皆さん、大変な状況ですが、どうぞ身体と心を大切になさってください。
そして各方面でご尽力くださっている方々、本当にありがとうございます。
今回も本のことを書かせて頂きます。
今読んでいるのは『金魚姫』(荻原浩著 角川書店)です。
少し前にNHKの単発ドラマで放送されているのを観て惹かれるものがあったので原作を手に取りました。
荻原浩さんと言えば直木賞受賞作の『海の見える理髪店』で、収録の表題作「海の見える理髪店」を読んでラスト数行で涙腺が決壊したことが記憶に新しいところです。
そのあとで読んだ『押入れのちよ』も確か表題作「押入れのちよ」が一番よかったと感じました。元来お化けユーレイの類はからっきしダメな私ですが‘ちよ’なら何だか傍にいて守り守られたいような温もりを感じたものでした。ちょっと切ない感じも心に残りました。
『明日の記憶』は映画化されましたね。映画は観ましたがこちらは原作を読んではいません。
『金魚姫』、ドラマを観てからの本でしたので主人公の潤とリュウをそれぞれ志尊淳さんと瀧本美織さんのイメージでぐいぐい読み進んでいます。
でもやっぱり活字といいますか文章から広がる物語世界は映像からのそれとはちょっと質の違ったものだとも感じます。読むという行為がゆっくりである分、一旦自分というフィルターを通しての感覚になるからなのでしょうか…。
金魚という生き物の持つ魅惑的なイメージと、潤という青年が少しずつ変わってゆく姿、ユーモラスな文章の中に在る‘輪廻転生’のどこかもの哀しい世界が、ページを繰るごとにじわじわと来る感じがしています。


健気に咲いてる感が堪らずカメラに収めた野のタンポポと、ポップな感じの柄の花たち。
季節は巡って花は咲く、のですね。
現実の世界は昨年末には予想だにしなかった厳しい状況ですが、このコロナ禍で人と人との触れ合いや距離が遠くになってしまってる今、ほんのちょっとでも生きるものの存在、命の息遣いみたいなものを身近に感じていたいなぁと思いました。
最後にお酒の話もちょっとだけ書かせて下さい

自宅呑みの日々。ビアスプリッツアーから更なる度数アップのビールに移行?というわけではありませんが、ジンをビールで割ったビアカクテル<ドッグノーズ>をときどき自宅で作って呑んでいます。
好みによりますが私はビール多めの ‘ジン 1 に対して ビール 6〜7’ くらいの割合で。
ホップの苦みに華やかな香が加わってクセになりそうな一杯ですが、酔いますのでご注意を。
て言葉・・なるほど、と思いました。
そして、やはり思うのは、原作と映画は別ものということかと・・。
それなりに、映画観て原作読みたくなったり、原作読んでたから映画も観たくなったり、を何度もするうちにそう確信しました。
映画を観やすくするために(心地よく、あるいは都合よくするために)原作の結末とかを真逆に変えられてたりすると、「何すか?はあ〜っ?」て感じでしたが・・。
ー別もんーとキッパリ思うことで解決を見ました、てか。大人になってます。(既に年いってますが←トホホ)
ほなまたです。
そういえば、コロナがニュースになってから、理髪店に行ってません。お店には申し訳ないと思う気持ちが悲しいですよね。
ビイルネンさん、お越し下さり嬉しいです。
>原作と映画は別もの
それは仰る通りですね。
全く別物に‘成り得る’といいますか一個の全く‘違う作品とすることができる’と言いますか、制作者の強い意向(作品への愛情や思い入れ)によって「全く新たな作品」とすることができるのですよね、きっと。
本作についていえば、やはりドラマとは設定の変化がかなり見られましたが概ね原作の世界観は踏襲されていたように思います。「原作のエッセンス」は上手く表現されていたなぁ…と。
しかし先述したように、やっぱり原作(文字)から受けた感じは違いました。何なのでしょうかね、その違いは。
既に“いつも大人”のビイルネンさんです。いつも教えられることばかりです。ありがとうございます。
ある程度の年齢を超えると喪失感は付きまといますね。
そして『海の見える…』は、塗りつぶして無かったことにしてるつもりだったソレが浮き彫りにされてしまう作品たちだった気がします…ね。
塗りつぶしても(塗りつぶした気でいても)消えないんですよね、やっぱり。
私も理髪店・美容室には行けていません。癒やされていた映画館や独り呑みに行ってたお店にも…。
申し訳ないなぁという思いでいっぱいです。
私も観ましたよ〜志尊クンの『金魚姫』
輪廻転生は悲しくもあり…何故か心のどこかでとても
憧れています。恋焦がれているといってもいいぐらいです(^^;
いつかは死んでしまうとしても、
コロナで逝くのは嫌だな〜と思いつつ、まだ終活もしてないです(^^)
Kiraさん、お越し下さり嬉しいです。
Kiraさんもご覧になっていたのですね〜(^^)。
死が全く何も無くなるという意味の「無」ではなくて姿形を変えての「再生」と感じることが出来たら、私もどこかで輪廻転生を信じて憧れてしまうところはあります。
こんなに死の数がカウントされてニュースになってしまうのはやっぱり嫌ですね。
終活は・・・自分では さりげない終活?、緩やかな終活? をしているような気はしてます^^;。