芝の上にシートを広げて、御つまみに乾杯ビール、そしてワイン2本。
木漏れ日は秋のそれとは思えぬほどに強く、上着を脱いでTシャツ一枚・・・遠くに聞こえる若者達の嬌声にワインの酔いが心地良くからまって、ココロもカラダも思いっ切り“伸び”をした気分になれました。

ブログを読んでくれている友人Mが「今週はもうちょっと明るい映画にしたらぁ?」と言ったのも手伝って?、翌日曜はOS名画座に『ミラクルバナナ』(錦織良成監督)を観に行きました。
実は公開を待っていた一本ではあるこの映画、私の大好きな俳優・緒方拳さんに加え、ちょっと好きな山本耕史クンも出ています。
公開したもののモーニングショーのみの上映に、朝から張り切って行って参りました。

story
大使館派遣員としてハイチ共和国に赴任した幸子(小山田サユリ)は、政情が不安定で貧困にあえぐ国民の姿を目の当たりにする。
貧しくて学校に通えないばかりか、紙が貴重なためノートすら買えない子どもが多い。そんなある日、捨てられたバナナの木から紙が出来る事を知った彼女は、日本からエキスパート達を呼び寄せバナナの紙を作るプロジェクトをスタートさせる。
同僚のフィリップ(アドゴニー)、大学院生の中田(山本耕史)、和紙職人の山村(緒方拳)、みんなが幸子の思いに巻き込まれていく。
(シネマトゥデイ、及び映画チラシより)
純粋に、素直に、「観てよかった」と思える映画でした。
この映画は実話ではありませんが、バナナの木から紙を作ろうとするプロジェクトは実在するそうです。
ハイチをタヒチと勘違いして赴任希望を出してしまったり、赴任先で実際の業務そっちのけで紙作りのプロジェクトだけに奔走する幸子に、「そんなワケないでしょ!」「そう簡単に事は運ばないでしょ!」と冷ややかな視線を送ってしまえばその時点でこの映画は終わってしまいます。
けれど、決してエリートでもキャリアウーマンでもない普通の家庭の普通の女の子が、“嘘みたいに”健気に前向きに頑張っている姿に私は好感を抱いてしまいました。
タヒチとハイチの違いを「何とかなる」って信じて(…なりませんってば!)空港に降り立って、電気もまともに来ないホテルで水しか出ないシャワーを浴びて、政情悪化で銃声が絶えない夜を過ごすなんて・・・サバイバル能力の無い私ならまず泣き言いって逃げ帰ると思います。

でも、それこそハイチをタヒチと勘違いするくらいの彼女だから、そこに“同化”できたのでしょうね。
こういう彼女だから、子ども達のハートを鷲掴み・・・子どもって洞察力が鋭いから、心から自分達に手を差し伸べてくれる人には応えるのだと思います。
子ども達の表情は凄くいいです。
映画用のSmileとは思えない本物の笑顔。この国の母親達は本当に子ども達を深く愛しているのだとフィリップは語ります。
「日本では年間3万人の自殺者がいる」という幸子の言葉に、フィリップは「何故?日本にはモノが何でもあるのに。この国の人間は自分から死のうなんてしないよ!」と答えます。
自殺者に加え子どもの虐待も多い日本は、あらためて「病んでいる」国なのだと思い知ります。
(暴動が起こって死んだり、貧しさから死んでいったりする人がいることを考えると、どちらの国も問題を抱えているのに違いありませんが・・・。)
幸子の「思い」は“素直”なものなのです。
同じ地球上に、財力に富みモノのあふれる国と貧困にあえいでいる国があるのなら、出得る事ならば持てる力をほんの少しでも分ければいいのではないか。このシンプルな思考に、「現実はそう簡単ではない」と無意識のうちに水を掛けてしまっているのは富む側の私達なのかもしれない。
劇中、みんなの尽力で「バナナ紙」は出来上がります。
漉かれた“たった一枚”の紙に、子ども達は狂喜乱舞します。たった一枚の紙に、です。
日頃、乱雑に何かを書きとめたメモを、ミスコピーしたコピー用紙を、水滴一つを拭っただけのティッシュを、我々はいかに簡単にゴミ箱へ捨てているこことか・・・。
私達が当たり前と思っていることが、決して当たり前ではない、それどころか“ミラクル”でさえある事を、忘れてはいけないのだと思い知らされました。
この監督の映画は多分初めて観たと思います。
奇をてらった演出とかは何も無かったれど、真面目で優しい演出が光っていました。
妹を病気で亡くした男の子が、もぎたての果物を幸子に手渡し、夕暮れの空を背景にその果実にかぶり付くシーン・・・・とても美しく、優しく、そして切なく、深く深く胸に残りました。

逆光ですみません
今日のこの映画と、昨日の青空と、友との語らいと、そしてやっぱり美味しいワインが、其々が寄り合って明日に繋がるラインになりました。
ありがとう。