2019年04月23日

洗骨     弔いの原点なのかも…


  少し前に記した『ツナグ』のDVD鑑賞に続いて、図らずも死者との(ある意味での)再会を描いた映画にまたしても出会ってしまう結果となりました。
今回は劇場公開作品で、アースシネマズで鑑賞しました。
『洗骨』、照屋年之監督(←ガレッジセールのゴリさんです)の長編監督デヴュー作品です。


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沖縄の離島・粟国島に残る風習「洗骨」をテーマに家族の絆や祖先とのつながりをユーモアを交えて描いた作品(映画情報サイトよりの転載)です。


 ゴリさんてこんなに美しい画を取る御方だったのですね。
朝焼けの海、夕日を浴びて海風にふかれるブランコ、、、ピュアな人なのだろうなぁと思います。
物語も、伝えたいことを真摯に届けようとして下さっているような真っ直ぐな誠意のようなものを感じました。観終わってとても優しい気持ちに包まれました。

お笑いのプロでもある監督さんですから随所に笑いが織り込まれています。特に東京からやってきた亮司(鈴木Q太郎)を巡る笑いが多いのですが、私はQ太郎さん好きだしイヤミのない笑いばかりだったと思います。

洗骨という風習を私は初めて知りました。
その人の「死」から四年後、一旦風葬にした墓から近しい人々が集まって自らの手足で遺骨を取り出し、一つ一つを奇麗に洗って再び葬るのですが、その過程が丁寧に、清々しささえ感じられるように描かれています。
あー、死者を弔うってこういうことなのだろうなぁと思いました。そして、死者のいる場所は幾日幾年を経ようと案外近いのかもしれないなぁ・・・って。

「祖先とはつまり自分自身。これからの命を繋ぐということ。」とは劇中語られる監督の言葉です。
ラストのまさに「繋がれる」瞬間、近親者たちの想いが一つになったんでしょうね。


水崎綾女さんという女優さんには初出会いでしたがとても心惹かれるもがありました。
大島蓉子さん演じる信子さんのキャラがとにかくすごい。
日本の女、日本の母、その原点を見た気がしました。こんな人がそばにいてく入れたらきっと全てが上手くいくと確信しました。
あと、、、奥田瑛二さん演じる信綱さん!
久米仙をコップ(オリオンビールのコップ!沖縄ですねー!)に並々注いでストレートで一気呑みというのはあかんです、久米仙30度ありますから。でも久々に泡盛を呑みたくなったのは正直な話です。


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泡盛ストレートには及びませんがこちらのお店のハイボールは結構濃い目に作って下さっていて私は好きなのです。立呑みですがやはり今回もお独り様で。
Nママさん、久々にお会いできて嬉しかったです。ありがとうございました。




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2019年04月19日

荒野にて      チャーリー・プラマーにひたすら魅せられる


 予告編を見たときからこれは観に行きたいなぁと切実に思っていました。
『荒野にて』(アンドリュー・ヘイ監督)です。シネ・リーブルにて鑑賞。

  天涯孤独な少年と、走れなくなった競走馬。
希望を求め、絶望のふちを行く彼らの旅路は――。 (映画チラシより)

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 少年チャーリーを演じたチャーリー・プラマーの鮮烈な輝きが先ず本作の大きな大きな魅力。ひたすら魅せられました。それから、彼と一頭の馬が旅をするアメリカ北西部の大自然の美しさ。

それらの輝きと美しさに張り付くように在る悲しく辛い出来事の数々には、生きることの過酷さを見せつけられます。
レースに惨敗し苦役の果ての殺処分が待つ競走馬ピートに自分自身を重ねるチャーリー。少年少女と呼ばれる年代の子には無条件に、絶対的に愛されるということがやっぱり必要なのだなぁーって思いました。

「居場所がなくなったら何処にも行けなくなる」
これは中盤に登場する、父親に愛されず精神的に囚われの身になっている少女の言葉です。
ギリギリの状況下でもピートと共に旅をすることができたチャーリーにはまだピートという居場所があったわけで・・・ピートを失うとともに希望を失ったチャーリーの慟哭には私も観ていて呼吸がしにくくなるほど辛かったです。
ピートにとっても、チャーリーからの愛だけでは満たされない動物としての「自由、居場所を求める本能」が恐らくあって、それがあの事故を招いてしまったと私には思えました。辛いです。

終盤の「ピートに会いたい」の一言には落涙を禁じえません。


馬の持ち主であった老匠デルからピートを無断でさらった事も含めチャーリーは逃避行の中で(生きるためとはいえ)幾つかの罪を犯してしまいます。それらの罪と向き合う覚悟も感じさせたチャ−リーの言葉が最後に紡がれたことで、安堵すると同時に長い長い先の彼の幸せを祈らずにはいられなかったです。
やっとチャーリーも愛される場所を見つけたことで、どうか自分を責めるような「あの悪夢」はもう見ないでほしいと強く願いました。

スティーブ・ブーシェミを久々にスクリーンで観れたことは喜びでした。
ブーシェミさん演じるデルが彼のもとを去ったチャーリーをずっと探してくれていたのだとしたらいいなぁと切実に思いました。

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珍しくお洒落なグラスでランチビールをいただきました。
グリーンのボトルが来たる初夏を感じさせてくれますね。

夏は大好きな季節なのだからこのまま止まってちゃいかんのだけどなぁー、私。





 
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2019年04月13日

ツナグ(DVD鑑賞)    本当につながる人にはつながるようになっている


   遠方に住む友人がお便りと共に薦めてくれた2作品をDVDレンタルにて鑑賞しました。
『ツナグ』と『湯を沸かすほどの熱い愛』の2作品です。
『ツナグ』(平川雄一朗監督 2012年制作)について少しだけ書きます。

死者とその死を悼みもう一度会いたいと願う人を一度だけ再会させる力を持つ“ツナグ”と、彼に願いを託した人たちの思いの行方を描いた作品です。

                      ツナグ.jpg
             
 人は誰か、或いは何かの不在によってちょとずつ何かが奪われて、代わりに別の何かがちょっとずつ積もっていくような、そんな気がします。
どこかで心の折り合いをつけられたらいいし、叶うならやっぱり、たった一度だけでもいいからもういないあの人、あの猫、あの犬に再会したいと心から私も思います。
例え残った者の自己満足にすぎないのだとしても。

本作にはいくつかの死者との再会がありますが、私としては美砂(橋本愛)と奈津(大野いと)との再会を巡るシークエンスが印象に強く残りました。

美砂の言葉「会ったことは…後悔してないよ」が重く響きました。
  会ったことは後悔していない、と思います。
  後悔しているのは「本当のことを言わなかったこと」だから。
  そしてそれを言える機会はもう二度とやって来ないのだから。
美砂は一生消えないものを背負ってしまったんですね。
それは自分が決めて臨んだ再会の場がもたらしたことだし、彼女が背負わなければならなかったことだと思います。それでもいつか、出来ることならばいつか、それを何らかの形で生きてく糧に変えていってほしいと願います。
私にとっても死者への想いはいつでも「ありがとう」と「ごめんなさい」のワンセットです。

いつか原作(辻村深月さん)を読んでみようと思いました。

やっとやっと、龍さんの『歌うクジラ』(上・下)を読了しましたからね。
本作もやっぱりキツかったー。
龍小説を読むたびに思うのです。秒速の描写が延々と続き性と暴力の描写はこの上なくグロさを極め字面を追えずページを繰ることが苦しくなる・・・にもかかわらず最後に一瞬、清らかな光を感じるのはどうしてなんだろう・・・って。
何故か囚われてしまう魅力を持つ作家氏だと思います、龍さん。
村上と言えば春樹ファンの私ですが、龍さんへの想いも尽きません。

今は先日のブログで記していた『さくら』(西加奈子)を読み始めていますが、そのあと『ツナグ』を手に取ってみたいと思います。
Mriちゃん、映画のご紹介をありがとうねかわいい 『湯を沸かすほどの熱い愛』には落涙でした。


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いつだったかのジンライム。
きっとこの先すぐにジンの夏がやってくるのだろうなぁ。ぴかぴか(新しい)







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2019年04月06日

第三世代    意思と表象の世界とは?


 かなりの久々だった元町映画館を訪れてみたくなりまして行ってきました。
元町映画館へ行くのがメインテーマだったのでその時間にヒットした作品がこちらでした
『第三世代』(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督、1979年制作、日本初公開)
です。  

意志と表象としての世界。
ニュー・ジャーマン・シネマの鬼才ライナー・ベルナー・ファスビンダーがただ目先のスリルだけを追い求める「第三世代」のテロリストたちを描いた作品。(映画チラシより抜粋)
※「意思と表象の世界」はテロリストたちの合言葉として何度か登場する文言です。

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 私にとって初のファスビンダー映画はかなり難解でした。
当時にしてかなり前衛的と思われるオープニングは挑戦的な感じで、文字と音が溢れてきていきなり身構えてしまいました。心して観ないと置いて行かれる気がして。

そして、心して観ても理解しきれず終わりました。

何となく感じたことは登場人物の誰に対しても共感を持ちえなかったこと、そして監督自身がそれを意図しているかのようであったこと。監督自身が誰に対しても非常に冷徹な眼差し或いは嘲笑めいた眼差ししか持っていないかのようであったこと、です。
権威至上の俗物、物質と性の支配、裏切りと死、愚鈍さと孤独、その描かれ方は時に誇張的で時に滑稽でもありました。そして結局は誰もが何をも成し遂げないまま物語は終わる・・・。
監督はこの時代に、人々に、自分も含めてこの世界に生きることに、すべてに怒りを抱いているかのように感じました。

だから、1982年に若干37歳でこの世を去っているこの監督の「人」として生きた日々に思いを馳せてしまいました。
極端な厭世家と思いきや短い生涯に44本もの監督作品を残し、二度の結婚をし愛人までいたらしいファスビンダー氏、生き方が破壊的だったということなのでしょうか。
同性愛者としての面もあり、性的マイノリティーとしての苦悩は少なからず作品に影響も与えたのではないかと思います。今回の別の上映作『13回の新月のある年に』(1978年制作)はまさに性的少数者として苦悩する男性を描いた作品で、とても観たかったのですがこちらは既に上映終了。センセーショナルな映像が挿入されるかなりの「問題作」とのことなので鑑賞に耐えられなかったかもしれませんけれど。

理解できなかった割りには何故か後を引くファスビンダー映画でした。


それにしても久々の元町映画館はやっぱりワクワクしました。
この感じ、いいです。


                楽酒.jpg

新しく出来たお店に入る時も外観から感じる何となくのワクワク感って大事です。
偶然見つけた新店に思い切って入ってみました、立呑みですがお独り様で。

まだこうしてワクワクしてお酒が呑めるならこれからも頑張れるかな、もうちょっとだけでも。




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2019年04月03日

翔んで埼玉    意外に深い


『翔んで埼玉』(監督はテルマエ・ロマエの武内英樹監督、原作はパタリロの魔夜峰央)を観てきました。アースシネマズにて。
埼玉への自虐的笑いで大ヒットした(らしい)魔夜峰央さんの漫画を実写化したコメディ映画。
オープニングシーンに魔夜峰央先生、怪しげにご登場です。

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  シュールなギャグは、もう突き抜けているというかメーターが振り切っているというか…ハイテンションが2時間近く続くこの映画、監督も役者さんスタッフさんもさぞや大変だったことでしょう。特にGACKTさんの成りきり振りが凄い。もうGACT様じゃなくて麻美麗様にしか見えない。

埼玉県の映画館では満員御礼状態とのことで県民の方々 は作品エッセンスに郷土愛を感じ取られたのでしょうか。…愛の表現はかなり過激でしたが (^^; 。

東京テイスティングのくだりは原作には無いらしいのでその取材力たるや、いやはや凄い。踏み絵ならぬ踏み煎餅も笑えたけれど千葉県との出身者対決のくだりは同列で鑑賞していた人が飲み物噴いてました。
それでもやっぱり表現過激でアブナイ。エンディングのはなわさんの歌に何故か一番安心して笑えました。

笑いの裏でちょっと切なかったのは埼玉県民の方々の海に対する憧憬が痛いくらいの描かれていたことですね。海ってやっぱり生命の源みたいに人間のDNAに組み込まれているのかなぁ…。

そしてそして 実は県民による「埼玉化計画」が着々と進んでいる??
鑑賞後の今は 「何も無いけど いい所!」の埼玉を訪れてみたくなってます、私。



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  ふと降り立った某市の大型ショッピングモール内のペットショップでの出会い
生後2か月のマンチカンの男の子です。
スタッフさんに「抱っこしますか?」と聞かれましたがそんなことしたら別れ難くなるので見つめ合うだけにして帰りました。
ええ人に貰われて幸せになるんやでー、元気でなー。ぴかぴか(新しい)


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2019年03月27日

まく子   「撒く」には再生の願いが込められいるらしいです


  『まく子』(鶴岡慧子監督、原作は西加奈子)を観てきました。シネリーブルにて。
草g剛さんが出ておられる予告編に惹かれるものがあって。

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「撒く」ことは風に飛ばされずに落ちてゆくこと。そして落ちてゆくことは美しい、、、これは劇中の言葉です。

撒かれるものたちには消えゆく瞬間の魔力みたいなものがあるのでしょうか。
その魔力みたいなものが再生へとつながるんでしょうか。
でもその「再生への転換」を鑑賞後の今も上手く言葉に表せなくてもどかしいです、私にはそれを解する純粋さが足りないのでしょうね・・・。

子どもはもがいているのね。
でも大人ももっともがいている、と思うのです。

社会に適応しきれない青年ドノ。道ならぬ恋に苦しむ女性チカ。家族を愛しながらも良き夫良き父にはなれない光一(演じるは草gさん)、その妻明美。
親子で楽しむにはきっととてもいい映画だと思いつつ、私はそっち側(上手く生きれてない大人たち)のヒリヒリ感をもっとダイレクトに見たかった気がしました。

でも父子(草g剛さんと山ア光クン)が食卓で向き合うシーンはよかったなぁ。
熱っつあつの白ご飯のお握りを食べたくなったよー、すごく美味しそうでした。(^^)


本作の作品世界、映画化は難しいと言われてきたようです。
原作の西加奈子さんに興味を持ち、映画のあと早速ベストセラーになった『さくら』を購入しました。
早く読みたいのですが、現在村上龍の長編小説『歌うクジラ』と苦闘しているので(まさに苦闘の世界!)『さくら』のページを開けるのはもう少し先になりそうです。


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いつだったかの、友人夫妻のお店での美味しい白ワインの画。

先日、何故かまだ若かりし頃の清原選手に「休肝日つくってるか?」と聞かれているを見ました。

つくってません。




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2019年03月19日

グリーンカード  ちょっとだけ感想を記します


   先日の再開ブログでも記しましたがTシネマ会員カードを久々に更新しました。

それで、その他にもずっと期限が切れたままだった図書館の貸出しカードとツタヤの会員カードをこれからは少し時間の余裕もできるかなと更新に出かけた帰り、ふと、一番期限切れしてるのは自分自身じゃなかろうか・・・と思いました。


 3月最初のレディースデーに観に行った『グリーンブック』(ピーター・ファレリー監督)の感想を少しだけ書かせて頂きますね。アースシネマズで鑑賞。

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 本年度アカデミー賞「作品賞」に輝きましたね。
主演のヴィゴ・モーテンセンは役作りのために20kg近く体重を増やしたそうです。
10年ほど前のヴィゴさんの写真を持っているのですが・・・まるで別人です。でも撮影後は細身でcool!なヴィゴさんに戻っておられて、、、役者魂畏るべし!

 人種差別が当然のこととして残る1962年のアメリカでの天才黒人ピアニストと彼に雇われた用心棒のお話なのですが、私が最も印象に残ったのは、ピアニストのシャーリー(演じるはマハーシャラ・アリ)が黒人であるということとは別に心に抱えて(秘めて)いたある事について描かれていたシークエンスです。

ある事件があってそれが用心棒であるトニー(演じるはヴィゴさん)に分かってしまうのですが、トニーがシャーリーに言うんですよね、
「(俺は長年クラブで働いてきたから)世の中複雑なのは知ってるよ」って。

泣きました、ここ。
この言葉自体も深いけれど、それをさらりと言ってのけるトニーの「俺は受け止めるよ」という人間力も実はとても深かったのだなぁーって思いました。
唐突に挿入された、長くはないシークエンスなのですが、あのシーンだけでも私はもう一回観たいですね。


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さてさて、アルコールの摂取量の記録は更新してばっかり・・・です。


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2019年03月15日

『 ウトヤ島、7月22日 』 ブログ再開させて頂きます


  今年は桜の開花も早そうですね。

四年振りにこの投稿ページを開いてキーを叩いています。

唐突に拙ブログを再開させて頂く思いに至ったのは、この1月から2月に自身に起こった出来事で、(ゾンビは来ていないけど)人生見つめ直したから、とでも言っておきますね。
※ゾンビ物は超苦手なのでNHKのあのドラマは面白そうだったけれど私は観ていません。

 今年に入っての劇場鑑賞作品4作目は『ウトヤ島、7月22日』(エリック・ポッペ監督)でした。
2011年7月22日に起こったノルウェーのウトヤ島での無差別銃乱射事件をワンカットで描いた作品です。
シネリーブルにて鑑賞。

本作を観たのは昨日14日のハッピーサーズデー(会員は割引価格で鑑賞できるので)でしたが、拙ブログ再開をぼんやり考えながらの翌日朝、ニュースでNZで起こったテロ事件を知り愕然としました。
監督が映画字幕テロップで「テロの域は広がっている」と言っていたのを思い出しました。
 
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監督は最後にこうも言っていました。
「これは事実を基にしたフィクションでありドキュメンタリーではない 真実は一つにあらず」と。

でもウトヤ島で77人の未来ある若者が殺され、いまだに数多くの人々が深刻な心的外傷に苦しんでいるのは事実なのですよね。

72分間ワンカットで撮られた映像と音が360度迫り続けてきました。
言葉を失った感じがしてエンドロールが終わっても直ぐには席を立てませんでした。

明確な殺意をもって72分間銃を撃ち続ける狂気って一体何なのでしょう。
命を落とした人、命を残した人、それを分けるものって何なのでしょう。
答えは出ません。監督の「真実は一つにあらず」っていうのはそういうことも含んでいるのでしょうか。


  因みに今年に入ってから劇場鑑賞した他の3作品は下記です。
『猫とじいちゃん』、 『グリーンブック』、 『運び屋』、です。いずれもアースシネマズにて鑑賞。
『グリーンブック』は後日に少しだけ感想を書かせて頂くかも、です。


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いつかのスタンディングBARでのジャックダニエルのオン・ザ・ロックです。

拙ブログ、細々としか進められませんが再びこれからもよろしくお願いいたします。


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2015年03月23日

浮き雲 (久々の再鑑賞) .....そして、また逢う日まで


 今日で拙ブログも丸9年を迎えました。

2006年3月24日、初めてここに綴った映画はシネリーブル神戸で観た『白バラの祈り』でした。
あれから9年。後半はいろいろあってアップアップしたものの、佳き映画や小説、旨しお酒にたくさん出会えて幸せでした。

明日からは10年目の第一歩というというところなのですが、今日でこのブログを終了したいと思います。いつか区切りをと考えていて、やっと「今」の決心がつきました。

いつか、今度は映画やお酒にこだわらず私なりに日々の想いを綴るブログが出来たらいいなぁと思っています。その時はここで告知させて頂くかもしれませんのでどうぞ宜しくお願い致します。
それから、お知り合いになれたブロガー様方のところへはこれからも変わらずお伺いさせて頂く積もりです。

皆さんあっての9年間の拙ブログでした、本当にありがとうございました。ぴかぴか(新しい)



さて、最後くらい新作の劇場鑑賞をと思っていたのですが(シネリーブル神戸で『おみおくりの作法』がかかってるしー)、それもいつかの楽しみとしてやっぱりアキ映画の久々再鑑賞レヴューで幕を閉じたいと思います。

『浮き雲』(アキ・カウリスマキ監督 1996年制作)です。

<story>
不況のため共に職を失ってしまった、レストランの給仕長イロナ(カティ・オウティネン)と電車の運転手ラウリ(カリ・ヴァーナネン)の夫婦。二人は次の職が見つからず苦しむが、やがてイロナがレストランを営むという目標を見い出し、共に手を取り合って夢の実現に励む。
           ※story、作品画像とも映画情報サイトより転載させて頂きました。

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とにかく、ラストの空を見上げるイロナとラウリ、そして犬のピエタリの画が何とも幸せに満ちていて、この画像で拙ブログを終わるっていうのもいいなぁという思いがありました。

アキファンなら皆さんご存じだと思いますが、本作は当初マッティ・ペロンパーを主人公として構想されていた作品でしたが、突然のマッティの死により急遽カティ・オウティネンを主役に据えて夫と妻を逆転させたシナリオに練り変えられたものです。
「マッティ・ペロンパーに捧ぐ」ものとして、本作には実際のマッティの3歳の時の写真がイロナとラウリの亡くなった幼い息子として登場し、イロナが傍に佇むようにして決して短くはない時間、画面に映し出されています。
それから最後の方のシーンで、開店したレストランにお客としてやって来るゴミ収集作業員、トラックから下りてくる二人のうち一人は『パラダイスの夕暮れ』でマッティが演じたニカンデルそのものです。天国へ旅立ったマッティ・ペロンパーを悼む思いに溢れています。
彼はアキ・カウリスマキ監督や共演者のみんなにとても愛されていたんだなぁって改めて思うのでした。

夫ラウリ役のカリ・ヴァーナネンはアキの初期の作品の幾つかにも登場し、大好きな作品『ラヴィ・ド・ボエーム』では風変わりな自称・天才作曲家を演じていますが、本作では真面目なんだけど大マヌケなことばかりやっちゃう、でもイロナを愛する気持ちは一杯の心優しき男性として“アキ作品には無くてはならない感オーラ”を放ってくれています。

私は勿論マッティ・ペロンパーは大好きですが、それでも、今この作品は、やっぱりカティ・オウティネンとカリ・ヴァーナネンが演じる夫婦の物語以外の何ものでもないと思えるのです。

イロナとラウリ、二人はめげない。前を向く。
二人を取り巻く経済的状況は変わっても、二人の間に流れる愛情は変わらないから。


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犬のピエタリはキューっと抱きしめたくなるくらいに可愛いし、序盤の映画館での一連のシーンが無表情の中の可笑しみとドン底に陥る直前のささやかな幸福感みたいなものがあってとても好きだし、エリナ・サロとイロナの会話は示唆に満ちているし(青い傘の乗ったカクテル!!)、レストランでのピアノ歌手の曲など相変わらず歌詞をじっくり最後まで聴かせてくれる(その歌詞自体が映画になっている)のがアキらしいし、語りたいことはたくさんありますが、やっぱりラストの空を見上げるシーンにこの映画は尽きる気がするのです。

さあ、私も明日、空を見上げてみよう。



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それでは皆さん、また逢う日まで。ぴかぴか(新しい)



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2015年03月16日

汽車旅の酒 (本)


漸く春を感じられるようになってきました。
春が来て夏が来て、やがて秋が来て再びまた寒くなってくる今度の冬のことは・・・取り敢えず今は考えずにおきましょう。
さあ、春です。

 書物はあれから角田光代さんの小説二冊(一冊は『紙の月』、映画は未見です)を読み「やっぱり角田光代さんもイイなぁ」と思いつつ何故か再び龍小説に戻ってかなりキッツイのを一冊煩悶しながら読み終えてその影響でか谷崎潤一郎のマゾヒズム小説の萌芽と称される幾つかの初期作品を読み、もう私はノーマルな世界を描いた小説は読めなくなってしまうのかと不安がよぎった矢先、実にゆるゆると心地よく通勤車中を過ごせるこんな一冊に出会いました。
吉田健一著『汽車旅の酒』(中公文庫)です。


〈こんな本〉
旅行をする時は、気が付いたら汽車に乗っていたという風でありたいものである―。旅をこよなく愛する文士が美酒と美食を求めて、金沢へ、新潟、酒田へ、そして各地へ。ユーモアに満ち、ダンディズムが光る著者の汽車旅エッセイを初集成。巻末に著者による短編小説二編と観世栄夫の逸文を付す。著者・吉田健一氏は吉田茂元首相の長男である。
                   ※上記解説は書評サイトより転載・抜粋させて頂きました。

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 エッセイであるからか吉田氏の文体の特徴なるもの故か“思いの巡り”をそのまんま語りかけられているかのようで面白く、時にふわふわと眠気にかられてうつらうつらしながらも手はページを繰り続けているという、まるで吉田氏と共にゆっくりと盃を交わしているかの如き一冊でした。
ふらっと何処かへ旅に出たくなり、昔旅先で出会った旨しものを懐かしく思い出してみたりもし、そして何より無性にお酒を呑みたくなります。

とにかく氏は本当によくお酒を呑む御仁のようです。こんなに呑んでいらして身体は大丈夫なのかと思っていると、やはり氏も人間、酷い二日酔いで前日の痛飲を後悔される時も度々あるようでした。吉田茂元首相のご子息でさぞや別世界の贅沢旅と美酒佳肴の話ばかりかと思いきや、意外に目線が低かったりどうでもよいような事にとことんこだわっておられたりするのが、つくづくこの人は呑んで食べて放浪するのがとにかく大好きなオジさんだったのだなぁと故人ながら親しみが湧き出てくるのでした。

あくまで氏の“旅と酒”観であり“旅と食”観であり(それらは切ってもきれぬもの)更に言えば“人生”観であり、他にもっと違う形で旅(或いは人生)を愉しむ人があって勿論よいと思うのですが、この一冊はこの一冊として、私は十分楽しく氏の論に浸りました。

同じ呑んべえ視線でもってう〜んと唸らされたのは以下の二つのくだりです。
■酒に酔うということは旅することに似ている。何処かの店に入って「お銚子」とか「ビールください」と言えばそれで旅が始まる。
■安心できる二、三軒の店でハシゴ酒というのは一定の行程を繰り返すところに天体の運行を感じさせて悠久なるものがある。


ハシゴ酒を悠久とは、いやはや恐れ入りました。
そして「酔うことと旅が似ている」というくだりには、酔っ払って帰路の電車を遥か遠くまで乗り越してもう帰れなくなってその地に宿を取らねばならない状況になったならばそれこそホンモノの旅になるーーーというお茶目なオチも氏はつけておられます。

でもそんなふうにホンモノの旅に化けなくても、何処かの酒場を訪れる小さな旅を私もとても愛おしく思います。そして日々、実践しております。


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こちらは昨年末だったかの寿司割烹、染わかさんでの一景です。
美味しいお鮨とお魚をいただきに行くというハレの気持ちも加味されて、この日の「旅」はいつもよりちょっぴり華やぐのでした。
こちらには3度目のお伺い。何種類かの和酒(冷酒)を季節ごとの画が描かれた和紙の上に涼やかに饗して下さいます。女将さんのいつものさり気ないお心遣いは毎度のことながら心に沁みます。ぴかぴか(新しい)


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