2021年04月24日

ノマドランド

 
先ず初めに。
レスリー・マッコーエンさん、どうぞ安らかにぴかぴか(新しい)

昨年秋頃から自宅のPCが不調です。 騙し騙し遣ってはいますがいつどうなることやら。
ブログをやっていても超アナログ人間な私、大概のことは独りで何とかやってきましたが こっち関係は全くアキマセン。いざという時は暫くスマホからの投稿になるのでしょうが操作画面も小さいし画像の投稿とかどうなんでしょう。
急に短文だけの投稿になったら 「ぺろんぱのPC壊れたな」 とお察し願います。

  観たいと書いていたリーブル神戸での『 ターコイズの空の下で 』は慌ただしくしているうちに鑑賞出来ず仕舞い・・・有言不実行になってしまって恥ずかしい限りです。
でも 「久々に映画館で映画を観たいなぁ」 という想いは在って、アースシネマズ姫路でかかっていた 『 ノマドランド 』 (クロエ・ジャオ監督) を観てきました。アースシネマズもこういう作品をやってくれて嬉しいです。

ノマドランド.JPG

本作はチラシも持っていませんでしたが、劇場一階にディスプレイされたポスターを見ていると、心の深いところにすぅーっと染み込んでくるような画だったのですね。

<story>
  ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション小説を原作に、「ノマド(遊牧民)」と呼ばれる車上生活者の生きざまを描いたロードムービー。
アメリカ・ネバダ州に暮らす60代の女性ファーン(フランシス・マクドーマンド)は、リーマンショックによる企業の倒産で住み慣れた家を失ってしまう。彼女はキャンピングカーに荷物を積み込み、車上生活をしながら過酷な季節労働の現場を渡り歩くことを余儀なくされる。現代の「ノマド(遊牧民)」として一日一日を必死に乗り越え、その過程で出会うノマドたちと苦楽を共にし、ファーンは広大な西部をさすらう。(※映画情報サイトよりの転載です)

 「車上生活」というワードから、生活の困窮の中でもがく人々の姿に凄く息苦しい空気に包まれるのではないかと思っていましたがそれは違っていて、彼、彼女らが(きっかけは困窮であったかもしれないけれど)最終的に自らの意志で車上で暮らす人生を選択しているということに少なからず驚かされました。

ファーンには郊外で穏やかに安定した生活を送る姉夫婦がいて共に暮らす提案を受け、出会ったノマドの男性からは息子夫婦の家で一緒に生きてゆこうと言われます。
しかしそのどちらからも距離を置くファーンは「家(ホーム)は心の中に在るもの。だから私はホームレスじゃなくてハウスレスだ。」と言い、あるノマドの女性は車上生活で各地を渡る生活を‘ 癒しの旅 ’とさえ言っていました。

自由であり、全てから解き放たれた生き方だとも言えます。
でも圧倒的に荒涼とした乾いた空気を私はそこに感じました。
彼らは何を失くして何を探そうとしているのか。
何から逃げ、何を頑なに拒んでいるのか。


人は皆何かを失くして生きていて、家(ハウス)があっても深い喪失感を抱いて生きている人は多いと思います。
「(自分たちの生き方は)最後のサヨナラが必要無い生き方だ」とノマドの暮らしを自ら称える彼らは、目の前にあるものを 確かな永遠のもの と思い込んでしまうことが怖かったのでしょうか。

その怖さに比べれば、「死」を常に意識し安楽死の方法を考え続けることの方が遥かにラクなものだったのかなぁって。同じ暮らし方をする勇気は無いのに、心の奥に芽生えた彼らに対するある種の同調を否定できない自分がいて複雑な思いでした。

ピアノが奏でる物悲しい旋律と、広大なアメリカ西部の乾いた空気感、そしてフランシス・マクドーマンドのそれこそ乾き切った皮膚感がとにかくもの凄く心に刺さりました。
アメリカという広大な国だからこそのワイドでワイルドな朝焼け、夕焼けの空たちも感動的。
それらが美しかったからこそ、私にとって本作はやっぱり深い哀しみが心を覆った映画でした。
何かを捨てることでしか自分の「生」を肯定できないという生き方をそこに感じて。


                          休日の空 - コピー.jpg
空と樹々の青が美しい季節です。
東京・大阪・兵庫、そして京都には三度目の緊急事態宣言が発令されてしまいますが。
ワクチン接種者数が一定の水準に達するまでこういう波が繰り返されるのかもしれませんね。


                         嘉1 - コピー.jpg
あることを労って下さって人生の先輩女史が送って下さったスパークリングワイン、華やかな香と味わいです。
初めは上品にちょっとずつ、途中からは美味しさのあまりぐいぐいグラスを傾けてしまいました、ありがとうございました。

ノマドは 「流浪の民」 とも訳されるようです。
ある意味ストイックさを必要とする生き方なのでしょうが、食べるものも食べずにアルコールに溺れてゆくノマドも多分いるかもしれないなぁってそんなことも考えたりしながら杯を重ねてしまいました。




posted by ぺろんぱ at 19:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
今一部の愛好家たちは自ら進んで小型車をキャンピングカーに改造して日本を旅してますが
彼女たちのような以降の人生すべてを旅する生活者にはなれないようです。
確かに期間限定なら車中泊って楽しいものですが
一生となると何かと不便を感じてしまうんでしょうね。
公的手続きすべてオンラインしかできない環境って結構厳しいです。

あ、今大阪でコロナが大変なことになってますが大丈夫でしょうか。
Posted by ituka at 2021年04月24日 22:43
itukaさん、お越しくださり嬉しいです。

「以降の人生全てを旅する…」、そうですよね。
一旦すべてを捨て去るのって…季節ごとの衣類の断捨離すら上手くいかない私には遥かにステージの違うレベルです。

大阪、大変です。
今は大阪が職場ではなくなっている私ですが、それでも兵庫と大阪は一体で悪しき数字の増加の一途に憂うしかない状況です。
どうなるんでしょうかねぇ。
でもご心配下さりありがとうございます(^^)。

Posted by ぺろんぱ at 2021年04月25日 18:24
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