昨日16日(土)、封切初日の『潜水服は蝶の夢を見る』(ジュリアン・シュナーベル監督)を梅田ガーデンシネマにて。
混雑が予想されたので約1時間前に劇場に行きましたが、整理番号は既に60番を超えていました。
恐るべし・・・トゥルー・ストーリー。
story
ファッション誌「エル」の編集長として活躍する人生から一転、脳梗塞(こうそく)で左目のまぶた以外の自由が効かなくなってしまった男の実話を映画化。原作は主人公のジャン=ドミニック・ボビー自身が20万回のまばたきでつづった自伝小説。
昏睡(こんすい)状態から目覚めたものの、左目のまぶた以外を動かすことができないエル誌編集長ジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)。意識ははっきりしているにもかかわらず言葉を発することができない彼に、言語療法士のアンリエット(マリ=ジョゼ・クローズ)はまばたきでコミュニケーションを取る方法を教える。(シネマトゥデイより) (※掲載写真はいずれも映画情報サイトより転載させて頂きました。)

ほどばしる「生」の輝きを、この世に存在する「あらゆる動き」を美しく捉えた映像で私達に見せてくれます。
それは本当に、自由に羽ばたく蝶を連想させるものでありました。
風になびく髪や翻るスカートの裾、人々の顔の、表情が変わるたびに刻まれる顔の皺さえ、生命美を溢れんばかりに漂わせています。
その映像に魅せられます。
ベッドで、或いは車椅子の上で、左目での瞬きしかできないジャン・ドーとの「圧倒的な対比」でそれは描かれます。生きている・・・生きて手足を動かせるって、それだけでなんて素晴らしいことなんだろう・・・そう思わされます。

身動きがとれず意思も伝えられず、自殺することすら選択できない、そんなジャン・ドーの目を通して描かれる「生に満ちた世界」に、初めは凄く息苦しさを感じた私ですが、しかし、彼はやがて生の輝きを自分の中に取り戻していく・・・そこがこのストーリーの輝くところ。
ジャン・ドーが言うところの「左目以外にも麻痺せずに残ったもの、想像力と記憶力」を使って、彼も心の中で蝶を追うようになるのです。
動けない、喋れない、そんな彼が旅する世界は、過去に過ごした大切な人との思い出を慈しむようになぞる世界であり、狂おしいまでに生の躍動感を希求する世界であったり・・・。
覚えたての言語コミュニケーション方法で真っ先に「死にたい」と伝えた彼が、いつか「自分を憐れむのはもう止めにする」と語り、やがて「僕の人生はここにある」と表現するに至るまで、彼の「人間としての」旅は続くのです。

ありきたりな表現になってしまいますが、人はやはり、失って初めて見えてくるものがあるのかもしれません。
突然に自分の人生を閉じ込められてしまった人間が自己憐憫の果てに「自分自身にとっての生きる事」を見つけていく・・・これが実際に存在した人の物語なのだと思うと、万物の持つ「脆さ」と「強さ」を同時に感じ、恐れおののく自分を見ます。
一瞬たりとも無駄には出来ないとでも言うような生きている輝きを、ジャン・ドーの左目を通して私達も見ているから、私達も勿体無くて一瞬たりともスクリーンから目を離すことができません。

エンディングの雪崩が逆再生されるあの映像は、あれは何を表現しているのでしょう・・・。
人間としての再生? 普遍である希望?斬新な映像に息をのむ感じです。
実話であるという衝撃もさることながら、映像というものが持つ不思議な力を感じた作品でした。
映画のあと、温かいものが飲みたくて大阪マルビル1階のスターバックスへ。
ホットラテを手に、やっと空いた一席に座してゆっくりチラシを眺めてみました。
この作品、主人公役をジョニー・デップも切望していたとか・・・難役であるが故に役者としては魅力的だったのでしょう。
スタバは休日の午後とあっていつも以上に混んでいました。
一人で黙考している人、勉強している人、仲間と談笑しあっている人、見つめ合っているカップル・・・そして私も含めて、人生って明日、いえ今日にも何があるか分からないんだなぁと・・・。
それを自分はどう受け止められるのかなぁと・・・。

ジャン・ドーが、順風満帆だと信じて疑わなかった自分の人生を、病に倒れたあとで「自分の人生は、考えてみれば小さな失敗の繰り返しだった」と述懐していたことがふと蘇りました。
自分にとっていろいろな意味で今一番観るにふさわしい映画だと思っているので、ぺろんぱさんがとりあげてくださって嬉しいです。ありがとうございます!!
私もこれは観たかった作品です。・・・で、良くも悪くも両方で想像を超えるものがありましたが、総じて「観てよかったなぁ」と心に残っております。
話題作だけにマイナス評価もあるようですが、自分にとってどうだったか・・・が大切なのですね。主人公は自分とは違うけれど、そういうある程度の距離感をもって観たことがよかったのかもしれません。
あーとみるのkeyakiyaです。
とても丁寧に文章を書いておられるので、読んでいて安心いたします。この「ウェブ上での信頼できる文章」というのは非常に大切なことです。続けて読ませていただきます。
ネコと共に生きる人は善き人です。
映画に行こうかな・・と思いつつ、月ヶ瀬村に梅を見に行ってしまい、週末が終わって行きました・・(⌒〜⌒ι)
本作、何となく連想するのがスペイン映画『海を飛ぶ夢』なんですが、あちらとの比較をしてみたいものですね。
そう言うと、衛星第2で『細雪』が明晩、放送されるそうですね☆ ちょっと喜んでおります。
(たぶん残業だろうから、録画忘れんように、と)
「丁寧」と仰って下さって恐縮至極です。
私のは・・・自分で自分の書いた文章に更なる言い訳の塗りたくりで・・・小心者の証拠です。でもそんな風に言って頂けてとても嬉しいです。ありがとうございます。
時々でも、またどうぞいらして下さい。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
ネコ談もまたいつか展開できればと思っています。
梅見・・・いいですね、「今」しか出来ない週末の過ごされ方で良かったのではないでしょうか。
『海を飛ぶ夢』・・・そうですね、主人公の置かれた状況は似ていますね。あの主人公は結局長い闘病の果てに尊厳死を選びましたね。今作との決定的な違いはあれど、年月が経てば同じところに行きついたのだろうかと、今、『海を・・・・』を記憶の淵から想い起こそうとしています。
もし機会がございましたら比較を試みて下さいませ。私も今一度考えてみたいです。
『細雪』・・・私も鑑賞から随分の時が経っていますので観返してみるつもりで今BSにチャンネルを合わせております。
いやー、スバラシイ映画でしたね。
蝶は何を指すかとか、どういった演出がなされるかとか、つい私はいろんなことを先に予想してしまっていたのですが、シュナーベル監督の表現力はそれに優る想像以上のものでありました。
自分のこんな貧相な想像力ではジャン・ドーにようにははばたけないので、まだまだ経験を積み、健康を大切にしなくちゃって感じです。(笑)
TBもありがとうございます。
佳き映画というのは人の心を豊かにするのですね、エンディングの後に誰かがスクリーンに向かって拍手をしておられたのが印象的でした。
私は恥ずかしながらこの監督の名を知りませんでしたが、この一作で完璧にインプットされました。
貴ブログを拝見する限り、かえるさんの想像力は「福々相」です!!
私こそ間違いなく羽ばたけそうにありません。健康第一でいかなきゃ・・・と思いつつ今夜も傍らにはお酒のグラスがあります。(^_^;)
ジャン=ドーが後悔する事の一つに、セリーヌに冷たくしすぎたという事が
ありましたが、結果、その気持によって圧倒的に彼女との関係が変わった
という訳でもない気がしてちょっと寂しい気持になりました。
また、今なら何でも挑戦できそうな気になったりもして、観た後に
いろんな気持が複雑に絡み合う映画でした。
それにしてもあのコミュニケーション方法は想像以上に根気がいりそうですね。
私的にはもうちょっといいと思う方法を考えついたんですが、
長くなるのでその話はいずれまた。(笑)
この映画を見ようとPcikupした
けどまだ、見ていません。
ストーリーから思った事は
『毎日を悔いがない様に』って感じは
いつもわたくし自身思っていますね。
コメントとTBをありがとうございます。
セリーヌとの関係・・・確かに仰る通りですね。彼女は献身的であったのに、それでも会いに来なかった恋人を恋うのかという、やるかたない思いは残りましたね。
左目で見る世界を一体化しつつもある程度の距離を置いた感情があったのも否めません。
>もうちょっといいと思う方法を
どういう方法なのでしょう。
興味津々です。貴ブログに種明かしされているのでしょうか?またお伺い致しますね。(*^_^*)
「毎日悔いのないよう」、そして、「周囲の人達を大切に」って思う映画であることは確かです。
いつも思っていらっしゃることなのですね・・・中々難しいながら私も改めて心に唱え続けたいです。
みてきました。もっと悲壮感があるのかな、と思ってました。自分のことを彼らしく客観的に笑ってしまう悲哀が良かったです。
それでも、ジワジワと孤独感が大きくなっていきましたね。
お父さんとの電話のときは辛かったです…
>エンディングの雪崩が逆再生されるあの映像
俺もすごく考えました。
本が完成したことで彼の中で精神的な「何か」が戻っていく様子なのかなと思いました。
私もあの父親との会話にはぐぐっときま
した。どんなに心の内なる叫びを伝えたかった事か。
>彼の中で精神的な「何か」が
なるほど、ですね。
あの本の完成は彼にとって大きな(我々の想像を絶するほど大きな)意義を持つものだったのですものね。
ご意見ありがとうございます。
とてもつらい映画であると同時に、何か人間の持つ力に勇気をもらったような映画でしたね。原作も読んでみたくなりました。
仰る通りですね、私も、人間の「脆さ」と「強さ」を同時に感じました。自分なら・・・と考えても答は出ません。
・・・どうぞまた、よろしければ拙ブログにもお越し下さいませ。
蝶の旅は、自分から逃れる序盤と、
徐々に変わって行った気がしました。
イマジネーションと、ヒトだけが持つ「言語」
「人間らしく生きること」は、実に苦しい。
あの、再生されていく氷壁。
失くしたと思っていた「人間らしさ」が、実は失くしていなかった。
取り戻したということの象徴のように思いました。
Kiraさん、こんばんは。
四肢としては囚われのような身でも、イマジネーションの羽ばたきに自分の生きる意味を見つけたジャン・ドー。
仰るようにそれは実に苦しく、「自分ならば」の自問自答の繰り返しの映像のなかで、やがての彼の姿に人間の未知なる部分を見て畏れおののいたことを記憶しています。
氷壁の再生、そうでした、あのエンディングにも息を呑んだのでした。
衝撃的だったこの作品も、時を経て細部は不確かです。しかし、強烈なシーンやそれに伴う感覚は残っているものですね。
いろいろ思い起こさせてもらえました、ありがとうございます。