少し前にシネ・リーブル梅田でかかっていた『マイ・ブックショップ』がひと月と少し遅れて元町映画館で上映されています。
拙ブログの〈お気に入り〉にリンクを貼らせて頂いているYURURIさんのブログでこの映画に興味を持ちました。そして時々コメントをくださっているビイルネンさんが送って下さったチラシ等の情報で、好きな女優さんであるジュリー・クリスティが本作のナレーションを務める事を知って、「これは観に行かねば!」と思っていたのでした。
YURURIさん、ビイルネンさん、共にお礼申し上げます。ありがとうございました(*^-^*)。
ということで、『マイ・ブックショップ』(イザベル・コイシェ監督)を元町映画館にて。
「1959年、イギリス東部の海辺の小さな町。書店が一軒もなかったこの町に、周囲の反対にあいながらも読書の楽しみを広めたいという願いを胸に、今は亡き夫との夢だった書店を開店した一人の女性の物語(映画チラシより)」です。
楽しみの一つだったジュリー・クリスティのナレーション。
この語り手が誰であったのかが分かった最後のくだりで、心に熱いものがぶわーっと込み上げてきました。
フローレンス(エミリー・モーティマー)との約束を忘れず一冊の本をしっかりと胸に抱く少女クリスティーン(オナー・ニーフシー)。
“ある復讐”の証が遠くに見えた時は、まるで海を吹く風が怒りも悲しみも全て吹き飛ばしてくれるように感じられた瞬間でした。
理不尽な嫌がらせに一度は屈せざるを得なかったフローレンスですが彼女は決して負けたわけではないのだ、とも。だから島を去るシーンにはそれほどの悲壮感が私には無くて、むしろ船上の彼女の佇まいには彼女の中で尚消えてはいない「力」のようなものさえ感じたのでした。
フローレンスは二つの心を大きく動かしました。
他者との交わりを絶っていた古老の人ブランディッシュ氏(ビル・ナイ)と、それまで本を読もうとはしなかった少女クリスティーン、二つの心。
クリスティーンは本を読むという一生の宝を得て、ブランディッシュ氏は再び誰かと心を通い合わせることができたのですから。
海辺でのブランディッシュ氏の“崇高な意思表示”のシーンは、彼の眼差しと一人残ったフローレンスの後ろ姿があまりに切なくて、私の中で忘れられない名シーンとなりそうです。
人間の陰湿な負の感情は暗く重いものでしたが、心豊かに生きたいと願い、結果的に誰かの心をも豊かなものに変えたフローレンスの生き方がそれ以上に素敵で、どこか清々しい印象さえもたらせてくれた作品でした。

映画を観ててミルクた〜っぷりの紅茶が無性に飲みたくなりましたよ。
本作の最重要アイテムである本も、丁度読んでいたのを読了したので新たなる一冊を買って帰りました(再び村上R.小説)。
そしてその後はやっぱりこっち(お酒)で。 掲出画はいつだったかの日本酒Bar。
あ、本作の、別の側面から得た教訓を一つ。 子どもをなめたらあきません。
自分は観て「よかった〜!」と思たところで、それだけかい?(芸なし)(…)みたいな感じなんですが(トホホ)細部まで余すとこなく表現されてて…いつもながら感嘆!です。
自分がぼわ〜っと感じたことを殆ど代わりに言うてもろたような…。(ほんまかいな)(…いやほんまです!)
ありがとうございます。ほなまたです。
ビイルネンさん、ようこそです。
観てよかったです。ありがとうございます。
ジュリー・クリスティーさんの、お年を召されたからこその深〜いお声もよかったです。
登場する「本」たちにも色んな意味が込められているようですね。劇場内の中には本好きの御方も多かったとお見受けしました。
絵文字でしょうか??コメント上でちゃんと変換されずに申し訳ありません。でも文面からその絵文字??を想像しながら拝読しました。(*^-^*)
こうして少し前に見た作品を思い出すことができたこと、感謝します。
彼女は決して、自分に負けたないですもんね。
人を疑わない、遠ざけない等の自分自身の立ち位置は変えていないのですから。
とはいえ、正直私は悔しかったですけど(笑)
ジュリー・クリスティ、ここで登場する「華氏451」(トリュフォー監督)の
主演女優だったんですね。
いつか、見てみたいもんです。
Yururiさん、お越し下さり嬉しいです。
勿論私も悔しい思いもあります。あの場所であのまま書店を続けていけたら色んなことの展開が違ったのでしょうから。
ブランディッシュ氏との関係も、ね・・・ああ、それを考えるとやっぱりつらいですね。
華氏451、この映画の結末にも相通じるものがあるとか。私もいつか観たいです。