28日㈮ から公開の映画『 658q、陽子の旅 』( 熊切和嘉監督 )をシネリーブル神戸で鑑賞してきました。
久々の劇場鑑賞、久々のリブ神、嬉しくて近日公開の映画フライヤーをこれでもかと集めていたら結構な量になってしまいました。(あとでゆっくりお酒を飲みながら読むのが楽しみで…)
想像していた以上に ある種の痛み を伴うものでしたが、観に行って本当によかったと思える一作でした。
<story>
東京で孤独な引きこもり生活を送る青森県弘前市出身の陽子(菊地凛子)は、42歳独身、人生を諦めて過ごしてきた就職氷河期世代のフリーター。ある日、かつて夢への挑戦を反対されて20年以上断絶していた父が突然亡くなったとの知らせを受ける。従兄の茂(竹原ピストル)とその家族に連れられ、渋々車で弘前へ向かうが、その途中、サービスエリアでトラブルを起こした子どもに気を取られた茂一家に置き去りにされてしまう。弘前行きを逡巡する陽子だったが、所持金もないため、やむなくヒッチハイクで北上することに。(※映画情報サイトよりの転載です)
※結末に触れる記述をしています。
東京から青森へのヒッチハイク。
ヒッチハイクなんてやったことない私ですが、それが容易な旅ではないことは想像できます。
コミュニケーション障害と目される陽子にとって(否、たとえそうでなくても)見知らぬ人間の車での道行きは少なからぬ心の苦痛を伴うものであり、実際には身体の痛みさえもたらすことになります。
ヒッチハイクをする人間にも彼らを乗せる側の人間にも(そして乗車を拒む人間にも)其々の事情があり生きてきた背景があり、、、序盤に出会ったもう一人の若きヒッチハイカーの女の子との会話は、後の陽子の変化を思うと大切なことを投げかけていたように思えます。
女性が一人でヒッチハイクをするという行為が「なんとかなるだろう」という陽子の姿と共に描かれ始める序盤には実は何となく釈然としない思いがありました。そんな中、三番目に拾ってくれた車の老夫婦の夫が放った言葉が私の心を激しく打ちました。
「あんたもこれから気をつけなくちゃなぁ。見ず知らずの人の車に乗るなんて、危なくてしょうがねぇだろう?」という言葉。
これなんだ、と思いました。これこそが 誰かが語って然るべき事だったんだ と。
身を案じる思いと同時に、他者と(しかも見ず知らずの他者と)深く関わることになるヒッチハイクという行為の意味を陽子に気付かせてくれたように思えました。そこに陽子は 親の姿 を重ねたのだと思いました。老人のあの言葉は重かったと思います、本当に。
※陽子。 映画のサイトより転載させて頂きました。
では何故そんな旅をせねばならないのか。
老人の言葉を聞いた瞬間、陽子は激しく自己に問うたと思います。奇しくも陽子自身が、序盤に出会ったもう一人のヒッチハイカーの子に同じことを問うていました、どうしてそんな旅をしているの?と。
その時その子は「分からないでしょ、言っても」と答えていました(それは本当にその通りで、個人の身の上は他人には容易には分かりえないことです)が、あの子にもそして陽子にも言葉にして吐き出せる大きな何かが心の中にあったことは想像に難くない、言葉にできなかっただけで。
ヒッチハイクの過程で様々な人と出会い自己の来し方と向き合う中でやっとのことで幾許かの言葉を紡ぎ出せた陽子。彼女のその変化こそが更に新たな出会いを呼び青森の目的地まで辿り着かせてくれたということに、そして辿り着いた地で陽子の感情が堰を切ったように溢れ出るシーンに、私も共に泣きました。
東京から青森への、表情を少しづつ変えてゆく冬の景色もまた良いものでした。基本、ロードムービーはやはり好きでイイものです。
荒れ狂う寒地の大海原を前に座して佇む陽子、彼女が再び立ち上がり歩き出せたことを本当に良かったと思います。
かなり久々に立ち寄った 兵庫県の地酒を提供してくれる有料試飲のお店<試>にて。
「 試みる = どんな結果になるか分からないがとにかくやってみる 」というのは、よくよく考えてみると怖くもある、ヒッチハイクでないにしても陽子のように何らかの痛みを伴うものであれば尚更に。どこまで可能なんだろう、今の年齢の私には。