ここ二日ほどは戻り寒波のようで・・・。三寒四温で春になる?
春よ来い来い、早く来い。・・・でも、ちょっぴり心してかからねばならない「春」。
春はある意味、“重い”季節でもあると思いませんか。
先日の映画『ミスター・ロンリー』鑑賞以来、密かに(でもないけど)私の<お題>に加わっていたハーモニー・コリン監督の過去のニ作品のうち、この一作をDVDレンタルして、昨夜時間を作って鑑賞、昨夜から書きとめた事をざざっとまとめてみました。
『ジュリアン julien donkey-boy 』です。
本作品の紹介と鑑賞のきっかけを作って下さった“かえるさんのブログ”<かえるぴょこぴょこ CINEMATIC ODYSSEY >に感謝します。
story
盲学校の教師をしている精神分裂病の青年ジュリアン(ユエン・ブレンナー)は、飼い犬に異常な愛情をそそぐ祖母(ジョイス・コリン)と、妻を亡くしたエキセントリックな父(ヴェルナー・ヘルツォーク)、レスラーを夢見る弟クリス(エヴァン・ニューマン)、未婚でありながら妊娠している姉パール(クロエ・セヴィニー)と暮らしている。 学校では盲目の人々を手助けする一方、自分の部屋では密かにナチス崇拝の遊びに興じているジュリアンは、プロスケーターを夢見る盲目の少女と友達になる。(Yahoo!映画情報より)
※掲載写真は全て映画情報サイトより転載させて頂いております。

何なのでしょう、この感覚は。
触れてはいけないものに触れてしまって、決して心地よくはないのにその手の感触がいつまでも忘れられず、身体が指先から侵食されていってる感じ、とでも言えばいいのでしょうか。
『ミスター・ロンリー』で、コリン監督の世界を垣間見れた気になっていましたが、まだまだ甘かったですね、私。
夢見心地のようなオープニング映像から一転、パニックに陥り狂気をも漂わせるジュリアンの表情の映像は、私にこう思わせるものでした。
あぁ、この監督の世界、もうこれで見て見ぬふりはできないな、と。
ちょっと厄介な世界に入っちゃったかな、と。
で、そのあとに続く「誰もが少し、あるいは“かなり”イカレている家族」の歪んだ日常の数々。
どこかいたぶられているような、ある意味“挑戦的”な映像が続くのですが、でも拒絶感が先行するわけでは決してなく、その作品世界は不思議と嫌いにはなれない世界でした。

それは、ジュリアンの目を通して見ているかのような、あの“不確か”で“ざらざら”して(全編デジタル・カメラで撮影されているとか)それでいて“半分夢の世界にいる”ような映像を、「全く自分とかけ離れた異常な世界のもの」と切り捨てることができなかったから・・・でしょうか。
誰かの小説(今、思いつくのは田口ランディ)で「心を病んでいる人と自分と、どっちが本当の世界を見ているかは分からない」というような内容の文章を読んだことがありますが、それと同じで・・・。ジュリアンと自分との境界がレスになった・・・? いえ、違いますね、そこまで言えば嘘になります。そこまで私はジュリアンに近付けたわけじゃありませんから。
上手く言えないのですが、とにかく、まるっきりジュリアンの見た世界を否定はできなかったということです。

あの一家の呪われているかのような異様な状態は、ジュリアンの母の死が招いたものなのでしょうか。子どもたちは母を、父親は妻であったその女性の存在を、ものすごく引きずっていますが、母親の死の背景は語られていません。
そこに隠された問題でもあるのでしょうか。
問題と言えば、父親の「家族への呪縛」、これが家族を狂気に導いてしまっていますね。(それが妻の死によるものなのかどうか、それは分かりません)
あの父親の「家族への支配」こそが「絶対的悪」であったように思いました。
父親の呪縛が実は最も狂気に満ちたものであるから、だから、三人の兄弟たちは互いに思いやる心があったりして、そこがこの映画が(唯一?)放ってくれている「罪と懺悔?と祈り」のようなものであり、ジュリアンが冒頭にも言っていた「神よ、救い給え」という「救済を祈る心の叫び」のようなものではないかと感じました。
時折挿入されるスケーターが舞うシーンは、あれは何を象徴しているのでしょう。
聖なる命の輝き? 精神分裂病のジュリアンの心の聖域?? 彼の無垢なる心の叫び?? 罪深きシーンと抱き合わせで流されるそのシーンには、神々しささえ感じるほどでした。
ジュリアンは無垢ありながら、同時に罪深いのですね。死した赤子を抱え、とにかく自分の安住の殻の中に戻ろうと街を小走りに行くジュリアンの姿には、何故か心を締め付けられました。

決して安らがないけれど、それなりの精神力を蓄えてからまた覗いてみたいハーモニー・コリン監督の世界。
「前衛作品」とか「衝撃作」とかいろいろ評されたらしいのですが、もしかしたらそういう先入観を取っ払ってジュリアンみたく半分子どもの体(てい)で臨んでみたら、案外見えてくるものがあるのかも知れません。私はまだまだ・・・曖昧な感覚的なものでしか捉えられなかったですが。
しかしながら、触れてみることができて良かったと思える作品でした。


どうもありがとうございます。
楽しんでいただけて(たのか?)よかったですー♪
これって、トリアーでお馴染みの「ドグマ」作品の1本だったのですよね。
ハンディカムな手ぶれ映像が結構好きな私です。
すすめておきながら、私はすっかりストーリー等を忘れてしまっていたので、こういうお話だったのかーと少し思い出すことができました。
私も機会あったら、再見してみたいですー。
勇気を出して、ガンモも。
“イタさ”にのたうちまわりつつも“楽しみ”ましたぁー!! ありがとうございます!!
>トリアーでお馴染みの
ラース・フォン・トリアーですよね??
「ドグマ」作品の定義を余りよく解していなかったのですが、これを機に少し詳しく追ってみようと思います。
手持ちカメラの感覚は確かに不思議に惹きこまれるものがありますね。
ガンモ・・・より勇気が要りそうですが頑張ります!(^.^)
どんな方なのか興味津々です。
あ、広川太一郎さんがまだ若くして亡くなられ残念に思います・・
ご冥福をお祈り致します・・
>ヴェルナー・ヘルツォーク
そうですね、私が観た作品と言えば『10ミニッツ・オールダー』の中の『失われた一万年』という作品だけだと思いますが。
顔はとても、何といいましょうか哲学的な風貌をされています。いいお顔です。
>広川太一郎さん
訃報は知りませんでした。速報ですか?
ネットで見てみます。
ご冥福をお祈り致します。