめりになって見入ってしまいました。
ゴジラを救おうとする美獣モスラの“ひと刺し”には感涙。

人間ドラマも勿論あります。

怪獣との共存を図る研究者仲間、その中にかつて居た夫婦とその子ども、それぞれの物語が交錯していきます。
正直に言って既視感が拭いきれない感じではありましたけれど、妻であり研究者でもあるエマを演じたヴェラ・ファーミガは好きな女優さんの一人なのでそれはそれで良し、です。
渡辺謙が最後にカッコイイ役なのは、ゴジラ映画ということでの日本人への最大の礼儀なのでしょうかね。実際、ハリウッド映画で字幕付きの日本語が流れるってなんだかジーンときてイイものでした。“Goodbye, old friend.”

環境テロリスト(どこまでも怖い奴ら)が説く「地球を崩壊させるのは人間の悪業であり、怪獣たちの復活で人間を滅ぼし世界の蘇りを果たす」という思想は、極論でありながらもその端緒となるものはある意味で真理を突いていました。

劇中、「傷を癒すのは傷をつけてきた相手との和睦だ」という台詞があり、それが作品の根底に流れ続けていた気がします・・・それは簡単なことではないのでしょうけれどね。


ゴジラ、モスラ、それぞれの登場シーンで流れる曲はゴジラファンなら泣けてくると思います。

エンドロールはこれだけの大作なのでやはり長く長〜く クレジット表記が続きますが、最後にオマケ映像があることに加えて、いろんな“気付き”がありましたよ。

ゴジラ、ギドラ、モスラ、ラドンの役が其々「(演者) himself」「herself」と記されていたり、最後の最後に初代ゴジラのスーツアクターである中島春雄氏の画像が登場したりしてグッときました。


   kotsudumi - コピー.jpg

映画にグッときて、お酒をググっと呑みました。
小鼓の純米吟醸です。

また明日から頑張れるかな・・・・・頑張りたいです。


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2019年06月23日

旅のおわり 世界のはじまり    オックのその後が一番気になる 


シネリーブルで『旅のおわり 世界のはじまり』(黒沢清監督)を観ました。

黒沢清監督には怖い映画を撮る人というイメージがありましたが、今回手にした映画チラシには抱いていたイメージと違う作品世界に惹かれるものがあって、観に行きたいなぁと思っていました。

キホン、ロードムービー好きですし。 ウズベキスタン行ったことないですし。

story 
リポーターを務める葉子(前田敦子)はテレビの企画で番組クルーと共にかつてシルクロードの中心として栄えたウズベキスタンを訪れた。彼女の夢は、歌うこと。その情熱を胸に秘めて目の前の仕事をこなしているが、異国のロケで撮影は約束通りに進まずスタッフは苛立ちを募らせる。ある日の撮影が終わり一人街に出た彼女は美しい装飾の施された劇場に迷い込み、夢と現実が交差する不思議な体験をする・・・。(映画チラシより)

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  上手く進まない撮影と本当にやりたいことをやれていないという苛立ち(=現実)から、不思議な体験を経てやがてあのクライマックスへ・・・という作品の流れは好きです。

でも主人公・葉子の「心が迷子になった」という肝心なところの描かれ方が中途半端に感じられて、どうしても深く心を添わせることができなかったです。
現実の仕事に迷いを持っているのは分かったのですが、本当にやりたい「歌うこと」への熱情は葉子の短い台詞で語られただけで…。どうやら両親との絆は薄いようですが東京の恋人とラインでの連絡は欠かさず結婚も決めていると言う葉子に「心の迷子」という背景が見えてこなかったのが残念な気がしました。そこが一番大切なことのように思えたので。

山羊のオックとの出会いと別れ、再会はとても印象深かったです。それがあってこその本作でした。
オックを解き放つくだりは現地事情を知らぬ旅人の“ある種の傲慢さ”にはならないかと危惧しましたが、そうではなかったことで救われました。
葉子に沸き起こった感動があの熱唱へと彼女を導いたクライマックスは素敵でした。
前田敦子さんにはもっともっと熱くしなやかに歌い上げて欲しかった気がしましたが……ごめんなさい、またマイナスなこと書いてしまいました。でも彼女の“ヒロイン然としていない”佇まいは後を引く魅力となったことは確かです。

ウズベキスタンの国立ナポイ劇場は戦後のシベリア抑留日本人が造ったものだということ、それ以降現地の人々には日本人への深い感謝と尊敬の念が息づいているということ、葉子のあの無謀な行動は危険極まりないけれど現地の人々は手を差し伸べようとしてくれていたのだということ、、、それらを知ることができたことも良かったです。

ロードムービーとしては「孤独感」やとにかく目の前に迫る「恐怖感」とかがあいまってまさに「異国」を感じさせてくれる浮遊感がありました。

ウズベキスタン共和国って行くならどれくらい時間がかかるのかな。


s呑み赤 - コピー (2).jpg S白 - コピー.jpg

二度続いた <サ●ゼ独りチョイ呑み>です。
赤も白も冷えててグイグイ呑みました。

ウズベキスタンってアルコール飲めるんですかね?(・・・えっ!行く気か!?)



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