2019年08月17日

トム・オブ・フィンランド     どんな形でも「愛」

 
シネリーブルで 『トム・オブ・フィンランド』(ドメ・カルコスキ監督)を観ました。

ゲイアートの先駆者としても知られるフィンランドの国民的芸術家トム・オブ・フィンランドの半生を描いた伝記ドラマです。
内容に興味があったこともさることながら、フィンランド作品ということと、主演のペッカ・ストラングの横顔にほんの一瞬だけですが故マッティ・ペロンパーの面影が被ったから…のチョイスでした。

幾つかの過激なショットも、根底にあった「愛」でさらりと流せた気がします。


                       トムオブ・・・ - コピー.JPG
story
同性愛がまだ法律で禁止されていた第2次世界大戦後のフィンランド。帰還兵のトウコ・ラークソネン(ペッカ・ストラング)は、鍵をかけた自室でスケッチブックに向かい、己の欲望をドローイングとして表現していた。彼がスケッチブックに描いたのは戦場で出会ったたくましい男たちの姿だった。妹のカイヤから広告の絵を描く仕事を紹介されたトウコは広告の世界で才能を発揮し、昼は広告会社、夜は部屋で作品作りに没頭する日々を送っていた。そんな中、トウコが「トム・オブ・フィンランド」の作家名でアメリカの雑誌の表紙を飾る。彼が描くたくましい男性のイラストは、数多くのゲイ男性たちの理想像として共感を呼び、その評判は世界中に広がっていった。    ※映画情報サイトよりの転載です。


みんな、愛を求めている。
ラストで語られたその言葉が全てだと思いました。

肉欲的な妄想が先行するアートだけれど、それも抑圧された世界故のことなのでしょうか。
誰かを愛することで、それだけのことで危険な状況を伴う時代において、精神的均衡を保つギリギリの自己表現(自己保存)行為だったと感じます、トウコのドローイングは。
だからこそ、多くのLGBTの人たちに切実に訴えるものがあったのではないでしょうか。

あのマッチョなイメージの男性の姿は、トウコ自身が戦争で殺めてしまった敵国・ソ連兵への弔いなのでしょうか?? そのソ連兵に再び命を与えようとするかのような。
そのソ連兵が憑依したかのような人物の映像が何度も挿入されていて、トウコの戦争による心的外傷の影響も少なからず感じられた作風でした。

ただ、アメリカの多くのゲイの人たちが何故あそこまで肉欲的謳歌を求めるのか、分かりえなかった私です、ごめんなさい。先述しましたが、抑圧された環境だからのことなのか・・・それでも、真に愛する人を求めるというより一時の性の相手を求めるような場面があり、そのあたりが私には上手く咀嚼できなかったのは確かです。


でもトウコとニパ(ラウリ・ティルカネン)の純粋な愛は最後まで支えたかったです、気持ちとして。外で手をつなぎたい・・・それが叶ったのはトウコがメジャーになって渡ったアメリカでのたった一度のことでしたね(やっぱりアメリカって凄い国!それだけ多様な人種の集った国だっていうことでしょうか)。
「僕たちのことを知ってもらって。」、そう言い残したニパの心が愛おしいです。

トウコの妹カイヤ(ジェシカ・グラボウスキー)の存在も素敵だったなぁ。
兄に対する拒絶からやがての心的融合へと・・・彼女もある意味で兄トウコによって人生が大きく変わってしまった人間かもしれないけれど。それを超えて兄を、そして慕っていたニパを理解したいと思たのですね。

みんな、愛を求めている。 確かにそうですよね。



                        プライムハイボール - コピー.jpg

 最近ちょっとハマっているセブン開発プライベートブランド品<プレミアム・ハイボール缶 8%>です。
甘くなく、変なレモン風味も無いのがよいです。

新幹線なら「all right! 」でも在来線ではたとえ遅い時間でも白眼視されるちゃう飲酒です・・・でも呑まずにいられない日もあるのです。
各停でこの日はお隣にどなたもいらっしゃいません、、、せめてもの言い訳ですが。

「トム・オブ・フィンランド」を想いつつの「ハイボール・イン・ザ・トレイン」です。



 
posted by ぺろんぱ at 19:02| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
またおじゃまします!

ー故マッティ・ペロンパーの面影が被ったから・・のチョイスーての何かわかる気ィがします。(しみじみ)

で、自分、電車の中どころか、フツーのホームで缶ビール飲んだことありますぅ。立ち飲みで。夕方でした。(いや自慢してるつもりはないけれど)(そんなん自慢になるかいっ)(・・・)

ほなまたです。
Posted by ビイルネン at 2019年08月20日 23:05
ぺろんぱさんのレビューを拝読して思い出したのですが
映像で描かれる男性同性愛者の人達の性的衝動は
女性の感覚とかなりかけ離れていると、
以前から感じてました。

そこには、女性が持つ防衛本能(妊娠や様々なリスク)はなさそうだし
また、優れた遺伝子を残すといった無意識の意識もおそらく無いですよね。

だからなのか10代の私は、肉欲的謳歌を求めるゲイの人達に
ある種の嫌悪感を感じていた時もありました。

今は共感とまではいきませんが、感覚的には理解できるような気がします。

トウコの絵は、ある種の人たちが理想とする肉体的魅力を備えたモノだろうし、
自分の内なる欲求を、まさに絵に描いた作品に、人々は惹きつけられたんでしょうね。

ところで、
雲ひとつない晴天の続くカリフォルニアもいいけれど、
ずっと薄暗くて、短い夏に喜びを凝縮して感じられそうなフィンランドもいいなー
などと思う今日この頃です。
Posted by Yururi at 2019年08月20日 23:34

ビイルネンさん、ようこそです。

>故マッティ・ペロンパー

本当に一瞬のことだったのですけれどね。予告編の映像で。
マッティはハンサムじゃないけれど本作のペッカ・ストラングはハンサムですしね。
でも一瞬、被りました。

ホームでの缶ビール、よいですね。
あのプシュー(開栓音)も呑んべえは他の炭酸飲料の開栓とは微妙に違うのを察知するから、他の音に紛れやすいホームで開けてぐいっといっとくのがよいのかも。。。待たれへんのですよね、先ずもって(*^-^*)。

同士を得た気分で私もホーム&車中ハイボします。

Posted by ぺろんぱ at 2019年08月21日 22:28
Yururiさん、ようこそです。

女性の感覚とは違う、そしてストレートの男性の感覚とも違うっていうの…なるほどと思いました。ありがとうございます。
刹那的になってしまうところもあるのかもしれませんね。しかしこうしてYururiさんのコメントを拝見したうえでもう一回本作を観たらまた少し違う印象が得られるのかもしれません。

フィンランド。
きれいな水、澄んではいるが一つ幕を通したような??空気、美しく深い森、そしてイイ意味でゴーイングマイウェイな人たち??、というイメージです。

いつか行ってみたいです。
あ、カウリスマキ兄弟のやってるBarがあるそうですが、村上春樹エッセイによると入店してスタッフがオーダーを取りに来てくれるのを待つこと30分余、、、結局お店スタッフは一人も現れず、春樹さん、帰ったそうです。^^;

そんなの別として、とにかくフィンランド、興味深い国です。




Posted by ぺろんぱ at 2019年08月21日 22:40
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