2020年09月19日

川村元気さん小説 「 4月になれば彼女は 」 からの 「 百花 」


 再び本のこと。 川村元気さんの本について書いた 9月5日付ブログ からの続きです。

先ずは 『 4月になれば彼女は 』(川村元気著)、読了です。

四月になれば - コピー.JPG

 自らの死が近いことを知った一人の女性が、過去に在った大切な自分を探す旅に出る・・・。
死が色濃く影を落としていて喪失感や深い悲しみが目の前に展開しているのに、全編が美しい文章で綴られていて読んでいて終始ふわふわしたものの中を夢見心地で漂い続けているような感じでした。シルエットの美しい男優女優さんが演じるシックなドラマを観ているかのような…。

琴線に触れる言葉やフレーズを紡ぐのが上手い作家氏ですね、思わずノートに書きつけてしまった言葉もいくつかありました。
― 悲しい気持ちは幸せな気持ちにどこか似ている ―
何かを抱えて生きる多くの人たちの、心の奥の部分を小さくぱちんと弾くような一文。

喪失した感情を取り戻したいと思う姿、愛している、そして同時に愛されてもいることを確認したいと切実に願う姿、いくつもの心の動きが描かれてゆき、日本から遠く離れた外国の地で一組の男女が最高に美しい形で再会を迎えます。
ウユニの天空の鏡、プラハの大きな時計、アイスランドの黒い砂の海、そしてインドのカニャークマリ。
「避けがたく失われゆくものたちのかけらを拾い集める(本著の一節)」べく、もしも叶うならいつか、この物語で描かれた地を私も旅してみたく思いました。


さて、『4月に…』 読了の後は同氏の別作品 『 百花 』を手に取りこちらも読了しました。
実は刊行されている氏の小説4作品のうちこれが最も興味があったものです。

< 百花  こんなお話です >
大晦日、実家に帰ると母がいなかった。
息子の泉は、夜の公園でブランコに乗った母・百合子を見つける。
それは母が息子を忘れていく日々の始まりだった。
認知症と診断され、徐々に息子を忘れていく母を介護しながら、泉は母との思い出を蘇らせていく。
ふたりで生きてきた親子には、どうしても忘れることができない出来事があった。母の記憶が失われていくなかで、泉は思い出す。あのとき「一度、母を失った」ことを。泉は封印されていた過去に、手をのばす...。(「文藝春秋」BOOKサイトより転載です。)

百花 - コピー.JPG

 3冊を読了して、やはり川村元気さんの小説では「記憶にとどめる」ことの切なる思いが鍵となっていることを強く感じずにはいられませんでした。

母・百合子と息子・泉。
互いを忘れまいともがき苦しむ姿に加えて、本作には忘れたいがために封印した辛い過去の出来事を掘り起こしてそれと向き合うという別の苦しみも描かれています。
自分の知らなかった「母に在った日々」は、しかし紛れもなく母・百合子の一部分であり、自身にとっては辛いことでありながら静かにそれを受け入れようとする泉の姿には人としての尊さも感じました。

アルツハイマー病が進行してゆく段階で、罹患している本人が最も不安で怖くて辛かったであろうことがありありと感じられ、私自身の母親のことが重なり、その点では読んでいて心にこたえることも多々ありました。
一方で、本書の百合子のようにもしも私の母にも心に秘めた、娘である私も知り得なかった何かしらの出来事や想いが過去にあったのだとしたら「それを知りたいなぁ」って切実に思いました。
もっともっと母のことを分かりたかったなぁ・・・って。

大切な人のことを忘れずにいたい、ささやかな思い出も(たとえ輪郭を失ったおぼろげな思い出であったとしても)心のどこかに留めおきたいとあらためてそう思いました。


刊行されている氏の小説で未読なのはあと1冊、『 億男 』です。これ、映画化されましたね、未見ですが。
執筆の時系列では『 百花 』より先に出された本のようですが読みたいと思います。


セロリ 白 - コピー.jpg セロリ 赤 - コピー.jpg

小さな集い、久々の3人会で某店にての赤と白・ハーフボトル。
勿論いただいたお酒はこれだけではありませんでしたが。
コロナ禍で変わったことと変わらなかったことと・・・変わったけれどコロナのせいではないことと・・・そんなこんなを話しました。



posted by ぺろんぱ at 19:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
今回も心に沁みる深いブログを読ませていただき、感謝です。自分も前々から意識していることとはいえ、ここ最近よりいっそう考えているテーマの数々です。
あ、以前より心ひかれるものを感じていたアルフォンス・デーケンさんがこの9月6日亡くなられて「心ひかれてたものの一冊もその著書を読んでいなかったなぁ」と、1週間ほど前2冊買って読みました。(ある意味香典代わり←ふざけているのではなく正味の気持)思てた通りの人でした。
川村元気さんの本は読んだことありませんが、ともかく同じ事ばかり言うようですが、ほんま本に救われること多いです。(しみじみ)

それでも、やはりぺろんぱさんのようにー3人会ーでもー2人会ーでもやりたいです。人との対話は必要です。(キッパリ)あ、お酒も必要ですね。

ほなまたです。

Posted by ビイルネン at 2020年09月20日 21:29

ビイルネンさん、お越し下さり嬉しいです。

アルフォンス・デーケンさん。
私は知りませんでした。死と向き合う心の在り方?について記された著書が多い哲学者であられるようですね。とても良いお顔立ちをされたお方ですね。
また一つ、知らなかった世界を教えて頂きました、ありがとうございました。

9月6日にお亡くなりになられたのですね、ご冥福をお祈り申し上げます。
亡くなられても著書は残り、これからも多くの人々の手に取られるのですね。
そしてビイルネンさんが「救われることが多い」と仰っているように、これからも多くの人々の心を救うのですね、きっと。
そのことにちょっと心打たれた思いです。

人との会話も(お酒の力で少し滑らかになって)、時々ハッとさせられるような感動に出会うこともあります。活字のように残りはしませんが、それだけに‘あ、これ忘れんとこ…’って思う瞬間ってありますよね(*^-^*)。



Posted by ぺろんぱ at 2020年09月21日 20:41
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