2008年07月23日

萌の朱雀(DVD鑑賞)

 いきなりですが、拙宅にある3年ほど前に通販で購入した<ステッピング・マシーン>です。

               ステッピング.jpg

先日遊びに来てくれた女友達の一人が「わぁ!ウチにもあるのよ、このマシーン!!」って喜んでくれていました。W県に住む、別の親しい女友達も自宅に置いているとのことです。

ええっと・・・、違うのは彼女達はちゃんと使っていて私のはこの2年半ばかり只のオブジェと化してるってことです。
いやぁ〜、人生いろいろですね!・・・って、そういうことじゃないですね、はい ^^;。


 さて、今日は友人が送ってくれたDVDから再び一作。『萌の朱雀』(河瀬直美監督)です。21日夜に鑑賞。

同監督がカンヌでパルムドールを受賞した『殯の森』よりも10年前の作品でしょうか、、、『殯の森』で主演していた尾野真千子さんが本作では初々しい女子高生の役で登場されていました。(本作の時はまだ素人として御出演)
『殯の森』を観た時にも感じたことですが、この女優さんはとてもいいですね。
奇しくも、先週末の梅田ガーデンシネマ鑑賞『歩いても歩いても』に続き、「家族の形」を描いた映画でした。


story 
  河瀬直美監督が97年度のカンヌ国際映画祭で新人監督賞にあたるカメラ・ドールを日本人で初めて受賞した作品。
小さな過疎の村を舞台にそこにとある一家の人間模様を描いたドラマ。
吉野杉で知られる奈良県西吉野村。林業の低迷で過疎化が進むこの村で、田原孝三(國村隼)一家も代々林業で生計を立てていた。
そこに、過疎化に歯止めをかけるべく鉄道を通すためのトンネル工事計画が持ち上がる。「鉄道が通れば村を出ていかずに生活ができる」と人々の思いは切実であった。孝三自身もトンネル開通作業に携わり、一家のつつましやかながら幸せな生活は静かに過ぎていった。しかし工事は中断され、トンネルは無残な姿で取り残される。15年後のある日、愛用の8oキャメラを持って出かけたまま、帰らぬ人となった。そして、一家はそれぞれに村を離れなければならなくなってしまう…。(『萌の朱雀』映画紹介サイトより)
    ※映画に関する写真は全て映画情報サイトより転載させて頂いております。
                 萌えの トップ.jpg

  『殯の森』に臨んだ時の気負い感は全くなかったので、素直に作品の世界に入り込めました。
本作でもドキュメンタリータッチであったり、台詞があまりなかったり、プロの俳優さんは國村隼のみという状況などは河瀬監督の撮り方でもあるのでしょうか。
そして本作でも『殯の森』鑑賞時に感じた「何処か突き放された感(極端に説明不足)」「そこにあるものから貴方が何かを掴め」的姿勢は同じだと思いました。

けれど、何故だか私は本作の世界を「好き」だと感じました。

風景描写の美しさや自然発生的「音」の郷愁感にも勿論負うところは大きいでしょうけれど、本作のテーマの一つである娘みちる(尾野真千子)が彼女の従兄にあたる栄介(柴田浩太郎)に抱いた淡い恋めいた感情の瑞々しさと、栄介が伯父・孝三の妻・幸子(和泉幸子)に抱いていた思慕の情のほろ苦さが、奇をてらった演出でもなく淡々と描かれ、それでいてそこに、何かしら切なく、あわあわと哀しい感情が感じられたからだと思います。

               萌えの1.jpg

父・孝三という存在の突然の欠落が一家の離散を招いてしまうのですが、村を挙げてのトンネル工事の中断がきっかけとなり「村が(文明から)取り残されていく」という感じが孝三自身をも「(何かから)取り残されていく」感が取り巻いてしまったのでしょうか。孝三はある日帰らぬ人となるのですが、事故なのか自殺なのか(そもそも死んだとは一言も語られていません)、それは観る者の視点に委ねられています。

孝三役の國村隼さんは上手いと思いました。
やはりそれがプロの演技なのだと思います。
うまく表現できませんが、画的にきゅっとしまり、観る側の意識が分散されない感じでした。

一家の大黒柱という存在の欠落が、やがて様々な事柄を表面化させてしまいます。
殊に、みちるほどに若くはない孝三の妻・幸子にとっては“生きる気力”が根源から揺らいでしまったのかも知れません。
一つであったものがぐらぐらと崩れていくのが、静かな描写の中に徐々に見えてくるのがうっすらと怖い気がしました。

                萌えの3.jpg

しかしこれは決して「暗い映画」とはいえず、どちらかといえば「何処となく未来へ向けた明るさ」さえ感じさせる映画になっています。

タイトルの「萌の朱雀」から私がイメージするのは、「命あるものを芽吹きの世界へと導く神」の存在です。(※朱雀=天上南方の守護神)

だからこれは、其々の旅立ちを描いた映画なのかもしれません。
そういえば、孝三が8oカメラを肩にかけて野辺を歩き始めた映像には明るい曲調のBGMが使われていました。
そう考えると、一度壊れてから別のものを新たに産み出す、この世に存在する「自然の力」も重なって見えてくるように感じます。
不思議な奥深さを持った作品だなと思いました。

ただ・・・、これは何らかの監督の意図があってのことだとは思いますが、幸子が家を出ることを決め、みちるもそれに従ったことで、一度は本当の母に捨てられた(と、想定できる)栄介が、結果的に再び家族に捨てられることになったことが“ただただ”悲しいです。

彼はそれでもきっと、逞しく優しい青年に成長するだろうけれど・・・。

                萌えの2.jpg


 昨夜は仕事帰りにちょっとだけいつものJazz Bar Wishy-Washyに寄らせて頂きました。
定番のカクテルのあと、今日は<ブラントン>を<ロック・ちょい水>で。このバーボンは私的に「背筋を伸ばして飲むバーボン」のイメージを持っています。

隣に添えられているのはとっても嬉しいぴかぴか(新しい)ママさんのサービス<ハート型ココットに入ったハート型半熟目玉焼き>です。
半熟具合が絶妙です。

                ブラントン.jpg

晴々しいハート型には似合わぬ身と自身で気圧されつつ、でも美味しく白身から攻略していって後半一気に黄身にお箸を入れました。
さあ、その瞬間、私にも“萌の朱雀”が降りてくれたかなぁ・・・。
posted by ぺろんぱ at 21:10| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
おお、ご覧になられたんですね!

この作品には、一時めちゃめちゃにハマりまして(=^_^=)
・原作小説購入(筆者も河瀬監督ご自身)
・現地ロケツアー敢行

などと、若気の至るままに色々やったものでした。

結局、西吉野村に「山の中腹にポツポツと人家の点在してる」
あの雰囲気はたっぷり満喫しましたが、
・バス停
・吊り橋
などは見つからずじまいでした(⌒〜⌒ι)

きっと五條市とか、御所市とか、ちょっと異なるロケ地だったんだと考えてます。

終盤では、どうやってたんだか、クレーン撮影してて驚かされましたっけ。

ちょっと祭りのシーンのカットが散漫な印象もありましたが、思い出に残る秀作でした。
Posted by TiM3 at 2008年07月23日 23:16
TiM3さん、こんばんは。
そういえばTiM3さんも『殯の森』レヴューの中で本作をご覧になっていたような事を記述されていらっしゃいましたね。

現地ロケツアー、よいですね。

このつり橋は<黒淵のつり橋>といって、奈良県五條市黒淵にかかるつり橋のようです。水の色が黒く見えるらしいです。
アクセスとしてはJR五條駅から車で約25分とか。
その辺りのことは簡単な1ページもので、『LOCATION JAPAN』08年8月号(地域活性化プランニング刊)に掲載されていました。偶然に見つけて食い入る様に読みました。TiM3さんからこのようなコメントをいただいて、再び「人生はつながっている」感に驚いている次第です。

祭りのシーンですか、、、ちょっと観返してみます。(^_^)
Posted by ぺろんぱ at 2008年07月24日 20:29
おお、橋の情報を有難うございます。

都合がつけば、アタックしてみまーす(=^_^=)
Posted by TiM3 at 2008年07月24日 23:34
TiM3さん、こんばんは。
私にとっても「偶然にして驚きの」情報でしたので・・・お気にされず、また季節の佳き頃にでもお時間がございましたら再訪なさってください。
Posted by ぺろんぱ at 2008年07月25日 20:54
どもども☆お久しぶりですー。

この映画は、公開当時監督の舞台挨拶があって思ったことをそのまま質問した思い出があります。

漠然と思うのは、静かな自然の小さな音の中で、自分の心のうちからの声の存在をかんじさせるなーと。
尾野真知子さんはもがり、クライマーズと魂の声を持つ女優さんだと思いました。すごくこれからどんな風になっていくか楽しみです。

河瀬監督の映画は、見た後の余韻が半端じゃないので一回で十分なんだけど、この作品はもうずいぶん前の作品なんで、記事読ませていただいて改めて再度みたいなーって思いました。
Posted by dk at 2008年07月27日 22:59
dkさん、お久し振りです!

『殯の森』の拙レヴュー・アップの際にdkさんが「『萌の朱雀』の舞台挨拶の時に(dkさんの)質問に丁寧に答えてくださった」とコメントを入れて下さっていたのを覚えています。
どんなことを質問されたか興味がありますが(^_^)、まあそれは想像の範囲で楽しませて頂きますね。

本作は幾つかの「音」がとても心地よくすぅーっと入ってきました。
dkさんの仰る通り、そんな中においては「(自分の)内なる声」もダイレクトに感じられるのかも。

尾野さんが本当に少女の顔から大人の女性の顔に成長されていたことが驚きでした。

佳き作品ですよね。(^_^)
Posted by ぺろんぱ at 2008年07月28日 21:13
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/17258637
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック