ストーリー的に興味深いものがあったことと、主演のジュリー・クリスティを観たかったから、というのが選択の理由です。
ジュリー・クリスティーは、私が「映画っていいなぁ」と感じるきっかけ作品となった*『天国から来たチャンピオン』(学生時代の学際上映で鑑賞)に出演していた女優さんで、知的で凛とした美しさが魅力の女性です。『ドクトル・ジバゴ』でのララ役も有名ですね。
本作のジュリー・クリスティも、認知症を患う70歳近い女性を演じて尚も「見とれるほどに美しい」です。*: 拙ブログでもレヴューを書いています。
story
『死ぬまでにしたい10のこと』の実力派女優サラ・ポーリーが、長編監督デビューを果たした作品。
アリス・マンローの短編小説を基に、認知症の悲劇に直面した夫婦の愛の物語を描く。
結婚して44年になるグラント(ゴードン・ビンセント)とフィオーナ(ジュリー・クリスティ)。決して良き夫とは言えない過去もあるグラントだったが、いまはフィオーナを深く愛し、夫婦仲良く穏やかな日々を送っていた。ところがやがて、フィオーナをアルツハイマー型認知症の悲劇が襲う。物忘れが激しくなったフィオーナは、ついに自ら老人介護施設への入所を決断する。施設の規則で入所後30日間、面会を許されなかったグラント。そしてようやく訪れた面会の時、フィオーナはグラントを覚えていないばかりか、彼の前で車椅子の男性オーブリー(マイケル・マーフィ)に対し親しげな振る舞いを見せるのだった。その後も日増しに深まっていく2人の仲を目の当たりにして動揺を隠せないグラントだったが…。(シネマトゥデイ及びallcinemaより)
※映画に関する写真は全て映画の情報サイトより転載させていただいております。

人間の数だけ人生のあり方があるように、夫婦の数だけその形があるのですね。
そしてそれは、勿論美しいだけじゃなくて、醜かったり哀れだったり、時には残酷だったりするのですね。
若き頃の淀みも乗り越えて、心穏やかに迎えられるはずだった二人の老後に起こる突然の悲劇。それにどう向き合うかも、多分「是」か「非」かの一律の答えなどなく、其々の当事者の、其々の向き合い方があるのでしょう。
グラントとフィオナの場合は、グラントが若き頃の自身の浮気の数々を負い目に思うところから、妻への献身と自らに課す責め苦に苦悩するのですが、妻であるフィオナもまた、目の前の愛と幸福感に身を任せるように生きながらも時折蘇る過去と現実との狭間に嗚咽する様子が、「(人生の)喪失の過程」を突きつけられるようで私にはひどく哀しく映りました。
そして、生きている限り「女」であり続けようとするフィオナやマリアン(オーブリーの妻・オリンピア・デュカキスが演じる)に畏怖の念さえ抱いてしまいました。

苦しみから過去を「切り捨てる」覚悟をしたマリアン(オリンピア・デュカキス)もいれば、どうしても「切り捨て」られないグラントもいて、しかし彼の深い愛情も報われることなく終焉を迎えることを想像すれば、人生はなんて苦いんだろうって泣けて来ます。
“今”を失って“新しい今”の世界に生きる人達と、“今”に残されて戸惑い苦しむ人達、“別の次元”にたゆたう様に生きる患者達と、働いて誰かを養って生きていかなくちゃいけない“現実”に生きるヘルパーや介護者の人達・・・、その対比が、決して優しいだけではない、真剣に厳しく、しかし非情に丁寧に「生と死」「老いと病」「生と性」を見つめた監督の姿勢を感じ、27歳にして本作を撮ったサラ・ポーリーという女性にもまた畏敬の念を感じました。
時折映し出されるカナダの大自然の美しさにも目を見張ります。
変わりゆくものの儚さと、変わらない自然の美しさと、その対比もまた切なく感じる深い映画でした。

本作、滋味のある、そして心にグサッと刺さりもする、そんな印象深い台詞が幾つかあったので最後に記させてもらいます。
「忘却が甘美に思える時もあるわ。」
「妻は演技をしているのではないかと疑う時もある、私を罰するために・・・。」
「悪い人生じゃなかったな・・・そう思うのはいつも男性よ。」
「聖書にあるわ。今からでも“前の自分”に戻れる、と。」
「人間には二通りある。こんな現実に怒る人間と、受け入れる人間と。」
「不運だな。」「それが人生よ。逆らえないわ。」
鑑賞後、濃いワインが飲みたくなりました。
ぽつぽつと歩いて、ふと見つけたバール<バルマル・カタラン>での赤ワイン。

映画のリーフを眺めつつ、ジュリー・クリスティの顔に刻まれた皺を「それでも美しい」と感じながら、一方では流れた歳月をも感じ、同時にそれは私の上にも流れた歳月であるのだなぁと感じました。
過ぎ行く年月・・・でもそれが人生ですね、逆らえないです。
最初、読みかけたとき、”アイリス”(2001年 監督リチャード・エア)を思い出してしまいましたが、読み進むうち、ちゃう感じとは想像できてきました。
けど、観ていないから何とも言えないとはいえ、に、にっじゅうなな才(!)の女の人が、こういうテーマで撮るんかいっとツッコミたくもあります。そういう環境が身近にあったんでしょうか?(人の勝手とは知りつつ・・)(すまん)
”ドクトル・ジバゴ”は観てないもんで、アレですが、ちなみに、自分の中で一番印象に残ってるジュリー・クリスティは”ダーリング”(1965年 監督ジョン・シュレシンジャー)でした。
いつもながらの好き勝手なコメント、ぺろんぱしゃん、許してちゃぶ台・・・。
今日も大阪市内に出てたのに・・劇場の時間が合いませんですた(×_×) 同じ作品に2度もフラレました・・
>「妻は演技をしているのではないかと疑う時もある、私を罰するために・・・。」
>「悪い人生じゃなかったな・・・そう思うのはいつも男性よ。」
この2つは予告編で流れていたような気がします。
観客もまた、年を経て観直すと「新たな発見」がありそうですね。
すみませんなどと仰らず、どうぞまたお越し下さい!
ところで・・・『アイリス』を観ていないので多くは語れないのですが(T_T)、何といいますか、『アイリス』に比して「病が発症してからの葛藤の物語」という面が強い感じがしますが・・・うぅ〜ん、どうでしょうか・・・・。
しかし、ケイトちゃん好きなので『アイリス』も観とかんとあきませんね、私。
>そういう環境が身近にあったんでしょうか?
そうなんですよ、私も何が彼女にこれを撮らせたか?って考えてしまったのです。若くして“何か”を“見てしまう”人はいるとは思いますが・・・。
>ダーリング
実はこれも未見なのです。
調べてみると「自由奔放な」女性の役柄(勿論、その一言ではくくれないのですが)のようですね。ジュリーさんの(私的に)意外なイメージの役柄なので興味深いところです。
>許してちゃぶ台
全然問題ないですよ!そんなこと言われたらこちらの方こそ困ってしまくら千代子です!・・・←如何ですか?
そうですか、二度も? 許せませんね、『アフタースクール』!(ですよね?)
でもどんどんTiM3さんの中で期待感が高まっていくと、いざ御鑑賞の運びとなった際にどう受け止められてしまうのか不安な気もします。^^;
さて本作。
私も後10年経ったらまた違う観方をするのかも知れません。ジュリーさんにはその頃もスクリーンでご活躍願いたいところです。
サラ・ポーリーは大好きな女優の一人ですが、そのオトナっぷりにびっくり仰天な本作でした。
鑑賞してから数日経過していたので、台詞のことはすっかり抜け落ちてましたが、そういえば、すごく印象的な言葉がありましたね。
「忘却が甘美に思える」ってなんか納得。
『アイリス』は施設に入る前のお話でしたかな。
でもって、異性関係で相手を悩ませたのはこちらと逆で妻アイリス自身の方だったのでした。
それでも献身的な夫の姿もまた泣けましたですー。
昨日(ようやく)観て来た映画で
“2005年のボルドーワイン”ってのが用いられてました。
そんなに有り難いものなのでしょうか? とんと詳しくないもので・・(⌒〜⌒ι)
えっと・・・取り敢えず、こんばんは。
サラ・ポーリー・・・女優さんとしても一つ位置を形成し、監督さんとしてもこんなに深い作品でサラ・ワールドを作り上げてしまうなんて、本当にビックリです。
>『アイリス』
また違う形での夫婦の愛があるようですね。
ケイトのみならず、ジュディ・デンチも好きなので興味が募ってきました。
・・・放映されないかなぁ〜。(*^_^*)
2005年のボルドー・・・?調べてみたら「ビッグ・ヴィンテージ」のようですね。良質の葡萄の収穫年だったのでしょうか・・・。
私も(すみませんが)知りませんでした。
勉強になりました!ありがとうございます!
ところで昨日の映画って・・・?後ほど貴ブログに飛びます。
「豊作の年のワイン」ってことなんでしょうね。
そうそう、拙ブログをほじくり返すと(=^_^=)『アイリス』が載ってました。
またおヒマならどうぞ☆
http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/2001_473f.html
※きっとネタバレはさせてないかと。。
『アイリス』の貴レヴュー、ありがとうございます!
早速覗かせて頂きます!