2020年06月24日

死の淵を見た男 ‐吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日‐ ( 本 )


いろんな規制が解除になった今、手探り状態の世の中ですが巷に笑顔が多くなりましたね。
実家に帰った時も隣家の人との平和な世間話も増えました。



  やっと順番が廻ってきた一冊。
気合が入ってたのか一気に読了しました。
『死の淵を見た男 ‐吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日‐』(門田隆将著)です。

2011年3月の東日本大震災による福島第一原発事故。
全電源喪失、メルトダウン、最悪の状況の中で決死の活動をし続けた現場の苦闘を描いたノンフィクションです。
映画化( Fukushima 50 フクシマフィフティ )されて上映後暫くしてコロナ問題が深刻化して気になりながらもそのままになってしまい、ならば原作を読みたいと思ったのでした。

死の淵を - コピー.JPG

 日本中が言葉を失ったあの日、3.11。
その直後から選択の余地なく始まった死闘の、その凄まじさに改めて今、再び言葉を失った思いでした。
家族、郷土、自身が生きて培ってきたもの、、、あの日あの時それら‘大切なもの’守り抜くために現場の人たちは何を心に決めたのか…「死」に直面する場に身を置いて何を思ったのか…。
そこには生々しい胸塞ぐ現実がありますが、当時の現場の、現場でしかわかりえない事々を知ることができてよかったと本書を読んで思いました。

 一人の女性(東電社員)の証言もあって。
事故当時はあまりの過酷さに精神が麻痺してしまっていて事故後の家族との通話でも涙が流れることもなかったのに、半年ほどを経て残る復旧のために誰もいない町中を車で現場に向かっていた時、骨と皮だけに痩せ細ったキツネが恐る恐る近寄ってきて・・・その姿があまりに哀れで持っていたあんパンを車から降りてそのキツネにあげたまさにその時、突然どーっと涙が出てきて止まらなくなった、と。
申し訳ないと、人間のみならず何の関係もない動物たちをもこんなふうにしてしまったと、自分たちへの怒りがこみあげてきて流れる涙が抑えられなかったそうです。
個人的にはここを読んでいて一番泣きました。
動物の哀れな姿と人々の酷い姿と、それを「自分たちへの怒り」と刻んだこの人たちと・・・いろんな姿がぐちゃぐちゃに混ぜこぜになって迫ってきた感じでした。
 
 周辺の人々の平穏な暮らしを崩壊させてしまった結果は勿論酷いものだったと思いますが、考え得る最悪の状態、その中の最大極限の事態を辛うじて回避できたのは現場のこの人たちの命をかけた戦いがあったからだと、改めて強く心の中で手を合わせる思いです。

 筆者の門田氏が「はじめに」と「おわりに」に記しておられる内容は冷静な分析であり、しかしながら深く心に響くものでした。
東電内で亡くなられた方もおられました。あらためて、どうぞ安らかにと祈らざるを得ません。


猫パト1 - コピー.jpg
沈思黙考

猫パト2 - コピー.jpg 「帰ってきたでぇー」「何処行っとったん!」的な?
猫たちの世界にもいろんなことがあるだろうけど、とにかくこの子たちも皆‘ 食べて寝て’元気で暮らせ!


                        インドの青鬼 - new.jpg

 最近の家呑みの一景。
インディア・ペールエール<インドの青鬼>が近くのスーパーに置いてあるのを知って買いました。
いつもアルコールのコーナーはガン見目していたのに死角でした。
久々のこの味、苦みとコクがクセになります。何年振りだろう〜、美味しく呑みました。


posted by ぺろんぱ at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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