ほぼ同年代の女優ダイアンと女流監督オードリーがタッグを組んだ、やはり若さから少し卒業した女性に贈りたいような映画、かな。
story
突然の離婚で全てを失った 書評でも活躍中の女流作家フランシス(ダイアン・レイン)は、親友のパティ(サンドラ・オー)からイタリア・トスカーナへの旅行をプレゼントされる。だが、旅行先で築300年にも及ぶ古い邸宅を衝動買いしてしまい・・・・。
(シネマトゥデイより)

これも、傷ついて、旅先でやがて“違う自分を見つけ出す”お話と言える。
物語としては驚くべき展開はないけれど、この映画の最大の魅力はトスカーナ地方の美しい自然に囲まれた開放的な暮らしと、主演ダイアン・レインの美しさだ。
ダイアン・レインは、私がまだ外国映画にただ憧れて映画雑誌[スクリーン]や[ロードショー]を読み耽っていた頃に既に堂々表紙を飾っていたような若きスターだったが、暫くスクリーンで余り観なくなって(私が活躍を知らなかっただけかも)、再び私の中でスターとして復活したのは00年の『パーフェクト・ストーム』だった。(あれもいい映画だった。)
この時に「なんて素敵な大人の女性になったんだろう」と思って以来、彼女の大ファンである私。若い頃の眩しいような可憐さよりも、今の彼女の、顔の一つ一つの皺にまで成熟した大人の色香が感じられる魅惑的な容姿に私はとても惹かれる。
さりげなく後ろに結い上げた髪、そこからはらりと落ちる解れ髪、化粧気のない素顔にざっくりと着込んだ着古した感のあるセーターさえ、この人にかかれば全てが魅力的に映る。『運命の女』での美しさには女の私でさえ溜息が出るほどだった。
今作でも、ダイアンはそのさりげない、けれども実は磨きに磨かれた魅惑的な姿を見せてくれている。

そういってもこれはちょっぴり若い頃の写真ですが・・・
映画では、それだけの美貌があって、作家という簡単には得られない仕事があって、更にはトスカーナに大きな家を持つことも出来て、それでもフランシスは「愛」を欲し「家族」というコミューンを欲する。贅沢とも取れるが、一人の女が生きていかねばならないとして、少しでも笑っていたいと思うのならやっぱりそこには愛が必要なのかな。
旅先で古城のような家を購入してしまった事から様々な出来事が彼女の身に訪れるけれど、それらはみんな彼女の絆創膏の「創」となって、彼女の“笑って暮らせる”幸せをもたらしてくれる。
痛い経験もするけど、それもがみんな彼女の肥やしとなっていくのが、「傷ついた日々は彼に出会うための・・・」というユーミンの歌を思い出させて、女性としては“まぁそんなものね”と安心して物語を観て行ける。
ただ、実を結ばない男性はやっぱり何となく不誠実の匂いをまとってやってくる来るものなんだなぁ・・・と思った。
甘いマスクで登場したマルチェッロ(ラウル・ボヴァ)。
「瞳が綺麗だね。」は嬉しい言葉と受け取れても、その後に続く「その瞳の中で泳ぎたい。」という口説き文句はちょっと・・・・。
日本人は引く。関西人ならツッコミを入れたくなる。こういう人とは大抵、長続きしない設定だがその通り。
トスカーナの景観には文句なく癒される。
抜けるように青い空、向日葵、赤々と咲く野の花、たわわに実った葡萄、草原の緑・・・・朝陽、夕陽。
ここ何年かパスポートを持つ旅に出ていない私にとって、この映画は机上での癒し旅をプレゼントしてくれた。
フランシスは愛への渇きを料理で解消させ、それはそれは美味しそうな手料理をテーブル一杯に盛り、仲間を招いて赤ワインを飲む、飲む、飲む。
食器と食器、グラスとグラスが触れ合う音が実に心地良い。
こういう音を聞いていると、やはり大勢で囲む食卓というのもいいものだと思える。
笑って暮らせる生活を手に入れ、(何気ないシーンだけど)示唆深いラストは、素直に「良かったね」と言え、チャーミングな仕上がりの作品になっている。
・・・ということで、乾杯話はイタリアワインで、というのは常套でしょう、やはり。

映画を反芻しながら飲んだのはその名も[ロミオとジュリエット ビアンコ]です。
私はワインは赤白なら赤を好んで飲みますが、白なら全くドライなものよりほんのちょっとスウィート感が感じられるものが好きです。
このロミジュリがそうでした。
ボディーはライトなので軽いですが、ほんの少しの甘みが優しい余韻を残してくれます。お安いので自宅でのテーブルワインとしていいのでは?
ダイアン・レインはコップでワインを飲んでてもサマになる・・・まるでそれが“粋な事”みたいに。あやかりたいです。
最後に・・・・映画の中で、ポジターノの海辺で拾った猫がとっても愛らしいぃぃぃぃぃ〜のです。
