今秋は三連休がちょこちょこあって、何だかちょっと嬉しい小市民ぺろんぱです。
青い空に秋の雲が浮かんでいた爽やかな今日は、京都をぶらり独り歩き。
連休初日の昨日11日(土)は『わが教え子、ヒトラー』(ダニー・レヴィ監督)をシネリーブル梅田で。
『善き人のためのソナタ』のウルリッヒ・ミューエの遺作となった本作。
同じく歴史に翻弄される人間を描きながら、『善き人の・・・』とは明らかに趣を異にする、これは“喜劇”です。
しかし、喜劇にして悲劇であり、同時に「ペンは・・・」ならぬ「メガホンは剣よりも強し」の“復讐劇”だと痛切に感じました。

story
第2次世界大戦末期のドイツを舞台に、闘志を失ったヒトラーと、彼にスピーチを教えることになったユダヤ人元演劇教授の複雑な関係を描くヒューマンドラマ。
敗戦が濃厚になりつつある1944年12月のドイツ。ヒトラー(ヘルゲ・シュナイダー)は病気と鬱ですっかりやる気をなくし、公の場を避けて引きこもる始末だった。そんな中、ユダヤ人の元演劇教授アドルフ・グリュンバウム(ウルリッヒ・ミューエ)は収容所から総統官邸に呼び寄せられ、ヒトラーに力強いスピーチを指導するよう命じられる。(シネマトゥデイより)
※映画に関する写真は全て映画情報サイトより転載させていただきました。

脚本と監督を務めたダニー・レヴィはユダヤ人なのですね。
この映画のキャッチ・コピーである「(ヒトラーは)狂気の独裁者ではない、ひとりの孤独な人間だった」というのは、何だかヒトラーを美化しているみたいですんなり受け入れられなかったのですが、映画の内容は“美化”と言うよりはヒトラーを“茶化”したもので、ここまで茶化してコケにするということが逆に死んでいった多くのユダヤ人への冒涜になりはしないかと思いましたが、それをユダヤ人監督が書き、撮ったという事実に私は驚いてしまったわけです。
「感動のヒューマンドラマ」と銘打たれていますが、私はこれはレヴィ監督による知性とユーモアの衣をまとった大いなる復讐だと感じました。
ラストは明らかにヒトラーの自滅、ドイツ帝国の崩壊、個の癒し(独語でHeil・ハイル)への回帰。
演説台の下で死にゆくアドルフ・グリュンバウムが、そんなドイツ帝国とヒトラーを冷笑しながら見つめています。その冷笑は取りも直さずレヴィ監督の冷笑なのですね。

政治が人々の意思と全く乖離した次元で独り歩きしているところは、ちょっとだけ『博士の異常な愛情』(スタンリー・キューブリック監督)を想起させてブラックな感じでした。
ブラックに、シニカルに、権力やそれによって引き起こされる愚かな戦争を断罪しているように感じました。
時折挿入される実存するモノクローム映像が、この作品が歴史的大悲劇に端を発したものであることを再認識させてくれます。
復讐なのだからヒトラーは思いっきり“ぶざま”でなくてはならないのですが、でもレヴィ監督は、断罪はしてこそ決して“意地悪”な輩じゃないのです。
ヒトラーを皮肉ってはいますが、彼をある意味“魅力的”に描いてもいます。
レヴィ監督はあくまで芸術家なのだと、改めて思いました。

ウルリッヒ・ミューエもヒトラー役のヘルゲ・シュナイダーも、側近ゲッベルス役のシルヴェスター・グロートもそれぞれに名演。
これが遺作となったウルリッヒ・ミューエ、御冥福をお祈りいたします。ラスト10分の彼の迫真の演技・演説?にこそ、この映画の存在理由を見た気がしました。
私的には「ハイル!ヒトラー!」の敬礼をするワンちゃんと、○○を取られちゃった某側近がとってもチャーミングで気に入りました。(あの側近役はもしかして『明るい瞳』に出てた男優さんでしょうか。似てたんだけど・・・。)
いろんな角度から味わえた作品でした。
ああ、ただね、エンドロールで流される現代の一般市民によるコメント映像は無いほうがよかった気がしましたね。
さて、清々しい秋の一日だった今日。
観たい絵があって京都へ向かいましたが、その後の余った時間、七条まで戻り、平成の大改装真っ只中の東本願寺を見に行ってきました。
工事中の支柱に囲まれた御影堂の回廊を歩き、そこから写真を一枚。改装中でしか撮れない画ですね。


その御影堂に「歎異抄」の次の法話が掲げられていました。
「 善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや 」
悪人として名を残している(というか、善人としては残っていない)ヒトラーを描いたこの映画のレヴューを書きつつ、意味深いこの一節にしんみりと思いを馳せています。
タイトルから、三島由紀夫の『わが友ヒトラー』を連想してしまいました。
読んだ事はないんですけどね(⌒〜⌒ι)
懲りずにまた展覧会にお越し下さい。
今度は、ぺろんぱさんを痺れさすような素敵な絵をお魅せ致しましょう。大阪でご案内いたします。
いろいろ心配していただいて、ほんまありがとうございました!また、コメントできる状況になって嬉しありがたしです・・ウゥッ。
いつもながらシブイんいきはりますね。
自分はというと、時が止まったかのような日々を過ごす中、漠然と”もうJAZZは聴けんのやろか、映画も観れんのやろか、飲みに行ったりでけへんのやろか・・シクシク”て、正味言うたらもっと考えんならん重要な課題をば無視して、つい娯楽方面に思いをよせておりました。(何じゃぁそりゃ)
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます!(あほなコメントまた来させてください)
原題は『Mein Fufrer』で、「我が師」「我が総統」というヒトラー側からの呼びかけみたいな感じですね。それでもって副題が「アドルフ・ヒトラーに関する“本当の”真実」という意味のドイツ語のようです。
「本当の、真実」だなんていう言い方、よほど監督としては“虚像にして巨像”なる固定観念を崩したかったのでしょうね。
>三島由紀夫の『わが友ヒトラー』
そんな著書があったのですね、知りませんでした。何となく共通点があるような・・・。
京都の秋は・・・さすがに人でいっぱいでした(^_^;)。
でも市バスからの車窓を楽しめましたよ。
貴ブログでの告知を拝見して、勝手にこっそり見に行かせて頂いてしまった非礼をお許し下さい。
大阪でも開催されるのですね、、、楽しみにしております。
おひたしぶり大根・・・(というのはどうでしょうか、季節柄)。(^^ゞ
ご復活おめでとうございます!またコメントいただけるなんて本当に嬉しいです。
いいえ、Jazzも映画もお酒も、ビイルネンさんを放しませんよ〜!!その三点セットが付いて「ビイルネンさん」なのですから!
また深〜い哲学の漂うコメントを心待ちにしております。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。(*^_^*)
暗い気持になってしまうんですが
(「ヒトラー最期の12日間」なんてのは特に)、
この映画はそんな事もなく、けど人間にとって大切な物とはetc.,
考えさせられる事も多い面白い作品でした。
説教臭い所がなく、美化する事もなく、笑いにもっていくところに
好感が持てます。(=^_^=)
ところで、「明るい瞳」の木こりさん、ラルス・ルドルフは
この映画に出演していたみたいですよ!
ぺろんぱさん、すごいですねー。私は全然気がつかへんかった。( ̄▽ ̄;A
私、これも観たのですが、結構寝ちゃったのでレヴューは省略しました。w
ウルリッヒ・ミューエの姿には胸があつくなりました。
多くは語れないですが、一味違うヒトラーものとしての面白さはあったかなぁという感じですかね。
私は最後の一般人のコメントが結構おもしろかったんですよ。(途中寝ていたからか・・)
当国ドイツですら、ヒトラーのことを知らない人世代も出てきているんだというのが実に興味深くて、どういう形であれ、作品化されて語り継がれることに意義はあるのかもなぁと思った次第ですー。
ヒトラー映画の最高傑作は「モレク神」かしらー。
『ヒトラー 最期の12日間』は私もブルーノ・ガンツが好きで観に行ったのですが、確かにズズーンと来ましたね。
本作、「笑い」でこの一連の問題を表現することが出来るようになった時代になったのだということにも感慨深さを感じたりしました。
そうそう、ラルス・ルドルフ!
いえね、あの“怪しげ”な視線が「うーん、この人どこかで観たぞ!」的な既視感を招きましたもので。(^^ゞ
やはりそうだったのですね。
ゆるりさん、ありがとうございます!
すっきりしました(*^_^*)!
はい、かえるさんのブログで「寝てしまって」という記述を拝見していました。(*^_^*)
かえるさんが寝てしまわれたということは、「もしかして取るに足らぬ駄作なんやろか・・・」と観る前はやたらと不安になったりしたものですが(^_^;)、、、。
>最後の一般人のコメント
そうですね。確かに“生の声”としてリアリティーはありましたね。
こういう「声」にハッとさせられ、気付かなかったことに気付くこともあるのかもしれないです。
『モレク神』、インプットしました!
<お題作>に追加です(*^_^*)。
自分で選んでいるつもりが、どうもぺろんぱさんの誘導にそって観ているようです。この映画も良かったですよ、ご紹介ありがとうございました。
一時にせよ「ご復活の時間」を大切になさって下さいね!(*^_^*)
いえいえ!私は誘導などしおりませんよ〜!
全てwest32さんのお心の赴くままですよ!
ほんとほんと,これはヒトラーを一見擁護してるように見えて
実はコケにしたかったんだなぁ・・・とも感じたのですが
これをユダヤ人の監督さんが撮ったからこそ
不謹慎にはならず
反対に「オトナだねぇ〜」という印象も持ちました。
ミューエさんの名演も観どころですし
ミニシアター系ですが,できるだけたくさんの方に見てもらいたい秀作ですよね。
ミューエさん、もうこの世にはいない御方なのですよね。
ラスト数分間の表情は壮絶でもありました。
名演でしたね。
ユダヤ人監督さん・・・「時」を経たからこそ、こういう表現の仕方もできたのでしょうね。
たくさんの人に観てもらって最後にそれぞれ「ひと言」を残してもらうとしたら、日本人的見地からはどんな言葉が出てくるのでしょうね。
やっぱりこの映画のエンドロールでの言葉たちのようになるのでしょうかねぇ。
気になっていたがプライベートスクリーンで
拝見しました。
これは、現実ではないのですね?!
いい感じの映画でしたよ。
引き込まれました。
プライベートスクリーンって素敵な表現ですね。(^_^)
これは虚構の世界です、でもヒトラーにスピーチでの指南役の人が居たっていうのは聞いた事があります。それから、ある部分では真実だったのかも・・・、監督の心の中では。
ヒトラーを描いたものとしては異色で、面白い映画だったと思います。