未読だったこの一冊を手に取りました。
『 オールド・テロリスト 』 ( 村上龍著 2015年文藝春秋より刊行 )です。 村上龍小説は一年振りくらいでした。
本作も、段落も章立てもなくひたすら文章が続き、例によってかなりグロい表現の箇所が随所にあり読むのに苦痛を伴うことはありましたが、(過去に拙ブログに何度か同じようなことを書いた気がしますが繰り返し書かせて頂けるならば)本作もまた、最後のページを読み終えた後に何かしら魂の浄化を覚えさせてくれる、爽快とさえ言っていいくらいの気持ちにさせてくれる小説でした。
あと、とにかく取材力が凄いなぁって心底感じましたよ、村上龍小説。
本作は 『 希望の国のエクソダス 』 (2000年文藝春秋より刊行 )の後年の日本が舞台となっています。文庫本を持ってるのでそっちも再読してみようかなと思います。

<こんな本>
怒れる老人たち、粛々と暴走す。
2018年の東京、日本を変えようと、テロをも辞さず老人たちが立ち上がった――
「満洲国の人間」を名乗る老人からの、NHK爆破予告電話をきっかけに、元週刊誌記者セキグチは巨大なテロ計画へと巻き込まれていく。魅惑的な女性カツラギと出会ったセキグチは、彼女の導きにより謎の老人に暴走する「オールド・テロリスト」たちを食い止める使命を与えられる。果たしてセキグチたちを待つものは!?
※(著者「あとがき」より→) 「 後期高齢者の老人たちが、テロも辞さず、日本を変えようと立ち上がるという物語のアイデアが浮かんだのは、もうずいぶん前のことだ。その年代の人々は何らかの形で戦争を体験し、食糧難の時代を生きている。だいたい、殺されもせず、病死も自殺もせず、寝たきりにもならず生き延びるということ自体、すごいと思う。彼らの中で、さらに経済的に成功し、社会的にもリスペクトされ、極限状況も体験している連中が、義憤を覚え、ネットワークを作り、持てる力をフルに使って立ち上がればどうなるのだろうか。どうやって戦いを挑み、展開するだろうか。 」 (※本の情報サイトより転載させて頂きました)
テロ行為は当然あってはならない、という大前提の裏で、誰もが多かれ少なかれ抱いている今の時代への閉塞感と憎悪、そしてそれに気付かないふりをして社会を生きている多くの人々の現実。そこへの 静かな怒り に着火させた龍さん的視点。
いつもながら、龍さん独自の 社会への冷徹な問いかけ や 漫然と日々を送っているかのようでいて実は必死で生きている人々へのエール とも思えるような台詞が随所に挿入されていて、響いた個所に付箋を付けていってたら最後は青い付箋のビラビラだらけになってしまってました。
最終的に、本当のジャーナリストと思える人間に‘ 全てを書かせる ’ことが狙いであったと受け取れる結末は、小説家である村上龍さんにこれ以上なく相応しい世界であったのだなぁと、、、ならばそれはどんな記事になったのだろうかと心掻き立てられるような思いで本を閉じたのでした。
本書の表紙画。
読んでいる途中は不穏で不気味な感じが作品を覆っていて、「この表紙画の明るさはいったい何なの?」って違和感を拭えなかったのですが、読み終えてみればこれほど‘オールド達’の究極の心情を現わした画はなかったかも、という思いです。辛苦に満ちた激動の世の中を生き抜いてきた彼らが、ブレない思いのまま歴史を変える行動に駆り立てられてゆく中で味わっていたのは、詰まるところ 痛快さ であったのかもしれません。
どうしても一つ 気がかりで心残りなのは マツノくん(登場人物の一人) のその後です。
文中の言葉を借りれば、彼はあの後「 自分が、確実に、必要とされるところに、行くか、戻るか 」出来たのだろうか、と。 彼には最後にどこかで 自分を取り戻せていて欲しいと切実に思いました。

某所へ向かう道中で出会ったとっても美形のサビ柄猫。
うわ〜キミ綺麗やねー、写真撮らせて! って独りではしゃいでスマホを向けたらカメラ目線で応じてくれました。
ありがとう、達者で暮らせ。
