2019年11月06日

JOKERジョーカー     悪を生み出したのも悪


アースシネマズにて『JOKER ジョーカー』(トッド・フィリップス監督)観ました。

バットマンのジョーカー誕生秘話とのことで、ホアキン・フェニックスも好きなので気になっていました。今になってしまいましたけれど。

本編前の予告編で、ホラー映画ダメ人間の私は『ブライトバーン』やら『IT THE END』やら目をつむるのに必死でしたが、この『JOKER ジョーカー』も静止できず目をそむけたシーンがありましたねー。


ジョーカー チラシ - コピー.JPG

Story
  孤独で心の優しいアーサー(ホアキン・フェニックス)は、母の「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい」という言葉を心に刻みコメディアンを目指す。ピエロのメイクをして大道芸を披露しながら母を助ける彼は、同じアパートの住人ソフィーにひそかに思いを寄せていた。そして、笑いのある人生は素晴らしいと信じ、底辺からの脱出を試みるが・・・。 ※映画情報サイトより転載


救いは何一つありません。

あ、一つだけあったでしょうか・・・「ゲイリー、優しかったのはキミだけだ」っていうアーサーの台詞。
こんな台詞が吐けたのなら何処かの分岐点でジョーカーにならない生き方もあったのでしょうか。

ピエロメイクとクラウンメイクの違いは「涙」と聞いたことがあります。涙があるのがピエロだ、と。

「自分の人生は悲劇だと思っていた、でも僕の人生は喜劇だ」
「喜劇は主観だ」
「善悪を主観で決める。笑えるか、笑えないかだ。」
何という究極のエゴイズム、そこに裏打ちされた自己愛。

でも序盤にはこんな言葉も。
「つらいのはたくさんだ。」
何処までも押しつぶされたアーサーの人生を落伍者と呼ぶにはあまりに人として無責任な気がします。(ブルースの父トーマスはこの言葉を使ってしまってゴッサムに火焔を投じてしまったわけですが。)しかし、ならば誰かが救済者になりえたかというとそうじゃない。
背負ったものを悲劇から喜劇に変換することでしかアーサーは自分で自分を救えなかったのかもしれません。

ピエロダンスが象徴的。
地下鉄で事件を起こしたあと逃げ込んだトイレで踊る姿にアーサーからジョーカーへの変貌の瞬間が見えた気がしましたし、階段で踊る姿にはジョーカーとしての完全なる侵食が見えました。そして終盤の、暴徒と化したゴッサム市民を前に車上で見せるパフォーマンスには神がかり的なジョーカーの狂気が見えました。
悪(善悪を主観で決めるアーサーにとっては善行??)に恍惚となるアーサーの表情は、ピエロメイクの涙のその奥で狂気以外の何物でもなかったです。

 
観る前は、これは映画だけのオリジナルストーリーということで従来のバットマンシリーズとは一線を画す別物の作品なのだと思い込んでいました。
ですがウェイン家との因縁やブルースとの出会い、ブルースがバットマンになる切っ掛けとなったあの事件まできっちりと描かれていたことには驚きました。

ということは、ここまでのものを作ってしまったら今後このシリーズはコミカルな演出(本来はコミックスが原作の世界でしたので)はもう微塵も出来ないのでは?? 私は初期の頃のバットマンが好きでしたので何となく寂しいなぁとちょっと思ったりしたのですが・・・ラストシーンでそれまでの重苦しさをすっと別次元のステージに持っていく面白い演出がなされていました(私にはそう感じました、あの追いかけっこ)。
ということで今後のシリーズもまた観に行ってしまいそうです。

最後になってしまいましたが、圧倒的存在感のホアキン・フェニックス、すごかったですぴかぴか(新しい)



 
八重垣 - コピー.jpg 八重垣ひやおろし - コピー.jpg

<ひやおろし>と銘打たれた日本酒がお店で呑めるのもあとどれくらいなのでしょう。
美酒はその都度それぞれの美味しさを感じさせてくれますから、年が明けて新酒のしぼりたての時期にはそれを、夏になったら夏の生酒を、それぞれと真っ直ぐに向き合って楽しむのがよいのです。

お酒にいつも癒され救われています。ありがとう。ぴかぴか(新しい)

  


城下の木の下で佇む猫 - コピー.jpg

そしてそして、散策タイム時にふと見かけた孤高の猫。ぴかぴか(新しい)
たった独り、ただ独りで、長い時間ずっーと大樹の下でどこかの一点をじっと見据えながら佇んでいました。
私もじっと見ていました・・・心持っていかれました。
いろいろあるけど互いに頑張ろうな。



posted by ぺろんぱ at 19:20| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
こんばんは。

本当に救いはないですよね。

でも、テレビを消して本を読むとか、お母さんと散歩してカフェで店員さんと談笑するとか、安い食材でいいから買ってきて料理するとか、悪の連鎖を防ぐ方法はあった気がします。

>ならば誰かが救済者になりえたかというとそうじゃない。

そうです、ほんと。
自分の人生の責任すら放棄してるんですよね。

>ピエロダンスが象徴的。
このシーンに尽きる気がしますし、すごく感覚的に共感できました。
自分が軟体動物になったような悦に入る感じ。

ラスト、確かにふっと軽くなりました(^^)/


先日、尾道に家族と出かけて、猫の道?みたいな面白いところを歩きました。猫ちゃんもいました。
猫ちゃんの佇まいって、なんか心にすっとはいってきます(^^)
Posted by dk at 2019年11月07日 00:03
今回のジョーカーを見て思ったんですが、どこか『サイコ』の主人公ノーマン・ベイツを思い出しました。
たぶん、自分の中で勝手にイメージをダブらせただけですけどね(笑)
にしても、見事な演技でしたね。
もしかして、次回のアカデミー賞にいくつかノミネートされるかもしれません(^^)/
Posted by ituka at 2019年11月07日 00:22

dkさん、ようこそです!

すみません、拙ブログの投稿システムがよくないのか2度投稿してくださったようでごめんなさい。
悩んで、ちょっと文章の多い方を(*^-^*)残させて頂きました。

そうですね。
とても心優しいアーサーだったのに・・・人々の悪なる部分が(そして母親への思いが)彼の中にあった鬱屈したものを起爆させたのですね。

>ラスト、確かにふっと軽く

あの女性セラピストがおそらく抹殺されたであろうことを想像するとゾッとしたのですが…そのあとの最後の演出がガラッと変わってた感あり、でした。

尾道、イイですね。
穏やかな気候の町でくつろいでいる猫たちの姿が浮かびます。
猫の佇まい・・・そうなんです、画になるんですよね〜。幸せの匂いがします。(*^-^*)



Posted by ぺろんぱ at 2019年11月07日 18:28
itukaさん、ようこそです!

『サイコ』のノーマン・ベイツ!
仰る通り私もそう思えてきました。
まさに「戦慄」という表現が重なります。
周囲から抑圧された感も、母親という存在への喪失感とかも重なります。

>次回のアカデミー

そうでしょうね。
ホアキン・フェニックスは、『グラディエーター』で初めてスクリーンで観た時に鳥肌が立ったのを覚えています。あの時は確か助演男優賞にノミネートされながらも結局は取っていないのですよね???

今回応援します(*^-^*)。(私が応援しても何も変わりませんけれど。(._.))

Posted by ぺろんぱ at 2019年11月07日 18:40
そうそう、ともすれば、風に飛ばされそうな
痩せたホアキンのピエロダンスが印象的でした!

そして、
「まだ吸えるのかい!?」な、根元までいってもまだ吸い続けるアーサーの
驚異の喫煙シーン(@@;に肺が痛くなりそうでした(笑)

妄想と、現実の境目がわからなくて、観終わった直後は
リピートしようと思ったのですが、
気力と体力が充実してないと無理だと、諦めました(^^;
Posted by kira at 2019年12月05日 19:07

Kiraさん、お越し下さり嬉しいです。

そうなのですよ、私もホアキンのあんなに痩せた姿(むき出しの背中なんて痛々しいくらい)が凄く意外でびっくりしたのです。
役作りでかなり減量したのでしょうか・・・やっぱり凄いですよね。

もう一回観たら圧倒された感以外に何か違ったものが得られるかもしれませんが、仰る通り心身ともに万全でそれなりの覚悟をもって臨まないといけませんよね、本作。
kiraさんご指摘の「驚異の喫煙シーン」も確認したいところですが私も映画館での再見は無理そうです^^;。

本作は本当に救いがなくてつらいのですが、それでも映画として“魅せる力”というか、画的に“ホアキンの華麗な見せ場”があってやっぱり力作やったんやと思っています。

Posted by ぺろんぱ at 2019年12月06日 18:32
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