そんな昨日・23日(土)は楽しみに待っていたこの作品、『ミスター・ロンリー』(ハーモニー・コリン監督)をテアトル梅田で。
ハーモニー・コリンの名は見聞きしていたものの、作品の鑑賞は初めてのことでした。
今作が彼の中でどう位置付けされるものなのかは今作が初鑑賞の私には分かりません。しかし、壊れているかのように見える“唯我独尊”的な作品世界の中で、全編に漂う哀感と孤高さをも感じさせる息を呑むようなシーン、散りばめられた深い風刺と示唆に満ちた台詞に、すっかり同監督の名が心に刻まれてしまった私です。

story
マイケル・ジャクソンのものまねパフォーマンスで生計を立てている青年が、マリリン・モンローとして生きる美女に恋をするラブストーリー。監督は『ガンモ』などが大絶賛された若き鬼才ハーモニー・コリン。
マイケル・ジャクソン”としてしか生きられない男“マイケル”(ディエゴ・ルナ)。ある日、老人ホームでパフォーマンスをすることになった彼は、会場で“マリリン・モンロー”(サマンサ・モートン)に遭遇。“マリリン”は意気投合した“マイケル”をものまねアーティストたちが集うスコットランドのコミューンへと誘う。(シネマトゥデイより)
オープニングの、マイケルがお猿のぬいぐるみと共にモンキーバイクで疾走するシーン。
流れるボビー・ヴィントンの♪「ミスター・ロンリー」がただただ切なく胸を締め付け、この曲は暫く私の中でヘヴィー・ローテーションの一曲となりそうです。
この曲に乗って登場したマイケルも、様々な出会いと時を経てラストでは「You Are Not Alone」(♪マイケル・ジャクソン)の曲で街を行くのですが、「一人じゃない」とは言っても、そのあったかい存在を心の中に得たマイケルが私には以前よりももっと哀しく映ってしまって、やっぱりただただ切なくなってしまう映画なのでした。

マイケルの人物設定とか心理描写とかは実はあまり描かれていなくて、彼という人が何だかガラス細工のように感じられもするのですが、マイケルが見せる日常のささいな生活の表情(ダイニングテーブルで仕事用の靴を無心に磨いたり、旅立つ朝に自分の家に別れを告げたり、ね)や仕事のマネジャーと思われる男性との会話を通して、彼の中に“等身大の”孤独感を見つけることが出来たりするのです。
考えてみればモノマネのコミューンに集っている人達は皆、孤独で“偏った愛”を持つ人ばかり。
自分自身を根本から変えるより、成りたい人の真似をすることで変わった自分を演じる方がずっと簡単でいい・・・自分自身と心底で対峙するなんて勇気の要ることが、きっと出来ない人達なのでしょうね。でもそれは私だって同じ。自分自身を突き詰めていったら逃げ出したくなってしまう人の方がきっと多いと思います。
だから、「かりものの人生」に幸せを見出そうとした人達が、みんな痛々しいほどに哀しい。
そしてその監督の視点の先に、「優しさ」や「愛」や「生きる希望」ばかりでなく、同時に「絶望」や「死」、「冷徹なまでの運命論」みたいなものも感じられて、そこが怖いくらいでした。それが「鬼才」と評される所以なのでしょうか・・・是非他作品を観てみたいと思う今です。

希望と絶望、生と死、運命論、と書きましたが、象徴的だったのが挿入される宙を飛ぶ尼僧のシーンです。
あの一連のシーンは、無関係のように見えて実はモノマネコミューンで暮らす人々と表裏一体のものといいましょうか・・・自分に疑問を持ち他人を借りて生きる人達と、神を信じて神の作る世界に疑いなく生きる人達、孤独に満ちた世界と愛こそ全ての世界と。しかしその運命の行きつくところは・・・と言うような。いえ、しかし今考えてみると、案外彼らの世界は似通っていたのかも知れません。互いに思いこみの世界でしか生きられなかったと言う点で、です。・・・どうなのでしょうか、今後観返してみる時の課題です。
その尼僧達が迎えるラストが・・・衝撃です。
マイケルも、彼が恋したマリリンも、彼ら自身が持っていたパンドラの箱を開けてしまったということなのでしょうか・・・。
そこに希望が残ったのか否かは・・・?
死してオブジェとなったマリリンがマイケルに「(自分には人生がつらかったけれど、)貴方は大丈夫よ、生きて」言った台詞を、素直に心の糧とすればいいのでしょうか。

いろんな切ない疑問と、生きていくしかないっていう諦念と、(それでも)自分なりに自分の人生を生きていこうよっていう励ましと、両方をもらった作品でした。
昨日はロンリーに独り酒を、そして今日は友人と某店の「シャンパンの試飲会」の集いにいってまいりました。
数種類のシャンパンを二種のチーズと生ハムと共にいただきます。
本日のシャンパンのメインは<モートンエステート RD 92 >で、ニュージーランドを代表する造り手さんが敢えて澱引きを遅らせてしっかり熟成させた一品とかで、シャンパンの概念を覆す熟成香の漂う絶品シャンパンでした。


それでもやっぱりまだこの曲が・・・
♪Lonely , I'm Mr.lonely , ・・・
まだまだ私のヘヴィロテは続きそうです。
この作品のチョイスが嬉しいです♪
ボビー・ヴィントンの「ミスター・ロンリー」がこんなに悲しい歌詞の歌だと初めて知りましたし。
この絶対的な孤独感、たまりませんですよね。
でも、哀しいのだけど、可愛い映画でもあったなぁと。
尼Divingにはワケもなく涙してしまいました。
意味解釈を言葉にすることは難しいんですが、気持ちにフィットする映画なのでした。
ということで、もっとイタめの旧作もぜひお試しくださいー。
テアトルで予告編をちょこっと観ましたが、
複数の俳優さんが「オレは※※だ」「ワタシは※※よ」とかずらずらっと言うシーンで
「・・似てねぇじゃん」と静かにツッコンでしまったのでした(⌒〜⌒ι)
♪ミスター・ロンリーのヘヴィー・ローテはまだ続いています。
私もあの歌詞をじっくり見て新鮮な驚きを感じました。あの甘いヴォイスのイメージが先行して“ちょっと切ない恋の歌”くらいの認識だったのです。こんなに深い孤独を歌ったものだったとは・・・。
>気持ちにフィットする映画
その感覚が最も大切なことなのでしょうね。
尼Divingに涙されたというかえるさんの感性にちょっと感動しています。
かえるさんのブログに影響を受けて探ってる監督も多いです。
<お題>となっているギレルモ・デル・トロ監督の『デビルズ・バックボーン』はやっぱり怖気づいて未だ手が出せないままなので、こっち(コリン監督)方面で“イタめの旧作”を探っていきます!(^_^)
サマンサ・モートンファンには堪らない一作かと思います。
(私の勝手な今までのイメージでの)“キュートで不思議な女の子”的なだけではないサマンサ・モートンがいます。
>「・・似てねぇじゃん」と静かに
はい、似てないです。(^_^;)
でも「似てない」のがここではミソなのです!
そうそう、ドニ・ラヴァンファンにも堪らない一作かと・・・。(^_^)
ちょび髭のチャップリンに成りきっていながらも隠しきれない“狂気”がじわじわと・・・。