夏休み最後を飾る一本はシネカノン神戸に『プルートで朝食を』(ニール・ジョ−ダン監督)を観に行く。
この映画を全く違う角度で描いたらどんなに重く悲壮で血なまぐさい作品になったことだろうと思うほど、この作品の主人公キトゥンの半生は壮絶だ。
でもこの作品は、ポップなBGMとファンタジックな幕開けで、観終わった後にはジンワリと心温まる涙が目にたまり、ちょっぴりHappyに、生きることに前向きにならせてくれる佳品だ。

story
アイルランドの小さな町で教会の前に捨て置かれた赤ん坊パトリックは、引き取られた家で男の子として育てられるが、幼い頃から綺麗なワンピースやルージュなど女の子の物に夢中。青年になると彼(キリアン・マーフィー)は自分を「キトゥン」と呼び、捨て子であることをカミングアウトする。
美貌と明るい人柄で幾多の差別を乗り越える彼は、やがて本当の母親を探しにロンドンへ。マジシャンの助手、街頭での売春、テロの容疑者、そしてストリッパーと様々な遍歴を重ねていくうち、ついに念願の母親の家を知る事となったが・・・・。
(映画情報MOVIEコレクション及びLマガジンCINEMA CATALOGUEより)
この監督は音楽の用い方がお洒落で上手だと思う。
『クライング・ゲーム』でもあのテーマ曲のメインフレーズはいまだに心に残っているし、今作でも、オープニングとエンディングに流れる The Rubettes の「シュガー・ベイビー・ラヴ」は“未来はきっと明るい”と感じさせてくれて、このポップなメロディーは劇場を出た後もずっとずっと一日中私の頭の中で「へヴィーローテーション曲」になっていたほどだ。
・・・うん、ラストはすごく爽やかだ。
それから主演のキリアン・マーフィー。
彼のスレンダーな肢体とユニセックスな瞳があって“キトゥン”はこんなに素敵なキャラになったと思える。

これは一言で言えば「自分探し」「愛探し」の旅に出る男の子(いえ、女の子?)の話。
70年代のIRAによるテロの問題も色濃く描かれている(彼らの成り立ちそのものだから)が、英国とIRAの基本的な因縁の歴史さえ知っていれば映画は大筋で楽しめると思う。(背景を詳しく知っていることに越したことはないけれど。)
ただでさえ自分の存在理由について深く考えてしまいがちな年頃に、キトゥンは自分の実の親を知らず、更には生まれもってのトランスジェンダーだ。
いつも笑って脳天気に振舞っていた彼は本当は“それ”を深く抱え込んでいたんだと思う。
家を出て、果ては街角に立つ娼婦になってしまった彼に助けた刑事が怒鳴る。
「野垂れ死にすることになるぞ!」
キトゥンが答える。
「分かってる・・・・いいんだ・・・。」と。
ここで、ちょっと、泣けた。
分かっていて自分ではもうどうしようもないことってあると思う。
「自分を信じて旅に出ておきながら何でこんな自堕落になっていくの!」と、中盤やや中だるみ的に思えてきた展開にちょっと首をかしげていたこともあったが、このシーンから再び(精神的)居住まいを正してスクリーンに向き合った。
そして母を探し当てて再会するところで、再び、泣いた。
旅行に出れば帰って来た時に「あー、やっぱり家がいいわ」と思う。
これは旅に出る前の自分と帰ってきた時の自分が“違う自分”になっているから。
そしてこの作品でもキトゥンが探していた「自分の理想の生き方、愛すべき人、愛される人」は彼のすぐ近くにあった。キトゥンがそれを見つけた。
特にお父さんの愛を見つけたこと・・・彼にとってのプルート(冥王星)はここにあったということか。
映画はお洒落で小粋。
キトゥンのファッションも素敵。
ちょっと中だるみ??なんて生意気なことを書いたけれど、あのラストシーンを観るためなら私は何度だって繰り返し最初から観たっていい!
この日は映画の後、ちょっと違う町まで電車旅・・・海とお城のある町を散策。日傘はさしていたものの、さすがに暑かった。

帰宅後はキンと冷えたビール・・・じゃなくて、夏場だから冷やしておいた赤ワインをチーズ&クラッカーで。
ワインは(お安いものですが)WILLOWBANK・カベルネ。コクのある甘味があって悪くなかった。
クラッカーはデルセールクラッカー・オリーブオイル&ローズマリー(N子のお土産。ハーブの香が効いてて美味しい)。
チーズはブルサンアイユ。

飲んでいる間もずっと「シュガー・ベイビー・ラヴ」の曲は私の中に流れ続けていた。
キトゥン、お帰りなさい! 貴方に乾杯!!
今日の「ちょっと追記」
主演のキリアン・マーフィーの過去出演作。

『28日後』の主人公ジム役、『真珠の耳飾りの少女』のピーター役、『バットマン・ビギンズ』のスケアクロウ役と、気付いたら結構観に行っていた私。
特にバットマン・・・・のキリアンは、眼鏡フェチの私には堪らないほどのクール・ビューティーでした。