2021年06月20日

MISSING 失われているもの( 小説 村上龍 )


 引き続き龍小説のこと、今回は『 MISSING 失われているもの 』
前回ブログに挙げた2015年刊行の『 オールド・テロリスト 』の後、昨年3月に刊行された、目下のところの最新作です。
読了した今、先ず言えるのは「難解だったなぁ…」ということ。
オールド…は読むのに苦痛を伴う箇所もあったと書きましたが、骨太なエンタメ小説であり読み物としては面白かったわけですが、本書は龍さんの心の深い部分まで一緒に落ちてゆくような、とても観念的な小説でした。そういうの、決して嫌いじゃないけれど。
ページを繰った先に何があるのか、本を閉じる頃に何が待っているのか、知りたいという一心で読み進めました。
                               
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〈 こんな本 〉
この女優に付いていってはいけない――制御しがたい抑うつや不眠に悩んでいた小説家は、混乱と不安しかない世界に迷い込み、母の声に導かれて迷宮を彷徨い続ける。『限りなく透明に近いブルー』から44年。ひと筋に続く創造の軌跡の集大成にして重要な新境地作。(※本の情報サイトより転載させて頂きました)

 この世とあの世、それをつなぐ境界の世界。
それらの世界をたゆたうように彷徨う主人公。自伝的要素の強い作品なのは明らかで、母親の語り、声の中に自らの苦悶が投影されているのが分かります。なので、母親が語り、声として登場していますが(その語りによって主人公は導かれていきます)、物語は主人公の独白の世界とも言えます。

世界から、自分から、失われているものを見つけようとする病める主人公の姿が描かれ続けていて、結局はこの先も彼はずっと病み続けるのではないだろうかとも感じました。
龍さん自身が執筆という行為に根本的に何かを問うているような?そして龍さん自身も明快な答には辿り着けていないまま物語が終わるかのような?? ごめんなさい、そういう感覚的な事しか今の私には感想を綴れません。
ただ、「現実という言葉すら知らなかった頃を思い出せ」、「現実には意味が無い」というラストの一文が、今は妙に心をざわつかせています。
本書の物語が小説家・村上龍の悩み、病める姿なのだとしたら、そこからの次なる新作が何年かの後に産み出されることを静かに待ちたいと思います。

デヴュー作『限りなく透明に近いブルー』の書き出しの一文が生まれ出た瞬間のことが終盤近くに描かれていて、そこは読んでいてワケもなくグッと来てしまいました。
「飛行機の音ではなかった。」
本書を読んだ今だからこそ、限りなく…をもう一度読み返してみたい思いです。

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曇天の某日夕刻のウォーキングの一枚です。
今年ももう1/2が終わろうとしていますね。歳を重ねていく中での一年の半分は・・・大きいなぁ。


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2021年06月06日

オールド・テロリスト   ( 小説 村上龍 ) 


 未読だったこの一冊を手に取りました。
『 オールド・テロリスト 』 ( 村上龍著 2015年文藝春秋より刊行 )です。 村上龍小説は一年振りくらいでした。

本作も、段落も章立てもなくひたすら文章が続き、例によってかなりグロい表現の箇所が随所にあり読むのに苦痛を伴うことはありましたが、(過去に拙ブログに何度か同じようなことを書いた気がしますが繰り返し書かせて頂けるならば)本作もまた、最後のページを読み終えた後に何かしら魂の浄化を覚えさせてくれる、爽快とさえ言っていいくらいの気持ちにさせてくれる小説でした。 
あと、とにかく取材力が凄いなぁって心底感じましたよ、村上龍小説。

本作は 『 希望の国のエクソダス 』 (2000年文藝春秋より刊行 )の後年の日本が舞台となっています。文庫本を持ってるのでそっちも再読してみようかなと思います。

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<こんな本>
   怒れる老人たち、粛々と暴走す。
   2018年の東京、日本を変えようと、テロをも辞さず老人たちが立ち上がった――
「満洲国の人間」を名乗る老人からの、NHK爆破予告電話をきっかけに、元週刊誌記者セキグチは巨大なテロ計画へと巻き込まれていく。魅惑的な女性カツラギと出会ったセキグチは、彼女の導きにより謎の老人に暴走する「オールド・テロリスト」たちを食い止める使命を与えられる。果たしてセキグチたちを待つものは!?
  ※(著者「あとがき」より→) 「 後期高齢者の老人たちが、テロも辞さず、日本を変えようと立ち上がるという物語のアイデアが浮かんだのは、もうずいぶん前のことだ。その年代の人々は何らかの形で戦争を体験し、食糧難の時代を生きている。だいたい、殺されもせず、病死も自殺もせず、寝たきりにもならず生き延びるということ自体、すごいと思う。彼らの中で、さらに経済的に成功し、社会的にもリスペクトされ、極限状況も体験している連中が、義憤を覚え、ネットワークを作り、持てる力をフルに使って立ち上がればどうなるのだろうか。どうやって戦いを挑み、展開するだろうか。 」  (※本の情報サイトより転載させて頂きました)

 
 テロ行為は当然あってはならない、という大前提の裏で、誰もが多かれ少なかれ抱いている今の時代への閉塞感と憎悪、そしてそれに気付かないふりをして社会を生きている多くの人々の現実。そこへの 静かな怒り に着火させた龍さん的視点。
いつもながら、龍さん独自の 社会への冷徹な問いかけ や 漫然と日々を送っているかのようでいて実は必死で生きている人々へのエール とも思えるような台詞が随所に挿入されていて、響いた個所に付箋を付けていってたら最後は青い付箋のビラビラだらけになってしまってました。

最終的に、本当のジャーナリストと思える人間に‘ 全てを書かせる ’ことが狙いであったと受け取れる結末は、小説家である村上龍さんにこれ以上なく相応しい世界であったのだなぁと、、、ならばそれはどんな記事になったのだろうかと心掻き立てられるような思いで本を閉じたのでした。

本書の表紙画。
読んでいる途中は不穏で不気味な感じが作品を覆っていて、「この表紙画の明るさはいったい何なの?」って違和感を拭えなかったのですが、読み終えてみればこれほど‘オールド達’の究極の心情を現わした画はなかったかも、という思いです。辛苦に満ちた激動の世の中を生き抜いてきた彼らが、ブレない思いのまま歴史を変える行動に駆り立てられてゆく中で味わっていたのは、詰まるところ 痛快さ であったのかもしれません。
どうしても一つ 気がかりで心残りなのは マツノくん(登場人物の一人) のその後です。
文中の言葉を借りれば、彼はあの後「 自分が、確実に、必要とされるところに、行くか、戻るか 」出来たのだろうか、と。 彼には最後にどこかで 自分を取り戻せていて欲しいと切実に思いました。


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 某所へ向かう道中で出会ったとっても美形のサビ柄猫。
うわ〜キミ綺麗やねー、写真撮らせて! って独りではしゃいでスマホを向けたらカメラ目線で応じてくれました。
ありがとう、達者で暮らせ。ぴかぴか(新しい)


posted by ぺろんぱ at 18:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年05月23日

美術館3館巡り歩き と マイ行灯の夜


 兵庫県姫路市の文化施設は12日から営業再開となっていて、散策を兼ねて、いずれもお城周辺に位置する三つの美術・博物館を順に巡ってきました。

訪れたのが平日ということもあって三館とも貸切り、もしくは ほぼ貸切り状態でした。
観る側は静かにゆっくり楽しめることになりますが、主催者、そして何より作品制作者・提供者にとってこれは非常に残念で寂しいことではありますね。 観る者にもギリギリのせめぎ合いがあることは確かです。

感想を簡単に記しておきたいと思います。
三館のうち一館は私にとって初めての訪問で、非日常の贅沢な空間体験となりました。
                  
                         歴博 広告とくらし - コピー.jpg  ※歴博です

◆兵庫県立歴史博物館 『 特別企画展 広告と近代のくらし 』
明治から大正、昭和にかけて「多彩なデザインを持つ広告の移り変わりを辿る」という本展には、開催前の告知パネルでずーっと興味を抱いていました。
時代とその時々の人々の暮らしに密接に関わっている広告の在り方が面白かったです。

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            ※引札の一例です、館内は撮影OKでした(フラッシュNG)。            

広告の走りとされる江戸時代の引札 ( ひきふだ / 錦絵に店名を刷り込んだもの ) や、明治時代から登場する、上流志向を刺激した美人画ポスターの数々。とにかく美しく華やかなものが消費を牽引するのだという王道で発展を遂げてきた広告業界だったのですね。
電柱広告や大型看板のより効果的な展示場所の確保を担ったのが広告代理店のスタートであったというのは興味深く、今や‘ 基本のキ ’かもしれない「 流行は作り出すもの 」に着眼した当時の大企業の広告戦略には時代を上手くとらえた意欲満々のハイテンションぶりが伝わってくる感じでした。

◆姫路市立美術館 『 小野田實展・私のマル 』
小野田實氏の、アートという名の思想・哲学の世界に身を投じさせてもらったという感じでした。
作品の前で立ち止まっては考え、ポイント毎に掲示されていた氏の「絵画論」を必死で(少しでも近付きたいという思いで)目で追いながらも、それは私などの理解の遥か遠いところにあり続けました。
容易に理解し得ないからこそ 前衛芸術 なのかなぁ・・・。

もう何度も訪れていますが今回も最後は常設展ブースへ。
こちらの常設展は 安定の心地良さ です。 大好きな空間です。

◆三木美術館  『 絵画 樹々のある風景展 / 陶磁器展 海をこえてきたわざ 』
何度も前を通りながら入館せずのままで ずーっと気になっていた美術館です。思い切って入ってみました。
美術館というより、どこかの途轍もないお金持ちの 秘密の令堂 に足を踏み入れた…っていう感じでした。
3F・4Fの展示室では、完璧に磨き上げられた光沢を放つ黒柿の床面を歩く靴音が静かに響きます。そしてそこに飾られているのはずっと眺めていたいと思わせてくれる美しい作品たち。
最上階にはキャッスルヴューのガラス窓に囲まれ身体を心地よく沈められる大きなソファーと、予約すれば使わせてもらえる(有料です)茶室があり、2Fはギャラリースペースで地元の作家さんたちによる作品発表の場として提供されています。
創設以来長い日々のメンテナンスに惜し気なく資本が投じられてきたのだろうなぁと、いろんな意味で贅沢に時を刻めた空間でした。

三者三様の 芸術の館としての趣きを感じたプチ街探訪でした。

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 宅呑みが続く日々です。
先述の「広告とくらし展」展示の一枚(麒麟麦酒 / 多田北烏 制作 1930年作品)です。今ならこのポスターにはどんなコピーがイイでしょうね(^^)。

  私の宅呑みは代り映えしませんが(レモンを絞ったハイボ もしくは ライムを絞ったジンリキ)、最近は手作り行灯が仲間に加わりました。

ヒロシさんの『ぼっちキャンプ』(BS-TBS)に魅せられて室内でも使えるランタンをずっと探していたのですが(お薦めランタンをご紹介下さった方々にはこの場を借りてお礼申し上げます、本当にありがとうございました(*^-^*))、、、ある時ふと「そうだ、(ランタンじゃないけど)私だけの行灯を作ってみよう!」と思い立ちました。

仕上がりイメージをあれこれ思い描いて、中に入れるライトと外装に使う材料で1500円弱という汗顔の安価さで仕上げたマイ行灯
でもとても気に入ってしまって、今や毎夜のアルコールタイムに欠かせないアイテム、否、もはや家族的存在になっています。 時々話しかけたりもして…(←アブナイ)。

ぼっち酒タイムも心地よい時間になっています。かわいい


posted by ぺろんぱ at 17:02| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2021年05月08日

ファンタスティック・プラネット ( BS.P 録画鑑賞 )


   先月末にBSプレミアムで放送してい映画 『 ファンタスティック・プラネット 』 ( ルネ・ラルー監督 1973年制作 )を録画、GW中の楽しみとして鑑賞いたしました。1985年に日本でも公開されていた作品らしいです。

「 カルトムービー 」という言葉に弱い私です。
観る前から既に洗脳されていたのでしょうか、用意していた傍らのアルコール(濃い目のハイボ)もそこそこに、かなり真剣に見入ってしまいました。

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< story >
アニメーション作品として史上初めてカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞したSF作品。フランスのSF作家ステファン・ウルの原作をもとにイラストレーターのローラン・トポールが4年の歳月をかけて原画を描き、ルネ・ラルー監督が切り絵アニメーションという手法で完成させた。
  地球ではないどこかの惑星。その星には真っ青な肌に赤い目をした巨人ドラーグ族と、彼らから虫けらのように虐げられている人類オム族が住んでいた。ある日、ドラーグ人の知事の娘ティバは、ドラーグ人の子どもたちにいじめられ母を亡くしたオム族の赤ん坊を拾う。ティバは赤ん坊をテールと名付け、ペットとして飼うことになるが……。 (※映画情報サイトよりの転載です)

   独特な画に不穏さを醸すBGMが重なり、全編とにかく不思議で幻想の世界。シュール。
赤ん坊を抱えドラーグ人の子どもたちの悪戯から逃げ惑うオム族の母親の姿を描いた導入部は不気味で、ドラーグ人とオム族の圧倒的な大きさの差異に現実の我々人類の存在感が根底から覆される感じでした。

ドラーグ人は瞑想で生命力を得、形作られた概念のようなもの?が全てをつかさどっており、野蛮で野性の生き物として描かれているオム族(人類)との対比が興味深い序盤でしたが、思慮深い眼差しを持ち成長するにつれ‘賢さ’を際立たせてゆくテールと彼を一心に可愛がるティバの姿がやがて彼らの立場が逆転する未来を暗示させてもいて、怖さと切なさが同居する思いも。 テールがティバのもとを去りオム族の少女と出会うシーンは彼らに訪れる未来を象徴するものでした。

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知識を次々に吸収し、生殖して種族を増やしドラーグ人にとって脅威の存在となってゆくオム族。
終盤では異星(地球)へ移住しそこを彼らの星として生きてゆくオム族の姿がありましたが、観念による支配ではなく知恵と勇気と結束の力で大きな繁栄を勝ち取った展開は地球に生きる人類への賛歌とストレートに受け止めてよいのか、それともそれを忘れつつある現実の我々人類への警鐘と受け止めるべきなのか、、、。
生命の起源に迫るようなシーンもあって哲学的でもあり、見方によってそれは倒錯の世界とも取れたり・・・容易に理解を許さないことがいっぱいの本作でした。
次々に登場する妖しく異形の動植物たちも一度観たら脳裏に焼き付いて離れない。もう一回観ようと思っています。


  「カルトムービー」以外に「B級映画」っていう言葉にもつい反応してしまいがちですが、このGWでは「Z級」という呼び名に私は初めて出会いました。
BS12で連日放送されていた 『 シャークネード 』 シリーズ、「Z級パニックアクション映画の金字塔」だそうです。誉めているのかけなしているのかビミョーな表現。
タイトル「シャークネード」は「鮫(シャーク)」と「竜巻(トルネード)」の合体らしく、1作目から6作目まで一挙放送!でした。折角の機会?なのでシリーズの「1」と「2」だけ録画して観てみました、「Z級」というのを噛みしめながら。 Z級・・・なるほど。


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久々に猫パトロールに出てグルグル歩いてみましたが、いつものところに一匹もいなくて焦りました。
そのうちに、繁みでぐっすり寝入ってる子や全く別の場所でまったりしてる子たちを発見。
いつも何かしら言葉にできないものをもらっている気がしてます。 ありがとう。ぴかぴか(新しい) 




posted by ぺろんぱ at 19:21| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記

2021年04月24日

ノマドランド

 
先ず初めに。
レスリー・マッコーエンさん、どうぞ安らかにぴかぴか(新しい)

昨年秋頃から自宅のPCが不調です。 騙し騙し遣ってはいますがいつどうなることやら。
ブログをやっていても超アナログ人間な私、大概のことは独りで何とかやってきましたが こっち関係は全くアキマセン。いざという時は暫くスマホからの投稿になるのでしょうが操作画面も小さいし画像の投稿とかどうなんでしょう。
急に短文だけの投稿になったら 「ぺろんぱのPC壊れたな」 とお察し願います。

  観たいと書いていたリーブル神戸での『 ターコイズの空の下で 』は慌ただしくしているうちに鑑賞出来ず仕舞い・・・有言不実行になってしまって恥ずかしい限りです。
でも 「久々に映画館で映画を観たいなぁ」 という想いは在って、アースシネマズ姫路でかかっていた 『 ノマドランド 』 (クロエ・ジャオ監督) を観てきました。アースシネマズもこういう作品をやってくれて嬉しいです。

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本作はチラシも持っていませんでしたが、劇場一階にディスプレイされたポスターを見ていると、心の深いところにすぅーっと染み込んでくるような画だったのですね。

<story>
  ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション小説を原作に、「ノマド(遊牧民)」と呼ばれる車上生活者の生きざまを描いたロードムービー。
アメリカ・ネバダ州に暮らす60代の女性ファーン(フランシス・マクドーマンド)は、リーマンショックによる企業の倒産で住み慣れた家を失ってしまう。彼女はキャンピングカーに荷物を積み込み、車上生活をしながら過酷な季節労働の現場を渡り歩くことを余儀なくされる。現代の「ノマド(遊牧民)」として一日一日を必死に乗り越え、その過程で出会うノマドたちと苦楽を共にし、ファーンは広大な西部をさすらう。(※映画情報サイトよりの転載です)

 「車上生活」というワードから、生活の困窮の中でもがく人々の姿に凄く息苦しい空気に包まれるのではないかと思っていましたがそれは違っていて、彼、彼女らが(きっかけは困窮であったかもしれないけれど)最終的に自らの意志で車上で暮らす人生を選択しているということに少なからず驚かされました。

ファーンには郊外で穏やかに安定した生活を送る姉夫婦がいて共に暮らす提案を受け、出会ったノマドの男性からは息子夫婦の家で一緒に生きてゆこうと言われます。
しかしそのどちらからも距離を置くファーンは「家(ホーム)は心の中に在るもの。だから私はホームレスじゃなくてハウスレスだ。」と言い、あるノマドの女性は車上生活で各地を渡る生活を‘ 癒しの旅 ’とさえ言っていました。

自由であり、全てから解き放たれた生き方だとも言えます。
でも圧倒的に荒涼とした乾いた空気を私はそこに感じました。
彼らは何を失くして何を探そうとしているのか。
何から逃げ、何を頑なに拒んでいるのか。


人は皆何かを失くして生きていて、家(ハウス)があっても深い喪失感を抱いて生きている人は多いと思います。
「(自分たちの生き方は)最後のサヨナラが必要無い生き方だ」とノマドの暮らしを自ら称える彼らは、目の前にあるものを 確かな永遠のもの と思い込んでしまうことが怖かったのでしょうか。

その怖さに比べれば、「死」を常に意識し安楽死の方法を考え続けることの方が遥かにラクなものだったのかなぁって。同じ暮らし方をする勇気は無いのに、心の奥に芽生えた彼らに対するある種の同調を否定できない自分がいて複雑な思いでした。

ピアノが奏でる物悲しい旋律と、広大なアメリカ西部の乾いた空気感、そしてフランシス・マクドーマンドのそれこそ乾き切った皮膚感がとにかくもの凄く心に刺さりました。
アメリカという広大な国だからこそのワイドでワイルドな朝焼け、夕焼けの空たちも感動的。
それらが美しかったからこそ、私にとって本作はやっぱり深い哀しみが心を覆った映画でした。
何かを捨てることでしか自分の「生」を肯定できないという生き方をそこに感じて。


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空と樹々の青が美しい季節です。
東京・大阪・兵庫、そして京都には三度目の緊急事態宣言が発令されてしまいますが。
ワクチン接種者数が一定の水準に達するまでこういう波が繰り返されるのかもしれませんね。


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あることを労って下さって人生の先輩女史が送って下さったスパークリングワイン、華やかな香と味わいです。
初めは上品にちょっとずつ、途中からは美味しさのあまりぐいぐいグラスを傾けてしまいました、ありがとうございました。

ノマドは 「流浪の民」 とも訳されるようです。
ある意味ストイックさを必要とする生き方なのでしょうが、食べるものも食べずにアルコールに溺れてゆくノマドも多分いるかもしれないなぁってそんなことも考えたりしながら杯を重ねてしまいました。




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2021年04月11日

ハウルの動く城 ( 金曜ロードショー録画にて、再再々…くらいの鑑賞です )


  4月2日放送で録画していたジブリ映画 『 ハウルの動く城 』( 宮崎駿監督 2004年制作 )
先日、もう何度目かなぁ…くらいの再鑑賞をしました。
ジブリ映画では『 千と千尋の神隠し 』や『 もののけ姫 』が好きなのですが、本作はテレビ放送での鑑賞が最初だったのにも関わらず 名作と評される他のジブリ作品の中に於いて自分的にはかなり好きな作品なのです。

雄々しく闘う孤高の少女でも崇め従われる存在でもない、幸せからちょっと離れたところで生きてきた一人の市井の女の子(そして同時に孤独な老女でもある女性)が主人公であるというところが心を引いたのでしょうか。
「老いる」ことへの決して否定的ではないメッセージも込められていると思え、歳を重ねて観返すごとに好きになってきてる感じです。

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< story >
 父親の帽子店で日々帽子を作りつづけていた18歳のソフィーは、ある日荒地の魔女に呪いをかけられ90歳の老婆になってしまった。ソフィーはハンサムだが弱虫な魔法使いハウルと出会い奇妙な共同生活を始める。 (※映画情報サイトよりの転載です)


  序盤が特に好きなんです。
先ずソフィーの孤独があって、ハウルとの出会いでいきなり天と地ほどに違うトキメキがやって来て、直後に荒地の魔女の魔法で奈落の底へ。ならば「ここにはいられないわ」と全てを捨てて旅に出る。(ソフィーが本来持っていたのであろう ある種の逞しさにちょっと驚かされます。) そして 案山子のカブ、動く城との出会いまでが怒涛の如く描かれるこの序盤はもう感動的です。

その後の物語の展開は本当にもういろいろあって一つ一つに触れるには物語としてあまりにも大きくて、様々な要素、テーマが描かれていて。。。
先述しましたが「老い」の考察も深く静かに迫ってきます。
老いても尚、人は何かを信じ強い想いを心の中に持ち続けることが出来る、というような。
「年寄りのいいところは…失くすものが少ないことね」とソフィーは言っていたけれど、この台詞は凄く切ないようで実はそれだけ‘ 真に大切にすべきことは見失わずに済む ’ってことかもしれないなぁって思いました。
一方で、怖ろしい魔力を持った荒地の魔女を「力を奪い取る」ことで元の老弱な女に戻してしまった魔法国の女王・サリマンには理不尽な暴力性を感じ、「老い」というものが持つ、人間に突然にもたらされる不条理性みたいなものもふと感じたのでした。

強く前面には出されていないけれど 他のジブリ作品同様に反戦争のメッセージも勿論あります。
誰のためにもならない不毛の闘いに疲弊し切ったハウル。
ソフィーがハウルの取るべき道に彼を導いたことはまだ少年だった頃のハウルにソフィーが時空を超えて遭遇したあの神秘的なシーンに繋がっていて、「あぁそうだったのか…」という思いがしました。

「恋だね…あんたさっきから溜息ばっかりついてる。」 これはかつて荒地の魔女だった老女の言葉です。
恋するソフィーの切ない台詞やシーンはいっぱいあって、老女になったソフィーと時折ふとした瞬間に少女に返るソフィーとを声で見事に演じ分けておられた倍賞千恵子さんがとにかく素晴らしいです。
荒地の魔女の声を演じた美輪明宏さんと火の悪魔カルシファーの声の我修院達也さんも共にインパクト大で、初めて本作を観たときからずっと記憶に留まり続けています。
そして久石譲氏によるテーマ音楽< 人生のメリーゴーランド >! ワルツ調の哀切なメロディーがとても素敵です。

本作、こんな言葉で締めくくっていいのかどうか迷いますが・・・誰かに恋し、恋しい相手を思う力って凄い! ソフィー、幸せに。


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もうすっかり 殆ど葉桜。 葉桜は葉桜なりの感慨もあります。
葉桜を見るといつも思い出します、俵万智さんの < 葉桜を 見に行くならば雨上がり 私でなければならない人と >という短歌を。 私は今年も独りでの葉桜観でしたけれど。


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実家帰りの際にセブンイレブンで見つけて買いました。 「赤」もあります。

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はい、それは分かってます。
呑んでみると‘思った通り’のテイストでした。これは (どっちかと言えば)イイ意味で書いています。こういう簡易アルコール缶では甘すぎたり過度な果実香がすることがありますから。
安価なお値段から察して決して期待は大きく持ちませんでしたが、アルコール度数5.5%なのでジュース感覚で(ジュース??)たまに呑むにはイイのじゃないかと思いましたよ。


コロナ禍は新たな局面を迎えていて先が読めませんね。
どこかで一旦、何らかの厳しい線を引くべきなのか・・・。とにかく、そんな中でも自分にとっての一日一日を大切に過ごしてゆくしかありません。




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2021年03月28日

禁断の惑星 ( BS.P. 録画鑑賞 )


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このところずっと映画を観にゆく時間が作れないでいます。
しかし4月9日にリーブル神戸で公開になる 『 ターコイズの空の下で 』 は公開終了迄 に観に行きたいしきっと観に行けると思っています、楽しみにしたいです。

さて、新作でないどころか凄い旧作なのですが、今月初め頃に録画していたBS.Pでの映画 『 禁断の惑星 』( フレッド・M・ウィルコックス監督 1956年制作 )、、、遅れ馳せながら再生鑑賞が叶いましたので簡単に感想を残しておきたいと思います。
65年も前に作られていた(日本公開もされたらしい)映画を何故今BSで?? と思い、タイトルにも興味を抱いて録画していたものでした。


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< story >
西暦2200年、惑星アルテア4に到着した宇宙偵察船C-57-Dの一行は、そこで以前の調査隊の生き残りであるモービアス博士に出会う。博士はアルテア4の絶滅した前文明を研究しており、ロボットのロビーと娘のアルティアと暮らしていた。そして、この星には正体不明の透明な怪物も潜んでいた。 (※映画情報サイトよりの転載です)

 SF映画というジャンルに於いて、なんてったって65年も前に作られたってことが凄い。
現代のCG、特殊加工技術を前にして もはや全く存在を異にするような作り の画の数々を素直に楽しむことが出来ました。
勿論‘いま’の思考からするといわゆるツッコミどころ満載ともいえます。宇宙調査船クルー全員がホワイト系の同一民族だったりクルーたちと娘アルティアとの初遭遇が青春映画的だったりとか…。
そんな中で一つ、「人間の潜在意識下の本心が異星の怪物を生んだ」という展開には少なからず驚かされました。幸せな移住を夢見てアルテア4に来た科学者モービアスが実はその意識下で育んでいた憎しみと破壊への衝動。それがアルテア4の高度な文明力によって増幅し具現化、全てが滅び去るという人類と文明の自滅の様相。
何となく、古き良き時代のSF映画的な匂いのするレトロな映像からは平和感が漂い、こんなシリアスな展開があるとは思われなかったので意外な驚きでした。

全く趣きを異にするものでテーマも違うけれど、ふと、アンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』を想起しました。知性と思考をもったソラリスの海が謎めいた現象を引き起こすというあの展開を。
その‘意識下の本心’というものに焦点を当てて(モービアス博士のダークサイドにも迫って)描かれていたら、違った趣のイイ意味で更に強烈な印象を残す作品になったのじゃないかなぁと思いはしました。が、100分弱というコンパクトな尺の中にいろんなSF要素が盛り込まれた ‘ 楽しい ’(←結果的にこの言葉が一番相応しい気がします)作品だったと思いました。

最後の アダムス機長の台詞は意味深いです。あんなカッコいい台詞を言わせてもらって、美女を手中に収めただけでなく機長としても面目躍如でしたね、アダムス。
光線で輪郭だけが浮かび上がった怪物の姿も、現代のエイリアン映画のモンスターたちとは一線を画すもので私としては観ていて結構ワクワクしてしまいましたよ。ガマガエルとライオンを足して2で割って10乗して膨らませたような感じでしたけど。

さてさて・・・。
凄い能力を持つ割にキャラ的に‘可愛い’としか言いようのないロボットのロビー。
ロビーはなんでも成分を分析して同じものを増産させることが出来るのですが、クルーの一人はこっそりバーボンを230リットルも作らせてました。
230リットルも要らないからせめてボトル15本分くらい作って届けてほしいなぁ。( 届けさせるんかいっ!)


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 いつの間にかすっかり桜が咲いていましたが今日の雨は花散らしの雨になってしまうのでしょうか・・・。
まだこれから開くはずの蕾は残ってくれてこの先に咲いてくれると嬉しいです。

どんな時でも(コロナ禍でも)季節は巡りますね。 そして桜は変わらず凛と咲くのですね。
皆さんにとって(それぞれの意味で)どうぞ良い春でありあすように。ぴかぴか(新しい)





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2021年03月14日

春嵐、傘がない、、そしてスタバは桜のカップ


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 事の大小にかかわらず何か新たなことを始めると必ず頭を打つことが出てきませんか。
それを「負」のものとして抱え込んでしまうか負とは違う何かに変えられるかは自分の心の弾力性や柔軟さによるのでしょうか。
幾つになっても自分のことを あかん奴 と思ってしまう時は空を見上げて大きく深呼吸したいものです。

深呼吸したくても昨日13日(土)は、雨はすっかり上がっていたけれど春の嵐のような強風が吹き荒れていました。川べりの堤防道路を自転車を漕いで向かう先があって、途中何度か自転車ごと倒されそうになりましたが風は強いのに寒さはあまりなくて、ほんの少し ぬるい 感じの風を全身に受けながら「ああ、春が来たんやなぁ...」と。



                            傘がない - コピー.JPG

 先日、半野外の某所で尺八のライヴを聴く機会がありました。
その会ではポップスなどジャンルにこだわらず幅広い曲が披露され、居合わせた人は誰でも自由に聴くことができます。
私は一昨年から今回で4度目かな、、、その日は何曲目かに井上陽水の『 傘がない 』が奏されて感動しました。まさか尺八で「傘がない」が聴けるとは思ってもいませんでした。
演奏者氏の持論だそうですが、「尺八は人が発する言葉の音に最も近い音色を出せる楽器だと思う。」と仰っていました。長きにわたって尺八を奏されてきた御方のご持論、とても深いです。
深いと言えばこの『傘がない』の歌詞も深い。
持っているCDを改めて聴き返してみました。自殺する若者と 傘がないけどキミに会いに行かなくちゃと焦燥感に駆られる若者は裏返し・・・「君の町に行かなくちゃ、雨に濡れ」は別の意味を持った歌詞として響き続けました。


                         桜スタバ21 - コピー.jpg

久々にスタバに行ったらHotラテのカップが桜模様なっていました。
一年前のこの時期にも確かスタバの桜カップのことを此処に書いた気がします。
こんなんで春を感じられる安上がりの人間です。

自分も含め、この春が皆さんにとって少しでも心が軽くなる日々でありますようにぴかぴか(新しい)




posted by ぺろんぱ at 18:24| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2021年02月23日

岸辺の旅 ( NHK総合 録画鑑賞 )


 明日はまたぐっと冷え込むみたいですが、きっと本物の春はすぐそこですね。

11日放送で録画していたNHK G. での映画 『 岸辺の旅 』( 黒沢清監督 2015年10月公開作品 )を やっと観ることが出来ました。
なぜ今 急に黒沢清監督作品? って思ったら、同監督の新作『 スパイの妻 』がヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を取ったのでしたよね。 改めましておめでとうございます。「スパイの妻」は結局スルーしてしまいましたがいつか観たいと思います。

岸辺の旅チラシ - コピー.jpg  

< story >
湯本香樹実の小説を映画化。
3年間行方不明となっていた夫の優介(浅野忠信)がある日ふいに帰ってきた。優介は妻の瑞希(深津絵里)に「俺、死んだよ」と告げ、瑞希を旅に誘う。それは優介が失踪してから帰宅するまでに関わってきた人々を訪ねる旅だった。やがて優介が突然姿を現した理由、そして彼が瑞希に伝えたかったことが明らかになり……。 (※映画情報サイトよりの転載です)


 死者の存在が核となった物語であり、黒沢監督によるホラー色の強い画質や空気感が全編に漂っているのですが、観終わってみれば、私の中に最も残ったのは - 愛し愛されるという点に於いての静かで穏やかな幸福感 - でした。

互いに自分が抱えていた想いを相手に伝えきれてなかったという心残りが強くあってそれが二人を引き合わせあの道行きになり、あの旅が互いの心にあった空白を少しずつ埋めていってくれたのですね。その経緯は‘少しずつ幸せが形を成してゆく過程’として、(不穏なシーンもあったけれど)私にはむしろ優しいものとして映ったのでした。
瑞希が心の中の重い石を一つずつ置いていくような、そして代わりに小さく輝く石を拾ってゆくような、そんな旅に感じられました。

瑞希は優介の失踪の陰に死を悟っていたようなところがあって、生きながらもずっと半分 死の世界を彷徨い続けてきたのだと思います。
死した者が残った者を呼ぶ、引き込む、という感じでしょうか。けれど優介自身は決して瑞希を死の世界へ引き込んだりはしない…むしろ瑞希が現世で生き続けることを望み見守ろうとしているようでした。優介のそんな想いが何となく観る側に伝わってくる道行きでしたね。

岸辺の旅 2.jpg
※この画像は映画情報サイトよりの転載です

死者の世界と交わりながら瑞希が現実の世界で背負う苦しみを生々しく見せたのが、優介の不倫相手の女性・朋子(演じるは蒼井優)に会いに行くシーンでした。短いながら印象深かったです。
朋子が瑞希に放った「私には平凡な生活が続いてゆく・・・、でもそれ以上に何を求めることがあります?」という台詞は鋭く瑞希や観る者の心を突きました。
瑞希が朋子に真正面から対峙することを決めたのは、ある意味、優介の心を取り戻した自分を見せたかったから…だと思うのです。けれどそれをバッサリ返り打つように先の台詞を放った朋子。まるで「瑞希には平凡な日常など来ない、優介はもうこの世にいないのだから」と言わんばかり、優介の死をまるで知っていたかのように勝ち誇ったような、挑むような眼差しで。
あのシーン、ホラー色は無かったのに何故か一番ゾッとしました。(蒼井優さん、やっぱり凄い女優さんだ)

けれどそれも、観終わってみれば瑞希は朋子をいつの間にか超えていたのかもしれないなーって思うのです。
瑞希はおそらく優介とのあの旅路で、平凡ではないけれど永遠に損なわれない優介の心を手に入れたような気がしましたから。
求め合う気持ちが根底にあれば、あとはきっと時間が導いてくれるのでしょうね。


                         陽だまりの猫 - コピー.jpg
陽だまりの中でまったりしてる猫 。
この子と同じ柄の猫フィギュアがうちにあって親近感MAXです。


                         セブン ハイボ - コピー.jpg
最近ちょっとハマってる、セブンイレブンで販売されてるハイボ缶、< SCOTCH WHISKY HIGHBALL >
アルコール度数は8%、缶のハイボールとしてはコスパは結構高いんじゃないかと感じる味と香りですよ。




posted by ぺろんぱ at 13:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2021年02月07日

レヴェナント 蘇えりし者 ( BS12 録画鑑賞 )


昨年末に録画していたBS.12での映画 『 レヴェナント 蘇えりし者 』 ( アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督 2016年4月 日本公開 )を やっと観ました。

本編開始前に映された警告文(「衝撃的なシーンが含まれるため…云々…」)に怯んでしまい、ならば‘心して’臨める時に と鑑賞を先送りしてしまっていました。で、週末、きちんと身構えて臨みました。

156分の長尺ながら一気に鑑賞。
確かに目を覆うシーンもあって凄まじい映画でしたが、息をのむほどに美しい大自然の映像と 神の存在を感じさせるかのような先住民たちの静かな言葉とによって、清らかで深く大きなものに触れたような感覚が残りました。

レヴェナント.JPG    

< story >
アメリカ西部の原野、ハンターのヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)は狩猟の最中に熊の襲撃を受けて瀕死(ひんし)の重傷を負うが、同行していた仲間のジョン・フィッツジェラルド(トム・ハーディ)に置き去りにされてしまう。かろうじて死のふちから生還したグラスはフィッツジェラルドに復讐を果たすべく、大自然の猛威に立ち向かいながらおよそ300キロに及ぶ過酷な道のりを突き進んでいく。(※映画情報サイトよりの転載です)


「復讐」というワードが注目されていた本作でしたが、復讐が実際に形を成し始めるのは中盤以降のことで、本作は単に復讐劇だけではないのだと感じました。
そして、生きるか死ぬかという壮絶なサバイバルを乗り越えたのちに初めて、人は感情や思考全てに於いて 人が人である ことを取り戻せて行くのだということに改めて驚かされました。
観る側にとってもそれは同じで、映し出される大自然の雄大さは 過酷な展開の中では「美しい」と感じるよりも私にはむしろ畏怖の念での「近付き難さ」でした。だから、グラスがあの壮絶且つ凄絶な死の淵をなんとか脱し、蘇生を実感した後で私もやっとあの雄大な自然美を「美」としてインプットできた気がします。

時折グラスに蘇えってくる妻や彼自身の言葉。
「息をし続けろ、息が続く限り闘うのだ。」
「嵐の時に木の前に立つと、枝は折れそうになるが幹はびくともしない。」
人間が本来持つ 強さ や 気高さ を思わせると同時に、大きな神の存在を感じさせてくれました。神の存在と、それを深いところで受け止めた人間の強い魂とが重なり合って、幾つもの奇跡(あの状況での生還はまさに奇跡)と ラストの崇高な展開をもたらせたのではないかと思いました。

レヴェナント クマ.jpg
※この画像は映画情報サイトよりの転載です

同族・ヒククによる「復讐は神の手に委ねる」の言葉。
その言葉が蘇り最後の一撃を止めてフィッツジェラルドを川に流すグラスでしたが、直後に神が応えます。
ああ でも神が応えたことであると同時に、あれはゆるぎない意志と生き様によって人間・グラス自身が作りだした結果でもあったかもしれません。
ポーニー族の妻や子と共に生きてきた半生がグラスを危機から救い(種族の精神を解し種族の言葉を話すことでヒククと関われた)、グラスがアリカラ族の酋長の娘・ポワカの身を救ったという事実が結果としてグラスを神のもとに導いたと考えられるあのラスト、、、ぶるっと心が震えた瞬間でした。

凄まじいサバイバル劇の中、唯一温かみを感じられたのが、出会ったヒククと雪を舌で受けるシーンです。
白人の襲来により村や妻を失うこともなくあのまま部族と共に平穏に暮らせていたなら、グラスの人生はそういうひとときの繰り返しであったのだろうなぁと思いました。

それにしても撮影は過酷さの極みであったと思います。
脳裏に焼き付いて容易には離れないであろうシーンが幾つもあります。極寒の原野での撮影であったということも勿論。
テレビで観てもこれほどの衝撃なのだから、公開時に劇場で観ていたらきっと暫くは席を立てなかったでしょうね。
ディカプリオは本作で悲願のオスカーを獲得、5年も前のことで今更ですが 心から「おめでとうございます」と言わせてください。



ソマリの男の子 - コピー.jpg

 さて某日のこと。
天に召されたウチ猫a. は今も変わらず心にいてくれていますが、猫パトロール以外に可愛い仔猫を眺めたくなることもたまにあって、こちらは久々に寄った某大型商業施設内のペットショップコーナーです。

アメショー、ロシアンブルー、マンチカン、ヒマラヤン、みんな可愛い仔猫たちでしたが、ひときわイケメン君だったこの子はソマリの男の子、生後約3か月とか。目が合いました、はじめまして。

見て癒やされたいだけで連れて帰る気は勿論ありませんでしたが、もし仮にそう思ったとしても私には無理でした。
この子のブースには超高額のプライスタグが燦然と輝いていて! 数字の横には [ 税別 ] の二文字がまるでトドメの一刺しのように添えられていました 。

ブースの前で思わず シェー! をしてしまいましたが、しかしこの子にはこの子なりの、あのプライスを背負った運命があるわけで・・・。
だから ええ人に連れて帰ってもらうんやで・・・元気でな。ぴかぴか(新しい)


posted by ぺろんぱ at 17:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記