内容に惹かれる部分が大前提としてあったのですが、好きな俳優さんの一人である西島秀俊さんを観たかったということもありました。
観終えた後は西島さんは勿論のこと、主演の小林薫さんの名演に深く静かに心を打つものを感じました。
そして、「人には其々の人生があるのだな」と、そんな当たり前のことを今更ながらに深く実感させられた思いもしました。
この映画、観てよかったです。

story
死刑に立ち会う一人の刑務官を主人公に、命の重さと人が生きていくことの意味を静かに問う人間ドラマ。原作は吉村昭の同名短編。
これまで独身のままだった中年の刑務官・平井(小林薫)が、子連れの未亡人・美香(大塚寧々)と結婚することに。しかし、連れ子の達哉(宇都秀星)と打ち解けた関係が築けないまま挙式の日が迫る。新婚旅行がきっかけになればと思ったが、あいにく母親の死の際に有給を使い果たしてしまっていた。そんな時、死刑囚・金田(西島秀俊)の刑が2日後に執行されることが決定する。死刑執行の際、“支え役”を務めた刑務官には1週間の特別休暇が与えられることを知った平井は、周囲の気遣いをよそに自らその支え役に名乗りを挙げるのだったが…(allcinemaより)。
※映画に関する写真は全て映画の情報サイトより転載させていただいております。

「生きることにした。人の命とひきかえに。」
これは映画のチラシにもあるキャッチコピーで、観に行く前は少なからず違和感を感じていました。
人の命とひきかえと言ってもそれは「刑の執行」に基づいた一連の作業の一つの“役”なのだから、そこまで自らに責め苦を課すことではないのではないだろうか、と。
しかし、人間の死を真近で、しかも自らの手で執り行うということの重大さ、それが精神的にも身体的にも及ぼす様々な波紋を、私は映画を観て改めて知りました。自らの手の中に人間の死があり、恐らくそれが皮膚を伝って体の奥にまで入り込んでしまうかのような・・・。
その恐怖と苦痛を踏まえた上で平井がその「役」を申し出たことは、彼が結婚相手との新しい人生に彼自身の人生の残された希望を見つけようと努めたことであり、必然的にそこにもたらされる金田の「死と絶望」と平井の「生と希望」とは背中合わせにあるのだという事実が、どうにもこうにも皮肉であり運命の哀しさを感じます。

その平井と金田なのですが、私はどことなく(運命の全く違う)その二人に似通う部分を見てしまいました。
金田の罪状は映画の中では明らかにされず(老夫婦の亡霊が現われることである程度の想像はできますが)、また、平井の半生にも全く触れられてはいないのですが、どこか「何かを捨ててきた」という諦観に似たものを感じ取ったのです。金田の場合は更にそこに「心の闇」のようなものを感じましたが。
もしかしたら、(ほんの一瞬ですが)もしかしたらこの二人の運命が入れ替わるようなこともあったかも知れないと思うと、その二人の運命が「死」の臨場で交差したことに運命の怖さを感じざるを得ません。
いえ、しかしそれはまぁ私の一瞬の妄想のようなもので、本作の真髄に何ら触れる事ではありません。

最も深く感じたことは、「人間って其々の人生があって、生きてきた道があって、これから生きていかなきゃならない道もあって、その道をとにかく一生懸命に生きようとしているんだ」ということでしょうか。
そう、誰にでも人生があって、幸せになりたいと願う気持ちがあって、慎ましくささやかに頑張っているのだということです。
死刑囚の死を徹底してリアルに描きながらも、生きようとする人達の営みを温かく見つめた監督の優しさがそこにはあります。
そしてそこを、主演の小林薫さんは感情を抑えた演技で時に優しく時に哀しく、でも温かく、見せてくれました。
温泉旅館で寝付けぬ平井が、夜明け前にふと起きてきた達哉(結婚相手の連れ子)をそっと抱いて「ごめんな」と言ったあの一言。
平井のいろんな想いが込められたその一言に、私は胸が熱くなりました。
何があったかは語られていないので分かりませんが、何かがあって平井が今まで遠ざけてきた「幸せ」を、今彼が得ようと手を出しているなら、どうかその幸せを得ることが出来ますようにと祈らずにはいられません。

裁判所で死刑が宣告されてそれで終わるわけではないのです。
でも死刑の執行があって、それでも終わるわけではないのですね。
そして、「死刑囚の死」を考える時、その背景にある「殺された人達(被害者)の死」も、やはり私は忘れてはいけないと思います。
エンドロールで原作の短編が中公文庫の『蛍』という短編集に収められていると知りました。
紀伊國屋本店には無く、紀伊國屋のシネマシネマ分館に在庫があった1冊を購入しました。

早速昨夜から読んでいます。
読み終える頃にはまた新たな感情が湧くでしょうか。
※支え役の代償に一週間の休暇付与という決まりは現在は無くなったそうです。
貴レビューを拝読しまして、女優ハル・ベリーの人生を大きく変えた1作『チョコレート』を連想しました。
ビリー・ボブ・ソーントンとヒース・レジャーが、
死刑執行に立ち会う刑務官(?)の父子を演じるのですが、
2人の職業観の違い(とその結果)が巧く描き出されてました。
まぁ「人生観」「人間ドラマ」を描き出す舞台設定としては
「反則すれすれ」な(?)感もありますが(観客にとっては非日常の極みですから・・)、
脚本としては「これで面白く仕上がらないハズがない」と言う想像はつきますね。
早速にコメントをありがとうございます。
>『チョコレート』を連想
なるほど、刑務官のあるべき姿に付いて悩むヒース君がいましたね・・・劇中で彼はジレンマに苦しみ、自殺しちゃったんでしたよね。実際にも死に向かって行った俳優さんでしたが・・・。
本作、確かに「非日常の極み」の世界が展開していました。しかしその反面、職務外の「日常」に安らぎを求めようとする人々の姿も並行して描かれており、そのあたりの対比も見所だと思いました。
過去記事に恐縮ですがお邪魔致しますm(_ _)m
かなり前に借りる時に読んだパッケージ裏の解説で少し迷った作品でしたが、思い切って、やっと観る事ができました。
私は感想は書けそうにないのですが、ぺろんぱさんなら…と思って伺ったら、やはり。
さすがですね♪
>「ごめんな」と言ったあの一言
>平井のいろんな想いが込められたその一言
私もここで思わず涙腺のダムが決壊してしまいました。
生きようとして生きる平井の温もりが、このシーンで初めて感じられた気がしました。
拙い頭で思いを巡らせば巡らす程、この一言にどれだけの平井の様々な思いが込められているかに気づかされました。
金田や平井の過去や背景説明が削ぎ落とされているのは、やはり正解なのかな…と。
主たる二人の台詞が周囲の人々より少なかった気がしました。
難しいテーマをこんなに淡々と描いていて感心し、私も原作を読みたくなった映画でした。
金田と平井の心の動きをどう書いてあるのかなど、確かめてみたいと。
そしてまた、
>(被害者)の死」も、やはり私は忘れてはいけないと思います
の一文に、ぺろんぱさんの思慮深さが伺えて尊敬です。
過去作品のページにもどうぞどんどんお越し下さいね。今回もとっても嬉しいです。(*^_^*)
「ごめんな」の一言に、やはりfizz♪さんもグッときちゃいましたか。
仰る通り、主たる二人の台詞、確かに少なかったですよね。
そうした中で、二人の過去を自分なりに慮ることができたのは、やはりこの作品の良さ所以だったのでしょうかねぇ。
原作も確かこんな風に淡々とした筆致だったと記憶しています。ああ、でもまた本棚から引っ張り出して再読したくなってきました。(そうします!)
私はちっとも思慮深くなんてないですが、被害者の死も忘れてはならないことを思わせてくれたのも、きっとこの作品の良さなのではないかと思います。(^^)