奇しくも製作は先日の「パイレーツ」と同じジェリー・ブラッカイマーです。人生ってつながってますね。

story
ヴェロニカ・ゲリン(ケイト・ブランシェット)はアイルランド最大の部数を誇る新聞サンデー・インディペンデントの記者。
そして夫と息子を愛する一人の女性であった。信念を貫く強い意志を持つ彼女だったが、真のジャーナリストとしての使命感に駆り立てたものは、地域の子どもたちが麻薬の犠牲者となって命を落としている許しがたい真実だった。タブーを恐れない彼女の記事は大きな反響を呼ぶ一方、やがて犯罪者達にとって危険な存在になっていく・・・・。
まず、これは実話です。よって、抗えない重みがあります。
ヴェロニカ・ゲリンの実写真がエンドロールで写されますが、(演じている)ケイト・ブランシェットを少しだけふくよかにした感じで、控えめな笑顔が、彼女がきっと女性(妻)としても母としても素敵な人だったのだろうと想像させてくれます。
そんなさりげない笑顔の女性が、ある日の公道で白昼堂々と、何発もの弾丸を打ち込まれ絶命します・・・・これは衝撃的です。「本当に起こったことなのだ」と思う底知れぬ恐怖が足を震わせます。
彼女の絶命のシーンから始まり、フィルムは過去に遡って事件にかかわっていく彼女の勇姿を追います。
すごく真っ直ぐで、ある意味無防備で、重なる脅迫にも屈しない彼女は確かに雄雄しかったけれど、その蔭で彼女を案じる夫グレアム(バリー・バーンズ)・母親バーニー(ブレンダ・フリッカー)、そして案じるほど事態を理解できないままに彼女を恋い慕う幼い息子の存在に、私は何か胸を締め付けられる思いがしました。
途中何度も「もういい、そこまでしなくていいからもう夫と息子のもとに帰ってあげて」と祈る気持ちでした。
「家庭」と「正義」を、決して天秤にかけたわけじゃないと思いますが、彼女は正義を捨てられなかったわけです。
その判断によって彼女は殺され、家庭は形を失ってしまった・・・何かを犠牲にしないと得られないものなのでしょうか、世の幸せは。
だから失った側の人は「その死を無駄にしたくない」と思うのでしょうね。
無駄になったら自分たちの犠牲はどうなるのか・・・どうしてくれるというのか・・・。狭窄にすぎますか?でもそういうことですよね?
だからこそ、「よかった」と思えたのは世論が彼女の死を掬いあげてくれたこと。
彼女の死が世論を動かし、麻薬組織を追放し法改正までにこぎつけた、その事実がとても深く重いのです。
彼女の死が無駄にならなくて良かったと思いました。
イラクへのボランティアに赴いて捕らえられ、自己責任とバッシングを集めた女性がいたことがふと頭をよぎりました。確かに無防備であったかもしれませんが、彼女とヴェロニカがしたことは同じだったのではないかと思いました。それを掬いあげる世論が日本には起きなかった事(私自身も行動を起こさなかったことも含めて)が、今思えば恥ずかしくもあります。
ヴェロニカの行動、私ならどうしただろうか・・・・自分の身近に“悪”が渦巻いていると知ってしまったら・・・・。
でも多分、いえ、きっと私は恐くて手が出せないと思います。彼女が敵にした世界は余りにドス黒く非道で、そこに君臨する麻薬王ジョン・ギリガン(ジェラード・マクソーリー)は底知れぬ恐怖をたたえた人物でした。私ならきっと一度目の脅しで屈服してしまったと思います。
ただ、残された家族の悲しみは計り知れません。
ヴェロニカの母親が言った「(時には)戦わない方が賢いのよ。立ち去る方が勇敢なのよ。」の言葉が忘れられません。
世論を大きく動かした彼女の行動が、結果として彼女の家族を苦しめた・・・その事実も重く、また、悲しいです。
そうやって誰かを犠牲にして成り立っている世の中に我々は生きている・・・・この現実を真摯に受け止めていくべきだと感じました。


私の職場のデスクです。
シャンパンのキャップのワイヤーで作った椅子です。(このキャップは実はシャンパンじゃなくてスパークリングワインのキャップなのですが。)
シャンパンはハレの飲み物・・・だからこんなふうにしてキャップを残しておけば、ちょっとした記念になりますよね。
仕事の合間にこの椅子にふと目をやると、少し心が癒される気がします。
いい日、いい映画、で、いい乾杯をしたいものです。
