三連休も終わろうとしています。
暑い毎日でしたね、外に出るとアイスクリームみたいに溶けてしまいそうな感じでした。
かき氷ってそう言えば最近食べていないなぁと思いつつ、「食べるんならやっぱりミルク金時かなぁ」と思いながら、夕暮れになって手を伸ばすのはやっぱりきりりと冷えたビールです。
子どもの頃は母がよく氷イチゴを作ってくれていました。おうちにありましたよね、家庭用のかき氷機っていうやつ。
懐かしいなぁ・・・と、そんな風に思い出を繰ってみたくなる映画『歩いても歩いても』(是枝裕和監督)でした。
封切初日の19日(土)、梅田ガーデンシネマで鑑賞。
初回上映の後で舞台挨拶があったみたいで、舞台袖から出てこられた是枝監督が目の前を歩いて行かれました。
あ、この映画では手作りのおやつに白玉クリームが出てたっけ。

story
ある夏の日、かつて開業医を営んでいた横山恭平(原田芳雄)と妻・とし子(樹木希林)の家に、長女・ちなみ(YOU)一家と次男・良多(阿部寛)一家が訪れてくる。良多は子連れのゆかり(夏川結衣)と結婚したばかりなのに今は失業中の身。ちなみは営業マンの夫と2人の子供に恵まれた専業主婦。家族一同が久しぶりに集まったのは、事故で亡くなった横山家の長男・純平の命日のためである。ごくありふれた夏休みの光景、それはいつものように過ぎていくはずだったが…。(cinemacafeより)
※映画に関する掲載写真は全て映画の情報サイトより転載させていただいております。
離れで暮らす親族が集まる時の「日常のなかのちょっとした非日常」の空気。
妙なテンションの高まりと何処かこそばゆい感じとにちょっとした居心地の悪さも加わって、そこには呼ぶ側と呼ばれる側と双方の思惑が入り乱れた不思議な磁場ができる感じだ。
家族って不思議、そして怖い。
親子の軋轢、夫婦の軋轢。
母から子への呪縛。子から親への甘え、依存。
娘の思惑と親の本音。逆に、親の思惑と娘や息子の本音。
嫁や婿の遠慮と、彼らがどこかで必ず味わう疎外感。

何気なく口を付いて出てしまったり、明らかに故意で発せられたとしか思えない残酷な言葉の幾つかが胸につかえ、家族って「一つ」のようで実は其々の心が其々のベクトルで行き交う「カオス」のようなものなのかも知れないと思いました。
逆に言えば、ここに出てくる家族は、見方を変えればとても幸せな一家と言えなくもないのです。
なのに、そういう見方を家族の其々が素直にすることが出来なくなるのもまた、家族という不思議な繋がりが為せる負の力なのかもしれません。
一つの家族が、幼かった子がやがて成長し、また其々に新たな家族を作っていく。
その自然の流れの中で、「両親の老い」という自然の摂理と、それによって老いた父が仕事を失うという「喪失感」もしっかりと描かれています。仕事と言うのは生きる事の根源に関わることなのかも知れないですね。
自然の摂理とは別に、息子である良多の失業や子持ちの女性・ゆかりとの再婚がもたらした小さな波紋、そして何より長男・純平の突然の死が影のように貼りついて離れない横山家のずっしりと重い悲哀が、家族ってほんのちょっとしたことがキッカケで崩壊してしまうものなのかも知れないという怖さを感じさせます。

私としては、母親とし子(樹木希林)に最後まで息子の再婚相手ゆかりへの愛情が感じられる言動が無かったことが唯一気にかかるところだったのですが、しかしながらこの映画は、決してあと味の悪さで終わっているわけではありません。
様々な向きのベクトルがほんの一瞬でも交わる時の、あまずっぱいような喜びが鮮やかに描き出され、それこそがとても大切なかけがえのないものとして示されているように感じました。
実体としては消滅して行く家族があり、しかしまた新たに生まれて行く家族があり・・・、幾つかの例外化や変化はあっても、それは恐らく脈々と続けられていく「人間の営み」なのでしょう。
“歩いても歩いても”それは尽きる事がない。人生は新たな人生を生み出していく、そんな数珠繋がりのようなものなのかもしれません。

最後に一つ。このタイトルには別の“絡み”もあったのですけれどね。
昭和44年のあのヒット曲が流れるなんて驚きでした。
更にもう一つ。
出てくる食べ物が全てとっても美味しそうなことが話題になっていますが、私はパラソルをさして歩くゆかりさん(夏川結衣)の後姿がとても魅力的だったことがひどく印象に残っています。
***さてさて、件のゆかりさん、結構お酒がイケるタイプの女性で、姑のとし子さんから「昔はねぇ、女はいくらすすめられてもグラスの底は見せるなって言われたもんだけどねぇ」と厭味を言われるシーンがあります。
じゃあ、グラスの底どころかボトルの底を見せちゃう私って何なのでしょう。


友人からいただいた、焼酎の概念を覆す、マイルド且つ濃厚な芳醇焼酎<月夜の梟>をオン・ザ・ロックで。
とうもろこしを原料としたアルコール度数43度の長期熟成貯蔵原酒です。
そういえば、私の友人の独身女性はその多くが“ボトルの底を見せちゃう(しかも惜しげもなく何本でも)”女性です。
でも素敵な女性ですよ、みんな。
「人生は、いつもちょっとだけ間に合わない。」映画の最後の方で語られる言葉です。
今はまだ間に合うと思ってその時を逃しても、その先にまたその「瞬間」がやって来ると思ってしまうのですね、もう二度とやって来ないことだってあるのにね。
私も含めて、多くの「間に合わない人たち」と、苦く泣き笑いで乾杯したいです。
リアルな思いがぐぐぅっと迫ってくるのも予想されますが・・・。
是非ご覧になってみて下さい。
ご想像の通り、リアルに迫りくるものがありますが・・・。
「家族なのだから分かりあえているはず」と思うのは思い上がりでしかないのだなと感じました。
今週も、ぺろんぱさんと同じ作品でした!
夏川結衣・阿部寛さん両方ともに好きな俳優さんなので(普段あんまり日本のドラマは見ないんですが、この二人が共演したのは見てたりしました)、
期待と不安半々で観にいったんですが、
とりたてて派手ストーリー展開がなくてもスーッと心に刻まれるシーンの多い
印象的な作品でした。
なんだか自分の夏休みを思い出させる様な、懐かしさを感じる映像ですよね。
事前に予告編(しかも結構重要なシーンが含まれてる)を見過ぎて、
ちょっと新鮮さが無かったのは否めないんですけど。
笑わない王子、可愛いかったです。(=^_^=)
暑さと向き合いながら生きる事はカッコイイなぁと思いますが、
ちょっと気張るとすぐやられますので、マイペースに。
「歩いても歩いても」は来週観る予定です。
ぺろんぱさんの紹介文を読んでいると、映画を観なくても観たような気分になりますよ。今週は「百万円と苦虫女」の予定です。
26日、京都シネマで舞台挨拶があるので、
それ、狙ってます!
ナント!ゆるりさんも溶けそうになりながら梅ガデに辿り着かれたのですね!!
ハイライトシーンを繋ぐ予告編は作品アピールの為と分かっているのですが、、、ちょっと考えものですね。
意外と、想定外で「つい観てしまった」的な作品にこそ“めっけもん”の感動があったりしますよね。
>笑わない王子
私は(実は)彼が一番真っ直ぐに(正直に)自分を示せていた気がしました。
・・・で、成長した彼役の俳優を再考して欲しい気がしたのですが、あれも監督の意図???
夏はやっぱりとことん暑いのに限る!とか思っていたのは若気の至りだったのだとやっと気付きました(^_^;)。
>映画を観なくても観たような気分に
間違った印象を示してしまっているかもしれません!是非ご覧になって「違うやろ!」というご指摘を賜りたいものです。
>「百万円と苦虫女」
ラストシーンが、(賛否両論らしいですが)凄くよいと(ラヂオのDJが)言ってました。
ご覧になられましたらレヴューのアップを楽しみに致しております!
26日、京都で舞台挨拶なのですね!
是非ぢもとさんなりのスタンスでお臨み下さい!楽しみにしています!
是枝監督は(パッと見だけですけど)何だか少年みたいに頬を紅潮させたハニカミ王子でした。(^_^)
ご覧になられましたら、若きぢもとさんのレヴューをとっても楽しみにしています!(「若き」という一括りにしたような表現がもしも気に障ったならごめんです。あくまで私よりうんと“若き”という意味です。乞う御了解です!)
ちょっと間違えそうです、タイトル(⌒〜⌒ι)
「歩けども歩けども」でも意味の上での大差はないかと思います。
イメージの違いは多少ある・・・???
しかし「もう一つの(タイトルに関わる)エピソード」からは『歩いても歩いても』でないと駄目なんです(^_^)!
間違わずにインプットして頂くためにも、機会がございましたら是非ご覧くださいませね。(^_^)
昨日はTB飛ばしっぱなしで失礼しました!
家族ならではの傷つけかた、それでもどこかでいつも気遣っている。
面倒で、厄介で、でもより所でもある(^^)
誰しもの中に潜む血を分けない家族のフクザツさも(^^;共感できちゃったアハッ
>“歩いても歩いても”それは尽きる事がない。人生は新たな人生を生み出していく、そんな数珠繋がりのようなものなのかも
正に。
そしてちょっと間に合わないことをくり返しても
どこかでその思いを、
多分、自分の人生にはめ込んでいくんでしょうね(^^ゞ
味わいのある作品でしたね。
>家族ならではの傷つけかた、
そうですね。
どうすれば(どう言えば)どう傷付くかを知っているから残酷になってしまうことってあるのでしょうね。
そして“ちょっと間に合わないこと”・・・。
間に合わないと分かってて敢えて間に合わそうとしないまま終わってしまうこともあるのかもしれません。
>味わいのある作品でしたね。
そうですね。
どきり、ぐさり・・・となり、でもそれらをちゃんと消化できる、そんな作品でした。