2019年06月28日

GODZILLA キング オブ モンスターズ     しかしあそこまで破壊されて世界の復興はあり得るのか?


アースシネマズで『GODZILLA キング オブ モンスターズ』(マイケル・ドハティ監督)を観ました。

実はモンスター系パニック映画好きとして押さえておきたい一作でした。・・・と言いつつ終映間近での駆け込み鑑賞でしたが。

ゴジラだけでなく色んな怪獣が出てきます。
キングギドラも、ラドンも、モスラも! ケン・ワタナベも出てきます(←モンスターじゃないけど)。

   ゴジラ チラシ - コピー.JPG


 とにかく、大暴れするモンスター達を“スクリーンで”観ることができて幸せでした。
デジタルで造られたものと分かっていてもその迫力には圧倒されました。それにしても今日のVFX技術、CG技術…凄いものなのですね、改めて思い知らされました。

モンスターのキャラ設定は昔ながらの作品の流れが踏襲されていて、ヒールであるキングギドラと正義の味方ゴジラとの“真のキング”を巡る対決には前のめりになって見入ってしまいました。
ゴジラを救おうとする美獣モスラの“ひと刺し”には感涙。

人間ドラマも勿論あります。

怪獣との共存を図る研究者仲間、その中にかつて居た夫婦とその子ども、それぞれの物語が交錯していきます。
正直に言って既視感が拭いきれない感じではありましたけれど、妻であり研究者でもあるエマを演じたヴェラ・ファーミガは好きな女優さんの一人なのでそれはそれで良し、です。
渡辺謙が最後にカッコイイ役なのは、ゴジラ映画ということでの日本人への最大の礼儀なのでしょうかね。実際、ハリウッド映画で字幕付きの日本語が流れるってなんだかジーンときてイイものでした。“Goodbye, old friend.”

環境テロリスト(どこまでも怖い奴ら)が説く「地球を崩壊させるのは人間の悪業であり、怪獣たちの復活で人間を滅ぼし世界の蘇りを果たす」という思想は、極論でありながらもその端緒となるものはある意味で真理を突いていました。

劇中、「傷を癒すのは傷をつけてきた相手との和睦だ」という台詞があり、それが作品の根底に流れ続けていた気がします・・・それは簡単なことではないのでしょうけれどね。


ゴジラ、モスラ、それぞれの登場シーンで流れる曲はゴジラファンなら泣けてくると思います。

エンドロールはこれだけの大作なのでやはり長く長〜く クレジット表記が続きますが、最後にオマケ映像があることに加えて、いろんな“気付き”がありましたよ。

ゴジラ、ギドラ、モスラ、ラドンの役が其々「(演者) himself」「herself」と記されていたり、最後の最後に初代ゴジラのスーツアクターである中島春雄氏の画像が登場したりしてグッときました。


   kotsudumi - コピー.jpg

映画にグッときて、お酒をググっと呑みました。
小鼓の純米吟醸です。

また明日から頑張れるかな・・・・・頑張りたいです。


posted by ぺろんぱ at 20:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月23日

旅のおわり 世界のはじまり    オックのその後が一番気になる 


シネリーブルで『旅のおわり 世界のはじまり』(黒沢清監督)を観ました。

黒沢清監督には怖い映画を撮る人というイメージがありましたが、今回手にした映画チラシには抱いていたイメージと違う作品世界に惹かれるものがあって、観に行きたいなぁと思っていました。

キホン、ロードムービー好きですし。 ウズベキスタン行ったことないですし。

story 
リポーターを務める葉子(前田敦子)はテレビの企画で番組クルーと共にかつてシルクロードの中心として栄えたウズベキスタンを訪れた。彼女の夢は、歌うこと。その情熱を胸に秘めて目の前の仕事をこなしているが、異国のロケで撮影は約束通りに進まずスタッフは苛立ちを募らせる。ある日の撮影が終わり一人街に出た彼女は美しい装飾の施された劇場に迷い込み、夢と現実が交差する不思議な体験をする・・・。(映画チラシより)

       旅のおわり - コピー.JPG

  上手く進まない撮影と本当にやりたいことをやれていないという苛立ち(=現実)から、不思議な体験を経てやがてあのクライマックスへ・・・という作品の流れは好きです。

でも主人公・葉子の「心が迷子になった」という肝心なところの描かれ方が中途半端に感じられて、どうしても深く心を添わせることができなかったです。
現実の仕事に迷いを持っているのは分かったのですが、本当にやりたい「歌うこと」への熱情は葉子の短い台詞で語られただけで…。どうやら両親との絆は薄いようですが東京の恋人とラインでの連絡は欠かさず結婚も決めていると言う葉子に「心の迷子」という背景が見えてこなかったのが残念な気がしました。そこが一番大切なことのように思えたので。

山羊のオックとの出会いと別れ、再会はとても印象深かったです。それがあってこその本作でした。
オックを解き放つくだりは現地事情を知らぬ旅人の“ある種の傲慢さ”にはならないかと危惧しましたが、そうではなかったことで救われました。
葉子に沸き起こった感動があの熱唱へと彼女を導いたクライマックスは素敵でした。
前田敦子さんにはもっともっと熱くしなやかに歌い上げて欲しかった気がしましたが……ごめんなさい、またマイナスなこと書いてしまいました。でも彼女の“ヒロイン然としていない”佇まいは後を引く魅力となったことは確かです。

ウズベキスタンの国立ナポイ劇場は戦後のシベリア抑留日本人が造ったものだということ、それ以降現地の人々には日本人への深い感謝と尊敬の念が息づいているということ、葉子のあの無謀な行動は危険極まりないけれど現地の人々は手を差し伸べようとしてくれていたのだということ、、、それらを知ることができたことも良かったです。

ロードムービーとしては「孤独感」やとにかく目の前に迫る「恐怖感」とかがあいまってまさに「異国」を感じさせてくれる浮遊感がありました。

ウズベキスタン共和国って行くならどれくらい時間がかかるのかな。


s呑み赤 - コピー (2).jpg S白 - コピー.jpg

二度続いた <サ●ゼ独りチョイ呑み>です。
赤も白も冷えててグイグイ呑みました。

ウズベキスタンってアルコール飲めるんですかね?(・・・えっ!行く気か!?)



posted by ぺろんぱ at 20:58| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月14日

幸福なラザロ    でもあの涙は悲しみの涙だったはず… 


 シネリーブルにて『幸福なラザロ』(アリーチェ・ロルヴァケル監督)を観ました。

最近は良作との出会いが続いていて期待値が高まっていた中での鑑賞でしたが、本作も然り。
鑑賞前に抱いていた何となくのイメージが“いい意味で覆される”流れも同じ・・・というか、本作はその最たるものでした。
また一つ佳い作品に出会えました。

Story
時は20世紀後半。イタリアの小さな村で純朴なラザロと村人たちは、小作制度の廃止を隠蔽する侯爵夫人に騙され社会と隔絶した生活を強いられていた。ところが夫人の息子のタンクレディが起こした誘拐騒ぎをきっかけに村人たちは初めて外の世界へ出ていくことになる。だがラザロにある事件が起き・・・。
                                       (映画チラシより)

                      ラザロ - コピー.JPG                 

 ラストシーンでクシシュトフ・キェシロフキ監督の『デカローグ』を思い起こしました。「塵芥の中で悔い改めよ」という言葉が印象深い映画です。
神の存在を意識する本作・・・そういえば「ラザロ」とはキリストの友人の名でしたっけ。

映画の冒頭部に挿入される「ある狼のお話」はこの作品の展開に繋がっていくものでした。
ただ人を信じ人の喜びに触れたかっただけの無垢なラザロに、誰も真には寄り添うことをしなかったのですね。
搾取されることから解放されて村を出た人々にはまた別の過酷な定めが待ち受けていたという、そんな皮肉な現実が苦く描かれる後半ですが、そんな彼らにもラザロは優しい眼差しを向けます。
しかしラザロの想いは届くようで届かず、哀れなまでに愚かで悲しい村人たちの姿は今の世を生きる我々そのものだと言われているような気がして、だから最後に「塵芥の中で悔い改めよ」の神の言葉が聞こえた気がしたのかもしれません。

ラザロが月明りの下で流した一筋の涙はあまりに悲しく、しかし神々しいまでに美しかったです。最も胸を突いたシーンでした。


映画の中盤にこの作品の世界が大きく変わります。ヴェールを脱ぐようにふわりと、そして鮮やかに。
「ああ、こういう映画だったのか!」と思わず膝を打った瞬間でした。

登場するあの狼はキリストの化身?キリストの使者?なのでしょうか。
ラザロを見守りその行く末を見届けようとした狼が、ラザロの魂を神のもとに返してくれるとよいのですが。

ラザロを演じたアドリアーノ・タルディオーロのあどけなさの残る顔立ちと天使的な体躯が全編に柔和な優しさを醸し出していました。

人知を超える世界に一気に昇華したラストにはただただ静かに圧倒されました。



                        ガクアジサイ - コピー.jpg

 紫陽花が美しい季節ですね。
こんな奇麗な花を眺めながらきりりと冷えた白ワインを飲むのもいいですよね。

アルコール画は美しい花に代えて今回はお休みです。
呑むのは変わらず“毎日”呑んでいます、酔うが為に


posted by ぺろんぱ at 20:08| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月07日

希望の灯り     ブルーノが残した願い


こちらも楽しみにしていた作品です。
『希望の灯り』 (トーマス・ステューバー監督)をシネ・リーブルにて鑑賞しました。

1989年ベルリンの壁崩壊、1990年東西再統一。
旧東ドイツ・ライプティヒを舞台に、社会の片隅で生きる人々を描く。巨大スーパーマーケットで働く無口な青年クリスティアンを主人公に互いを支えあう、心に傷を持つ人々のささやかな幸を映し出した物語。
(映画情報サイトよりの転載です)


                        希望の灯り.JPG    

 エンドロール後に残る、この深く静かに心に寄せてくる余韻は何なのでしょう。
激しく打ちのめされる展開もありながら、その“出来事”をも登場人物たちが悲しみながらも静かに心のうちに抱合させてゆくのです。

太陽の光でない人工灯のもとでの労働、太陽が沈み街頭さえも消えた真夜中の帰宅。
彼らにとっての家は安らぎの場ではなく「翌日再び帰り着くためだけの眠り」を取るための場所でした。
それぞれが抱えるそれぞれの事情。

「どんな一日だった?」
「良かったよ。」
叶わぬ夢も悲哀も全て飲み込んでただこれだけの挨拶を交わす職場の仲間たち。ふざけあう会話には興じても相手の傷には決して触れない。哀しみを抱えて生きてきたから分かることがあるのですね、きっと。

軸として描かれていた クリスティアン(フランツ・ロゴフスキ)、マリオン(ザンドラ・ヒュラー)、ブルーノ(ペーター・クルト)。
この三者の、触れ合うようで触れ合わない関係性が切なすぎるくらいに切ないです。

東西統一の陰で自身の中に抱えた深い喪失感をぬぐい切れず、ブルーノはあの「覚悟」を少しずつ固めていったのでしょうか。
何かを諦めた人には時にゾクッとするほどの静寂感を秘めた佇まいを感じることがありますが、まさにブルーノがそういう人でした。
ある覚悟を決めて、彼はクリスティアンとマリオンに手を差し伸べてくれたのですね。
彼が二人へ残した「願い」こそがまさに「希望の灯り」だったのだと思いました。


 暗く灰色がかった青い空気を映す映像美には旧東ドイツに生きる人々のどこにも行けない閉塞感みたいなものが漂っていて、クラシックと様々なジャンルの現代音楽の cool! な曲たちが其々のパートの物語を深く彩ってくれていて、映像的にも音楽的にも独特のセンスが溢れる映画だったと感じました。

出演者に惹かれるところも大きかったです。

実に「忘れがたい一作」になりました。

 

                        いわさき - コピー.jpg

老舗の酒屋さんの女将がやっておられる、地元以外でも名を馳せる某立ち飲み屋さんにて。私も電車に乗ってこのお店に来ます。
<角ハイ濃い目>のあとは女将さん本日のお薦めの<小鼓・純米吟醸>を冷酒で。コップ酒です、並々と注いでくださいます。

本作『希望の灯り』の中でも、労働を終えて仲間たちが「ビールを飲みに行こうぜ」的なこと言ってましたっけ。
朝からお昼すぎ迄、そして夕方から夜まで再び開店のこちらのお店、日々きっといろんなドラマがあるのでしょうね。



posted by ぺろんぱ at 20:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記