2023年09月24日

追憶の森( BS. 録画鑑賞 )、そして お知らせ


まず初めに。
ブログのサーバー会社よりの連絡で、この9月末を以ってサービスの提供が停止されることとなりました。今後もこのブログはWeb.に残りますが10月以降の更新はできません、残念です。
新しい引っ越し先を準備しかけていましたが細部の設定ががうまく進まず(アナログ人間のダメな私)ブログという形式以外での発信も考えたりの日々でしたが、いろいろ考え、結果としてこれを機に拙ブログを終了させて頂くことにいたしました。
2006年3月に始め、途中4年間(2015年3月〜2019年3月)の中断をはさみ、本日2023年9月、長い間本当にありがとうございました。このブログの存在にどれほど救われたことか…そして読んでくださっていた方々には感謝の思いでいっぱいです!

記事の終りに再度ご挨拶させて頂きますね。
今日は 先日BSで放送のあったこの映画↓のお話です↓。


 BS.松竹東急で映画『 追憶の森 』(ガス・ヴァン・サント監督 2015年制作 2016年日本公開)を観ました。
ガス・ヴァン・サント監督は好きな監督氏の一人で拙ブログにも何作か挙げていますが、本作は観ていませんでした。監督がクリス・スパークリングによる脚本に注目し、自殺の名所として知られる日本の青木ヶ原樹海を舞台に、マシュー・マコノヒーと渡辺謙の共演で描いた作品です。妻役でナオミ・ワッツも出演、好きな女優さんです。

追憶の森 - コピー.jpg

<story>
  人生に深く絶望したアメリカ人男性アーサー(マシュー・マコノヒー)は死に場所を求めて富士山麓の青木ヶ原樹海を訪れるが、森の奥深くでけがを負った日本人男性タクミ(渡辺謙)と出会う。アーサーと同じく死のうとして樹海に来たものの考え直し、妻子のところへ戻るため助けを求めてきたタクミと互いのことを語るうちに、二人はこれまでの人生を見つめ直し生きるため樹海からの脱出を模索するようになり……。 ※映画情報サイトよりの転載です。

最初からこのタクミの存在には何かしら この世とは異なるもの を感じてもいたので、結果としての‘彼’には驚きというよりも「そうだったのね」という静かな納得の思いでした。どこから来た彼なのかそれは全く分からなかったけれど、後になってアーサーの妻の重篤な病を知った時に、タクミが中盤で彼の妻と娘の名前を語ったこととが何となく繋がったのでした。
しかしこの映画はその謎解きなどでは勿論なくて、ただひたすらに、愛する人、愛した人への悔いと償いの物語でした。愛する人に もっとこうしていればよかった という悔いは誰にでもきっとあって…取り返せない状況になってしまったならその悔いは尚更に募るわけで…アーサーが心の奥から絞り出すように言った「絶望してここに来たんじゃない、悲しくてここに来たわけでもない、罪の意識で来たんだ。」の言葉は心に刺さりました。
全編そういう 誰かを想う気持ち で満ちていたからか、畏怖の念を感じさせる異界の樹海で、ホラー並みの怖いシーンもあった作品なのに、何故か優しく少しずつ癒されてゆくかのようなトーンが感じられていたのは不思議なことでした。樹海の映像は、冷やりとした空気を伴って身体にしみ込んでくるような感覚がありました。

タクミを救い生かそうとすることで結果的に生かされたアーサー。彼が再び向かった樹海で、コートの下に見たものには思わず涙しました。
シンプルなメッセージが残った良作でした。

秋の空1 - コピー.jpg

 本当にもうすっかり秋の空。
もしかしたらどこかでまた何か発信できる小さな場を設けられたらいいなぁと考えています。ぺろんぱ の名前で。
それが叶ったらまたどうぞ宜しくお願い致します。
訪問して下さった方々に再度お礼を言わせて下さい、こんな拙いブログにお付き合い下さり本当にありがとうございました!こちらから訪問させて頂いていた方々の所へはこれからも変らずにお邪魔させて下さいね、宜しくお願い致します。
皆さんにとってこれからが益々佳き日々でありますように!(*^-^*)



posted by ぺろんぱ at 23:07| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記

2023年09月10日

愛は静けさの中に ( BS.P 録画鑑賞 )


 BS.プレミアムで録画していた映画『 愛は静けさの中に 』(ランダ・ヘインズ監督 1986年制作)を観ました。
聾唖学校に赴任した教師とそこで働く聾唖の女性との愛を描いた作品で、原作は『小さき神の子ら』という舞台戯曲とか。ヒロインを演じたマーリー・マトリンは実際の聾啞者で本作でアカデミー主演女優賞を受賞したそうです。
ウィリアム・ハートは何作品か観ましたが、実は一番最初に彼をスクリーンで観たSF映画『 アルタード・ステーツ 』が印象深い俳優さんです。本作はその7〜8年後くらいの作品でしょうか、昨春お亡くなりになられましたが「アルタード…」も本作も、ハートさん、若いです。

愛は  - コピー.jpg

<story>
 片田舎の聾唖学校に赴任したジェームズ・リーズ(ウィリアム・ハート)はそこで働くサラ・ノーマンという若く美しい女性(マーリー・マトリン)と出会う。頑なに心を閉ざすサラを救おうとするうちに彼女を愛し始めたリーズはサラに愛の告白をする。ふたりは順調な同棲生活を始めるのだが…。(※映画情報サイトよりの転載です。)

 出会いは運命的瞬間でした。
サラはとにかく尖っていて振舞いも粗野なのですが、それを帳消しにしてしまうくらいの美しさで、恋に落ちてしまうリーズの気持ちがよく分かります。柔らかい月の光が差し込む夜更けのプールで、何かから解き放たれたように伸びやかに泳ぐ全裸のサラが本当に美しい。
互いへの気持ちが高まって二人は暮らし始めますが‘現実’が少しずつ影を落としてきます。‘できる’と‘できない’との境がはっきりと二人の間に隔たりを作ってゆくのが観ていて苦しい。その最たるシーンと感じたのは リーズが多忙な日々のなかで大好きなバッハを20分だけ聴きたいとレコードに針を落としソファに身を横たえたところ。まもなく彼は針を戻し苦し気にこう言います。「君が聴けないものは楽しめない」と。
リーズがサラに求めた自立する生き方も、その時のサラにとっては心の底では望んでいながらもきっと怖かったのだろうと思うのです、闘いの俎上に自分の身を置くことが。時間がまだ少し足りなかったの気がして、その行き違いは切なかったですね。

幾許かの時を経て二人は再会します。かつては二人の間に激しく交わされていた熱情が、静かで穏やかな、それこそ月の光のように柔らかいものになっていて、二人の間に育ちゆく確かなものを感じました。
サラが一歩前に踏み出す形で、そしてリーズがそれをそっと見守る形で 二人が再び結ばれるであろう未来に、愛はやはり 強さ なのだと改めて思ったのでした。

秋の雲1 - コピー.jpg

 雲の輪郭が薄くなってきました。
先日の夕刻、帰り道。若い男の子が一人で路上ライヴをやっていて、コブクロの「桜」を歌っていました。
切なくて、でもいい歌ですよね。男女の恋心を歌った曲なのかもしれませんが、小さなエピソードが幾つか重なって 私はこの歌を聴くといつも母のことを想います。
そういえばCDを持っていたんだ、と自宅で夜、ラックから引っ張り出して聴きました。「 人はみな心の岸辺に 手放したくない花がある それはたくましい花じゃなく 儚く揺れる一輪花 」っていうところが特に好きです。
路上ライヴの弾き語り男子、聴かせてくれる歌声でした、ありがとう。




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2023年08月27日

猫と、とうさん CAT DADDIES (シネ・リーブル神戸にて)


 もう終映となってしまったみたいですが、先週シネ・リーブル神戸で ドキュメンタリー映画『 猫と、とうさん CAT DADDIES 』( マイ・ホン監督 )を観ました。
「陽子の旅」を観に行って本作のことを知り ずっと気になっていて・・・一時は‘スルーかな’と思ったものの、フライヤーの猫の表情が忘れられず結局観に行って来ました。

この子(ラッキーという名)の表情は、観終わってみればこの子が背負ってきた人生(猫生)による 諦念?悟り?のように思えました。この子の幸を一番強く願う今です。

猫ととうさん - コピー.jpg

<story>
 猫を愛する男性たちの姿をとらえたドキュメンタリー。
俳優でインフルエンサーのネイサン、ベイエリアでエンジニアとして働くジェフ、ニューヨークの路上で生活するデイビッド、消防士のジョーダン。さまざまな背景を持つ彼らには、家や職場で一緒に暮らす猫を心から愛しているという共通点があった。世界中の人々にとって前例のない試練となったコロナ禍の2020年を愛猫と共ともに乗り越えた9人の男性の姿を追い、人間と猫との特別な絆を描き出す。 (※映画情報サイトよりの転載です)

 ドキュメンタリーって 人それぞれの来し方が見えて私には興味深いのですが、猫たちにもそれぞれの来し方があって、冒頭にも書きましたが、世の中の猫たちの表情はきっとそれなりに意味を持つのだろうなぁと感じました。(人間と同じですね)
ベストマッチか否かは分からないけれど、ある人とある猫が出会い、やがてその人生と猫生を共有するようになる…やっぱりそれは‘家族になる’っていうことに他ならないんですよね。出会いそのものはシンプルなことでも、そこから生まれるものはとても尊いことのように思えました。
幾つかの言葉が心に残っています。
「トーラ(猫)がいたからいつも家にいるみたいだった」(トラックでアメリカ中を回る男性)
「ラッキー(猫)がいればそこが自分にとっての家だ」(N.Y.の路上生活の男性)
「ズールー(猫)の人生を大切にしたいんだ」(ベイエリアで働くエンジニアの男性)
猫がつないでくれること、つなげてくれる明日。猫を語る時 みんな家族を見つめる目になっていたのが素敵でした。

ユーモラスで微笑ましいエピソードやシーンもたくさんある中で、仕事の傍ら保護猫活動に身を投じる男性の姿には本当に頭の下がる思い。捨てられたり殺処分される猫を一匹でも減らしたいとボランティア活動を続けている、その活動の大切さを改めて受け止めました。「ありがとうございます」と言いたいです。

猫と出会い、共に暮らし、変ってゆく男たち。
かつて猫と暮らしていた私としては それは女たちも同じだと付け加えたいし、勿論、犬と暮らしている人は 我々も同じだと思われると思います。「他者を思いやり守れること、これがキホン」、語られていたこの言葉通り、猫や犬たちに限らず そうする相手が傍にいることが自分自身を変えていってくれるんですね。生きているものが持つ温もり には凄い力があるんだなーって改めて思いました。 最後にもう一度ラッキーのこと。幸せであれ。

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 夏が逝ってこんな空が見れなくなるとしたらそれはそれで寂しい気もするけれど、どっこい、今年はまだまだ残暑が続くようですね。
それにしても 危険な雨 とか 危険な暑さ とかそんな言葉ばかりで 正しいニッポンの夏 はもう戻ってこないのでしょうか・・・戻ってこないのでしょうね。



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2023年08月13日

ブエノスアイレス からベトナムへ… 青いパパイヤの香り ( BS録画鑑賞 )


 今月に入ってからアルゼンチン、ベトナムと旅をして来まして…って、タイトルに「録画鑑賞」って書いてるやん! BS松竹東急で放送されていた両作を録画して鑑賞しました。

『 ブエノスアイレス 』 < 世界の名匠シリーズ ウォン・カーウァイ監督作品特集 >の4作品(恋する惑星・天使の涙・ブエノスアイレス・花様年華)連続放送のうち、本作のみ未見だったので録画。
『 青いパパイヤの香り 』は、トラン・アン・ユン監督のデヴュー作で、『 ノルウェイの森 』を観た時から興味を抱いていて今回録画。
どちらもタイプは違えど‘映像と音’の世界に酔えました。

◆『ブエノスアイレス』(ウォン・カーウァイ監督、1997年制作)
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<story>
 愛し合いながらも別れを繰り返してきたウィン(レスリー・チャン)とファイは(トニー・レオン)関係を修復するためイグアスの滝へ向かうが途中で道に迷って言い争いそのままケンカ別れしてしまう。その後ブエノスアイレスでドアマンとして働いていたファイのアパートに傷ついたウィンが転がり込んでくる。仕方なくウィンを居候させるファイだったがケガから回復したウィンはファイの留守中に出歩くように。そんな中、転職して中華料理店で働きはじめたファイは同僚の青年チャンと親しくなる。 ※映画情報サイトよりの転載です。

 自己破滅型の人間を好きになってしまったら酷い目にあうって事なのかと思いながら観ていましたが、そう単純なことではなくて、後半はウィンの、自分で自分をどうすることもできない苦悶が伝わってきて何だか悲しかった。
振り回されていたように見えたファイが新たな出会いによってポジティブな自分を取り戻し、辿り着いた旅先でのとある邂逅によって希望を感じさせるエンディングはカーウァイ監督らしいスタイリッシュなカッコ良さでした。
でも私的にはそれもそう単純なことではないように思えて…。例えチャンとの新たな展開があるにせよ、あぁファイはこれから先もやっぱりウィンのことを想い続けるんだろうなぁ…とちょっと切なくもありました。世の中はやっぱり複雑だから。
俯瞰でとらえたイグアスの滝の映像に圧倒された事と、エンディングに突然「ハッピー・トゥゲザ―」が流れたことがゴキゲンで(レニングラード・カウボーイズがらみで好きな曲なので)印象に残る一作となりました。

レスリー・チャンは壮絶な自死から丁度今年で20年なのですね。少し前には『 さらばわが愛/覇王別姫 』がリバイバル上映されていました。改めてご冥福を祈ります。


◆『 青いパパイヤの香り 』(トラン・アン・ユン監督、1993年制作)
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<story>
 サイゴンのある資産家の家に、10歳の少女ムイが奉公人として雇われて来た。その家には優しい女主人と根無し草の旦那、三人の息子たち、そして孫娘を失って以来二階にこもりっきりのお婆さんがいた。ムイは先輩女中に教えられ、一家の雑事を懸命にこなしていく。そして彼女は、ある日長男が連れてきた友人クェンに恋心を抱く……。  ※映画情報サイトよりの転載です。

映画って 映像の作品 なのだと改めて感じました。
カメラが捉えた命あるもの全ての息遣いが伝わってくるようで、少女ムイが汗して働き、黒髪が濡れて肌にはりついているいる、その姿にさえもムイの 生 が感じられて美しかったです。肌を重ねるシーンなんで一つとして無かったのにどこかしら官能的で不思議な世界でした。
そして音。暮らしが営まれているあらゆる音、日が暮れて響く虫の鳴き声。台詞は殆どなくて、たまに語られるベトナム語が柔らかなBGMのようでした。

ムイの奉公先は裕福だけれど不穏な空気も孕んでいて、心に屈折したものを抱えていたような次男はやがて家を出ていったらしく、ムイを好いていたのに典型的な‘好きな子を虐める’タイプでしかなかった幼い三男坊も、その後はどうなったのか全く描かれていません。名の知れた商家だったと想像しますが、没落していく様も影を落としていました。
そんな中で、献身的に働き小さな喜びを完全な幸せとして心と身体に刻んできたようなムイの半生が 世俗とは一線を画した神秘的なもののように描かれていたのが観終わってみれば印象深かったことです。
幼い頃のムイも成長したムイもどちらも、演じた女優さんは不思議な魅力を放つ女優さんでした。あとで知ったことですが、成長したムイを演じた女優さんは監督の御夫人だとか。


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 先週末に実家に帰って空を見上げた際、 あぁ夏の空だぁっ! って思って思わずスマホで撮った一枚です。
真ん中の大きな雲、見ようによっては 笑ってる‘ガラモン’の横顔 に見えなくもない。笑ってるガラモンなんて見たことないけど…可哀想な最後だったのが記憶にあるだけで。


posted by ぺろんぱ at 17:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月30日

658q、陽子の旅 (シネ・リーブル神戸にて)


28日㈮ から公開の映画『 658q、陽子の旅 』( 熊切和嘉監督 )をシネリーブル神戸で鑑賞してきました。
久々の劇場鑑賞、久々のリブ神、嬉しくて近日公開の映画フライヤーをこれでもかと集めていたら結構な量になってしまいました。(あとでゆっくりお酒を飲みながら読むのが楽しみで…)
想像していた以上に ある種の痛み を伴うものでしたが、観に行って本当によかったと思える一作でした。

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<story>
東京で孤独な引きこもり生活を送る青森県弘前市出身の陽子(菊地凛子)は、42歳独身、人生を諦めて過ごしてきた就職氷河期世代のフリーター。ある日、かつて夢への挑戦を反対されて20年以上断絶していた父が突然亡くなったとの知らせを受ける。従兄の茂(竹原ピストル)とその家族に連れられ、渋々車で弘前へ向かうが、その途中、サービスエリアでトラブルを起こした子どもに気を取られた茂一家に置き去りにされてしまう。弘前行きを逡巡する陽子だったが、所持金もないため、やむなくヒッチハイクで北上することに。(※映画情報サイトよりの転載です)

※結末に触れる記述をしています。

 東京から青森へのヒッチハイク。
ヒッチハイクなんてやったことない私ですが、それが容易な旅ではないことは想像できます。
コミュニケーション障害と目される陽子にとって(否、たとえそうでなくても)見知らぬ人間の車での道行きは少なからぬ心の苦痛を伴うものであり、実際には身体の痛みさえもたらすことになります。
ヒッチハイクをする人間にも彼らを乗せる側の人間にも(そして乗車を拒む人間にも)其々の事情があり生きてきた背景があり、、、序盤に出会ったもう一人の若きヒッチハイカーの女の子との会話は、後の陽子の変化を思うと大切なことを投げかけていたように思えます。

女性が一人でヒッチハイクをするという行為が「なんとかなるだろう」という陽子の姿と共に描かれ始める序盤には実は何となく釈然としない思いがありました。そんな中、三番目に拾ってくれた車の老夫婦の夫が放った言葉が私の心を激しく打ちました。
「あんたもこれから気をつけなくちゃなぁ。見ず知らずの人の車に乗るなんて、危なくてしょうがねぇだろう?」という言葉。
これなんだ、と思いました。これこそが 誰かが語って然るべき事だったんだ と。
身を案じる思いと同時に、他者と(しかも見ず知らずの他者と)深く関わることになるヒッチハイクという行為の意味を陽子に気付かせてくれたように思えました。そこに陽子は 親の姿 を重ねたのだと思いました。老人のあの言葉は重かったと思います、本当に。

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※陽子。 映画のサイトより転載させて頂きました。


では何故そんな旅をせねばならないのか。
老人の言葉を聞いた瞬間、陽子は激しく自己に問うたと思います。奇しくも陽子自身が、序盤に出会ったもう一人のヒッチハイカーの子に同じことを問うていました、どうしてそんな旅をしているの?と。
その時その子は「分からないでしょ、言っても」と答えていました(それは本当にその通りで、個人の身の上は他人には容易には分かりえないことです)が、あの子にもそして陽子にも言葉にして吐き出せる大きな何かが心の中にあったことは想像に難くない、言葉にできなかっただけで。

ヒッチハイクの過程で様々な人と出会い自己の来し方と向き合う中でやっとのことで幾許かの言葉を紡ぎ出せた陽子。彼女のその変化こそが更に新たな出会いを呼び青森の目的地まで辿り着かせてくれたということに、そして辿り着いた地で陽子の感情が堰を切ったように溢れ出るシーンに、私も共に泣きました。

東京から青森への、表情を少しづつ変えてゆく冬の景色もまた良いものでした。基本、ロードムービーはやはり好きでイイものです。
荒れ狂う寒地の大海原を前に座して佇む陽子、彼女が再び立ち上がり歩き出せたことを本当に良かったと思います。

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 かなり久々に立ち寄った 兵庫県の地酒を提供してくれる有料試飲のお店<試>にて。
「 試みる = どんな結果になるか分からないがとにかくやってみる 」というのは、よくよく考えてみると怖くもある、ヒッチハイクでないにしても陽子のように何らかの痛みを伴うものであれば尚更に。どこまで可能なんだろう、今の年齢の私には。


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2023年07月16日

最近の思いと、『 クオーレ 』


  昨日15日(土)の朝、NHKの天気予報で6時台、7時台と二度、「明日 日曜日は太陽がギラギラ照りつける一日になるでしょう」と言っていたのを聞いていたせいか、昨日は近藤真彦さんの「 ギンギラギンにさりげなく 」が脳内ヘヴィロテでした。 なんでこの曲が?って思ってましたが気象予報士さんの言葉力やったんですね。

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ギンギラ太陽を気にしていたのは今日の朝に実家の町内で奉仕清掃作業があって泊りで実家に帰ったいたためでしょうか。年に5度あるこの地域活動に、実家にはもう誰も住んではいないけれど定期的に帰っている身として毎回参加させてもらっています。
何気ない日常の会話が流れる中で(時に話に加わることも)、草を引いたり公民館の窓拭きをしたりしているのは不思議と癒しにもなるのです。
実家に帰るのは施設で看てもらっている母の面会もあります。
コロナが5類に移行して厳しかった面会制限が少しだけ緩和されたことは過日(5/28付)拙ブログで書きましたが、文字にするとほんの少しの緩和でも それがもたらせてくれる‘決して小さくはないこと’を今は実感し始めています。母の状況が良くなっているわけでは決してないのですけれどね。

 映画 映画BSで幾作品かを観ました。
キーラ・ナイトレイとマーク・ラファロの『 はじまりのうた 』(ジョン・カーニー監督)はレヴューを途中まで書いていたのですが結局そのままになって挙げず仕舞い。マーク・ラファロといえば今年11月公開予定の映画『 哀れなるものたち 』(ヨルゴス・ランティモス監督、主演はエマ・ストーン)が興味深いところです。

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 本の方は、あれから友人との会話に登場して興味を抱いた『 橋を渡る 』(吉田修一著)を図書館で借りて読み(第1〜3章はもやもやしつつ活字を追っていましたが、いきなりSF的展開を見せた最終章には驚くと共に微かな希望の光が見えて、この最終章こそが私は好きだなと思えた)、今は『 クオーレ 』(デ・アミーチス著)のページを繰っています。
『 クオーレ 』はアニメになった「母をたずねて三千里」の原作が小さく収められている一冊です。
最近「母を…」のストーリーに触れる機会があって、どうしても原作を読んでみたくなったのでした。アニメはかなり長編の世界ですが原作は60頁足らずのとても短い作品です。けれどそんな中にも少年マルコの心情が丁寧に、時に切なく時に激しく描かれていて、予想していた以上に読ませてくれるものでした。
「母を…」の原作はほんの一部で、『 クオーレ 』はそれ以外に多くの「お話」が収められている約470頁にわたる長い作品です。まだ途中ですが優しい気持ちにさせてくれそうな一冊です。

 18日(火)には近畿も梅雨明けするとか。
大雨、そして酷暑、それだけでも十二分に生きづらいこの地球。 皆さん、ココロもカラダもどうぞ大切に。



posted by ぺろんぱ at 19:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2023年06月25日

梨木香歩さんのエッセイを読了しました


  前回ブログで書いていた、梨木香歩さんのエッセイ『 春になったら苺を摘みに 』(新潮文庫)を読了しました。
タイトルから抱くちょっぴり甘やかなイメージからは想像もつかなかったシリアスな世界も描かれていましたが、最後の方に手紙の中の一説としてこのタイトルの言葉が出てきます。
変らず歩んでゆくであろう未来の日常へ託す 希望 として。

春に 車窓1 - コピー.jpg ※実家へ帰る電車の車窓


 前ブログ(6月11日付)ではまだ読み始めたばかりの頃で、「(裏表紙の解説に記されていた)‘理解はできないが受け容れる’ということの深いところで意味するものは何なのだろう…」と書いていました。
読了の今、自分なりにそれを表現すればそれは結局、「尊ぶ」ということではないかと感じました。相対する人、その人が辿ってきた人生、背負ってきたもの、それらを尊ぶ、大切にする、ということ。

異国の地で、自身が外国人である状況の中で梨木さんが肌で感じ取った微妙な感覚のすれ違い(時には激しい葛藤も!)は切なさを伴って読んだものでしたが、それぞれは普遍的な意味を持つもので、結局は「私たちが自国で送っている日常の中にこそ‘すれ違う感覚’‘けれど分かり合いたい気持ち’の繰り返しがあるのかもしれないなと感じました。
エピソードの中で著者の梨木さんご自身が自分のこととして体験された出来事が綴られた「夜行列車」は、中盤の激しい感情の昂ぶりに反して読後には静謐な余韻を残すものでした。
エッセイというより、其々が珠玉の物語のようでした。

言葉、単語の一つ一つをとても大切にされている作家氏であるなぁ、とも。
プロの物書きの作家さんに対してこんなこと書くのは失礼かもしれませんが、厳選されてそこにはめ込まれたかのような言葉たちがとても魅力的でした。

それにしても梨木香歩という人の、思考の層の厚さたるや・・・3,4歳しか年上でない人なのに 自分は何事も為せていないと思うと情けなく悲しくなりました(いや、比べることすら恥ずかしいことなのですが、すみません)。
しかしその梨木さんをしてでも、本書の最後に収められた「5年後に」の最後に、 やりたいことの見極めがつかず迷走の中にいる という意味の心情が吐露されていたことには驚くとともに、こんな私にも残りの人生を生きてゆく勇気を少しもらえた気がしたのでした。
本書を紹介してくれたUさん、ありがとうございます。


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雨の季節は続いていますね。
実家の庭で目が合った(ように感じた)小さなアマガエル。
なんかわからんけど、、、此処に来てくれてありがとう という気持ちです。 達者でな。


 
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2023年06月11日

風花 kaza-hana( 映画 )、春になったら苺を摘みに(本)


 雨の季節ですね。

BS松竹東急で6月4日放送の『 風花 kaza-hana 』( 相米慎二監督 2000年制作 )を録画鑑賞しました。かつて過ぎし日 一度観たのですが、キョンキョンが雪の中で踊るシーンが印象的でもう一度観たくなって録画したのでした。                
相米慎二監督の遺作とされる本作。帰る場所を失った孤独な若手キャリア官僚と風俗嬢の姿を描いたロードムービ―です。主演は小泉今日子さんと浅野忠信さんです。                  
 
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 基本ロードムービーは好きです。
でも現実に誰かと行く旅は実はなりハードルが高くて。時間と空間を共有することになるから。
本作、長い人生のあれこれで人生なんてサイテーサイアクのものでしかないと思う二人が出会い旅することになります。旅はハードルが高いと書きましたが、ならばこの二人は根っこの部分で引き合うものがあったのかもしれません きっと。
でも長年の不運の積み重なりが容易に歩み寄ることを許さないのが哀しい。「命がかかる出来事」で二人は裸になることができたのか、やっと「もしかして少しだけ誰かに寄りかかってもいいのかもしれない」と互いが思える瞬間が見えたことが嬉しかったです。
ふわっと肩の力が抜けるラスト――浅野忠信が二人(キョンキョンと彼女の娘)の姿を見届けようと車のバックミラーをガン見するシーン――に監督の優しさが感じられて私はとても好きです。
二人のその後はどうなるのかな。

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 5年以上ぶり?に再会した友人Uさんから薦められて、文庫化されているこの一冊をJ書店で買い求めました。梨木香歩さんのエッセイ『 春になったら苺を摘みに 』です。
裏表紙の解説にあった「理解はできないが受け容れる」―――この文言を意識しながら読み始めています。
「(誰かを)理解する」というのはある意味 傲慢 でもあるかもしれない、様々な人種や考え方の違う住人が暮らす異国の地であるならなおさらに(本著は梨木香歩さんが英国留学中の実体験のお話)。でも、ならば「理解はできないが受け容れる」のは簡単かと言うと決してそうではなく、「受け流す」のじゃなく「受け容れる」とうことの深いところで意味するものは何なのだろう、と考えています。
いけないイケナイ、まだ読み始めたばっかりなのにこんなに肩に力を入れてたら自然体で活字を追えませんね。ゆっくり楽しんで読もうと思います。

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 冷たい飲み物を美味しいと思う季節です。
そんなふうに思えることもささやかな喜びの一つなのかもしれません、、、ささやか過ぎるのが悲しいけど(涙)。



          
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2023年05月28日

ザリガニの鳴くところ(本)


 役所広司さん、カンヌ映画祭 男優賞受賞おめでとうございます。こういうニュースはやはり嬉しいですね。ヴィム・ヴェンダーズ監督の『 パーフェクト・デイズ 』、公開が決まったら楽しみにしたいです。


 村上春樹さんの『 街とその不確かな壁 』は ひと月と一週間ほどかけて読了しました。本作、ゆっくり読もうと決めていたので時間がかかりましたが、こんなにも 早く次のページを繰りたい という気持ちにかられたのは、実は久しぶりのことでした。
ただ、今は上手く表現できません。よく考えたいことがあります(イエローサブマリン少年の存在について、とか)。春樹さんの新刊はいつも大抵そうするのですが 今回も暫く時が経過した後(半年〜1年)に再読することになると思うので、その時には今より確かな 何か を手に取ることができると思っています。でもこうして春樹さんの新刊に触れられることを幸せに思います。
 
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今読んでいるのは『 ザリガニの鳴くところ 』(ディーリア・オーエンズ著、友廣純 訳)です。
訪問させて頂いているRさんのブログでこの「映画」(昨年11月日本公開)の事が書かれていて、触発されて原作を読んでみたくなり直ぐに図書館に予約をしたのでした(Rおさん、ありがとうございます)。映画化の力は恐るべし!で結局順番が廻ってくるのに半年近くかかりました(…いや、買えばよかったんですけどね…)。
今、半分を少し過ぎたあたり。原作そのものの良さは勿論のことと思いますが、訳者氏(友廣純さん)の良さもあると思います、こちらも ページを繰りたい という思いに駆られる本です。あ、こっちは図書館の本なので返却期限までに早く読まないと…(汗)。
カイアがギリギリのところで、文字通り、素足で立っている彼女の「生」。
映画は観ていないので結末は全く知りませんが 悲運 の匂いに満ちている本作。圧倒的な孤独の中に差し込む 温もり のようなものが感じられたくだりも束の間で、これから向かう先を恐れながら読んでいます。

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 もう一つ本のお話。
遠方に住む友人Mriちゃんが上田三四二の歌集を2冊送ってくれました。少し前に逝かれたご親族の女性が愛しておられた歌人とか。遺されていた沢山の歌集の中から、いつか読んでみたいな と言っていた私のために選んでくれたようです。ありがとうね。
上田三四二の短歌は私は初めてです。大切にされていたご本を私も大切に読ませて頂きたいと思います。

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 実家に返った時に時折り自転車を漕いで通る土手に咲いている野花。黄色の花は元気をくれます。
コロナの扱いが5類に移行して、母を看てもらっている施設での厳しかった面会制限がほんの少しだけ緩和されました。3年はやはり長かったです。思う事は諸々ありますが、スタッフの皆さんにはずっとずっと感謝の思いです。



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2023年05月14日

Blue Orange Green


(前回のブログに続く内容です)

『 ヒロシのぼっちキャンプ 』のシーズン3、第36話「 君を見つけた夜には 」エンディングに流されていた曲が分かりました、そして遂にフルで聴けました。

ドラマ評論家(^^)の友人Nがブログを読んでてくれたみたいでネット上で見つけてメールで知らせてくれました。
『 ヒロシのぼっちキャンプ 』を愛する某お方がご自身のサイトで 番組で使用された音楽を調べて挙げておられるそうで、第36話についても記されていたようです。

Jimmy Whoo and Chilly Gonzales の < Blue Orange Green >という曲です。

Jimmy W - コピー.jpg

Jimmy Whoo ※Yahoo情報サイトよりの転載画像です


早速YouTubeでフルで聴きました。
7日のブログにも書きましたが、心のコアなところに降りて行くような、そんな感じの曲です。
YouTubeのビデオクリップも幻想の旅に誘われるようで、深く静かな夜に一人で聴くにはサイコーの一曲かもしれません。私は買い置いていたボディの重い赤ワインを開けて、その香味とともにこの曲に包まれた夜となりました。

Nちゃん本当にありがとう!
7日記事のコメントで「近い将来、解明される予感が…」と書いて下さっていたビイルネンさんもありがとうございます、予言通りになりました。
そしてそして、ヒロシ愛にあふれた f様のサイト に深く感謝の想いです <(_ _)> 。


追記:これも前回ブログに続くことです。
 挙げていた紅い葉の植物ですが、こちらはネットで調べて レッドロビン という名と知りました。小さな小さな五弁の花を咲かせます。


posted by ぺろんぱ at 10:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記