6日付のブログで書いていたもう一本の映画、『命みじかし、恋せよ乙女』(ドーリス・デリエ 脚本・監督)の感想を記します。
シネリーブルで鑑賞いたしました。
本作はこの邦題から受けるイメージと大きく違った作品でした。そして鑑賞後いまだに尾を引いていろんなシーンを反芻しております。
ドーリス・デリエという監督(ドイツ人の女性監督)はかなり日本に傾倒されているようで、過去にも日本を題材あるいは舞台にした映画を何作か撮っておられるようです。
後になって知ったことですが、本作はその中の一作『HANAMI』(日本では未公開)のいわば続編的世界だったらしいです。
とにかく映画を観て感じたのは「この監督の描く世界に何故かとても惹かれた」っていうこと。
この監督作品に出会えてよかったです。
『HANAMI』も『フクシマ・モナムール』(こちらもデリエ監督作品)も、いつか観てみたい。
Story
2018年9月に他界した樹木希林の初の海外デヴュー作品で、遺作ともなったドイツ映画。主人公が訪れる茅ヶ崎の老舗旅館「茅ヶ崎館」の女将を樹木が演じている。
ミュンヘンに暮らすカールは、酒に溺れて仕事を失い、妻は子を連れて家を出てしまう。孤独に苦しむ彼のもとに、ある日ユウという日本人女性が訪れてくる。ユウは10年前に東京を訪れていたカールの父ルディと親交があったという。風変わりな彼女と過ごすうちに人生を見つめ直し始めるカールだったが、その矢先、彼女は忽然と姿を消してしまう。カールはユウを探し日本へ向かうが……。 (映画情報サイトより転載させて頂きました)
※以下、結末に触れる記述をしています。
この監督が抱く日本へのイメージは、DNAのように古来から受け継がれ日本という風土に染みついているものなのかもしれません。霊の存在、幻想と魔界、あらゆるものが内包する儚さ、ものの哀れ、、、というようなもの。とにかく、スピリチュアルなものが中心にあった作品でした。
だから原題「Cherry Blossoms and Demons」の方がむしろ端的に本作品の世界を表してる気がしました。でも本作にこういう邦題を当てるところこそが「日本美」なのかもしれません。
父の死、母の精神的崩壊、兄弟・姉弟の確執、心と肉体の不一致、自己否定からくるアルコール依存、ドイツ極右政党を巡る兄一家の深い対立まで、あらゆる問題が描かれています。
説明的台詞や描写は一切無いので自分なりに感じて咀嚼することしかできませんが、その観念的ともとれる世界からはカールや彼の親族たちが抱える深い苦悩が息苦しいほどに伝わってくるのでした。
時折映し出されるドイツの風景はとても美しく、フラッシュバックのように挿入される日本の風景も幻想的で、本作に慈しみをもたらせてくれていたと感じます。
疑問は残りました。
何故最後にユウ(の魂)はカールを死の世界に引き込もうとしたのか・・・ユウは悪霊であったのか?しかし自身の悪霊に苦しむカールにずっと寄り添っていたのではなかったか?
もしかしたら、あの海での再会の瞬間までカールの中には死を望む心がまだ微かに残っていたのでしょうか。だから孤独だったユウ(の魂)はそれを感じて自分の世界に引き込もうとしたのかもしれません。
うーん、あの行為は私にとっては衝撃だったのでずっと考え続けてしまっています。
※映画公式サイトよりの転載画像です
樹木希林さんの佇まいと存在感には、彼女がもうこの世に存在しいないという事実がより一層そう思わせるのか、深い深い味わいを感じずにはいられませんでした。口ずさむ「命みじかし恋せよ乙女」の唄も然り。個々人にとっての大切な唄というのはこういうものであるのだなぁ…と。
「あなた生きてるんだから、幸せになんなきゃ駄目ね」
希林さん演じる女将のこの言葉には胸をつかまれました。ある意味、この言葉がカールを死の世界からこちら側の生の世界へと導いてくれたのかもしれません。
「あと少し、あと少しだけ、生きてみる」
全うしたとしても短い、でも価値あるものなのですね、人生は。
主演のゴロ・オイラーは長身な体躯ながらナイーブさの漂う、魅力ある俳優さんでした。
ユウを演じた入月絢さんはカーネギーホールの公演でソロダンサーを務めたアーティストで、本作での舞踊シーンは(長くはないシーンでしたが)観る者を引き付ける力強さを感じました、さすがですね。
この先ドイツを旅することがあったらノイシュバンシュタイン城のスノードームをお土産に勝って帰りたい!です(本作に登場のアイテムでした)。

やっと美味しいジンを味わえました。

サンボアBARにての、ジン・トニックならぬ、こちらは<ジン・ソニック>です。
夏は終わるけれど、もう少しジンの美味しさを噛みしめたいです。