2015年03月23日

浮き雲 (久々の再鑑賞) .....そして、また逢う日まで


 今日で拙ブログも丸9年を迎えました。

2006年3月24日、初めてここに綴った映画はシネリーブル神戸で観た『白バラの祈り』でした。
あれから9年。後半はいろいろあってアップアップしたものの、佳き映画や小説、旨しお酒にたくさん出会えて幸せでした。

明日からは10年目の第一歩というというところなのですが、今日でこのブログを終了したいと思います。いつか区切りをと考えていて、やっと「今」の決心がつきました。

いつか、今度は映画やお酒にこだわらず私なりに日々の想いを綴るブログが出来たらいいなぁと思っています。その時はここで告知させて頂くかもしれませんのでどうぞ宜しくお願い致します。
それから、お知り合いになれたブロガー様方のところへはこれからも変わらずお伺いさせて頂く積もりです。

皆さんあっての9年間の拙ブログでした、本当にありがとうございました。ぴかぴか(新しい)



さて、最後くらい新作の劇場鑑賞をと思っていたのですが(シネリーブル神戸で『おみおくりの作法』がかかってるしー)、それもいつかの楽しみとしてやっぱりアキ映画の久々再鑑賞レヴューで幕を閉じたいと思います。

『浮き雲』(アキ・カウリスマキ監督 1996年制作)です。

<story>
不況のため共に職を失ってしまった、レストランの給仕長イロナ(カティ・オウティネン)と電車の運転手ラウリ(カリ・ヴァーナネン)の夫婦。二人は次の職が見つからず苦しむが、やがてイロナがレストランを営むという目標を見い出し、共に手を取り合って夢の実現に励む。
           ※story、作品画像とも映画情報サイトより転載させて頂きました。

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とにかく、ラストの空を見上げるイロナとラウリ、そして犬のピエタリの画が何とも幸せに満ちていて、この画像で拙ブログを終わるっていうのもいいなぁという思いがありました。

アキファンなら皆さんご存じだと思いますが、本作は当初マッティ・ペロンパーを主人公として構想されていた作品でしたが、突然のマッティの死により急遽カティ・オウティネンを主役に据えて夫と妻を逆転させたシナリオに練り変えられたものです。
「マッティ・ペロンパーに捧ぐ」ものとして、本作には実際のマッティの3歳の時の写真がイロナとラウリの亡くなった幼い息子として登場し、イロナが傍に佇むようにして決して短くはない時間、画面に映し出されています。
それから最後の方のシーンで、開店したレストランにお客としてやって来るゴミ収集作業員、トラックから下りてくる二人のうち一人は『パラダイスの夕暮れ』でマッティが演じたニカンデルそのものです。天国へ旅立ったマッティ・ペロンパーを悼む思いに溢れています。
彼はアキ・カウリスマキ監督や共演者のみんなにとても愛されていたんだなぁって改めて思うのでした。

夫ラウリ役のカリ・ヴァーナネンはアキの初期の作品の幾つかにも登場し、大好きな作品『ラヴィ・ド・ボエーム』では風変わりな自称・天才作曲家を演じていますが、本作では真面目なんだけど大マヌケなことばかりやっちゃう、でもイロナを愛する気持ちは一杯の心優しき男性として“アキ作品には無くてはならない感オーラ”を放ってくれています。

私は勿論マッティ・ペロンパーは大好きですが、それでも、今この作品は、やっぱりカティ・オウティネンとカリ・ヴァーナネンが演じる夫婦の物語以外の何ものでもないと思えるのです。

イロナとラウリ、二人はめげない。前を向く。
二人を取り巻く経済的状況は変わっても、二人の間に流れる愛情は変わらないから。


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犬のピエタリはキューっと抱きしめたくなるくらいに可愛いし、序盤の映画館での一連のシーンが無表情の中の可笑しみとドン底に陥る直前のささやかな幸福感みたいなものがあってとても好きだし、エリナ・サロとイロナの会話は示唆に満ちているし(青い傘の乗ったカクテル!!)、レストランでのピアノ歌手の曲など相変わらず歌詞をじっくり最後まで聴かせてくれる(その歌詞自体が映画になっている)のがアキらしいし、語りたいことはたくさんありますが、やっぱりラストの空を見上げるシーンにこの映画は尽きる気がするのです。

さあ、私も明日、空を見上げてみよう。



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それでは皆さん、また逢う日まで。ぴかぴか(新しい)



posted by ぺろんぱ at 20:42| Comment(27) | TrackBack(0) | 日記

2015年03月16日

汽車旅の酒 (本)


漸く春を感じられるようになってきました。
春が来て夏が来て、やがて秋が来て再びまた寒くなってくる今度の冬のことは・・・取り敢えず今は考えずにおきましょう。
さあ、春です。

 書物はあれから角田光代さんの小説二冊(一冊は『紙の月』、映画は未見です)を読み「やっぱり角田光代さんもイイなぁ」と思いつつ何故か再び龍小説に戻ってかなりキッツイのを一冊煩悶しながら読み終えてその影響でか谷崎潤一郎のマゾヒズム小説の萌芽と称される幾つかの初期作品を読み、もう私はノーマルな世界を描いた小説は読めなくなってしまうのかと不安がよぎった矢先、実にゆるゆると心地よく通勤車中を過ごせるこんな一冊に出会いました。
吉田健一著『汽車旅の酒』(中公文庫)です。


〈こんな本〉
旅行をする時は、気が付いたら汽車に乗っていたという風でありたいものである―。旅をこよなく愛する文士が美酒と美食を求めて、金沢へ、新潟、酒田へ、そして各地へ。ユーモアに満ち、ダンディズムが光る著者の汽車旅エッセイを初集成。巻末に著者による短編小説二編と観世栄夫の逸文を付す。著者・吉田健一氏は吉田茂元首相の長男である。
                   ※上記解説は書評サイトより転載・抜粋させて頂きました。

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 エッセイであるからか吉田氏の文体の特徴なるもの故か“思いの巡り”をそのまんま語りかけられているかのようで面白く、時にふわふわと眠気にかられてうつらうつらしながらも手はページを繰り続けているという、まるで吉田氏と共にゆっくりと盃を交わしているかの如き一冊でした。
ふらっと何処かへ旅に出たくなり、昔旅先で出会った旨しものを懐かしく思い出してみたりもし、そして何より無性にお酒を呑みたくなります。

とにかく氏は本当によくお酒を呑む御仁のようです。こんなに呑んでいらして身体は大丈夫なのかと思っていると、やはり氏も人間、酷い二日酔いで前日の痛飲を後悔される時も度々あるようでした。吉田茂元首相のご子息でさぞや別世界の贅沢旅と美酒佳肴の話ばかりかと思いきや、意外に目線が低かったりどうでもよいような事にとことんこだわっておられたりするのが、つくづくこの人は呑んで食べて放浪するのがとにかく大好きなオジさんだったのだなぁと故人ながら親しみが湧き出てくるのでした。

あくまで氏の“旅と酒”観であり“旅と食”観であり(それらは切ってもきれぬもの)更に言えば“人生”観であり、他にもっと違う形で旅(或いは人生)を愉しむ人があって勿論よいと思うのですが、この一冊はこの一冊として、私は十分楽しく氏の論に浸りました。

同じ呑んべえ視線でもってう〜んと唸らされたのは以下の二つのくだりです。
■酒に酔うということは旅することに似ている。何処かの店に入って「お銚子」とか「ビールください」と言えばそれで旅が始まる。
■安心できる二、三軒の店でハシゴ酒というのは一定の行程を繰り返すところに天体の運行を感じさせて悠久なるものがある。


ハシゴ酒を悠久とは、いやはや恐れ入りました。
そして「酔うことと旅が似ている」というくだりには、酔っ払って帰路の電車を遥か遠くまで乗り越してもう帰れなくなってその地に宿を取らねばならない状況になったならばそれこそホンモノの旅になるーーーというお茶目なオチも氏はつけておられます。

でもそんなふうにホンモノの旅に化けなくても、何処かの酒場を訪れる小さな旅を私もとても愛おしく思います。そして日々、実践しております。


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こちらは昨年末だったかの寿司割烹、染わかさんでの一景です。
美味しいお鮨とお魚をいただきに行くというハレの気持ちも加味されて、この日の「旅」はいつもよりちょっぴり華やぐのでした。
こちらには3度目のお伺い。何種類かの和酒(冷酒)を季節ごとの画が描かれた和紙の上に涼やかに饗して下さいます。女将さんのいつものさり気ないお心遣いは毎度のことながら心に沁みます。ぴかぴか(新しい)


posted by ぺろんぱ at 21:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2015年03月05日

過去のない男 (久々の再鑑賞)



  更新が滞ってしまっていました。
突然の実家事情で慌ただしくしていたり(今はもう大丈夫です)、自分自身のちょっとしたことで少しだけアルコールを控えめにしていた日々(それでも一般女性の平均飲酒量より遥かに多かったと思いますが)でした。

また、先日の友人Mriちゃんからのメールでは (Mriちゃんが)「ノロウイルスにかかって七転八倒の日々だったのよー」とのことで、アルコール大好きの彼女もさすがに完治するまで一滴も呑めなかったそうです。
Mriちゃんのノロ騒動を受けて「やっぱりお酒は呑めるうちに呑んでおくべし」との教訓を得た私です。(もっと違うことを学びなさい、私)

そんな中、独り静かな夜に手に取るのはやはりアキ・カウリスマキの映画。
今回は『過去のない男』(2002年制作)の久々の再鑑賞となりました。


<story>
  ある日列車に揺られ、夜のヘルシンキに流れ着いた一人の男M(マルック・ペルトラ)。公園のベンチで夜明けを待っていた彼は突然暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負う。男は病院で奇跡的に意識を取り戻すが、過去の記憶を全て失っていた。身分証もなく、自分の名前すらも分からない有様。しかし、幸運にもそんな彼にコンテナで暮らす一家が手を差し伸べ、男は彼らと共に穏やかな生活を送り始める。そして救世軍からスープが振る舞われる金曜日、男は救世軍の女性イルマ(カティ・オウティネン)と運命的な出会いを果たすのだった・・・。

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                          ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


カティ・オウティネンは本作でカンヌ主演女優賞を受賞しました。彼女はアキ・カウリスマキ作品のミューズですが、私はずーっと「カティってとことん“哀し顔”やなぁ」って思っていました。でも受賞後いくつかの映画雑誌で晴れやかな笑顔と華やかないでたちでカメラに収まるカティを見て、「ああ、やっぱりこの人は“女優”なのだわ」としみじみと感じたのを覚えています。
カティ・オウティネンの主演女優賞だけでなく、その年のカンヌで本作は(パルム・ドールは逃したものの)グランプリを受賞しました。
あ、そうそう、パルム・ドール賞ならぬ「パルム・ドッグ賞」は本作に登場の犬・ハンニバルがしっかりと受賞しましたよ。このハンニバル(本名はタハティ)、実に可愛いのです。そして賢い、空気読む! ハンニバルはこの物語のいわば“幸せの象徴”でもあります。


今回あらためて「やっぱり本作は完成度が高いなぁ」と思いました。アキ独特の“真っ直ぐに見えてちょっと曲がってる”感は前面に出ていなくて、ある意味“王道を行く展開”という言い方もできるでしょう。それでもアキ・カウリスマキ色はたっぷりあって、哀しいけれどどこか可笑しい、どうしようもなく悲惨なのに何故か明日はきっとよくなる・・・そんな気がしてくるのです。

特に本作は最初の悪漢3人以外、悪いヤツは出てきません。それどころか、皆それぞれ実に“善き人”なのでした(あの強欲そうな警官でさえ)。

後半のイルマとMのラヴストーリーも勿論よいのですが、前半のコンテナ住まいの夫婦とのシークエンスは大好きです。
この夫婦、夫も妻もまさに“人生の達人”なのです。
どん底の生活をしている(としか思えない)のにそれを「私たちは運がいい」と言うコンテナ・妻カイザ。 コンテナ・夫ニーミネンは金曜日、シャワーを浴びて(子どもたちがお湯を汲んで屋根から流す)ビシッとスーツを着込んで(くたびれてはいるけどきっと彼の一張羅)、「金曜日だ、食事に行こう。」とMを誘ったのは何と週に一度の救世軍による配給スープの列。笑いを通り越して哲学さえ感じるのです。

「人生は前に進むしかない。でなければつらい。」とはこのニーミネンの言葉。この言葉が本作の全てを物語っているような気がします。人生は凹むことだらけ。でも前を向いて進め。そこにきっと小さな光が灯る、それこそが人生の価値なのだ、とでも言うように。

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プッと吹き出してしまう台詞が随所に。それ以上に含蓄のある台詞が要所要所で心に響く。
「ビールを呑もう、給料をもらった。」
だからちょっとくらい呑んだって女房は文句を言わないさっていうことなのですが、これだけの台詞なのになんで泣けてくるんだろう。

泣けると言えばこの映画、やっぱりアキ作品ならではで「音楽」がとても効いています。エンディングで流れるクレイジーケンバンドの「ハワイの夜」には公開時の鑑賞ではビックリしましたが、私としては終盤のアンニッキ・タハティによるライヴシーン、「思い出のモンレポー公園」の歌が深く深く心に沁み入るのでした。

もう一つ、泣けるサプライズはとあるBARでの一景。額に入った故マッティ・ペロンパーの写真が少なくはない時間ずっと映し出されていました。アキ・カウリスマキ監督の愛を感じますね。

明日潰れるという銀行の受付の女の子の達観ぶりも凄く好きだし、突然ロックに目覚める救世軍のお抱えバンドマン達もキュートだし、エリナ・サロがいつものようにちょっとした役柄ながら画面をビシッと引き締めてるし、久しぶりに観るとやっぱりかなり好印象な一作なのでした。


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さあ、お酒を呑もう。お給料日はまだだけど。
某居酒屋さんでのカウンターにて。
今日の画はなにがなんでも絶対に熱燗でなければ。
本作でのラスト、過去のない男M が お寿司をつまみに熱燗いってますからね かわいい




posted by ぺろんぱ at 20:41| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記