2023年08月27日
猫と、とうさん CAT DADDIES (シネ・リーブル神戸にて)
もう終映となってしまったみたいですが、先週シネ・リーブル神戸で ドキュメンタリー映画『 猫と、とうさん CAT DADDIES 』( マイ・ホン監督 )を観ました。
「陽子の旅」を観に行って本作のことを知り ずっと気になっていて・・・一時は‘スルーかな’と思ったものの、フライヤーの猫の表情が忘れられず結局観に行って来ました。
この子(ラッキーという名)の表情は、観終わってみればこの子が背負ってきた人生(猫生)による 諦念?悟り?のように思えました。この子の幸を一番強く願う今です。
<story>
猫を愛する男性たちの姿をとらえたドキュメンタリー。
俳優でインフルエンサーのネイサン、ベイエリアでエンジニアとして働くジェフ、ニューヨークの路上で生活するデイビッド、消防士のジョーダン。さまざまな背景を持つ彼らには、家や職場で一緒に暮らす猫を心から愛しているという共通点があった。世界中の人々にとって前例のない試練となったコロナ禍の2020年を愛猫と共ともに乗り越えた9人の男性の姿を追い、人間と猫との特別な絆を描き出す。 (※映画情報サイトよりの転載です)
ドキュメンタリーって 人それぞれの来し方が見えて私には興味深いのですが、猫たちにもそれぞれの来し方があって、冒頭にも書きましたが、世の中の猫たちの表情はきっとそれなりに意味を持つのだろうなぁと感じました。(人間と同じですね)
ベストマッチか否かは分からないけれど、ある人とある猫が出会い、やがてその人生と猫生を共有するようになる…やっぱりそれは‘家族になる’っていうことに他ならないんですよね。出会いそのものはシンプルなことでも、そこから生まれるものはとても尊いことのように思えました。
幾つかの言葉が心に残っています。
「トーラ(猫)がいたからいつも家にいるみたいだった」(トラックでアメリカ中を回る男性)
「ラッキー(猫)がいればそこが自分にとっての家だ」(N.Y.の路上生活の男性)
「ズールー(猫)の人生を大切にしたいんだ」(ベイエリアで働くエンジニアの男性)
猫がつないでくれること、つなげてくれる明日。猫を語る時 みんな家族を見つめる目になっていたのが素敵でした。
ユーモラスで微笑ましいエピソードやシーンもたくさんある中で、仕事の傍ら保護猫活動に身を投じる男性の姿には本当に頭の下がる思い。捨てられたり殺処分される猫を一匹でも減らしたいとボランティア活動を続けている、その活動の大切さを改めて受け止めました。「ありがとうございます」と言いたいです。
猫と出会い、共に暮らし、変ってゆく男たち。
かつて猫と暮らしていた私としては それは女たちも同じだと付け加えたいし、勿論、犬と暮らしている人は 我々も同じだと思われると思います。「他者を思いやり守れること、これがキホン」、語られていたこの言葉通り、猫や犬たちに限らず そうする相手が傍にいることが自分自身を変えていってくれるんですね。生きているものが持つ温もり には凄い力があるんだなーって改めて思いました。 最後にもう一度ラッキーのこと。幸せであれ。
夏が逝ってこんな空が見れなくなるとしたらそれはそれで寂しい気もするけれど、どっこい、今年はまだまだ残暑が続くようですね。
それにしても 危険な雨 とか 危険な暑さ とかそんな言葉ばかりで 正しいニッポンの夏 はもう戻ってこないのでしょうか・・・戻ってこないのでしょうね。
2023年08月13日
ブエノスアイレス からベトナムへ… 青いパパイヤの香り ( BS録画鑑賞 )
今月に入ってからアルゼンチン、ベトナムと旅をして来まして…って、タイトルに「録画鑑賞」って書いてるやん! BS松竹東急で放送されていた両作を録画して鑑賞しました。
『 ブエノスアイレス 』は < 世界の名匠シリーズ ウォン・カーウァイ監督作品特集 >の4作品(恋する惑星・天使の涙・ブエノスアイレス・花様年華)連続放送のうち、本作のみ未見だったので録画。
『 青いパパイヤの香り 』は、トラン・アン・ユン監督のデヴュー作で、『 ノルウェイの森 』を観た時から興味を抱いていて今回録画。
どちらもタイプは違えど‘映像と音’の世界に酔えました。
◆『ブエノスアイレス』(ウォン・カーウァイ監督、1997年制作)
<story>
愛し合いながらも別れを繰り返してきたウィン(レスリー・チャン)とファイは(トニー・レオン)関係を修復するためイグアスの滝へ向かうが途中で道に迷って言い争いそのままケンカ別れしてしまう。その後ブエノスアイレスでドアマンとして働いていたファイのアパートに傷ついたウィンが転がり込んでくる。仕方なくウィンを居候させるファイだったがケガから回復したウィンはファイの留守中に出歩くように。そんな中、転職して中華料理店で働きはじめたファイは同僚の青年チャンと親しくなる。 ※映画情報サイトよりの転載です。
自己破滅型の人間を好きになってしまったら酷い目にあうって事なのかと思いながら観ていましたが、そう単純なことではなくて、後半はウィンの、自分で自分をどうすることもできない苦悶が伝わってきて何だか悲しかった。
振り回されていたように見えたファイが新たな出会いによってポジティブな自分を取り戻し、辿り着いた旅先でのとある邂逅によって希望を感じさせるエンディングはカーウァイ監督らしいスタイリッシュなカッコ良さでした。
でも私的にはそれもそう単純なことではないように思えて…。例えチャンとの新たな展開があるにせよ、あぁファイはこれから先もやっぱりウィンのことを想い続けるんだろうなぁ…とちょっと切なくもありました。世の中はやっぱり複雑だから。
俯瞰でとらえたイグアスの滝の映像に圧倒された事と、エンディングに突然「ハッピー・トゥゲザ―」が流れたことがゴキゲンで(レニングラード・カウボーイズがらみで好きな曲なので)印象に残る一作となりました。
レスリー・チャンは壮絶な自死から丁度今年で20年なのですね。少し前には『 さらばわが愛/覇王別姫 』がリバイバル上映されていました。改めてご冥福を祈ります。
◆『 青いパパイヤの香り 』(トラン・アン・ユン監督、1993年制作)
<story>
サイゴンのある資産家の家に、10歳の少女ムイが奉公人として雇われて来た。その家には優しい女主人と根無し草の旦那、三人の息子たち、そして孫娘を失って以来二階にこもりっきりのお婆さんがいた。ムイは先輩女中に教えられ、一家の雑事を懸命にこなしていく。そして彼女は、ある日長男が連れてきた友人クェンに恋心を抱く……。 ※映画情報サイトよりの転載です。
映画って 映像の作品 なのだと改めて感じました。
カメラが捉えた命あるもの全ての息遣いが伝わってくるようで、少女ムイが汗して働き、黒髪が濡れて肌にはりついているいる、その姿にさえもムイの 生 が感じられて美しかったです。肌を重ねるシーンなんで一つとして無かったのにどこかしら官能的で不思議な世界でした。
そして音。暮らしが営まれているあらゆる音、日が暮れて響く虫の鳴き声。台詞は殆どなくて、たまに語られるベトナム語が柔らかなBGMのようでした。
ムイの奉公先は裕福だけれど不穏な空気も孕んでいて、心に屈折したものを抱えていたような次男はやがて家を出ていったらしく、ムイを好いていたのに典型的な‘好きな子を虐める’タイプでしかなかった幼い三男坊も、その後はどうなったのか全く描かれていません。名の知れた商家だったと想像しますが、没落していく様も影を落としていました。
そんな中で、献身的に働き小さな喜びを完全な幸せとして心と身体に刻んできたようなムイの半生が 世俗とは一線を画した神秘的なもののように描かれていたのが観終わってみれば印象深かったことです。
幼い頃のムイも成長したムイもどちらも、演じた女優さんは不思議な魅力を放つ女優さんでした。あとで知ったことですが、成長したムイを演じた女優さんは監督の御夫人だとか。
先週末に実家に帰って空を見上げた際、 あぁ夏の空だぁっ! って思って思わずスマホで撮った一枚です。
真ん中の大きな雲、見ようによっては 笑ってる‘ガラモン’の横顔 に見えなくもない。笑ってるガラモンなんて見たことないけど…可哀想な最後だったのが記憶にあるだけで。