2013年10月29日

あの日の指輪を待つきみへ (BS録画鑑賞)


  BSで録画していた『あの日の指輪を待つきみへ』(リチャード・アッテンボロー監督 2008年夏、日本公開)を先夜に観ました。
これってもう5年ほど前の公開作品だったのですね。この邦題から受けるイメージに気圧されて(原題は「CLOSING THE RING」)劇場鑑賞をスルーしてしまったのがつい1〜2年ほど前のことのように思えます。

5年かぁ・・・いろんなことが変わるには十分な年月と言えますね。


story
  第二次世界大戦前夜の1941年と50年後の1991年を舞台に、一つの指輪に秘められた男女の切ない運命を描いた物語。
夫を亡くしたばかりのエセル(シャーリー・マクレーン)の淡々とした態度の裏には、50年前に起きた戦争の悲しい思い出が隠されていた。しかし、何も知らない娘のマリー(ネーヴ・キャンベル)は母への不満を募らせるばかり。そんな折、ミシガンに住むエセルのもとに、アイルランドからエセルの指輪を見つけたという連絡が入る。
50年前、若きエセル(ミーシャ・バートン)3人の青年、チャック、ジャック、テディと青春を謳歌していた。やがて彼女とテディ(スティーヴン・アメル)は愛を誓い合うが、その直後、テディは出征してしまう。その際、親友のジャック、チャックと一つの約束を交わして戦地に旅立ったテディだったのだが・・・。

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                        ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


  久々に、鑑賞後に釈然としない思いを引きずった一作となりました。
公開時に劇場で観ていたらもしかしてもっと違う印象が残ったのでしょうか。

それでもこうしてレヴューを書いているのは、アイルランドのパートでのクィンラン(ピート・ポスルスウェイト)や指輪を見つけることになるジミー少年(マーティン・マッキャン)、エレノアお祖母ちゃん( ブレンダ・フリッカー)の関わり合いが何だかとってもよかったから。
アイルランドの美しい風景と、そんな中でのIRA組織との緊張をはらんだ駆け引き、それらが遠く離れた地での過去の恋物語と密接に関係してゆくというストーリーは惹きつけるものがあったと思います。
ジミーは過去と現在の橋渡し役として実に可憐な役回りで、演じたマーティン・マッキャンという俳優さんは私的に本作の中で一番初々しくも力強い存在を放ってくれていたように感じました。

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アメリカ・ミシガン州のパートでは過去の世界も現在の世界も、私には根本的な疑問が残りました。
出征するテディが自分が死んだらエセルと結婚して幸せにしてやってくれという約束を親友に交わさせるのは、愛ゆえのこととは思うのですが、何だか自己満足にすぎないのではないかと少し傲慢な感じもしました。それって結果的に親友たちの人生を縛ることになってしまうのですよね。
一方のエセルはテディを愛し続けると言いながら、ではなぜテディの親友チャックを夫として受け入れたのでしょう。しかも永遠に決して愛することはなく。娘まで儲けながら愛することはなく、です。過去の想い出と共に生きるのは自由だし、それも一つの生き方だと思います。でも他人の人生を巻き込む(結果的には自分の娘の人生をも巻き込んだ)のは罪深いことに思えます。
最後の最後に過去から解き放たれたエセルがもう一人の親友ジャックとの愛を得るシーン、、、ここは清々しい落涙という流れなのでしょうけれど、その前に先ず逝ってしまったチャックの愛に涙してほしかったなぁって思いました。
老いたエセルを演じたシャーリー・マクレーン、老いたジャックを演じたクリストファー・プラマー、共に名演が光る最後の感動的シーンだったと思うのですが、私はあまり心を打たれることはなかったです。二人を包むアイルランドの風景はとても素晴らしかったけれど。


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若き頃のエセルとテディを演じたミーシャ・バートンとスティーヴン・アメル。
共に容姿端麗(ミーシャさんは本当に美しい)ですが、私的にはどうしても“隣のハンサムなお兄さん”と“隣の綺麗なお姉さん”のイメージを超える魅力を感じず仕舞いで、もしかしたらこれが釈然としないことの大きな要因だったのかもしれません。感情移入が出来なかったということですね、残念ながら。

繰り返しますが、もしも劇場で観ていたら違ったかもしれません。それほどに劇場というものは、暗転した後、違う空気が流れてゆく魔的な空間ですよね。



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 その日の映画鑑賞が感動の嵐となっても釈然とせずに消化不良となっても、やっぱり美味しいお酒でで締めくくりましょう。
独りサク呑みシリーズから。 いつかの日の堂島サンボアでのジンライムです。滞在時間約30分。

余談ですが、いい映画だと心から思いつつ何度観ても(3回観てます)釈然としない思いが残る映画として『ニュー・シネマ・パラダイス』(ジュゼッペ・トルナトーレ監督 1989年制作)があります。(それでも3回観ているのはやっぱりいい映画だと思うからです。)
アルフレードに、トトの人生をそこまで左右する権利があるのかと(あったのかと)観る度に哀しくそう思います。








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2013年10月20日

タンゴ・リブレ 君を想う


 テアトル梅田で『タンゴ・リブレ 君を想う』(フレデリック・フォンテーヌ監督)を観ました。
これは心待ちにしていた一作なので頑張って公開初日に鑑賞。

story
  規則正しく退屈な毎日を送る刑務所の看守、JC(フランソワ・ダミアン)。ある日、唯一の趣味であるタンゴ教室で15歳の息子を持つ女性アリス(アンヌ・パウリスヴィック)と踊り、華やいだ雰囲気に心惹かれる。翌日、JCは彼女を刑務所の中で見つける。夫フェルナン(セルジ・ロペス)の面会に来ていたアリスだったが、彼女にはもう一人、面会相手の男がいた。それは愛人のドミニク(ジャン・アムネッケル)。しかもフェルナンとドミニクは同じ事件の共犯者でもあった。やがてフェルナンはアリスがJCとタンゴを踊っていることを知り嫉妬する。しかし、いつしかタンゴのことが気になり出し、アルゼンチン出身の囚人をつかまえて、刑務所の中でタンゴを習い始めるフェルナンだったが・・・。

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                ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


「彼女と踊った、
欲望が忍び込んできた、
そして私の世界は変わった・・・。」

これは本作のキャッチコピーです。
結果からいえば激変でした、JCの人生。でもその変貌をいったい誰が非難できようか。それに、変貌と言いつつも実はJC自身は何も変わっていなかった気がしています。


  物語の主人公はJCですが、ここには三者三様の、いいえ、アリスの息子アントニオ(ザカリー・シャセリオ)を含めた四者四様のアリスへの想いに溢れていました。

アリスの奔放さは同じ女性として感情移入しがたいほどの激しさで時として傲慢ささえ感じるのですが、アリスを囲む男性四者(息子アントニオも含めて)が余りに其々味わい深く魅力的に描かれているので、そんなふうに彼らに愛されるアリスも(決して共感はできないとしても)魅力的に見えてしまったのは否めません。

事実、彼女は不思議な魅力を放っていました。
フェロモンのひと言だけでは言い表せない、何か危険で、でも温かなるもの。母性ともどこか違う、不思議なもの。トラブルメーカー的な匂いもします。それは多分、JCもフェルナンもドミニクもアントニオも、皆が十二分に解っていることなのだとは思います。

夫フェルナンの言った通り「俺たちを傷付けただけじゃないか」という台詞は胸を突き、息子アントニオの「お母さんが悪いんだ」となじる姿は余りに痛々しい。
真面目で気弱なJCはそんなアリスに健気に尽くし、例え空回りでもいたわり、優しく包み込もうとします。愛人ドミニクに至っては、その大きく深い愛が諦念となって自身を自殺へと向かわせます。
みなアリスに翻弄されます。しかしアリスは彼らを其々に愛し必要としていて、アリスを中心に彼らがファミリーになってゆくのは不思議としか言いようがないのです。

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タンゴを通して四角な関係が微妙に形を変えてゆきますが、それぞれのタンゴがそれぞれの味わいを持っていて・・・。
朴訥なJCのタンゴは男性であるのに吐息のように切なく官能的でさえあります。ドミニクのタンゴはなんだか哀しくて、フェルナンのそれは力強く、どこまでも真っ直ぐ直情的です。
タンゴが「魂の踊り」と称される所以がそこにある気がしました。

スクリーンでのラストのあと、一体どうなるんだろう。
どうにでもなれ、なのか、どうにかなる、なのか。苦難の道行なのか、それとも・・・。
シチュエーションから何もかも全く別ものの映画なのに、ふと『卒業』のラストシーンがフラッシュバックした私なのでした。


 刑務所内でアルゼンチン出身の囚人二人がダンスを披露するシーンがありますが、このシーンは圧巻です。男同士のタンゴなんて私は初めてで、激しく力強く情熱的でまるで命を賭けた絡み合いのように感じました。
どうやらプロのタンゴダンサーで、うち一人はチチョ・フルンボリという世界的に有名なカリスマ・タンゴダンサーの御方らしいです、なるほどね。
それから、アントニオ役のザカリー・シャセリオくん、若き日のレオナルド・ディカプリオを髣髴とさせて鮮烈な印象を残してくれたのでした。


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  いつだったかの、シックなBARでのマルガリータ
お酒好きの先輩にお連れ頂いたのでしたが、初めての訪問でちょっと怖々?ながらの入店でした。でもカクテルも美味しくていい雰囲気で、でも思ったよりもリーズナブルでちょっと嬉しくなったBARでした。
もしまたお伺いが叶えば、<タンゴ・リブレ>、、、じゃなくて<キューバ・リブレ>でも飲んでみたいと思う今日です。





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2013年10月14日

月亭文都 襲名披露公演



 「八天改メ 七代目 月亭文都 襲名披露公演」に行って来ました。新神戸オリエンタル劇場です。

七代目月亭文都さんは、襲名前の月亭八天さんの頃から、かれこれ22〜23年ほどになるでしょうか、陰ながら応援させて頂いていた落語家さんです。
今年3月19日のなんばグランド花月での襲名披露公演には諸事情でお伺い叶わず、ずっと気になっていたのですが、やっと今回、神戸での襲名披露公演で直接舞台上の文都さんに「おめでとうございます!」と言わせて頂く事ができました。

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この何年かはその諸事情で年に一度の独演会(於:ワッハ上方ホール)に行かせて頂くのみになっていたのですが、思い起こせば22〜23年前に八天さんの落語に出会って以来ずっと、八天さんが開催される二ヶ月に一度の落語会には足を運ばせて頂いていたことが思いだされます。あー懐かしや。
それを機に他の落語家さん方の高座にも時折出向かせて頂き、上方落語の面白さを教えてもらった恩師でもある(八天さん)文都さんです、ありがとうございます。

この日は月亭方正さん、月亭八光さん、桂文珍さんの落語のあとで中入、中入り後は「口上」です。
それぞれに文都さんへの想いが込められた御口上をうかがえて、舞台後方の大幕に染めぬかれた大きな「BUNTO」の文字に感慨もひとしおでした。
私ごときが言うことではないですが文都さんは本当に芸道への精進が並々ではないお方で、天性のセンスもお持ちとは思いますが、まさに“努力の人”という気がします。勿論、常に新しい御自身の姿を開拓しそれをどんどん世に出してゆかれるプロデュース力も。「コツコツ」と「大胆不敵に」の、両方の魅力のある噺家さんだと思っています。

本公演の文都さんの演目は、大ネタ「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」でした。
これは時事ネタ満載の、噺家さんのオリジナリティーが光る大話で、以前にも一度文都さんの(当時は八天さんの)「地獄八景亡者戯」を聴きましたが、今回は今風の、つまりは“平成25年秋ふうの”「地獄八景…」でとても楽しませて頂きました。
最後まで通しで演じれば1時間強?の大ネタ。時間の関係で本公演では途中の段落でのサゲとなりました。あー、もっと聴いていたかったなぁー。

文都さん、これからも益々の御活躍を念じております。
本当に本当に、おめでとうございます。ぴかぴか(新しい)



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 さてさて、このところ日本酒(地酒)ヴューが続いていますが、本日もこれでもかと地酒ヴューで。

こちらは独りサク呑みシリーズではありません、二人サク呑みでした(Kさん、ありがとうございました)。久々に訪れた地酒・刀屋さんでの乾杯の画です。

この刀屋さんのご店主も、愛する酒道に“コツコツと(しかしひたすら)まっしぐら”の御方です。ぴかぴか(新しい)







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2013年10月10日

許されざる者(1992年イーストウッド作品)

 
  『許されざる者』(1992年制作 クレイント・イーストウッド監督、主演 オリジナル版と言った方がよいのでしょうか?)を観ました。
世間ではリメイク版と言われる李相日監督の同作品が話題となっているいるようですが、「敢えて今」と申しますか「先ずは」と申しますか、要は私がイーストウッドの『許されざる者』を未見だったからです、お恥ずかしい。

秋といえども未だ暑さの残る夜に、赤ワインを呑みつつ録画版を鑑賞。

story
  1880年、ワイオミング。列車強盗や殺人で悪名を轟かせていたウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)は、今では銃を捨て2人の子供と農場を営みながら密かに暮らしていた。しかし家畜や作物は順調に育たす、3年前に妻にも先立たれ苦しい生活だった。そんなマニーのもとにスコフィールド・キッド(ジェームス・ウールヴェット)という若いガンマンが訪ねてくる。娼婦に傷を負わせ賞金をかけられた無法者を追うためだ。マニーのかつての相棒ネッド(モーガン・フリーマン)を加えた3人は追跡行に出かけるが、その頃、町の実力者の保安官ビル(ジーン・ハックマン)は疎ましい賞金稼ぎたちを袋叩きにしているところだった。やがてビルの暴力が黒人であるネッドにも及んだ・・・。

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                   ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


「人に歴史あり」やなぁ・・・と先ずは感じた次第です。

というのは、鑑賞を前に本作に付いてちょっとだけネットで調べた際に、「マカロニ・ウェスタン上がりのまだまだ二流の役者、或いは話題先行のいわゆるスター監督という先入観で語られることの多かったイーストウッドが、地道に培ってきた映画づくりの力を自己の信念とともにやっと開花させたのがこの『許されざる者』である、云々・・・」という意味合いの記述を目にしたからです。だから、イーストウッド氏の栄光に歴史あり、なのだなぁと。
その予備知識のおかげで?通常の1.5倍くらいに感動の度合いが高まったのは否めないと分析はしますが、それでも、西部劇というものに予定調和ではない、或いは勧善懲悪ではない、其々の人間が抱える業のようなものについて暫し考えさせられたのは確かです。

拙ブログでは私も幾作かのイーストウッド映画を挙げさせて頂いていますが、実は私はイーストウッドがマカロニ・ウェスタンで名を馳せていた頃やダーティ・ハリー作品でのハリウッドでの活躍や監督としての初作品など何れも未見のままで、いわば「不動の地位」を確立した後のイーストウッドにしか触れられていない体たらくなのでした。
本作では“これで勝負に出る”とでもいうような渾身の演技と演出がしみじみと彼の「来し方」を感じさせてくれて何だかあついものを感じてしまった感があります。きっと、ノーカットのDVDで、もっといえば公開時にスクリーンで観ていたら感慨も更なるものだったと思います。

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 いったい誰が「許されざる者」だというのか。
ストレートに善悪と区別することのできない歩みを持つ者たち。登場人物それぞれに悪なる部分は存在していたし、善とまでは言い切れずともごくありふれた当り前の人間としての一面を持ってもいました。圧政を敷く暴力的な保安官ビルでさえ。しかし本作で(李監督のリメイク版については未見なので分かりませんが)際立たせてあるのはマニーと保安官ビルの二人で、彼ら両者ともに「許されざる者」だということなのだと思いました。

「誰かの命を奪ったものは許されるべきではない。」とビルに言い放つマニー。
「地獄で待ってる」と返すビル。
このシーンには、互いが互いを地獄に落とし自らも落ちてゆくことを覚悟している凄まじいまでの狂気を感じました。台詞の後の互いの沈黙が、負の宿命から逃れることを許さないと叫んでいるかのようでした。

一度は改心し銃を捨てたマニーが丸腰の人間を容赦なく射撃する暴挙に出るシーンがあるのですが、「(銃を)持たない奴が悪い、俺の友だちを殺したんだからな。」の言葉には、無法者の彼の中にだけ存在する法と、正義か否かは完全に別問題だという“一度血に染まった者の業、宿命”を感じさせて辛いです。
銃という武器が持つ圧倒的な力も見せつけられ、改めてアメリカという国の銃と共に歩んできた歴史を思い知らされもします。

地獄で待つと言ったビルをよそに、エンディングではマニーは賞金を元手に事業を展開し成功したようだと語られます。
しかし、彼は亡き妻と共に第二の人生を始めた地を離れ、おそらくは二度と戻ることはなかったはず。それはマニーが再び銃を手にしたことで、亡き妻と暮らした頃の彼には二度と戻れなかったこと、その後の彼の人生が空虚なものであったに違いないことを意味しているのではないかと感じました。

夕日に映えるシルエットが美しいオープニングとエンディングですが、エンディングのそれには喪失感に似た寂しさが漂っていました。




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  さてさて、独りサク呑みシリーズから三景。
元町の<酒商熊澤>さんでの美酒。このお店は以前にも拙ブログに登場しましたが、元気印のワインのソムリエさんがお好みのワインや地酒を饗して下さいます。
写真のこの日は黒牛・無濾過生原酒とニンジンの白味噌ソース和え。このあと別の銘柄をもう一杯いただいて滞在時間は約40分。たいへん美味しゅうございました。

人に歴史あり、かぁ。
そういえばクリント・イーストウッド主演の『ダーティ・ハリー』シリーズで、クリント演じるハリー・キャラハンの名台詞「泣けるぜ」の原文は「swell」という単語なのだよと教えてくれた某友人。「swell」を「泣けるぜ」と訳した当時の翻訳者さんに脱帽!の思いだったらしいです。 その友人が今度ひっそりと?立呑み屋さんを始めることになりました。軌道に乗った頃に(店名その他は覆面で)拙ブログにもご登場頂こうかと思ってます。

酒呑みが「少ないお小遣いでも呑める酒場」を作りたかったのだとか・・・・・泣けるぜ。




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2013年10月01日

サイド・エフェクト


 『あまちゃん』も終わって時の移ろいがいつも以上に寂しく感じられる今日この頃です。こういうの、友人Cによれば“あまロス”と言うのだそうな。

西宮TOHOシネマズで上映終了間近の『サイド・エフェクト』(スティーブン・ソダーバーグ監督)観てきました。
主演のジュード・ロウをスクリーンで観るのは久しぶりです。ついでにキャサリン・ゼタ=ジョーンズさんも。

しかし時間に余裕のない時に行き慣れない映画館に行くものではありませんね。
先ずはJRが「踏切の遮断棒が折れていた影響により」とかで延着(JRではこの車内アナウンスが頻繁に発生します)、阪急電車に乗り替えてやっと着いた西北で、劇場の入ってる西宮ガーデンズまで「東改札口から直結」となっていたので安心していたら・・・どんだけ長い直結通路やねん!、はるか向こうに見えるガーデンズまでとにかく走って、入ってから更にエスカレーターで5階まで、更にフロアの端から端まで突っ切り、更に・・・。やっと劇場のシートに座ったのは本編の始まる直前でした。

story
   金融マンであった夫マーティン(チャニング・テイタム)が違法株取引で逮捕されたのを機に、以前に患ったうつ病を再発させてしまったエミリー(ルーニー・マーラ)は、交通事故や自殺未遂を引き起こすように。診察にあたる精神科医バンクス(ジュード・ロウ)は、かつて彼女を診ていたシーバート博士(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)に相談。エミリーが抱える症状の詳細を聞き出し、彼女の了承も得て抗鬱剤の新薬アブリクサを投与する。症状が快方に向かっていたある日、マーティンがナイフで刺されるという事件が起き・・・。

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                      ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


※結末に触れる記述をしております。

  
  スクリーンで久々に見るジュード・ロウは、いい意味で“渋枯れ”していらしてちょっとビックリ。登場シーンもさりげなくて素敵でした。まあ終盤は執念(怨念と言うべきか)にとりつかれて目がイッちゃってましたけど。キャサリンさんはお歳を召された感がお顔に感じられたものの、ある種の凄味も増していたといえるでしょう、ついつい期待値を高めてしまう女優さんです。

本作、「サイドエフェクト」というタイトルとヒロイン・エミリーの可憐さにまんまと騙されました。
「何かがおかしい」と思うものの一向に糸が解れていかないのは、前半は完全にエミリーの描き方が被害者としてプロテクトされていたからだと思います。
演じるルーニー・マーラは線の細い透明感のある美しさで、不安定な心の現れ方や挙動の不可解さが実に痛々しく感じられてしまうのです。その点シーバート博士(演じるはキャサリンさん)は登場の仕方が華々しい分ダーティーなイメージがつきまとい、彼女が絡んだ、そして製薬会社が暗躍する一大サスペンスかと思いきや・・・。

徐々に不穏な空気を感じさせてゆくソダーバーグ監督の演出はうまいなぁーって。か弱くて悲劇の女性であるはずのエミリーが時々なぜか不気味に見え始めてくるところも。
事件の渦中で散々な目にあってゆくバンクス(演じるはジュード)。エミリーの立ち位置はバンクスのそれとは重ならないまでも、あくまでバンクス寄りだと信じていましたが、終盤に近づくあたりから立ち位置が大きく変わる・・・そこのところの逆転劇は面白いですね。

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しかし“背景にあったもの”が明らかになってみると、私的にはサスペンス性を削がれた感がありました。
どんな犯罪も「動機」が全てを物語るものだと思うので、その動機自体が甘く感じられたのは正直なところです。憎しみといえるほどの感情はマーティンとの夫婦間では見えず仕舞いで、エミリーとあの女性との愛もどこまで本気なのか疑問で、お金は「やっぱりソレなのか…」と食傷気味に思うものの、それならそれでもっと貪欲にそこに執着してくれた方がスッキリするように思えました。女性同士の愛欲を描くのも難しいと思いますね(男性同士の関係よりも)。それは私が女性だからでしょうか、どうしても「偽り」の色が見えてしまうからかもしれません。総じて、この動機付けが説得力に欠けていたように感じられてしまいました、それでちょっと失速。

悪いことをすれば報いを受ける。
これを立証するかのようなラストは納得できますが、「一時不再理」の法律が無ければバンクスはエミリーもシーバートと同様に法廷の場に引っ張り出していたのでしょうか。それともエミリーにはやっぱりあの方法で?? バンクスの報復が静かな戦慄を感じさせ、それが一番怖かったことかも。



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  この日は猫事情で早帰りせねばならず、「これで直結してると言えるのか」的な直結通路をまたしても小走りで過ぎ、帰路を急ぎました。

行き慣れない映画館に行くのは要注意として、行き慣れない酒場を久々に訪ねるのはなかなか愉しいものです。

先日は14〜15年ぶりに再会の友人M子さんと、こちらも4〜5年ぶりの再訪となった<ひょうたんや>(新梅田食道街)さんへ。
事情があって一時間しか時間が無く、この立呑み屋さんへ向かいました。ここは立呑み屋さんの概念を覆すような高クオリティーで名を馳せているようで、この日も地酒に合うものをお任せで二品用意してもらいましたが(鮮魚のカルパッチョと鴨のロースト)、どちらもとっても美味しかったです。
地酒は、私は雁木(がんぎ)の無濾過生原酒をチョイス。お酒もたいへん美味しゅうございました。
M子さん(F子さんと書いた方がいいのかな)、またお会いしましょう。かわいい








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