昨日26日(土)はテアトル梅田にて『つぐない』(ジョー・ライト監督)を鑑賞。
好天の土曜、巷での話題作の封切初日とあってかもの凄い動員数のようで、約1時間前に劇場に着いたのに既に思う回は立ち見のみ。
映画後の予定もあるので一瞬の逡巡の末に「立ち見でお願いします」と答えました。
次回上映時間までのぽっかり空いた3時間を沸々とした思いで過ごせそうもなかったので、それはそれで正解でした。
さて、不自然な姿勢に耐えて観たこの映画は・・・・・、軽い節々の痛みと共に? 深い余韻を残すものとなりました。
story
ブッカー賞作家イアン・マキューアンのベストセラー小説を『プライドと偏見』のジョー・ライト監督が映画化。幼く多感な少女のうそによって引き裂かれた男女が運命の波に翻弄される姿と、うそをついた罪の重さを背負って生きる少女の姿が描かれる。
1930年代、戦火が忍び寄るイギリス。政府官僚の長女セシーリア(キーラ・ナイトレイ)は、兄妹のように育てられた使用人の息子、ロビー(ジェームズ・マカヴォイ)と思いを通わせ合うようになる。しかし、小説家を目指す多感な妹ブライオニー(シアーシャ・ローナン)のついたうそが、ロビーに無実の罪を着せ、刑務所送りにしてしまう。(シネマトゥデイより)
※掲載写真は全て映画情報サイトより転載させて頂いております。

この映画はラストのブライオニーの「告白」が全て、です。
そこに言及しないで本作を語れないので、いつも以上の“ネタバレ”になってしまいそうです。(観に行かれる方はご注意ください、ごめんなさい。)
一つの虚言が少なくとも3人の人生を変えてしまいます。
ロビー、セシーリア、そして(劇中で語られてはいなかったけれど)おそらくはロビーの母親も。
いいえ、嘘をついたブライオニー自身も彼女の人生を闇に葬ったも同然なのですから、結局は4人の人生を狂わせたことになるのでしょう。更にそのうちの二人はそのことが発端となり、やがては非業の死を迎えます。謂わば、緩やかな、間接的殺人と言えなくも無いでしょう。
そのことが、冷静になって考えるとひどく息苦しいのですが、その息苦しさがブライオニーに対する憤懣やるかたない思いとなり、自己の罪を曝け出して小説化したことに対しても「それが贖罪と言えるのか!?」と怒りさえ感るほどでした。しかしながら最後の「告白」により、彼女が選んだその「方法」は観る者の心を熱く柔らかいナイフで貫き、涙をあふれさせるのです。
それはブライオニーへの涙というより、彼女の嘘により想いが報われることなく死んでいった若き二人に対してのものとして。
ブライオニーに関しては、その余りの罪深さに言葉を失います。
彼女には幾つもの贖罪の機会があったはずです。それを(結果的には)見過ごしてきた彼女は、自分のついた嘘の上に更に深い罪を上乗せしてしまったことになるのだと思います。
ナースとなって個々の患者にロビーを重ね合わせて看護したとしても(私にはそう写りました)、それは彼女の中の自己満足にしかならない・・・と。
彼女が葬った余りに多くの年月を思う時、何に還元しようともし尽くせない罪深さを思い知らされるのです。
結局のところ、「贖罪」とは何なのでしょうか。
真の意味での贖罪など、存在し得ないのかもしれません。

本作では予告編やチラシなど、セシーリアを演じるキーラ・ナイトレイの美しさが前面に出ていますが、セシーリアの内なる感情の
うねりは、実はあまり追求はされていません。
物語を大河的に描いていることで、全ての人物に一定の距離を保ち、誰か特定の人間に焦点を当てた描き方はされていないように感じます。
ある時はセシーリアの、ある時はロビーの、そしてある時はブライオニーの視点で以ってそれぞれの悲劇がつむがれますが、中でもロビーの視線で紡がれた戦禍のシーンは戦争という「愚かにして大いなる罪」を叙情詩的に描いていて秀逸です。演じたジェームズ・マカヴォイも渾身の演技といった感じで素晴らしかったです。

そして13歳のブライオニーを演じたシアーシャ・ローナン。
純粋さと尖ったナイフのような危なさを秘めた少女像を感じさせて怖いほど。ハッとさせられる表情の幾つかとか、名演だったと思います。
しかしその怖さが多感な少女期特有のものだったのか、成長したブライオニー(ロモーラ・ガライ)に全く尖ったものを感じず、老年の彼女(バネッサ・レッドグレイヴ)にいたっては作家としてそれなりに充実した人生だったのではないかと思わせるほどの穏やかな表情で、私としては正直言って少し違和感を感じてしまいました。
影のように張り付いた、拭えない“孤独感”は感じられたものの、あれだけの罪を犯してしまった人間の「屈折した人生」の片鱗が、たとえその欠片でも残っているのが本当ではないかと・・・。ロモーラ・ガライも素敵な女優さんであり、バネッサ・レッドグレイヴは「さすがの大女優」さんなのですが、監督の演出においてその点にだけ、ちょっと解せないものが残りました。

それにしても、なんと世の中は「形なき悪意」と不運という名の「予期せぬ偶然」に満ちているものなのでしょう。
「予期せぬ」そして「形無き」ものであるから、それを完全回避して生きることは難しいのでしょうね。
だから刹那的に生きるというわけではありませんが、せめてアルコールで心を酔わせる時間が少しくらいは要るわけで・・・。
ということで、先日来のジンに続き今日もまた美味しいジンの画で締めくくりたいと思います。

初めて連れて行っていただいたお店なのですが、キタ新地のBAR「N」でのジンライムです。たっぷりのジンがいいですね。
ジンのスパイシー芳香に、心は既に初夏です。
コレ、観に行きたいと思ってる1本なんですよ。
戦争を絡めてるトコが、なんか「大河ロマンス」を気取ってるようにも見えて好かないんだけど(まま、原作がそうでしょうから)、
妹のキャラについて、表情(容貌)を巧く引き継いだまま女優さんをキャスティングしてるのがいいなぁ、と。
予告編では、何やら桟橋が爆発(?)してるようにも見えるカットがありましたっけ、、気のせいか?
でも、混雑はイヤや(=^_^=)
立ち見はちょっとつらかったですね。
日頃の足腰の鍛え方が試されるというか(^^;
でも、時間を無駄にしないで良かったですね♪
これは、暗に罪はあがなえないと言っているような気さえしましたねぇ。
結局のところ、ロモーラ・ガライのブライオニーは罪に怯えてこそいるものの
贖罪の為のナースぶりにはみえなかったし、
バネッサの晴れやかとも取れるインタビューは
あのラストに至った自己満足のように私も感じました。
この劇中に戦争が絡んで、悲劇に加速がつくわけですけど、
ブライオニーのような罪のために、人生を狂わされた人は案外と多いような気もしました(-_-;
ジンライム、たっぷりの生絞りでお願いします(笑)
確かに混雑はいやですけどね〜。
テア梅は一列目なんてスクリーンが近過ぎるし・・・。
>表情(容貌)を巧く引き継いだまま
その点は仰る通りですね。
時々「えーっ!?」と思うほど容貌が(骨格からパーツの成立ちまで)変化したキャスティングってありますものね。
本作では髪型まで同じイメージでした。
>桟橋が爆発(?)してるようにも
今思いだしてみてるのですが、そういうシーンがあったか否か定かでは・・・しかしかなりの火炎噴煙の壊滅状況が描かれていたのでそういうこともあったかな、と。
ではそれは「是非、貴方ご自身の目で!」・・・って何かのCM文句みたいですけど。(^_^;)
いえ、実はちっとも「鍛えて」いないので、横の通路に斜め座りすることになり・・・腰とお尻と背中が途中からちょっと痛かったです。
あっ、でもスタンディングBarなら2時間ぐらい平気なのに!…どうしてだろう(・・?)
>罪に怯えて
そうでしたね、あれは「怯え」でしたね。
そう考えると、もっと早くラクになれる方法もあったのに…と、今思えばブライオニーがとても憐れです。
>戦争が絡んで、悲劇に加速がつく
まさしくそうですね。
戦争というもう一つの悲劇がなければ、或いは二人してブライオニーという哀しき人間を逆に(罪の地獄から)救うことができたかも知れない・・・。
いずれにせよ、とても余韻を残す作品でしたね。
ジンライム。
これからはライムとソーダが冷蔵庫の必須アイテムとなりそうです。(*^_^*)
私もそう思います。
償うとか贖うとかいう言葉を一人称、二人称で使ったことさえないかも。
お詫びをしたり、反省したりすることがせいぜいで、後は赦してもらえるかどうかというくらいですよね。
犯罪ならば刑罰を受けるという道があったり。
だから、書くことが贖罪になるというのは甚だ疑問なんですが、原作者マキューアンはかなりシニカルなものの見方をする作家なので、肯定しているわけではない着地なのかなぁと思ったりしました。
原作を読んでみますー
>肯定しているわけではない着地なのか
そうなのでしょうね。
私もそう思います。実は、原作はもう一つ、壮絶な結末があるとちらと目に(耳に)したのですが・・・。それで私も「原作」が気になっているのですが・・・。(あっ、しかし、結末の件は定かではなく、私の勘違いかもしれません。)
>かなりシニカルなものの見方をする
05年だったかな?・・・観にいった『Jの悲劇』という映画もイアン・マキューアンの小説を映画化したものでした。映画としてはとても良かったし、かなり印象に残っている作品です。
ところでこの映画、東宝東和提供やしどう考えても観客の入りはいいはずやのに、
なんでテアトルでの上映なんでしょうね?!
私が観に行った時もかなりツメツメでなんだかなぁ、という印象でした。
『Jの悲劇』良かったですか!? ヒジョーに気になります。
「ノッティングヒルの恋人」や「ヴィーナス」の
ロジャー・ミッシェル監督作品という事でなおさら!
「つぐない」の原作も早く読みたいしー。
ここからネタバレになるやもしれませんが、見方によっては
ブライオニーは嘘をついたというよりも、
その時そう思い込んでしまったとだけという解釈もありえるかなぁ、
などと考えていたのでメチャ原作の表現が気になります。
ちょっとモヤモヤ気味の私です。(^_^;)
実は「さくらのブログ」が障害から復旧した後もどうも不具合が完治していなかったようで、5月4日の記事もアップしても中々反映されず、このコメントも今朝になって初めて確認できました。このお返事コメントも反映が遅れるかもしれません。お迷惑をお掛けしています、すみません。
ところで『つぐない』。
確かに他のメジャー館でも十分収益はあったでしょうね・・・当初は名乗りを挙げるところがなかったのでしょうか?? その辺の裏事情が私にも良く分からないのです。どうなのでしょうね。
『Jの悲劇』は、全体的に地味な演出ながら作品のトーンが凄く気に入りました。ダニエル・クレイグを初めて知ったのもこの映画でしたし。
ブライオニーちゃんの嘘に付いては、そもそものスタートはそうだったかも知れないなと思ったりもします。しかし何らかの邪気が加味されてしまったことは否めないのではないでしょうか・・・と、言いつつ私もヒジョーに気になります。
そういう意味でも、鑑賞後までいろいろ考えちゃう映画でしたね。(^_^)
ついにテアトルで鑑賞して来ました。
また拙ブロクでレビュてみますです。
ご覧になられたのですね、後で貴ブログお邪魔して拝読させて頂きます。