2021年11月14日

草の響き


シネ・リーブル神戸で『 草の響き 』( 斎藤久志監督 原作は佐藤泰志 )を観てきました。
総じて淡々と描かれているものの内容はハードで、辛いシーンはやはりあって、タイトルが醸す 優しい光 に似た感覚は多分ラストシーンを見るまでは分からないかもしれません。
でも、この映画に出逢えたことをとてもよかったと思えました。これからも折につけ幾つかのシーンを思い出すことになるだろうなぁと思います。

草の響きチラシ - コピー.jpg

<story>
映画化もされた「そこのみにて光輝く」「海炭市叙景」などで知られる作家・佐藤泰志の小説を原作にしたドラマ。
心に失調をきたし、妻・純子(奈緒)と故郷の函館に戻った和雄(東出昌大)。精神科を訪れた彼は、医師(室井滋)から治療としてランニングを勧められる。雨の日も風の日も決まったコースを走っては記録をつけていく和雄。慣れない土地で暮らすことに不安を感じていた純子も、ひたむきな姿を見て彼を理解しようとする。走ることで心の平穏を見いだすようになった和雄は路上で出会った若者たちと奇妙な絆を育んでゆくが・・・。 (※映画情報サイトよりの転載です)


  人は何かの状況が重なればたやすく心を病んでしまうものだと思うし、病む病まないに関わらず計り知れない孤独を心に抱えてしまった人もいると思います。その闇の深さや、自身で処しきれないほどの苦しみはおそらくその人自身にしか理解できないものだとも思います。
結局、自分の心には自分自身が折り合いをつけないといけないのだなと感じました。

危うさを抱えた人たち。それは遠い彼方の誰かではなくて、案外近いところの、もっと言えば自分自身だったりもするのですよね。
誰もが似たものを抱えていると思うからなのでしょうか、ここに登場する3人(和雄と純子、そして和雄の友人・研二)と もう一組の3人(路上で出会った若者のアキラとヒロト、そして恵美)の日常には不思議と見ていて心を穏やかにさせてくれるものがあって、結構つらい映画なのに途中から何だかこのままずーっと傍で彼らの日々を見続けていたいような、そんな気持ちになっていました。3人と3人がそれぞれに傍にいる人間を愛おしく思っているのが伝わってきたからなのかもしれません。

でも、似た種を持つからこそ、時に苦しみや悲しみは伝染してしまう。
「他人の気持ちに触れはしない」というヒロトの言葉は、そうしようと望んでも出来なかったゆえに吐かれた言葉。
和雄やアキラの取った行動は周囲の人間や残された者の心に 埋めることのできない空所 を産んでしまった。

小さくても誰かの存在が何らかの救いや支えになることは確かにあって、それが家族や友人なのかなと思いますが、心がバランスを失っている時にはそれを重荷と感じてしまうこともあるということがとても辛いです。それぞれ相手を愛しく思っているのにそうなってしまうという、心を病むことの苦しさ、複雑さを重く受け止めました。だから純子のあの選択は彼女自身のそれまでの想いの全てが詰まった結果であり、彼女の幸せを祈らずにはいられません。

悲しいかな、走ることは決して早急な全ての解決をもたらしはしなかったかもしれません。
しかしながら少しずつでも確実に、ある作用がもたらされていた気が私はしています。和雄のみならず、見守っていた純子や研二、出会ったヒロトや恵美にも。

函館の風景、空気、風。
走っている時にそれらはただただそこに存在していて、走っている和雄を包んでいた気がします。
和雄の言葉、「(閉じ込められてしまった自分でも)それもいい。それも僕に違いないから。」これも心に刺さりました。
最後に映し出された和雄の表情に、いつかきっと の思いを強く抱きました。


久々のカムイ - コピー.jpg


 久々の猫パトロールでカムイに遭遇。
急いでいるみたいで後ろ姿しか撮れなかったけど。 カムイどこ行くん? また会おな。




posted by ぺろんぱ at 18:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/189135207
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック