先日来読んでいる本(田口ランディさんのエッセイ)にこんなタイトルの一篇がありました。「シラフの生活」。
例によって半身浴しながらの読書タイム、「ゆうべはちょっと飲み過ぎたかなぁ・・・ちょっと控えないとなぁ・・・」って思いながらページをめくっていた矢先のこの一篇でした。
ランディさんは過激な文章表現にガツンと来る事の多い作家さんだけれど、この時のこの文章は、静かで穏やかな表現なのに何故か頭を“コツン”と打たれた感じがしました。
ちょっと転記

<シラフで暮らすってのは自分を見つめる原点だなぁ、と。・・・中略・・・多分、シラフの暮らしにはシラフの暮らしの美しさがあるのだろう。シラフで付き合う人々との、静かな語らい、静謐な時間みたいなものがあるのかもしれない。シラフの暮らし、それは「生活する」ということに限りなく近い。
長年酔っ払ってきた私は「旅行」していたように思う。旅行者だった。旅の恥はかき捨てだった。職場と盛り場をうろつくだけの流れモノだった。>
こんな文章でした。
ガツン、じゃなくて、コッツン、と頭を小突かれた感じ。
「キミもそろそろ気付けよ」って言われているような・・・。
確かに、飲んで酔っている間は自分を見つめ続ける事から逃げているような感じがします。「静謐な暮らし」の中で「生活する自分」と向き合ってみるのは必要なのかもしれません。
そんなことを考えながら、ふと、本当にふと、静謐さとは真逆の映画を思い出しまてしまいました。
『酒とバラの日々』・・・これは粋でいなせな感じのするタイトルですが、アルコール依存症に陥っていく男女を描いた、何とも救いようのない重たい映画でした。

story
激務を紛らわせるために酒を飲むようになる宣伝会社の営業マン、ジョー(ジャック・レモン)。彼は美しい秘書のカーステン(リー・レミック)と知り合い結婚にいたるが、カーステンもまたジョーの影響で酒を口にするようになる。酒に依るところが多くなる二人の生活は、やがて破綻をきたし始める・・・。
この映画、観たのは随分前ですが、先述の通り、救われない暗鬱たる思いで観終えたのを覚えています。内容がハードなのですよ、思いっ切り。
救われない未来を背負ってしまうのはジョーよりもむしろカーステン。
アルコール依存症はココロの問題がお酒を媒介にして姿を現すもの・・・彼女のココロの問題、これが深かったのだと思います。映画の記憶は薄れていますが・・・。
当時からお酒は大好きな私でしたが、今ほど刹那的な?飲み方はしていなかったかも知れませんから、この映画を“今”もう一度観直してみたら、その余りの怖さにもしかしたらお酒を止めてしまうかも知れません・・・・・
ん〜、止めないと思いますけどね、やっぱり

先日来そんなことを考えつつ、今夜、静謐な夜だったのか、アルコールに依存した夜だったのか、それは我が家の猫君のみの知るところです。
そして猫独白・・・「このセグラヴュータス・ヴィーニャエレダードBlanco って何や??」
でも、お互いお酒やめられませんよね。(笑)
あと、この「酒と薔薇の日々」って映画かなりヘヴィっぽいですね。
でも怖いのを覚悟でもう一度観てみようかと思ってます。
でもでも、お酒は止められません、きっと。(^^ゞ