図書館がお休みだった期間(コロナV.事情ではなく定例の春期蔵書整理期間として)に立ち寄ったジュンク堂書店で目が合った一冊があって買いました。
『魂でもいいから、そばにいて』(奥野修司著 新潮文庫)です。
「3.11後の被災地で死者を身近に感じる奇譚が語られている」と聞いた著者が、何らかの霊的体験をされた方々に直接会って得た十六の体験談をまとめた書です。2017年に刊行され、今年3月に文庫化されました。
3.11目前の頃で書棚に面陳列されていました。それで“目が合って”しまったのでしょう…恥ずかしながら私は今回の文庫化まで本書を知りませんでした。
タイトルに先ずやられてしまったのです。
とにかくプロローグの部分だけでも読みたくてジュンク堂を出た後スタバに陣取ってページを開きました。(ちなみにこの日のスタバは前回より混んでいました)
結局プロローグから第二話まで一気に読んでしまいましたが。

東日本大震災の死者・行方不明者 1万8千人余。 「生きていた1万8千人には1万8千通りの物語があったはずだ。遺された人にも 1万8千余の(いやそれ以上の)物語があったはず。」とは著者の言葉です。
遺された人の物語と逝ってしまった人との物語が交わる瞬間はあると思います。
他の人が聞いたら荒唐無稽なことでも、その瞬間を体験した人にとってはその時の感覚や感情は事実なのだと思います。
本書は勿論震災にまつわる死の物語(ドキュメンタリー)ですが、私は震災による死だけではなく、もっともっといろんな、全ての死による別れの物語がそこには含まれている気がしました。もっと言えば 死によるものではない別れ の物語さえもそこにはあるのかもしれない、と。
まだほんの数話しか読めていませんけれど、大切な存在の喪失というのはどういう形であれ似ているのかもしれないなと感じたのです。
本書の中に1万8千人余の物語があるなら、本書を読む全ての人の数だけ其々に 1万8千人余+1(それ以上) の物語があるのだろうと感じながら読み進めています。
人は失った人(もの)の存在を“形成すもの”として見る、感じることで喪失感を少しずつ埋めていくのかもしれません。失くした人(もの)を霊であれ何であれ確かな形として現わすのは他ならぬ遺された人の心なのでしょうね。

喉も心も清めます。
美酒の有料試飲、オープンエアスペースですがやはり訪れるお客様は減っているそうです。
混んでいない分空気も冴えて気持ちも集中するのか、お酒が注がれた瞬間に香が(いつもより強く)ふわっと感じられたのはちょっとした驚きでしたよ。
奥野修司さんの別の著書をもう一冊読んでみたくなって定例休館が明けたはずの図書館に蔵書確認の電話してみたら、、、定例の休館は終わったものの新型コロナV. 事情で閉館が延期になったらしいです。やっぱりね。
でも返却と新たな予約と受取りには対応してくださるそうでその点はホッとしました(で、新たに予約)。
春なのに・・・。
一日も早い事態の収束を強く願い、祈ります。
この3月15日でブログ再開して1年になりますね。本当にいつも充実した内容のブログをありがとうございます!
ー人は他者との関わりによってしか・・・。−
と常日頃から思っている自分ですが、今のこの状況はかなり厳しいですね。(厳しいだけではすまない状況があちらこちらに・・)
そんな中、ぺろんぱさんのブログは救いに似た存在でありますよね。実際に他者と関われなくとも、本、映画、音楽etc.によって、人は救われるのだとしみじみ感じます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!
ほなまたです。
ビイルネンさん、お越し下さり嬉しいです。
拙ブログ再開日も覚えて下さっていて感謝です。
少人数でさえ近距離で会うこと自体が敬遠されている現況は何だか悲しいですね。そんな中で(意図せずでも)直接面と向かって暫し言葉を交わす機会を得られた時の喜びは大きいです。
私のブログは救いなどと仰って頂けるには程遠い気がしますが、ほんのちょっとでも誰かの慰みになっているのだとしたら凄く凄く嬉しいことです。
仰る通り、映像の他に文字や音楽に数われることが多いです。
こちらこそこれからもどうぞ宜しくお願い申し上げます(*^-^*)。