これは三谷幸喜原作の舞台劇を三谷氏自身が映画用に脚本化し、星護監督が撮った映画です。
実は私は今ちょっと笑ってる場合じゃない状況なのですが、「こういう時にこそ笑いが欲しいじゃない?」という思いで観てみました。
・・・が、この映画は“笑える”映画じゃありませんでした。
story
昭和15年、演劇は規制され台本は検閲にかけられていた。ある日、警視庁の取調室で検閲官・向坂(役所広司)は、劇団・笑の大学の座付作家・椿(稲垣吾郎)を取り調べようとしていた・・・・。(シネマトゥデイより)

これはベタな笑いを追求する作家・椿を通しての作家・三谷幸喜の観客、ひいては世間への挑戦状です。
爆笑させるのが意図ではなく(意図していたにもかかわらずスベッタだけかも知れませんが)、笑いをも規制し、文化の営みを人々から取り上げようとする戦時下の日本の体制を三谷自身が笑った(冷笑した)作品だと感じました。
厳しい規制の下でもひたすら笑いを追及しようとする椿は三谷氏本人。
ラストは(ラストは意外な締めくくり方でした。どう収拾をつけるのか先が見えませんでしたが、キッチリと折り合いをつけたところは流石!)、向坂の言葉を借りてこうメッセージを叩きつけています。
「人は“お国”のためになど死んではいけない!人が死んでいいのは“お肉”のためだけだ!」と。
つまりは、人が死んでいいのは、“本当に自分が愛するモノや者”のためだけなんだ!・・・ということなのですね。
三谷氏にとってのそれは笑の美学でしょうか。
何かあっても筆を折らないという「これが私の笑の美学だ!」という挑戦状で、良くも悪くも??、フィルムの陰に三谷幸喜の顔がまるでサブリミナル効果のように見え隠れしていたように感じました。
舞台は映画以前から上演されているらしいですが、舞台ではどうなのか観てみたいですね。
これは向坂と椿の、取調室での謂わば密室劇みたいなものですから、ライヴ感のない映画としては確かに“笑い”を取るのは難しいと思います。「意図していたにもかかわらずスベッタだけかも知れません」と書いたのはそういうわけです。
ライブ感に満ちて、アドリヴやらナンやらが満載のお芝居としてなら、感想も違った見方になったかも知れません。
ただ、微妙な意識の推移を表情筋で見せた役所さんの演技は素晴らしいです。さすがは日本を代表する役者さんです。
笑えないと書きましたが“ぷっ”と“クスっ”と笑ってしまうところは幾つか在りましたよ。
さくっと観終えたあとは、買い置きのデイリーなワインをさくっと・・・・。
Gallo シェラ・ヴァレー/カベルネ・ソーヴィニヨンをさくさくっと・・・。
ベリー系の香が強い、ミディアムボディーの赤ワインです。

写真の私の手、映画『アダムス・ファミリー』の<ハンド>のようで不気味ですね

そういえばあの映画は好きな一作でした。特にウェンズディ−のファンで、演じるクリスティーナ・リッチのファンでもあります。
あっ、最後になりましたが、笑の大学の稲垣クンも滑舌良くてよかったですよ。
私は笑えなかった映画を観終えて、今の笑えない状況を何とか打破しようと思いました。
まぁ取り敢えずはワインワイン・・・

ツタヤさんでは借りられるのかな?
ダメだったら ぺろんぱ さんのように持っている友人から借ります。
思い出させて頂いてありがとうございます。忘れないように早速ブログの見たい映画に追記します。
折角なので一つだけコメントとして残させて頂いて宜しいでしょうか。
今後とも宜しくお願いいたします。
貴ブログへも遊びに行かせて頂きます!
今日だけは、本作を観るために、頑張って生きました!
(そないに大げさな(=^_^=))
本作は「笑いの大学」のタイトルながら、“良くも悪くも”笑えなかった作品でしたので(ある意味、ラヂオ・・・同様不完全燃焼でもありました)、その点がどうなのか(“良くも”なのか“悪くも”なのか)もう一度観て、感じて、みたいと思っております。
傍らのワインをほどほどにしておかないと・・・眠らないで最後まで観ないと。
あ、でも保存版DVDがあるのでしたが^_^;。