2023年01月15日
「 無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記 」に思ったこと
この本、年末に読み終えてから 中々再びは向き合えずにいました。
さりとて書棚にしまい込んでしまうこともできず、この辺りで一度きちんと思ったことを綴って改めて サヨナラ を言わせて頂こうと思いました。
<こんな本>
「お別れの言葉は、言っても言っても言い足りない。これを書くことをお別れの挨拶とさせて下さい――」思いがけない大波にさらわれ、夫とふたりだけで無人島に流されてしまったかのように、ある日突然にがんと診断され、コロナ禍の自宅でふたりきりで過ごす闘病生活が始まった。58歳で余命宣告を受け、それでも書くことを手放さなかった作家が、最期まで綴っていた日記。(※情報サイトより転載)
ハードカバーを開いて冒頭の6行で一旦めげてしまったことは昨年書いたことですが、診断時に既にステージ4bだった膵臓癌の闘病記とあって内容そのものは辛いものでありながら、読み始めると山本文緒という作家の魅力が過酷な状況描写の中にも満ち溢れていて、改めて‘読ませる作家’なのだなぁと感じました。
そうは言いつつ、完膚なきまでに叩きのめされる苦痛の日々や、自分の人生のエンドを告知されながらも調子の良い日にはその先があることを期してしまう、その両方の思いの狭間に、読んでいる自分自身も置かれてしまうことに耐え難くなった時も多かったです。
貫かれていたのは文緒さんの‘書かずにはおられなかった’思いでした。
それが作家としての性なのか、私にはどのような断言もできませんが、崖の上に立っているような状況を時にユーモアさえ滲ませて綴られている文章のどれもが、掛けがえのないものに感じられたのは確かです。
一昨年の訃報で亡くなられた日は知っているのに、、、読んでいるところが既に最終章に差し掛かってるのに、、、残るページ数もごく僅かと分かっているのに、、、まだこの日記が続くような気がしてしまいました。
だから、9月29日(水)の日記の次のページをめくった時、10月4日(月)の5行の日記のあとはそのページも次のページも全部余白で・・・その時私電車の中だったんですけれど、泣きました。 ※2021年10月13日、山本文緒さんは永眠されました。
最後に一つ言えるとしたら、無人島に「ひとり」じゃなくて「ふたり」でよかったですね、ということです。支え見守ってくれた夫氏への「ありがとう」の想いが行間にすごく感じられていましたから。
山本文緒さま。あらためまして、たくさんの物語を届けてくださってありがとうございました。
思うところあって 先の連休中にふらりと訪れた明石城址でのお堀の一枚。
年に二、三度訪れますが、姫路城と違って観光客はあまりいないので静かにゆっくり一人歩きができるのです。
他にたくさんいた鳥たちの中でこの二羽が、何度となく互いに行く先々ですれ違ってたので撮りました。 通じ合うものがあったのかな…。
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紀伊國屋書店グランフロント店「山本文緒追悼コーナー」でウゥッとなったの思い出しましたが…それっておととしの10月! この1年3か月自分は何をしてきたんだろう…という思いも同時にしてきます。
ーそのページも次のページも全部余白でー
それは泣いてしまいますよね。
いろいろ思うことあり、ちょっと今のところ自分はよう読みませんが、最後の最後まで山本文緒さんそのものやったんでしょうね。
改めてご冥福をお祈りしたいと思います。
ほなまたです。
ロラおさん、お越し下さり嬉しいです。
山本文緒作品ではMyBest5作品もあるにはあり(どうしても最初に出会った頃の作品に集中しがち)ますが敢えてお勧めするのは野暮なので、ロラおさんがどれを手に取られるか、ふんわり想像を膨らませ楽しみにしております。
明石駅の改札出た外側には今も立飲み屋さんがありますがそこではないのでしょうかね…でも明石も面白いお店が結構あります。
「雑踏をアテにぼんやり」っていうの、いいですねー^^。
ビイルネンさん、お越し下さり嬉しいです。
こちらこそ、今年もどうぞ宜しくお願い致します。
「この1年3か月自分は何をしてきたんだろう…」は私もまったく同じ思いです。年を重ねるほど残りの時間が減ってきているわけなのに、いやはや、一体私は何をやっているのか。
文章から伺い知れる背景がヘヴィーなので、自分自身がしっかりしている時でないと中々詠みづらいかと(私も途中何度か…)。なのでこの先もしもいつか「読んでみようかな」と思われる時でよろしいのではないでしょうか。
「最後の最後まで山本文緒さんそのもの」と仰ったのは本当にもう‘そのものズバリ’でした。
天国でも書いておられるんですかね^^。