2022年09月18日
友だちのうちはどこ? (BSプレミアム録画鑑賞)
録画していた( 8月30日 BS.P.放送 )映画『 友だちのうちはどこ? 』( アッバス・キアロスタミ監督 1987年制作 )を観ました。
アッバス・キアロスタミ監督の名を世に知らしめたとされるこの作品、自分では観たと思い込んでいましたがどうやらそうじゃなかったみたい。録画しておいてよかった。
85分という短いフィルムながら、こんなにドキドキハラハラして怒りさえ湧いて、でもそんなものがラストには一気に全て消し去られてしまう、清々しさを残した作品でした。
< story >
友だちの大切なノートを間違えて持ち帰ってしまった少年がノートを返すため友だちの家を探し歩く姿を描く。
イラン北部にあるコケール村の小学校。級友が宿題をノートではなく紙に書いてきたため先生からきつく叱られ、「今度同じことをしたら退学だ」と告げられる。しかし隣の席に座るアハマッドが、間違って彼のノートを自宅に持ち帰ってしまう。ノートがないと級友が退学になると焦ったアハマッドは、ノートを返すため、遠い隣村に住む彼の家を探し回るがなかなか見つけることができず……。 (※映画情報サイトよりの転載です)
身勝手で理不尽なことばかり大声でまくしたてる大人たち。
誰よりも子の気持ちを吸い取ってやるべき母親も日々の暮らしに追われて何一つアハマッドの言葉に耳を貸さない。
ただただ友だちにノートを返したい、それだけの思いが周囲の大人たちによってどんどん踏みにじられてゆくのは観ていてとても辛かったです。
トドメのように現れた 老いにより記憶の低下した?老人によって、アハマッドに残された時間も希望という名の力もついに絶たれてしまう。(でもアハマッドはその老人にも子どもなりの気遣いを見せ決して非難をしない。それだけにアハマッドの痛々しさが不憫で悲しい。)
最後の最後、友だちのうちを見つけられたらアハマッドはきっと堰を切ったかのように大泣きをしてしまうだろうと、実際そういうシーンで幕を閉じるんじゃないかとさえ思っていた私。
でも大泣きするどころかアハマッドはとうとう友だちの家を見つけられないままで、私が大泣きしたいくらいでした。
出された夕食に手も付けず翌日のために宿題をするアハマッド。
彼の父親は何があったのか話を聞いてやろうともしない。
開け放たれた扉から吹き荒れる夜風が部屋の中に舞い込んでくる様子をじっと見つめるアハマッドは、いったい何を思っていたのでしょう。
周囲に理解されなくても生きてゆかねばならない不条理さをそこに見ていたのでしょうか。
アハマッドが思いついた、ある一つの‘友だちを救う’方法。
筆跡が同じはずなのに何も気づかない愚かな教師が更に気付くはずもない、ノートの中の小さな押し花。
あの押し花が 穢れなきもの の存在を見せてくれた気がしました。
時代や国柄が大きく違っていても、人が他者へ抱く思いを描くことに於いては同じだと思います。アハマッドの 真っすぐ友を想う心が折れてしまわなくて本当に良かった。
実家帰りの際に撮った、自転車で通る川沿いに広がる田園風景。
風が稲穂を揺らしてゆく。
台風14号、奇跡的にでもなんでもいいから消滅してくれ・・・。
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結局、最後は自分で考えるしかないんだ、誰に頼ることもできないんだ、て感じでぐぐっとある意味大人になった瞬間を主人公に感じたラストあたり。(ウゥッ)
それでもやっぱり主人公も友達も子供らしくていじらしくて可愛かった〜。
ほなまたです。
ビイルネンさん、お越し下さり嬉しいです。
アハマッドも先生に叱られた級友も本当にいじらしくて可愛くて、登場する他の子どもたちも表情が自然で胸がきゅうっとなりました。
>結構大人になった瞬間
そうですね。
監督なりの彼らへのエールと言いますか、子どもたちへの 希望の託し のようなものを感じました。
ビイルネンさん、拙ブログで昔に挙げた別のキアロスタミ監督作品(桜桃の味)でもコメントくださっていましたよね、改めましてありがとうございました。
あの映画もまた今の年齢で再見したら感慨深いところが増えて(違って)きているのかもしれないですね。