<お題作品>の一つだった『21グラム』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督)をDVDで鑑賞いたしました。
拙ブログと相互リンクさせて頂いているブロガーさん・TiM3さんの本作についてのレヴューを拝読し、私の<お題作品>にリストアップしていた作品です。
DVDでの自宅鑑賞はともすれば意識が散漫になりがちな私ですが、本作は124分少しも気持ちが他に散ることなく一気に鑑賞。
観応えがありました。
劇場公開時には見送ってしまっていた私ですが、スクリーンで初鑑賞出来なかったことを悔いる思いです。
TiM3さん、喚起頂きありがとうございました。

story
人は死んだ時、21グラムだけ軽くなるという。そんな“魂の重さ”をモチーフに、後年「バベル」を放つアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が、ひとつの心臓を巡って交錯する3人の男女の運命を描いた人間ドラマ。
余命一ヶ月と宣告され、心臓移植を待ちわびる大学教授のポール(ショーン・ペン)。それを知った妻は、彼が死ぬ前に子供が欲しいと申し出てくる。
昔はヤクザな生活をしていた前科者のジャック(ベニチオ・デル・トロ)。今は改心し信仰に篤く、クジで当たったトラックも神からの授かり物と信じ、貧しくも懸命に働きながら妻と2人の娘を養っている。
かつてドラッグに溺れていたクリスティーナ(ナオミ・ワッツ)。今ではその依存も絶ち、優しい夫と2人の娘と共に幸せに暮らしていた。そんな出会うはずのない3人の運命が、ある事故をきっかけに交わり、思いもよらぬ結末へと導かれていくのだった…。(allcinemaより)
※映画に関する写真は全て映画情報サイトより転載させて頂いております。
かろうじて均衡を保って存在してた砂上の楼閣が、崩壊し、悲劇に向かっていく様は、運命の苛烈さを観る者に残酷なまでに叩きつけてきます。
「幸せに暮らしている」ように見えるそれぞれの家族も、実は不穏なものを内に秘めていて、私には笑顔のシーンさえ崩壊への序曲の如く映りました。何気ないところに潜む怖さの見せ方は凄く上手いなって感じました。
別々に生きていた三家族の運命を悲劇へと導いたのは一つの事件がきっかけですが、その事件もまた、一人の人間の「運命」という名の「法則」に則って導かれたものだと思えます。

劇中で其々の登場人物によって何度も語られる「人生は続く」という言葉。
其々の人生は(どんな苛酷な状態のもとでも)続くし、また、一人の人生は他の誰かの人生にもつながっていくのだということなのですね。望むと望まざるに関わらず、ね。
三者のうち「二人」は一旦終わるかに見えた人生を再び歩み始めようとするし、終焉を迎えるに至った「一人」は、分身を残すという別の形で他者の人生につながっていきます。その「一人」にしたってもともとは別の誰かから命を受け継いだことになるのですから、そう考えると壮大な輪廻の思想さえそこには感じられてきます。深い宗教感が漂っているかのようです。
「人は何度人生を生き、何度死ぬのか」
死んだ時に21グラム軽くなったモノは、どこかの誰かが新たに得るモノになるのかも知れません。
移植される心臓という“物理的”なモノとしても、“メタファー”としても、それは言えることなのかも知れません。
だからこの映画は、悲劇をどん底まで描きながら、最後には何故かふっと何処かからか差しのべられた「手」を感じるのです。
深い闇にすぅっと淡い一条の光が差し込んだような・・・。
この余韻がたまらなく良い作品だと感じました。

終盤、悲劇の修羅場をサイレントでつむいで見せたところは見事で心を打たれる思いがしました。
時間軸が複雑に交錯する描き方も初めは少し戸惑うかもしれませんが、ある場面は後々のある場面に「つながる」「続く」というのだという感覚で見れば意味深い技法と納得もできます。
ナオミ・ワッツは渾身の演技で時には涙も誘うほど。
(彼女の妹役のクレア・デュバルもとても良かったです。)
ベニチオ・デル・トロは、もう本当にはまり役だと感じました。一度や二度の改心では許さないとでも宣告されるかのように繰り返される悲劇に、苦悩を最もダイレクトに感じさせるジャックでした。
ショーン・ペン。どうしても大学教授に見えないのは否めないのですが、先日の監督作『イントゥ・ザ・ワイルド』鑑賞以来の贔屓目で、本作での心穏やかな優しい表情もショーンその人の人間愛の為せる業なのかな、などと思ったり。

とは言っても、ポールの一番の苦悩が何処にあったのか(クリスティーナを愛してしまった後ろめたさなのか、愛ゆえの自失と暴挙への罪深さなのか、それでも死を免れなかった自分の運命への絶望か)、少し掴みきれないところがあり、そこにもう少し触れてみたくて再度観返してみたい思いの今です。
特に、この映画のモチーフとなる“他者の21グラム”を受け継いだ者としての苦悩というものについてもっと深く感じたかった気がしたのですよね。
しかし、そんなことをごちゃごちゃと分析する必要なんて無いかも。だって観終えた時に素直に心を打たれたから・・・。
この監督、私は好きです。
さて、先日ポール・ニューマンさんが亡くなられましたね。
彼の21グラムはどこへいったのでしょうね。ご冥福をお祈りいたします。


ショーン・ペンが運転中に嘔吐するシーンには、
かなり衝撃を受けましたね。
移植を済ませてからこそ、本格的な生への執着が加速するのかも・・
などとも感じました。
人は例え死しても、残された人に何かを残せるのかも知れない。
だけど、それは死んだ本人には関知出来ないこと。
そんなことを考えてみたりもします。
阿部サダヲ口調で言うと
「だって・・生まれるってことは・・死ぬってことじゃないですか!」って訳だし、それが自明なんですが、やっぱり生には執着してしまいますよね・・(⌒〜⌒ι)
>運転中に嘔吐するシーンには、かなり衝撃
私もです。
移植自体も大変なことなのに、成功の分かれ目がまだその先にあるなんて・・・。
具体的に死を意識し始めた時に、人は心の中で何かが変わっていくのを感じるのでしょうか。
>生には執着してしまい
執着というと何だかマイナスの響きがあるかも知れませんが、イコール「人生を大切に生きること」だと思うのですが。
阿部サダヲ口調で、「死ぬってことは・・・また誰かの心に生まれ変わるってことじゃないですかっ!」って言えればいいですね。
>って言えればいいですね。
確かもう1つ・・
「頑固ジジイも写真(遺影?)になってしまえば、静かなモノですね」
ってのもありましたね、、ぐふっ!
さっきまで衛星で『スティング』観てました。いいですねぇ。
>頑固ジジイも写真(遺影?)になってしまえば、
まつられたくはないけれど、もしもどうしても残されるんであれば、その一枚を本人で選びたいところですが・・・。
『スティング』・・・やはり回顧放映として真っ先に放送されるのはコレなのでしょうね。
私は観ていませんでしたが、ラストの爽快感だけでももう一回味わいたかったです。
重そうで敬遠していましたが、ぺろんぱさんのレビューには引き込まれてしまいますね。
やはり、魅力的なテーマではありますが、イニャリトゥ監督作品は読み解くのが難しそう〜。
いつかじっくりと見てみたいかも。
ポール・ニューマン!
長らく私の理想の男性NO.Tだったんですよ〜。
今でも白いレーシング・スーツの笑顔が忘れられないです。
本当に素敵な方でした。。。
はい、確かに重いです。(^_^;)
でも最後にふっと光が射す感じです。もし機会がございましたら是非に。(^_^)
>長らく私の理想の男性NO.T
そうだったのですか!?
でも確かに“スマートガイ”でしたよね。多分私も、映画誌「スクリーン」か「ロードショー」ななんかで真っ先に覚えた外国人男優の一人ではなかったかと。
・・・で、今はどなたがNo.1なのでしょう?(*^_^*)
イニャリトゥ監督は、「バベル」といい、時間軸を絶妙に交差させながら、パズルのように解いていく映画をホントに見事に作り上げますね。そして、この監督は、「バベル」の時も思ったのですが、タイトルの付け方のセンスは抜群だと思います。
それから、何と言っても、主役の3人の演技が最高でした。もともとショーン・ペン映画をということで観たのですが、ナオミ・ワッツとベニチオ・デル・トロがこんなに素晴らしい役者とは知りませんでした。さすが、オスカーノミネートされるだけの演技でした。
ショーン・ペンファンには、是非お勧めしたい作品ですね。
御無沙汰でした、こちらこそ。
TBもして下さったのですね、ありがとうございます!
後で気付いたのですが、『バベル』の時も拙レヴューで「差し伸べられた手を感じる・・・」みたいな事を書いていたので、やはり同じ監督の同じ想いのもとに紡がれた作品なのだなぁと感じた次第です。
仰る通り、三人の演技、特筆ものでしたね。
ショーン・ペンは苦手派だったのですが今は「気になる派」です。(*^_^*)