2019年06月23日

旅のおわり 世界のはじまり    オックのその後が一番気になる 


シネリーブルで『旅のおわり 世界のはじまり』(黒沢清監督)を観ました。

黒沢清監督には怖い映画を撮る人というイメージがありましたが、今回手にした映画チラシには抱いていたイメージと違う作品世界に惹かれるものがあって、観に行きたいなぁと思っていました。

キホン、ロードムービー好きですし。 ウズベキスタン行ったことないですし。

story 
リポーターを務める葉子(前田敦子)はテレビの企画で番組クルーと共にかつてシルクロードの中心として栄えたウズベキスタンを訪れた。彼女の夢は、歌うこと。その情熱を胸に秘めて目の前の仕事をこなしているが、異国のロケで撮影は約束通りに進まずスタッフは苛立ちを募らせる。ある日の撮影が終わり一人街に出た彼女は美しい装飾の施された劇場に迷い込み、夢と現実が交差する不思議な体験をする・・・。(映画チラシより)

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  上手く進まない撮影と本当にやりたいことをやれていないという苛立ち(=現実)から、不思議な体験を経てやがてあのクライマックスへ・・・という作品の流れは好きです。

でも主人公・葉子の「心が迷子になった」という肝心なところの描かれ方が中途半端に感じられて、どうしても深く心を添わせることができなかったです。
現実の仕事に迷いを持っているのは分かったのですが、本当にやりたい「歌うこと」への熱情は葉子の短い台詞で語られただけで…。どうやら両親との絆は薄いようですが東京の恋人とラインでの連絡は欠かさず結婚も決めていると言う葉子に「心の迷子」という背景が見えてこなかったのが残念な気がしました。そこが一番大切なことのように思えたので。

山羊のオックとの出会いと別れ、再会はとても印象深かったです。それがあってこその本作でした。
オックを解き放つくだりは現地事情を知らぬ旅人の“ある種の傲慢さ”にはならないかと危惧しましたが、そうではなかったことで救われました。
葉子に沸き起こった感動があの熱唱へと彼女を導いたクライマックスは素敵でした。
前田敦子さんにはもっともっと熱くしなやかに歌い上げて欲しかった気がしましたが……ごめんなさい、またマイナスなこと書いてしまいました。でも彼女の“ヒロイン然としていない”佇まいは後を引く魅力となったことは確かです。

ウズベキスタンの国立ナポイ劇場は戦後のシベリア抑留日本人が造ったものだということ、それ以降現地の人々には日本人への深い感謝と尊敬の念が息づいているということ、葉子のあの無謀な行動は危険極まりないけれど現地の人々は手を差し伸べようとしてくれていたのだということ、、、それらを知ることができたことも良かったです。

ロードムービーとしては「孤独感」やとにかく目の前に迫る「恐怖感」とかがあいまってまさに「異国」を感じさせてくれる浮遊感がありました。

ウズベキスタン共和国って行くならどれくらい時間がかかるのかな。


s呑み赤 - コピー (2).jpg S白 - コピー.jpg

二度続いた <サ●ゼ独りチョイ呑み>です。
赤も白も冷えててグイグイ呑みました。

ウズベキスタンってアルコール飲めるんですかね?(・・・えっ!行く気か!?)



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2019年06月14日

幸福なラザロ    でもあの涙は悲しみの涙だったはず… 


 シネリーブルにて『幸福なラザロ』(アリーチェ・ロルヴァケル監督)を観ました。

最近は良作との出会いが続いていて期待値が高まっていた中での鑑賞でしたが、本作も然り。
鑑賞前に抱いていた何となくのイメージが“いい意味で覆される”流れも同じ・・・というか、本作はその最たるものでした。
また一つ佳い作品に出会えました。

Story
時は20世紀後半。イタリアの小さな村で純朴なラザロと村人たちは、小作制度の廃止を隠蔽する侯爵夫人に騙され社会と隔絶した生活を強いられていた。ところが夫人の息子のタンクレディが起こした誘拐騒ぎをきっかけに村人たちは初めて外の世界へ出ていくことになる。だがラザロにある事件が起き・・・。
                                       (映画チラシより)

                      ラザロ - コピー.JPG                 

 ラストシーンでクシシュトフ・キェシロフキ監督の『デカローグ』を思い起こしました。「塵芥の中で悔い改めよ」という言葉が印象深い映画です。
神の存在を意識する本作・・・そういえば「ラザロ」とはキリストの友人の名でしたっけ。

映画の冒頭部に挿入される「ある狼のお話」はこの作品の展開に繋がっていくものでした。
ただ人を信じ人の喜びに触れたかっただけの無垢なラザロに、誰も真には寄り添うことをしなかったのですね。
搾取されることから解放されて村を出た人々にはまた別の過酷な定めが待ち受けていたという、そんな皮肉な現実が苦く描かれる後半ですが、そんな彼らにもラザロは優しい眼差しを向けます。
しかしラザロの想いは届くようで届かず、哀れなまでに愚かで悲しい村人たちの姿は今の世を生きる我々そのものだと言われているような気がして、だから最後に「塵芥の中で悔い改めよ」の神の言葉が聞こえた気がしたのかもしれません。

ラザロが月明りの下で流した一筋の涙はあまりに悲しく、しかし神々しいまでに美しかったです。最も胸を突いたシーンでした。


映画の中盤にこの作品の世界が大きく変わります。ヴェールを脱ぐようにふわりと、そして鮮やかに。
「ああ、こういう映画だったのか!」と思わず膝を打った瞬間でした。

登場するあの狼はキリストの化身?キリストの使者?なのでしょうか。
ラザロを見守りその行く末を見届けようとした狼が、ラザロの魂を神のもとに返してくれるとよいのですが。

ラザロを演じたアドリアーノ・タルディオーロのあどけなさの残る顔立ちと天使的な体躯が全編に柔和な優しさを醸し出していました。

人知を超える世界に一気に昇華したラストにはただただ静かに圧倒されました。



                        ガクアジサイ - コピー.jpg

 紫陽花が美しい季節ですね。
こんな奇麗な花を眺めながらきりりと冷えた白ワインを飲むのもいいですよね。

アルコール画は美しい花に代えて今回はお休みです。
呑むのは変わらず“毎日”呑んでいます、酔うが為に


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2019年06月07日

希望の灯り     ブルーノが残した願い


こちらも楽しみにしていた作品です。
『希望の灯り』 (トーマス・ステューバー監督)をシネ・リーブルにて鑑賞しました。

1989年ベルリンの壁崩壊、1990年東西再統一。
旧東ドイツ・ライプティヒを舞台に、社会の片隅で生きる人々を描く。巨大スーパーマーケットで働く無口な青年クリスティアンを主人公に互いを支えあう、心に傷を持つ人々のささやかな幸を映し出した物語。
(映画情報サイトよりの転載です)


                        希望の灯り.JPG    

 エンドロール後に残る、この深く静かに心に寄せてくる余韻は何なのでしょう。
激しく打ちのめされる展開もありながら、その“出来事”をも登場人物たちが悲しみながらも静かに心のうちに抱合させてゆくのです。

太陽の光でない人工灯のもとでの労働、太陽が沈み街頭さえも消えた真夜中の帰宅。
彼らにとっての家は安らぎの場ではなく「翌日再び帰り着くためだけの眠り」を取るための場所でした。
それぞれが抱えるそれぞれの事情。

「どんな一日だった?」
「良かったよ。」
叶わぬ夢も悲哀も全て飲み込んでただこれだけの挨拶を交わす職場の仲間たち。ふざけあう会話には興じても相手の傷には決して触れない。哀しみを抱えて生きてきたから分かることがあるのですね、きっと。

軸として描かれていた クリスティアン(フランツ・ロゴフスキ)、マリオン(ザンドラ・ヒュラー)、ブルーノ(ペーター・クルト)。
この三者の、触れ合うようで触れ合わない関係性が切なすぎるくらいに切ないです。

東西統一の陰で自身の中に抱えた深い喪失感をぬぐい切れず、ブルーノはあの「覚悟」を少しずつ固めていったのでしょうか。
何かを諦めた人には時にゾクッとするほどの静寂感を秘めた佇まいを感じることがありますが、まさにブルーノがそういう人でした。
ある覚悟を決めて、彼はクリスティアンとマリオンに手を差し伸べてくれたのですね。
彼が二人へ残した「願い」こそがまさに「希望の灯り」だったのだと思いました。


 暗く灰色がかった青い空気を映す映像美には旧東ドイツに生きる人々のどこにも行けない閉塞感みたいなものが漂っていて、クラシックと様々なジャンルの現代音楽の cool! な曲たちが其々のパートの物語を深く彩ってくれていて、映像的にも音楽的にも独特のセンスが溢れる映画だったと感じました。

出演者に惹かれるところも大きかったです。

実に「忘れがたい一作」になりました。

 

                        いわさき - コピー.jpg

老舗の酒屋さんの女将がやっておられる、地元以外でも名を馳せる某立ち飲み屋さんにて。私も電車に乗ってこのお店に来ます。
<角ハイ濃い目>のあとは女将さん本日のお薦めの<小鼓・純米吟醸>を冷酒で。コップ酒です、並々と注いでくださいます。

本作『希望の灯り』の中でも、労働を終えて仲間たちが「ビールを飲みに行こうぜ」的なこと言ってましたっけ。
朝からお昼すぎ迄、そして夕方から夜まで再び開店のこちらのお店、日々きっといろんなドラマがあるのでしょうね。



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2019年05月31日

マイ・ブックショップ     負けたわけじゃない


   少し前にシネ・リーブル梅田でかかっていた『マイ・ブックショップ』がひと月と少し遅れて元町映画館で上映されています。
拙ブログの〈お気に入り〉にリンクを貼らせて頂いているYURURIさんのブログでこの映画に興味を持ちました。そして時々コメントをくださっているビイルネンさんが送って下さったチラシ等の情報で、好きな女優さんであるジュリー・クリスティが本作のナレーションを務める事を知って、「これは観に行かねば!」と思っていたのでした。
YURURIさん、ビイルネンさん、共にお礼申し上げます。ありがとうございました(*^-^*)。

ということで、『マイ・ブックショップ』(イザベル・コイシェ監督)を元町映画館にて。

「1959年、イギリス東部の海辺の小さな町。書店が一軒もなかったこの町に、周囲の反対にあいながらも読書の楽しみを広めたいという願いを胸に、今は亡き夫との夢だった書店を開店した一人の女性の物語(映画チラシより)」です。

                       ブックショップ - コピー.JPG


楽しみの一つだったジュリー・クリスティのナレーション。
この語り手が誰であったのかが分かった最後のくだりで、心に熱いものがぶわーっと込み上げてきました。

フローレンス(エミリー・モーティマー)との約束を忘れず一冊の本をしっかりと胸に抱く少女クリスティーン(オナー・ニーフシー)
“ある復讐”の証が遠くに見えた時は、まるで海を吹く風が怒りも悲しみも全て吹き飛ばしてくれるように感じられた瞬間でした。

理不尽な嫌がらせに一度は屈せざるを得なかったフローレンスですが彼女は決して負けたわけではないのだ、とも。だから島を去るシーンにはそれほどの悲壮感が私には無くて、むしろ船上の彼女の佇まいには彼女の中で尚消えてはいない「力」のようなものさえ感じたのでした。

フローレンスは二つの心を大きく動かしました。
他者との交わりを絶っていた古老の人ブランディッシュ氏(ビル・ナイ)と、それまで本を読もうとはしなかった少女クリスティーン、二つの心。
クリスティーンは本を読むという一生の宝を得て、ブランディッシュ氏は再び誰かと心を通い合わせることができたのですから。

海辺でのブランディッシュ氏の“崇高な意思表示”のシーンは、彼の眼差しと一人残ったフローレンスの後ろ姿があまりに切なくて、私の中で忘れられない名シーンとなりそうです。

人間の陰湿な負の感情は暗く重いものでしたが、心豊かに生きたいと願い、結果的に誰かの心をも豊かなものに変えたフローレンスの生き方がそれ以上に素敵で、どこか清々しい印象さえもたらせてくれた作品でした。


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映画を観ててミルクた〜っぷりの紅茶が無性に飲みたくなりましたよ。
本作の最重要アイテムである本も、丁度読んでいたのを読了したので新たなる一冊を買って帰りました(再び村上R.小説)。
そしてその後はやっぱりこっち(お酒)で。 掲出画はいつだったかの日本酒Bar。

あ、本作の、別の側面から得た教訓を一つ。 子どもをなめたらあきません。





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2019年05月25日

ダラス・バイヤーズクラブ(DVD鑑賞)     可能性を信じる覚悟


 「My いつか観るリスト」からのもう一本は『ダラス・バイヤーズクラブ』(ジャン=マルク・ヴァレ監督)です。
『セッション』同様に『ラ・ラ・ランド』からの女優つながりで『バードマン』を探したのですがレンタル中でした。でも『ダラス…』もしっかりリストに入れてましたので見つかってよかったです。


 1980年代のアメリカ。自らがHIVに感染したが当時の治療薬は極端に少なく、当時まだ未認可だった代替薬を密輸しアメリカのHIV患者が入手できるように奔走した実在のロデオ・カウボーイの半生を映画化した作品です。(映画情報サイトより)

                        DBC - コピー.JPG                      

今から40年ほど前のお話です。今や医療や薬剤の研究は格段に進み、人々のエイズへの意識の変革もまあそれなりに進んだわけですね。それでもクレジット終了後の「エイズは撲滅されていない」の文字にはしんみりしてしまいますが。

出だし、主人公ロンはかなり素行不良で感情移入するにはちょっと怯みます(でも実在の人物ですからそこは静かに見守るのみ)。
過度の飲酒、ドラッグ、不特定多数の女性との交わり。自殺行為にも等しいです。

しかしHIV感染による30日の余命宣告で俄然彼の生き方が変わります。
とにかく、生きる可能性にかける思いがダイレクトで熱くて。ロンが実は純でチャーミングな一面を持った人間であることも少しずつ伝わってきます。死と向き合わねばならない病が、元々彼の内にあったコアな部分を少しずつ表に出してくれたのかもしれません。

お金儲けが第一義であったことは否めませんがそれも大切な「生きるモチベーション」であるわけで。財を築き優位に立つことで、HIVゆえに彼を遠ざけた友人たちへの怒りを忘れたかったのかもしれません。でもそれもやがて変わってゆくのですけれどね。

「自分の薬は自分で決める。」 これはロンの言葉です。
そう言い切るには知識と強さが必要不可欠ですが(実際ロンは薬についてめちゃくちゃ勉強します)、せめてその「精神」だけでも持っていることは我々人間にとって大切なことなのではないかと感じました、これからいろんな病に罹患するであろう我々にとって。
法に触れる行為も「とにかく俺には時間がないんだ!」というロンの叫びが聞こえてくるようで、次々に既成概念をぶち壊してゆく闘志は凄まじいほどでした。

ロンを演じたマシュー・マコノヒーは役作りのために20kg減量したそうです。いやはや天晴れ。仲間となるゲイのレイヨンを演じたジャレッド・レトもとてもはハマり役でした。レイヨンとロンの関係性、そして女医イブ(ジェニファー・ガーナー)とロンの関係性の変化も見どころです。


「ただ欲しいのは冷えたビールとロデオへの復帰。」
「女をダンスに誘ったり・・・子どもも欲しい。人生は一度きりだけど、他人のも生きてみたい。」
再びロンの言葉です。死と背中合わせだからこその切実な言葉でした。

ラストの画。まさに一枚の絵のように切り取られたショットが深い余韻を残します。ぴかぴか(新しい)
観てよかったです。


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ロンほどではないにしても私の飲酒も過度かもしれませんね。

メーカーズマークはバーボン特有の微かな甘みを感じさせてくれて好きな銘柄の一つです。
キホン酔えるなら何でも好きなのですが・・・あれ、それってロンと大差ないですね。



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2019年05月22日

セッション(DVD鑑賞)     引き合う二人


初夏の陽気です。
日傘をさしていてもサングラスが要るくらいに陽射しが眩しい時がありますね。

「My いつか観るリスト」から更に二本をチョイスして鑑賞しました。
先ずは『ラ・ラ・ランド』からの監督つながりで『セッション』(デイミアン・チャゼル監督)を。

storyは 「名門音楽学校へと入学し世界的ジャズドラマーを目指すニーマン(マイルズ・テラー)。待ち受けていた伝説の鬼教師フレッチャー(J.K.シモンズ)によるレッスンは厳しさを増し常軌を逸してゆく・・・(映画情報サイトより転載)」 というもの。


                     セッション - コピー.JPG

 一口に言って凄まじい映画でした。身体中の筋肉が硬直してしまいそうでした。
練習はチューニング段階から命がけ。「血の滲むような努力」という言葉がありますがまさに血が滲む、いいえ「血がしたたり落ちる努力」でした。

あんな極限状態に追い込む指導から果たして愛ある音色は生み出されるものなのか、聴く者は幸せになれるのか、凡人の私はふとそのような疑問を持ちました。しかし一方、完璧な音だけが生み出す感動もやはりあるのだと思います。


ニーマンとフレッチャーはどこか似ているのかもしれないですね。
実は心のずーっと奥底で引き合うものがあって、だからこそニーマンは訣別の後もフレッチャーのライヴに目がとまり、フレッチャーも(たとえニーマンを欺くための策略だったとしても)彼を再び音楽の世界に引き戻した…のではないかと。

真の完璧を求める者同士だけが分かりあえたのであろうあの即興のドラムソロには、少なからずゾワッと鳥肌が立ちました。
ラストは「あー、ここで暗転してエンドロールか!」っていう、弾かれたようにハッとした瞬間でした。一瞬にして全ての思いを封じ込めたような、これ以上ない終わり方だったと感じます。


・・・フレッチャーのあの勧誘は本当にニーマンを欺くためだけの行動だったのでしょうか。
だとしたらあまりに歪んでるよフレッチャー。ニーマンに少しでも賭けたい思いがあったと信じたいのですが。
もう一回観て確かめるには心の余裕とかなりのエネルギー・チャージが要ると思います。凄まじい世界でしたからね。


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例えばこんなエネルギー・チャージがね。
いつだったかの山田錦。

もう一本も鑑賞済です。感想は後日アップ予定です。


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2019年05月16日

ラ・ラ・ランド(DVD鑑賞)     生きる道はひとつ


「My いつか観るリスト」からのもう一本は『ラ・ラ・ランド』(デイミアン・チャゼル監督)です。

 L.A.を舞台に女優の卵ミア(エマ・ストーン)と売れないピアニストのセバスチャン(ライアン・ゴズリング)の恋の顛末を歌と踊りで綴ったミュージカル作品です。2017年の日本公開、話題になりましたねー。


ラ・ラ・ランド チラシ.jpg


 よかったです!
先ずは物語に、そして音楽に、心を込めて拍手を送りたい気持ちになりました。

そんなにミュージカル色が突出していない演出でした。「踊って歌って」はさほど多くなく、中盤はミアとセバスチャンの物語をひたすら追う感じでした。
それでも!グリフィス天文台でのダンスシーンにはもう本当にうっとり!

深く濃い藍色の空、煌めく星たちを背に舞い踊る二人の姿。スクリーンで観たらもっともっと素敵だったことでしょう。劇場で観たかったなぁ。


ほろ苦い結末。
“運命の人”的な二人だったのにこういう結末もあるのですね。
「あったかもしれない」別の人生を思うとき、今のこの年齢での鑑賞だからこその涙がありました。

あの“もう一つの世界”は思うにセバスチャンの視点での世界であり、そこにセバスチャンとミアの微妙な心の温度差を感じてしまったのは否めません。
二人とも“元々の夢”は叶ったけれど、セバスチャンは欠落したままの“何か”をずっと引きずっていた気がしました。それだけに、あのラストのセバスチャンの表情がとても切なく感じられた私です。愁いをたたえた微笑みと極々小さな頷きは「これでよかったんだよ」というミアへのメッセージだったのでしょうか。

テーマとなっていた曲「ミアとセバスチャンのテーマ」、そして「City Of Stars」は何度かアレンジを変えて登場します。他の楽曲も含めて全てがその時々の二人の心を物語っていて、観る者を作品の世界にいざなってくれていたと感じました。やっぱりそれこそがミュージカル映画の真髄ですよね。
イタリック文字のような[The End]にもジーンと余韻が残りましたよ。

返却するまでに、と 2回観ましたが結末を知ったうえで2回目を観ると更に切なかったです。
同監督の『セッション』もリストに入れていますので是非観なくては!



KW - コピー.jpg

日本酒3種飲みくらべセット。
美酒を前に心の中で“踊って”いました。


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2019年05月13日

チョコレートドーナツ(DVD鑑賞)    Any Day Now


映画館での新作鑑賞から遠ざかっていた数年の間、訪問させて頂いていたブロガーさんたちのところで「いいなぁ」と思えた作品を<My いつか観るリスト>にしてきました。
幾つかは鑑賞が叶ったもののリスト消化は遅々として進まず、週末の一日、“それ”をメインテーマに過ごしてみました。といっても二本のみなのは情けないかな。

一本目は『チョコレートドーナツ』(トラヴィス・ファイン監督)です。

1970年代アメリカの実話をもとに、母親に見捨てられたダウン症の少年マルコと一緒に暮らすため周囲の偏見と闘うゲイのカップル(ルディとポール)の姿を描いたドラマです。


any day now - コピー.JPG


 同性愛に切り込んだ映画って、希望の持てるラストであったとしても何処かもの悲しい余韻を残すものですが、ここまでつらい出来事が待っていたとは。
現代は『any day now』ですが邦題の『チョコレートドーナツ』から勝手に私が描いていたイメージは少年マルコ自身が望んでいた「(物語は)ハッピーエンドでね」でしたから。

法律は時に残酷ですね。本来は苦しみに喘ぐ人々を救うためのものであったのではなかったか?
何がより良い方法かではなく、何がより正当性が高いかを追求する法廷シーンには見えない壁の大きさに打ちひしがれる思いでした。

ネグレクトだけでも問題なのに麻薬常習者なんですよ、あの母親は。
それでも母親の養育権が是とされるのは余程ゲイに対する偏見と差別が大きかったかということですね・・・1980年目前アメリカ・カリフォルニアの話なのに。

今起きていることを、その経緯を、抱けるかもしれない希望を、、、きちんとマルコに伝えられない(マルコが上手く理解できない)であろうことがとにかく悲しすぎて。さまよい続けた三日間、マルコは何を思ったのでしょうか。
彼が二人を求め続けた思いを想像することが一番つらく悲しいです。


ルディを演じたアラン・カミングの熱き歌声がいいです。ぴかぴか(新しい)
歌の文句で本作の原題でもある「any day now」が残された二人ルディとポールの心の叫びでした。


                     ハイボール - コピー.jpg
                   
こういう映画の後はハードリカーをガツンと呑みたくなるのですが、今日の画はハードリカーを炭酸水で薄めたハイボールの画です。

薄いので呑んでもあまり酔いません。でも呑み過ぎたら酔います、当たり前ですが。



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2019年05月09日

ドント・ウォーリー     でも乗り越えるのは自分自身


 お日さんのもとでは暖かい、でも日陰ではひんやり。
風は爽やかだけど時にまだちょっと身構えてしまう。

そんな連休終盤の某日、『ドント・ウォーリー』(ガス・ヴァン・サント監督)をシネリーブルで鑑賞してきました。
ガス・ヴァン・サント監督の最新作でありホアキン・フェニックス主演ということで期待値がとても高まっていました。

 59歳で他界した実在の風刺漫画家ジョン・キャラハンの半生の物語。
アルコール依存症のキャラハン(ホアキン・フェニックス)は事故に遭い一命はとりとめるが胸から下が麻痺し車椅子の生活を余儀なくされる。絶望と苛立ちで益々お酒に溺れる彼だが、いくつかのきっかけを得てやがて不自由な手で風刺漫画を描き始める・・・・・というお話。(映画チラシより)

                    ドントウォーリー - コピー.jpg

  ジョン・キャラハンは事故遭遇前から重度のアルコール依存症だったみたいでそこに重度の身体麻痺が科せられて「絶望」以外の言葉が浮かばない現実はかなり息苦しいですが、映画としてはジョン自身の破天荒な生きざまの実像が大胆かつユーモラスに描かれていたりもします。

ジョン・キャラハンの周囲の人間が彼と適度に距離を保った関係性でした。
グループセラピーの指導者であるドニー(ジョナ・ヒル)ですら全面的に手を差し伸べているわけではなくてその関係性は比較的ドライに描かれています。ドニー自身も問題を抱えていて(であるからこそ彼も過去にアルコール依存症に陥って)依存症に苦しむ人たちを救おうとすることで彼自身も救われている気がしました。長い長い道程、やっぱりエンドレスなんですよね依存症の治療は。

自己憐憫からは何も生まれない、まず自分自身が変わらないと何も進まない。
これは依存症でなくたって車椅子生活でなくたって言えることですよね。
誰かのせいにして誰かに救ってもらうことだけ考えてちゃ結局はどこにも行けないんですね。まあそうはいっても自分の根っこにあるものを掘り起こしてそれとガチで向き合うって中々難しいことですけれど。

「許す」ということが自己再生に繋がるというセラピーのプログラム。
「他者を許す」ことが出来たら次なる最終ステップは「自己を許す」こと・・・らしい。
自己を憐れんでいる以上、そして過去の自分に固執している以上、それは許したことにはならないと思うわけで・・・やはりそこがジョンにとって最も高いハードルだったのしょうね。


でもとにかくジョンは難しい局面を何とか乗り越えたわけです。
あんな素敵な恋人(演じるはルーニー・マーラ)ができるのも、高ハンサム度だけではない、ジョン自身の生きることへの底力があったからなのでしょう、きっと。(エンドロール時に映し出された実際のキャラハン氏、とてもハンサムでした。)

終盤の、漫画を描くことに活路を見出す過程の演出に物足りなさを感じたのは私だけでしょうか。今一歩のところで映画の世界に酔いきれなかったのはちょっぴり残念でした。
でも最後の、「ああなるほどここに繋がっていたのか…」と思えるシーンに何となくこの監督らしい透明感のある空気を感じて「やぱり映画館で観れてよかったなー」って思いましたよ。


                     地酒 - コピー.jpg

 
劇中にドニーが何度も口にする「Drink water!」の言葉。
村上春樹さんの小説・エッセイで何度も目にする「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め。」を思い出しました。

もっと直接的な意味で ですが、私は毎日たくさんお水を飲むよう心がけています。たくさんお酒を呑むので。

アルコール依存症からの脱却を描いた映画の後で恐縮ですが、私にてとってはこれも大切な「命の水」なのでお許しください。  



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2019年05月04日

江口寿史イラストレーション展「彼女」    いろんな彼女がいました   


 映画ではない、こんな画像で本日のブログを。

明石文化博物館で開催の『江口寿史 イラストレーション展「彼女」』に行ってきました。
今年は大中小と規模はいろいろながら美術展に行く機会に恵まれていて、そんな日常に感謝しつつも与えてもらえた大切な時間をちゃんと遣えているのだろうかという自問が交錯。
いや、でもそういう迷いの中にあってこその気付きというのもあるわけで・・・。

                    江口寿史 - コピー.jpg  
                     ※江口寿史 イラストレーション展「彼女」の 展示作品

この明石文博は何度か訪れていますが、小高い丘にあって手に取れるほどの視覚的距離で明石大橋の全景が見えます。好天の日は海がきらきら光ってて気持ちいいです。

さて 江口寿史 イラストレーション展。
正直言ってさほど期待を膨らませていなかったのですが、結果的にそれがよかったのかとっても楽しめました。こんな女の子 素敵だなぁっ て同性から見ても魅入ってしまう作品もたくさん。
作品の撮影は基本OKです(但しフラッシュは不可です)。

氏は『リアルワインガイド』というワイン雑誌の表紙イラストを長年にわたって手掛けておられ本展でも何作品か展示されていまして、展示のワインガイド作品の中で気に入ったものが上の↑添付の作品でした。
モノトーン風の押さえられた色調とシックな雰囲気の彼女の横顔がいいと思いませんか。この一枚から物語が広がっていきそうです。

何枚か続けてワインガイドのイラストを眺めているとやっぱりワインが呑みたくなってきました。それも赤ですかね、やっぱり。

                    ナウサ - コピー.jpg

ということで、いつかの<ナウサ クシノマヴロ2016年>の画を。
優しく品のよい余韻のまさにシックな感じのこの赤ワイン、美味しかったなぁ・・・女子会ありがとう〜。


                    再送 - コピー.jpg               

独り呑みには超リーズナブルな赤ワインを買って帰りました。
美味しいと噂の某店のスコーン(写真はアールグレイのスコーン)を添えて。
スコーンは残念ながら自分の理想とちょっと違った・・・のですがワインは“がぶ飲み”しました。




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