前回のブログから、またしても本のことについての続きです。
『 億男 』 (川村元気著) を読了しました。
面白かったです。 筆致としては『世界から猫が…』に戻ったような、等身大で現実感を感じる世界だったでしょうか。
< 億男 こんな物語です >
兄の借金を肩代わりし昼も夜も働く図書館司書の一男。
妻と娘は家を出てゆくが、その後宝くじで3億円を当ててしまった一男は浮かれる間もなく不安に襲われ「お金と幸せの答え」を求め、大富豪となったかつての親友・九十九のもとを15年ぶりに訪ねる。
だがその直後、3億円と共に九十九が失踪した―――。 (※「億男」本の情報サイトよりの転載です)
記憶を巡る物語ではないのですが、失った大切なものを取り戻したいという思いはやはり根底にあったと思います。
実際、大金とは縁のなかった人間が3億という大金を手にしてしまったら、それ以前の自分とは同じでいられはしないのでしょうね。一男の場合はそれ以前に、自分には何の責任もない多額の借金を抱え込んでしまっていたわけだし。大きく人生を狂わせる出来事が二度も続けて起こってしまうとは・・・。
お金と幸せの関係って何でしょう。
私も本書を読みながらおのずと考え続けてしまいました。
結局それは個々の人々の中にそれぞれの形としてあるものだという結論に導かれてゆく本書なのですが、ならば私にも私なりの‘お金と幸せの形’がある・・・のでしょうか。
ソクラテス、ショーペンハウワー、アダム・スミス、ビル・ゲイツにドナルド・トランプ!まで・・・名だたる先人たち、大金持ちたちのお金を巡る言葉が随所に散りばめられていて「なるほどそうなのか」と深く頷いていしまうことも多々ありました。
「上手くお金を使うことはそれを稼ぐのと同じくらい難しい」 by ビル・ゲイツ とか。
「独りの金持ちが存在するためには少なくとも五百人の貧乏人がいなければならない」 by アダム・スミス とか。
上手く使うかどうか考えるほどのお金は持ち合わせていない私ですし、明らかに五百人の側に属する私ですが、世の中の成り立ちに於ける普遍的法則を思い知らされる言葉ですよね。
でもそんなふうにのんびりと思うのは一般人である私だからにすぎず、億万長者になった人間が見る景色にはきっと私の想像を遥かに超えた何かがあるはずで、そこには彼らにしか解り得ない幸せのステージがあるはずなのですよね、人生を根底から覆してしまうような惨憺たる形のものであるにせよ。あ、惨憺たるものだったら幸せとは呼べないかな・・・。でもだからこそ、お金と幸せの形は個々の中にそれぞれの形で在るものなのだ、ということですよね。
九十九という男性が孤独でありながらも「自分を信じてくれる人を信じ続けたい」と思う姿は、今まで生きてきた日々や生きるうえで座標としてきてようなものを根本的に見つめ直させてくれるかのような感じさえしました。
一男は一男なりに自分自身にとっての‘お金と幸せの答え’に近付いてゆくのですが、その過程はやはりとても苦しい・・・、しかし本書の読後感、なかなかイイ ですよ。

コロナ禍以前のものですが、とある酒場にての画です。
まあ、一般ピープルの独り呑みなんてこんな感じでしょうか・・・。 でもとても心地よいお店なのです、ここは。
B.ベルトルッチ監督の映画 『 シェルタリング・スカイ 』 を久々に観返したくなりましたよ、本書に何度か登場するのです。
録画ソフト、置いてたかな・・・?