2019年04月19日

荒野にて      チャーリー・プラマーにひたすら魅せられる


 予告編を見たときからこれは観に行きたいなぁと切実に思っていました。
『荒野にて』(アンドリュー・ヘイ監督)です。シネ・リーブルにて鑑賞。

  天涯孤独な少年と、走れなくなった競走馬。
希望を求め、絶望のふちを行く彼らの旅路は――。 (映画チラシより)

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 少年チャーリーを演じたチャーリー・プラマーの鮮烈な輝きが先ず本作の大きな大きな魅力。ひたすら魅せられました。それから、彼と一頭の馬が旅をするアメリカ北西部の大自然の美しさ。

それらの輝きと美しさに張り付くように在る悲しく辛い出来事の数々には、生きることの過酷さを見せつけられます。
レースに惨敗し苦役の果ての殺処分が待つ競走馬ピートに自分自身を重ねるチャーリー。少年少女と呼ばれる年代の子には無条件に、絶対的に愛されるということがやっぱり必要なのだなぁーって思いました。

「居場所がなくなったら何処にも行けなくなる」
これは中盤に登場する、父親に愛されず精神的に囚われの身になっている少女の言葉です。
ギリギリの状況下でもピートと共に旅をすることができたチャーリーにはまだピートという居場所があったわけで・・・ピートを失うとともに希望を失ったチャーリーの慟哭には私も観ていて呼吸がしにくくなるほど辛かったです。
ピートにとっても、チャーリーからの愛だけでは満たされない動物としての「自由、居場所を求める本能」が恐らくあって、それがあの事故を招いてしまったと私には思えました。辛いです。

終盤の「ピートに会いたい」の一言には落涙を禁じえません。


馬の持ち主であった老匠デルからピートを無断でさらった事も含めチャーリーは逃避行の中で(生きるためとはいえ)幾つかの罪を犯してしまいます。それらの罪と向き合う覚悟も感じさせたチャ−リーの言葉が最後に紡がれたことで、安堵すると同時に長い長い先の彼の幸せを祈らずにはいられなかったです。
やっとチャーリーも愛される場所を見つけたことで、どうか自分を責めるような「あの悪夢」はもう見ないでほしいと強く願いました。

スティーブ・ブーシェミを久々にスクリーンで観れたことは喜びでした。
ブーシェミさん演じるデルが彼のもとを去ったチャーリーをずっと探してくれていたのだとしたらいいなぁと切実に思いました。

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珍しくお洒落なグラスでランチビールをいただきました。
グリーンのボトルが来たる初夏を感じさせてくれますね。

夏は大好きな季節なのだからこのまま止まってちゃいかんのだけどなぁー、私。





 
posted by ぺろんぱ at 20:09| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記