シネリーブルで『風をつかまえた少年』(俳優キウェテル・イジョフォーの初監督作品)を観ました。
同題の原作(ウィリアム・カムクワンバ,、ブライアン・シーラー 共著)に基づく実話です。原作者ウィリアム・カムクワンバの少年時代をマックスウェル・シンバが、その父親役を監督であるキウェテル・イジョフォーが演じています。
Story
14歳のウィリアムは、2001年にアフリカの最貧国マラウイを襲った干ばつのために学費を払えず、学校に行けなくなってしまう。彼は図書館で見つけたある本から、独学で発電のできる風車を作り畑に水を引くことを思いつくが、雨乞いの祈祷をする村でウィリアムを理解する者はいなかった。だが、家族を助けたいという彼の思いが、徐々に周囲を動かしていく。(映画情報サイトより転載)
2001年ってアメリカ同時多発テロが起こった年ですよね。
世界を震撼させた驚愕の事件も、電池でかろうじて起動させる古いラヂオで聞かねば知ることもない。そんな中、風の力で電気を起こす試作装置でイカレてしまっていたラヂオから再び音声が蘇った瞬間に大喜びする少年たち。世界の大事件も、明日の暮らしもままならない国の少年たちにはどうでもよいことだった…そのリアルさに軽い衝撃を受けたシーンでした。
その大事件のうらで、テロとは全く無関係の次元でただただ懸命に家族と暮らしを支えようとした少年がいたことに、先ずは頭をはたかれたような思いでした。
映画は終盤あたりまでずっとマラウイでの困窮の暮らしが描写され続けます、それは観ていて苦しいほど。盟友でもあった犬・カンバの死は殊に心に突き刺さりました。
追い詰められた状況下でも自棄的に暴力や犯罪の世界に走るのではなく知恵と学びの力で明日を切り開こうとした少年ウィリアムの姿には脱帽の思いでした。
ウィリアムを愛しつつも困窮のあまり彼に力を貸すことを頑なに拒む父親。
「父さんが知らないことを僕は知ってる」
最愛の父親に対してそう言わざるを得なかったウィリアムの心はどんなに辛かったことか・・・。
しかし、学び、それを“暮らしに活かす”ことの重要さをウィリアムはいわば本能的に知っていたのでしょうね、とても賢く強い子です。
愛する家族を守るために学ぶ。学んで明日への道を切り開いてゆく。
学ぶことの本当の意味はそこにあったのですね。
マラウイという国の名すら知らなかった私。
死者を弔う儀式の風習は幻想的な中に神聖なるものの存在を感じさせ、その映像はとても美しく心に残りました。
また一つ、佳き映画に出会えたことに感謝です。この映画との出会いも私にとっては「学び」でした。

ラストに「神は風のごとく全てのものに触れる」という言葉がテロップで流れました。
何処にいても、そう感じることで少しは何かが変わってゆくのでしょうか、いまの自分自身も。
で、冒頭の竹馬ダンサーに魅了されました。
あの仮面は初めて見たのですが、妙に表情が可愛らしくて印象的です。
しかし、映画の大半は想像以上にしんどい描写でしたね。
カンバの死も辛かった(涙)
人々が政府の配給車に殺到するシークエンス、
食料にありつけなかった人達が暴動を起こすのでは?
とドキドキしてしまいました。
悪意はなくても、人家に押し入り食料を奪ってしまう人達の存在もリアルです。
そんな困難な状況で、努力して少しでも生活を良くしようとする若者の存在は
希望そのものだったでしょうね。
おばちゃんも負けてられへん!と思いました(笑)
それにしてもアフリカは人類発祥の地なのに、まだまだ知らない国があります
Yururiさん、お越し下さり嬉しいです。(*^-^*)
ウィリアムの賢明さと、とにかく家族を思う健気な姿に私も「おばちゃんも負けてられへん!」と思いましたよ(笑)。
懸命の努力でも報われていない現状なのに何故にあのように権力は無下なる態度をとったのか・・・学校の責任者はなぜあそこまで学費に固執したのか・・・、権力による弾圧が「こんな国にも!?」と思った次第です。小国であればそれなりに自在の統治の在り方はあったと思いたかったので・・・。
食料配給(と言いつつ実際は高額を払っての購入っていうのも疑問ですよね)から何とか無事に(命を落とすことなく)ウィリアムが帰還できたことは私もホッとしました。
こんな映画が世に広まってこんな状況に類似する国があることをより多くの人が分かるっていうの、、、やっぱりよいことと思います。「知らない」ということが少しでも減れば、という意味で。
あの風習。
仮面をつけた一人の男性が特別な存在のように幾らかの時間カメラに捉えられていたシーンがありましたが、あれってどんな意味を持ってたのかなぁと思っています。
地味にインプットしていた作品でしたが観に行ってよかったなぁと思っています。
アフリカ単一起源説・人間の始まりはアフリカからという話が本当だとすれば、この少年のように頑張って理不尽に立ち向かうのもアフリカ発祥ならば、それを押さえつける権力という行動もアフリカ発祥でしょうかね。
自分の中に潜むそーゆー生臭いものにも、神は風のように触れてくれたらなぁ。ぜひ、鑑賞しに行きます!
ローラーおとこさん、お越しくださり嬉しいです。
暑いですね、まだまだ。
この年になっても日々凹むことばかりの自分にとって、こういう理不尽な現状に立ち向かうエネルギーは果たしてあるのだろうかと思いつつ、、、でもウィリアム少年はきっとそれを“理不尽”などとは考える余裕もなかったのだろうなぁとも感じ、意外にもいろんなことを考えさせられてしまった一作でした。
もしもお時間がございましたら(*^-^*)。
ロラ男さんにも、自分なりに懸命に生きてるたくさんの人々にも、どうか神が風のように触れてくれますように・・・。