2019年11月24日

マイ・フーリッシュ・ハート     損なわれ続けたもの


シネリーブルで『マイ・フーリッシュ・ハート』(ロルフ・ヴァン・アイク脚本、監督)観ました。

ネットでのあまりの酷評で一時は怯みましたが、観たかったのでとにかくそこは初志貫徹で。


チェット・ベイカーは、熱烈なファンではないですが(そう言えるほどには知らない)、CDは一枚持っていてCDラックのディスプレイ面に置いています。ジャケット写真の、レコーディングマイクに向かっている姿が見えるように。

Jazzトランペッターにしてヴォーカリスト。
中性的魅力と称された甘く切なく透明感のある若き頃の歌声は、多分一度聴いたら脳内に“イコール、チェットの声”とインプットされると思います。

熱烈なファンではないと書きましたが、以前にお伺いしていたJazz Barのママさんは、私がお店を訪れるといつもウェルカム曲としてこのアルバム〈CHET BAKER SINGS〉をかけて下さっていました…やっぱり好きなミュージシャンだったんですよね、私。(件のママさんにはJazz素人の私にもあたたかく接して下さったことに深く感謝。)

そしてそのBarで、スラリとした魅惑の横顔を持つチェットの後年のライブ画像を観せてもらった時は、、、驚きしかありませんでした。一体何があったのか…何が彼をそこまでに変えたんだろう…って。
だからこそ興味があったのですよね、この映画。


チェット - コピー.JPG


story
 1950年代にトランペット奏者、そしてボーカリストとしてジャズシーンを席巻し、1988年に謎の転落死を遂げたチェット・ベイカーの最後の数日間に焦点をあてたドラマ。88年5月13日午前3時、アムステルダムに滞在中のチェット・ベイカーが宿泊先のホテルの窓から落下して死亡した。うつ伏せの状態で頭部から血を流している遺体を確認した刑事ルーカスは、ベイカーが落ちたと思われるホテルの窓辺に謎めいた人影を目撃する。しかし、ホテルの部屋には誰もおらず、殺風景なその部屋の机にはドラッグ用の注射器などが散乱し、床にはトランペットが転がっていた。        ※映画情報サイトより転載

  

観に行って良かったです。

冒頭で「これはあくまでフィクションだ」と説明がされていましたが、監督が3年の歳月をかけてリサーチした上での本作は決して真実を逸脱したものではなかったと思います。

孤独ゆえの無償の愛を求める愛し方、去られることを恐れるがゆえの支配とDV、立ちきれなかったドラッグ。破滅的は日々はズタボロ、観ていて痛かったです。

ネットで酷評だったことの多くは、チェットの死を探っていく刑事ルーカスの生き様の方に焦点が当てられていたことでしょうか。
でもそういう描き方、ルーカスを通してチェットの死に迫ろうとした監督のチェットへの眼差し、私はいいと感じました。
だってルーカスとチェットって“同じ”だったから。ルーカスを追うことがそのままチェットの死を追うことになっていたと思いました。
映画が進行していく上で私の中でどんどん二人が重なっていくのでした。

映像はとても暗く重苦しいです。
ノワール調というのを超えて私にはまるでホラーの空気さえ漂っていたように感じました。終始“不確かなものの中に漂う感じ”があって、凄く心的に不安定で不思議な感覚に包まれ続けていた気がします。

それはラストショットで納得できました。
精神の均衡を欠くような感覚の意味が。
運命が交錯するどころか本当に重なってしまった二人。
ルーカスが辿るであろう「この先」を示唆するラストは秀逸でした。

ふと、ルーカスに次いでもしかして監督自身も本作を撮っていくうえでチェット・ベイカーという人間と重なり、憑かれてしまったのかもしれないなぁってそんな事も思いました。


ジャズの名曲が流れます。ぴかぴか(新しい)

マイ・フーリッシュ・ハート
イフ・アイ・シュッド・ルーズ・ユー
マイ・ファニー・ヴァレンタイン
イマジネーション
エヴリ・タイム・ウィ・セイ・グッドバイ
ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ

<マイ・ファニー・ヴァレンタイン>は一度目はトランペットで、二度目は歌で。二度目の歌は心にググッと来ます。
エンディングの<ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ>でチェットの最期の日々の余韻に浸りました。


「最大の喪失は死ではない、それは心の中で起こる」
チェットさんの死についてはこの語りが全てで、とても印象的でしたね。

チェットさんの生き様をイーサン・ホークが演じた『ブルーに生まれついて』もいつかきっと観たいと心に決めました。



ソネライヴ バーボン - コピー.jpg sone - コピー2.jpg


ジャズということでこのアルコール画を。
神戸のライヴハウスにての乾杯です。

訪れたこの日のJazzライヴは偶然にも好きなピアニスト氏(石川武司さん)の演奏で嬉しかったです。ありがとうございました。ぴかぴか(新しい)




posted by ぺろんぱ at 18:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
また、おじゃまします!

これは観に行けそうもありませんが、「ブルーに生まれついて」はちょうど3年前の11月26日観に行きました。(ノートに記録してありました←そういうとこ意外と細かい)
なかなか良かったです。イーサン・ホークもようがんばったはった!
けど、ジャズマンのある事実にある程度沿って描かれたとしても、やはりー別もんーとして観ていました。ドキュメンタリーではなく、映画は映画なんだと・・。
観てないんであれですが、自分が観たら、きっとこの映画もそういう観方になってしまう気がします。

ソネに行かれたんですね。
ぺろんぱさんが石川武司さんがお好きと初めて知りました!実はちょっとした縁もあって、自分も石川さんのトリオライブ4、5回行ってます。
また、そのことについても話できる日を楽しみにしてます!

ほなまたです。
Posted by ビイルネン at 2019年11月26日 22:09

ビイルネンさん、お越し下さり嬉しいです。

ビイルネンさんはジャズのスペシャリスト、エキスパートでいらっしゃるので、このようなジャズ関係の映画のレヴューにお越し頂けるのは嬉しさと気恥ずかしさがないまぜになってしまいます。
でもありがとうございます、嬉しいです。

ビイルネンさんが『ブルーに…』をご覧になっているのは私の中では「確信」でした(^^)。
実は本作のネット上の酷評には『ブルーに…』が引き合いに出されてるものが多くて、映画としての出来は雲泥の差だとかどっちかを勧めるなら100%『ブルー…』の方だとか。
それ故の興味もありますが改めて別角度からのアプローチにも触れてみたいなぁと本作を観て思った次第です。

この映画もドキュメンタリー的な空気はありません。対象人物を客観的に捉えるというよりどちらかといえば対象と意識が一体化しているみたいな不思議な感じでした。
もしこの先DVDででもご覧になれる時がございましたらご感想などお聞かせ下さると嬉しいです。

石川武司さんは私は多分ミーハー的な?ファンで、NHKの「ジャズライブ神戸」で何度か氏の演奏を聴いていて、素敵な演奏をされるお方だなぁと感じていたのです。
その後ソネで(やはりソネって分かりますよね、流石はビイルネンさんでいらっしゃいます *^^* )何度か偶然にライヴを聴かせて頂く事がありましてやはり素敵だなぁと。今回も全く知らずにたまたまお伺いしたのに幸運にも氏のご出演日でした。

私はその程度で多分何も分かっていないので、是非ビイルネンさんの「石川武司さん話」をお聞かせくださいね、楽しみにしております(*^-^*)。


Posted by ぺろんぱ at 2019年11月27日 21:49
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