夏休み前にツタヤでレンタルしていたVUDEO『ソウ-SAW』(ジェームズ・ワン監督)を観る。
映画の“Key”である“SAW”が、そのまま映画のタイトルになっている。そう、この映画にはあらゆる“SAW”が散りばめられているのだ。
story
老朽化したバスルームで覚醒する二人の男、アダム(リー・ワネル)とゴードン(ケアリー・エルウェス)。
どちらも片足を太い鎖でパイプに繋がれ、身動きがとれない。部屋のほぼ中央には、頭部を撃ち抜いたと目される死体が転がっている。
全くの不可解な状況で彼らに与えられたのは、テープレコーダーとテープ、二本のノコギリ。テープを再生すると、生き残りたければ6時間以内に相手を殺さなくてはいけないと告げられる声が・・・。
(映画公式サイトより)

この映画は余りにショッキングであり、はっきり言って精神衛生上“非常に”ヨロシクナイ。
目と耳を覆い、画面に背を向けたことが二度ほど有った。“正視に堪えない”ということだ。
映画を、劇場でなくVIDEO(もしくはDVDなどの再生画)で観たことを初めて「良かった」と安堵する思いだった。劇場で、あのシーンが大音響と大画面で迫ってきたら逃げられない。
しかしそうは言いつつ、それでもこの映画は最後まで観る者を離しはしない。
殆ど無名であった監督と脚本家(リー・ワネル。主演のアダム役も彼。)だったらしいが、その緻密なプロットと、緊迫と恐怖で観る者を精神の極限ゾーンに追い込む映像の創り方には度肝を抜かれた。
映画の宣伝でよく言われる文句「驚愕のラスト!」は、まさにこの映画の為の言葉だ。
事実私は、ラストシーンの後、エンドクレジットが流れ出して初めて、ようやく自分の口が驚きの余りあんぐりと開いているのに気付いたのだから。
愕然。(美味しい物を食べたとき以外で顎が落ちるなんて・・・・。)

冷静に考えてみれば有る程度“想定内”のラストだった??が、あくまでそれは「後になって冷静になって考えれば」ということで、もう始めからすっかり制作側の術中にハマってしまっていたわけだ。
いろんな“SAW”が散りばめられていると言った。
これは映画のサイトでも述べられていることであるが、まずは、犯人の(呼称)ジクソウ(jigsaw→jigsawpazzleのjigsaw)、用意されていたノコギリ(saw)、そして犯人はいつも最前列でそれを見ていた(saw seeの過去形)・・・のSAW。
一つ一つのヒントの小さなキューブが、ラストを観終って初めて結びつく。

映画の創りも面白く、一級のサイコものになっていると思うが、この映画は怖くて、そして“痛い”。
比喩的表現での「痛い」ではなく、物理的な痛みを感じる。観ている自分の肉体にも映画の痛みが伝染する。『SAW2』が既に上映されてDVD化しているが、多分、いえ、決してレンタルすることは無いと思う。
ただ、映画『セヴン』(デヴィッド・フィンチャー監督)の延長線上にあるという意味のことを言っていた人がいたが、私はセヴンに登場する犯人ジョン・ドゥ(演じたのはケヴィン・スペイシー)とこのジクソウには大きな隔たりがあると思う。
ジョンには“七つの大罪を戒める”という(行った犯罪は異常であるが)明確なテーゼがあった。
しかしジクソウはどうだろう。「生(命あること、生きていること)を喜ばぬ者を戒める」というメッセージも確かに有ったが、狂気のゲームに選ばれた者全てが“生への冒涜者”に相当するとは到底思えない。
そこでメッセージ性の裏付けが曖昧になる。何しろジクソウ自身がそれを「ゲーム」と言ってのけているのだ。
よってこの異常な狂気と恐怖の犯罪を仕組んだジクソウは、単なる精神異常者の域を出なかったと言えるのではないだろうか。
それにしてもこの映画は衝撃的、一度観たらこの作品のタイトルは決して忘れることはないと思う。
映画の後は、ワインだ吟醸酒だとフワフワしたことを言っていられなかった。
ショックから立ち直る気付け薬のようなアルコールが日必要だ。
ウィスキーは無く、たまたま、以前に何かの集いで戴いていたサントリー社のブランデーV.S.O.P(ミニチュアボトル)をストレートでグイッと。


なんていうんですかねぇ・・・ブランデーっていうのは心を温めますねぇ。
ほんのり甘い後口がぶわぁぁ〜っと広がる。心の疲れが消えていく。
久々に飲むと中々いいですねぇ・・・北新地の某Barのマスター氏によれば「ブランデーは整腸作用もある」とか・・・。
気付け薬のミニチュアが、勢いがついて起爆剤になってしまった。怒濤のアルコールの世界へ・・・。

ジクソウ・・・、生きることをこうして尊んでいるから、私の前に現れんといてね。