2023年09月24日
追憶の森( BS. 録画鑑賞 )、そして お知らせ
まず初めに。
ブログのサーバー会社よりの連絡で、この9月末を以ってサービスの提供が停止されることとなりました。今後もこのブログはWeb.に残りますが10月以降の更新はできません、残念です。
新しい引っ越し先を準備しかけていましたが細部の設定ががうまく進まず(アナログ人間のダメな私)ブログという形式以外での発信も考えたりの日々でしたが、いろいろ考え、結果としてこれを機に拙ブログを終了させて頂くことにいたしました。
2006年3月に始め、途中4年間(2015年3月〜2019年3月)の中断をはさみ、本日2023年9月、長い間本当にありがとうございました。このブログの存在にどれほど救われたことか…そして読んでくださっていた方々には感謝の思いでいっぱいです!
記事の終りに再度ご挨拶させて頂きますね。
今日は 先日BSで放送のあったこの映画↓のお話です↓。
BS.松竹東急で映画『 追憶の森 』(ガス・ヴァン・サント監督 2015年制作 2016年日本公開)を観ました。
ガス・ヴァン・サント監督は好きな監督氏の一人で拙ブログにも何作か挙げていますが、本作は観ていませんでした。監督がクリス・スパークリングによる脚本に注目し、自殺の名所として知られる日本の青木ヶ原樹海を舞台に、マシュー・マコノヒーと渡辺謙の共演で描いた作品です。妻役でナオミ・ワッツも出演、好きな女優さんです。
<story>
人生に深く絶望したアメリカ人男性アーサー(マシュー・マコノヒー)は死に場所を求めて富士山麓の青木ヶ原樹海を訪れるが、森の奥深くでけがを負った日本人男性タクミ(渡辺謙)と出会う。アーサーと同じく死のうとして樹海に来たものの考え直し、妻子のところへ戻るため助けを求めてきたタクミと互いのことを語るうちに、二人はこれまでの人生を見つめ直し生きるため樹海からの脱出を模索するようになり……。 ※映画情報サイトよりの転載です。
最初からこのタクミの存在には何かしら この世とは異なるもの を感じてもいたので、結果としての‘彼’には驚きというよりも「そうだったのね」という静かな納得の思いでした。どこから来た彼なのかそれは全く分からなかったけれど、後になってアーサーの妻の重篤な病を知った時に、タクミが中盤で彼の妻と娘の名前を語ったこととが何となく繋がったのでした。
しかしこの映画はその謎解きなどでは勿論なくて、ただひたすらに、愛する人、愛した人への悔いと償いの物語でした。愛する人に もっとこうしていればよかった という悔いは誰にでもきっとあって…取り返せない状況になってしまったならその悔いは尚更に募るわけで…アーサーが心の奥から絞り出すように言った「絶望してここに来たんじゃない、悲しくてここに来たわけでもない、罪の意識で来たんだ。」の言葉は心に刺さりました。
全編そういう 誰かを想う気持ち で満ちていたからか、畏怖の念を感じさせる異界の樹海で、ホラー並みの怖いシーンもあった作品なのに、何故か優しく少しずつ癒されてゆくかのようなトーンが感じられていたのは不思議なことでした。樹海の映像は、冷やりとした空気を伴って身体にしみ込んでくるような感覚がありました。
タクミを救い生かそうとすることで結果的に生かされたアーサー。彼が再び向かった樹海で、コートの下に見たものには思わず涙しました。
シンプルなメッセージが残った良作でした。
本当にもうすっかり秋の空。
もしかしたらどこかでまた何か発信できる小さな場を設けられたらいいなぁと考えています。ぺろんぱ の名前で。
それが叶ったらまたどうぞ宜しくお願い致します。
訪問して下さった方々に再度お礼を言わせて下さい、こんな拙いブログにお付き合い下さり本当にありがとうございました!こちらから訪問させて頂いていた方々の所へはこれからも変らずにお邪魔させて下さいね、宜しくお願い致します。
皆さんにとってこれからが益々佳き日々でありますように!(*^-^*)
2023年09月10日
愛は静けさの中に ( BS.P 録画鑑賞 )
BS.プレミアムで録画していた映画『 愛は静けさの中に 』(ランダ・ヘインズ監督 1986年制作)を観ました。
聾唖学校に赴任した教師とそこで働く聾唖の女性との愛を描いた作品で、原作は『小さき神の子ら』という舞台戯曲とか。ヒロインを演じたマーリー・マトリンは実際の聾啞者で本作でアカデミー主演女優賞を受賞したそうです。
ウィリアム・ハートは何作品か観ましたが、実は一番最初に彼をスクリーンで観たSF映画『 アルタード・ステーツ 』が印象深い俳優さんです。本作はその7〜8年後くらいの作品でしょうか、昨春お亡くなりになられましたが「アルタード…」も本作も、ハートさん、若いです。
<story>
片田舎の聾唖学校に赴任したジェームズ・リーズ(ウィリアム・ハート)はそこで働くサラ・ノーマンという若く美しい女性(マーリー・マトリン)と出会う。頑なに心を閉ざすサラを救おうとするうちに彼女を愛し始めたリーズはサラに愛の告白をする。ふたりは順調な同棲生活を始めるのだが…。(※映画情報サイトよりの転載です。)
出会いは運命的瞬間でした。
サラはとにかく尖っていて振舞いも粗野なのですが、それを帳消しにしてしまうくらいの美しさで、恋に落ちてしまうリーズの気持ちがよく分かります。柔らかい月の光が差し込む夜更けのプールで、何かから解き放たれたように伸びやかに泳ぐ全裸のサラが本当に美しい。
互いへの気持ちが高まって二人は暮らし始めますが‘現実’が少しずつ影を落としてきます。‘できる’と‘できない’との境がはっきりと二人の間に隔たりを作ってゆくのが観ていて苦しい。その最たるシーンと感じたのは リーズが多忙な日々のなかで大好きなバッハを20分だけ聴きたいとレコードに針を落としソファに身を横たえたところ。まもなく彼は針を戻し苦し気にこう言います。「君が聴けないものは楽しめない」と。
リーズがサラに求めた自立する生き方も、その時のサラにとっては心の底では望んでいながらもきっと怖かったのだろうと思うのです、闘いの俎上に自分の身を置くことが。時間がまだ少し足りなかったの気がして、その行き違いは切なかったですね。
幾許かの時を経て二人は再会します。かつては二人の間に激しく交わされていた熱情が、静かで穏やかな、それこそ月の光のように柔らかいものになっていて、二人の間に育ちゆく確かなものを感じました。
サラが一歩前に踏み出す形で、そしてリーズがそれをそっと見守る形で 二人が再び結ばれるであろう未来に、愛はやはり 強さ なのだと改めて思ったのでした。
雲の輪郭が薄くなってきました。
先日の夕刻、帰り道。若い男の子が一人で路上ライヴをやっていて、コブクロの「桜」を歌っていました。
切なくて、でもいい歌ですよね。男女の恋心を歌った曲なのかもしれませんが、小さなエピソードが幾つか重なって 私はこの歌を聴くといつも母のことを想います。
そういえばCDを持っていたんだ、と自宅で夜、ラックから引っ張り出して聴きました。「 人はみな心の岸辺に 手放したくない花がある それはたくましい花じゃなく 儚く揺れる一輪花 」っていうところが特に好きです。
路上ライヴの弾き語り男子、聴かせてくれる歌声でした、ありがとう。