10月25日付拙ブログで 樋口一葉展 のことを書きました。
その後何作かの現代語訳作品を読みましたので感じたことを書き残しておきたいと思います。
< 読了作品 >
「たけくらべ」 松浦理英子 訳
「にごりえ」 伊藤比呂美 訳
「この子」 〃
「裏紫」(未完) 〃
「闇桜」 山本昌代 訳
「雪の日」 〃
「うもれ木」 井辻朱美 訳
「うつせみ」 角田光代 訳
「ゆく雲」 多和田葉子 訳
「大つごもり」 島田雅彦 訳
「われから」 〃
※上記より一冊 『 闇桜・ゆく雲 他 』
読みながら思ったことは、訳者さんによってこんなに大きく作品世界が変わるのだということ。
そのことに先ずは驚きました。
今回は一度に4冊を借り受けたので結果的に翻訳者を違えて読みくらべることのできた良い機会となりました。
訳者さんの文体の個性も勿論あるでしょうけれど‘どれだけ原文に忠実に’訳すのか、それとも‘一旦壊して自らの世界観でもって’作り直すのか、その姿勢の違い(それも個性と思いますが)が凄く大きいと感じました。
どちらが良い悪いではなくそれぞれに良さがあるのだと思います。
元々の一葉の文体は句読点が殆どなく流れるように綴られてゆくもののようで、それは時代故のものではなく、むしろ当時としては斬新なものだったのではないかと思えます(間違っていたらすみません)。
しかしとにかく一葉の独特の文体を現代語に訳するのはかなり難しさを伴う作業だったと拝察しましたが、いずれも一葉作品独特のそのリズム感みたいなものをとても大切にされた現代語訳だったように感じました。
私ごときが全くもっておこがましいことですが感じたままに書かせて頂くなら、、、
松浦理英子氏や多和田葉子氏は原文の雰囲気にほぼ忠実に、島田雅彦氏は「―」ハイフンで各文を繋ぎリズムはそのままに大胆さを加味されていて、伊藤比呂美氏はご自身の中で原文を咀嚼しきってあとは現代感覚でぐいぐい楽しんで書かれたかのような、そんな感じでした。

それぞれの訳者氏による「あとがき」がまた面白くて。
井辻朱美氏の、作品をオペラになぞらえた評し方もなるほどと頷けるもので愉快でしたし、伊藤比呂美氏は今度はとにかく伊藤氏ご自身の作品を読んでみたい思いに駆られましたし、多和田葉子氏は「翻訳という読み方」と題して一葉の「言語」そのものについての考察をされているのが興味深かったです。角田光代氏のあとがきも一葉の「言葉」に注目した真面目で冷静な眼差しを感じるものでしたね。
現代語訳の面からではなく一葉の小説そのものについての感想としましては、(読んだ作品に関しては)殆どの作品が最後の美しく且つ簡潔にして見事な一文で‘すとん’と幕を閉じることで読後に深い余韻を残すものだったということ、です。
また、どの作品も不思議に「舞台劇」を観るかのごとき趣きがあり(「うもれ木」に特にそう感じました)、不穏でミステリアスな空気感を漂わせながらラストで一気に幸せの世界へ仕上げた「この子」などは超短編作品ながら意外な面白さ。「大つごもり」は読み終えてみれば私にはこれが最も楽しめたかも!と思えた一作だったでしょうか。これも最後の3行が物語の世界を劇的に変えるものでした。
病に取りつかれることなく長く生きておられたら・・・借金も返済出来て、いつかどんな幸せが一葉さんにやって来ていたんだろう・・・。

独りサク呑み の回数も今年は激減しました。
それなのに変わらぬ笑顔で迎えて下さって嬉しいです、ありがとうございます。

ー原文を咀嚼しきってあとは現代感覚でぐいぐい楽しんで書かれたかのようなーて感じ、
それを読んでいないものの何となく想像がつきます。ぐいぐいいったはるんでしょうね、きっと。
"独りサク呑み"、状況が許せば(コロナだけのことでなく)何ぼでもやりたいもんですが・・。
そこは、ぺろんぱさんに自分の分まで使命託します、てか。(勝手なこと言うな)(かんにん)
ビイルネンさん、お越し下さり嬉しいです。
はい。伊藤比呂美氏も、加えて島田雅彦氏も‘ ぐいぐい いったはる ’翻訳でした。(^^)
独りサク呑みですが私も回数激減でビイルネンさんからの任務を拝してよいものか否か…。
しかしこれから行くときは魂入れてビイルネンさんの分も呑むことに努めます!(呑む気満々!? )