2008年02月06日

どれくらい振りの?・・・追憶(DVD鑑賞)

 
 この映画を観るのはどれくらい振りでしょうか。
ずっとずっとず〜っと以前にテレビの「洋画劇場」で初めて観て、それから一度、ビデオを借りて観たことがあったように思います。
でもそれもいつのことだったか覚えていません。

 私の<お題作>(観ようと課題に指定した作品)となっている幾つかの映画をレンタルしようと先日TSUTAYAに寄ったら、探しているうちに突然この作品のタイトルが目に入ってきたのです。
先週の『ぜんぶ、フィデルのせい』の影響で政治活動に生きる女性の姿を見たかったからというわけではなく、タイトルを見た途端、あの名曲「The Way We Were」とともに切ないラストシーンが蘇ってきて、強烈に観たくなってしまったのです。
<お題作>はまた今度ゆっくり探すとして、先日はこの映画をレンタルしてきまして、昨夜、一気に鑑賞。『追憶』(シドニー・ポラック監督)です。

この選択と、映画『ぜんぶ、フィデルのせい』の因果関係はないですが、でも多分、アンナちゃんが成長してキョーサン主義に生きる女性になっていたとしたら、こんなほろ苦い人生物語を紡いでいたかもしれません。
                 追憶 DVD.jpg

story
移り変わる激動の20年間にわたる男と女の愛を描いたラブ・ストーリー。製作はレイ・スターク、監督は「大いなる勇者」のシドニー・ポラック、原作・脚本はアーサー・ローレンツ。
 1937年の春、ケイティー(バーブラ・ストライサンド)とハベル(ロバート・レッドフォード)の2人は、大学の創作クラスで机をならべて勉強していたが、政治活動に熱中するケイティーとそれに興味を示さないハベルの生き方はまったく違っていた。やがて学生たちは卒業し各方面に散っていったが、第2次世界大戦中のニューヨークでケイティーとハベルは偶然再会した。
ハベルは海軍大尉だった。2人は急速に親しくなり、アパートの1室で愛の生活を始めるようになったが・・・(goo映画情報より)

 
 オープニングから二人がやがてはあのラストに流れていくことはちゃんと分っていたのに、それでもやっぱり泣いてしまいました。
いえ、以前に観た時は、ぐっと来たけれど涙が滲むことはなかったと思いますから、そういう意味では年を重ねてきた年月がより一層この作品を味わい深いものにしてくれたのかも知れません。

 愛し合った男女が、一度の別れを乗り越えながらも、やがて「決定的」な生き方の違いで本当の別れを迎えるのは、ほろ苦さを通り越して痛いくらいと言えるでしょう。
幾つもの生き方の選択肢を持てる、人生の可能性を無尽に秘めた若者なら実感できないような、こういう生き方しかできないと自分を思い知ることが、少し年を重ねた人間になら痛いくらいに分るのかもしれません。
                追憶2.jpg

育ってきた環境、生活レベル、両親からの教育、・・・そういうものが相まって形成される「思想の違い」ほど、およそ相容れないものはないのかも知れません。
交友関係や趣味、愛情表現の仕方、それこそ相手の容姿の好みの度合いなどとは比べるステージの違うもの・・・自分が自分たる存在理由、自分を形成する細胞の一つ一つ、思想の相違とはそれらを全否定されることになるのでしょう。

ハベルとケイティはそれに蓋をしようとしてきたけれど、内燃するものは消せなかったのですね。
思想の違いだけでなく、もしかしたらケイティは愛することと相手を支配することを混同してしまったのかもしれないなと、今回観た時には感じました。
それはハベルをして言わしめる「ひたむき過ぎる」ケイティの性格によるものなのかも知れませんが。
一方のハベルは自身で語るところの「全てに安易な」人間ですが、それは考え様によっては、人間には表と裏の部分があってそれらのバランスを上手くとりながら生きていくことが必要なのだと、若い頃から悟っていた冷静な人間だったと評することができるのではないでしょうか。

一般的に言われているのは、ケイティは飽くなき真実の追及者としての強き人、そしてハベルは正しいと思う事にも捨て身でのめり込むことが出来ずその場の状況で身を翻す弱き人ということみたいです。事実、レッドフォードは当初、頑なにこの役を拒んだそうです。ハンサムでスポーツマンで内実を伴っていない役柄と捉えていたからのようです。
 
でも本当にそうなのでしょうか。
あの頃のケイティは愛している人に(愛しているという理由で)自分の正義を押し付ける“純粋な”若き女性であっただけなのです。彼女が本当に強くなるのは、そういう呪縛することを解いた、ハベルとの別れのあとだったと、私はそう思うのです。
                 追憶.gif
 
・・・どこでどう舵を切り損ねたのかと遡って考えてみても、彼ら二人には「どちらの方がどう悪い」というところがないのです。
初めから違う方向を向いていた道をバーチャルで繋ぎ合せてその上を駆けて行っていた感じです。駈け足だったからバーチャル道であることに気付かなかった・・・いえ、気付いていたけど進んでいればそこに道が出来ると信じていたのかも

だから二人にとってのあの頃が、「楽しかったわ」と述懐できる日々であったことが私にとっては救いでした。


 一度乗り越えた別れの時は互いに罵倒し合った二人でしたが、二度目の本当の別れは、激しい言葉もない静かな別れだったことが悲しいですね。
再会の街で互いの「今」を思いやる言葉を交わす二人。
原爆禁止のビラを撒くケイティの姿にあの名曲が重なるラストシーンはひどく切なく、そして一枚の絵として切り取っておきたいほどの深く美しいシーンです。         

                追憶1.gif

 「♪The Way We Were 」をじっくり聴いた後は熱いコーヒーが飲みたくなるところですが(これが分かる人は同年代以上の人でしょうね(^_^;))、今日は先ずはビールから。サッポロ恵比寿ビールの<琥珀のエビス>です。
                琥珀の恵比寿.jpg

琥珀色の酔いがジンワリ廻る、そんな夜です。
この映画をまた再び観ることができて嬉しかった・・・です。





posted by ぺろんぱ at 20:07| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
ラストは、通りで再会(?)する2人のシーンでしたかね?

何だか、その辺りだけ、覚えている気がします(・ω・)
Posted by TiM3 at 2008年02月06日 23:48
TiM3さん、こんばんは。コメントありがとうございます。

ラストはご記憶の通り、二人が街角で再会すうシーンです。
あのシーンだけが残っていたとしてもOKなくらい、あのラストシーンに全てが集約される感じがします。

またその内、機会がございましたら再鑑賞を・・・。
Posted by ぺろんぱ at 2008年02月07日 21:14
懐かしい映画ですね、この「追憶」って日本題名も本当にすばらしいと思います。今だったら「ウエィ・ウィ・ワー」とか名付けてしまうんでしょうか。
私も次にレンタル屋さんに行ったら借りてみたくなりました。
Posted by west32 at 2008年02月09日 21:35
west32さん、こんにちは。

そうですね、題名で深く印象付けられたという感じですよね。

時々こうやってまた観てみたくなる昔の映画ってありますよね。観る年齢によっても印象は変わってくるようです。
機会がございましたらレンタルしてみて下さいね。
Posted by ぺろんぱ at 2008年02月10日 17:00
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