昨日、1月最後の土曜日は、梅田ガーデンシネマで『ロルナの祈り』(ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督)を観てきました。

観に行こうと思っていた作品でしたが、物語の導入部を大まかにつかんでいたに過ぎなかった私は、この淡いピンクを背景色として男女が寄り添う美しいチケットのビジュアルに、本作は慈愛に満ちた“柔らかい感触の愛の物語”だと思ってしまっていました。
しかしこれは、私の半端な予想を遥かに超えた“壮絶な”愛の物語でした。
story
アルバニア人のロルナ(アルタ・ドブロシ)は国籍を得るためにベルギーを訪れ、クローディ(ジェレミー・レニエ)という麻薬中毒の男と偽装結婚する。ロルナは彼を犠牲にしてでもパスポートを手に入れようとし、クローディは彼女を希望の光に再生を図る。そんなロルナは当初クローディを拒み続けるが、次第に彼を受け入れるようになり……。
(story、写真ともシネマトゥデイより転載)

前半はとにかくロルナの生き方があまりに痛々しくて、「他に生き方はなかったのか?」と何度もロルナに問いかける私がいました。
しかしアルバニアという国は、独裁政権の崩壊後、多数の国民がヨーロッパ各国に離散した国ということでした。
先ずそこに私の想像を超える人々の苦悩が存在したのかもしれません。
一度足を踏み入れたら二度と真っ当な道へ戻る事のできない世界。
人間の「負」の部分に巣くい、利用しようとする悪の世界は、恐ろしいけれど悲しいかな何処にでも存在し、人はいとも簡単に飲み込まれてしまうのでしょうね。
そしてその世界に入ってしまえば、いくら抗っても堕ちていくしかないという運命。

そんな中で、突発的とも思え、観る者は一瞬戸惑ったかもしれない二人の“あの行為”は、あれは弱き者同士がかろうじて残っている純なるものを互いに確かめ合いたいという感情のほどばしりだったのでしょうか。
突発的と思えたことも、クローディを救わねばならなかった“あの瞬間”に、ロルナ自身が気付かなかった感情に初めて気付かされたからではなかったか、と。
映画を観た後、ダルデンヌ兄弟監督が「人間は変われることができるのか、私達の興味はむしろ其処にある」と何かのインタヴューで答えておられた記事を読みましたが、確かに、あの行為によってロルナは大きく変わる事ができたのだと思いました。

もう一つ、その直ぐ後に物語は新たな展開を見せるのですが、当初は「その展開は早過ぎるのではないか?」と再び戸惑う私がいました。
しかしそれは、“失ってから初めて、その実体が存在し始める”という悲しく不条理な「愛」の形を観る者に強く知らしめるものだったのです。
だからこの物語は、後半になって「愛」が色濃くその存在を見せ始める作品なのでした。
実体が消えた後に愛が描かれるという、異色でありながら心を捉えて放さない見事な展開でした。
「お父さんを死なせてしまった。(だから)あなたは生きて。」
この台詞が今も心に響いてきます。
ロルナが守ろうとしたあの命は、愛と懺悔が生んだ“形なき生命”だけど、ロルナの中では“本物の生命”であったに違いないと思います。
そしてそんなロルナの祈りは、果たして届くのでしょうか・・・。
クローディの乗った自転車を追いかけていったロルナの笑顔が忘れられません。


今宵、私はロルナとクローディへの祈りを込めて。 <ロゼのスパークリング>を。
ぺろんぱさんの今週の1本、予想があたりましたよー。
と、ビイルネンさんの真似になってしまいましたね。( ̄▽ ̄;A
(ビイルネンさんすみません!)
同じ会場で知っている方が見てらっしゃるかもしれないと
ふと思ったりするのは何かしらん楽しいですね。(=^_^=)
さて、「ロルナの祈り」。祈りでしたね、最後は。
前半、ロルナは男女の愛というよりも、
人間としての愛ゆえに葛藤していた様に見えました。
これみよがしでなく、こういった形で愛が描かれるというのは、
まさしく私の中のダルデンヌ兄弟作品の印象です。
>クローディの乗った自転車を追いかけていったロルナの笑顔が忘れられません。
唯一幸せなシーンでしたね。
のちに不動産契約をすませて物件を見に行くロルナも、
高揚していて一見幸せな様で実は。。。。
彼女の精神のバランスのくずれを感じさせる恐いシーンでもありました。
重そうな作品ですね。観ていないので、何とも言えませんが、設定は違えど、以前観た”堕天使のパスポートー監督スティーヴン・フリアーズ”をつい思い出してしまいました。
劇場を後にするとき、ものすごい重いもん感じたものです・・・。(太ったとかそんなんでなく)(・・・)
ビイルネンさんのみならず、ゆるりさんにも
予想して頂いて恐縮至極&光栄至極という感じ
ございます。(*^_^*)
私も劇場内で「もしやこの中に・・・」って思う時もあって、
ちょっとドキドキしたりします。
(妙にお行儀よく居ずまいを正したりなんかして・・・(^^ゞ)
>まさしく私の中のダルデンヌ兄弟作品の印象
なるほど、そうなのですね!
男女の愛というより、やはり根本にあるのは人間愛なのでしょうね。
あの「物件を見に行くシーン」は私も怖かったです。
あまりにハイな様子で、一気に崩れ堕ちる瞬間が待っているのが
分かりましたよね。
つらかったけれど、彼女が人間としての感情を残し持っていてくれた
ことに安堵もしました。
>(太ったとかそんなんでなく)
照れ隠しとはいえ、笑かさんといて下さい!(^^)
『堕天使の・・・』は未見ですが、オドレイ・トトゥが出てるのですよね。
たしか『キンキー・ブーツ』で私的注目のキウェテル・イジョフォーも。
本作もやはり重いものがあります。でもラストは何かしらほのあたたかく
輝くものがありました。
祈りよ届け、と観る者に願わせるような。
だから劇場を後にするとき、ほんの少しだけ吹く風も優しく感じられ
ましたよ。(急に春が来たとかそんなんでなく…) ←(^^ゞ
実は昔アルバニアに出張したことがあり、なんかアルバニアと聞くと素朴な人たちの思い出が....解放前の独裁時代は本当に大変だったんだろうなぁ。と思い出します。
でも
> 「他に生き方はなかったのか?」と何度もロルナに問いかける私がいました。
この言葉を観るとちょっと引いちゃうなぁ。
重いので機会があればとしておきます。
アルバニアにご出張とか! 貴重なご経験をお持ちなのですね。
丁度、4日付ブログの冒頭に書いている『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』でもアルバニアに触れるくだりがほんの少しあります。
(財政的に)貧しき国、そしてそれ故に“悲しいイメージ”を漂わせている国という表現だったかと・・・。
しかし物質的に豊満でないからこそ“素朴な人たち”の温かみがあるのかもしれませんね。
本作は確かに重いのですが、重いだけでなく、聖なる存在を思わせるまでの愛の形が描かれています。
もしお気が向かれましたらどうぞ。(*^_^*)
ガツンと愛に感動しちゃいましたよね。
ダルデンヌ兄弟の映画はいつもそうなんですが、とても心揺さぶられるんですよね。
眉をひそめたくなるような人間の愚かさ、へヴィーな状況が臨場感いっぱいに描かれいて、やるせない気持ちになるのに、最後には温かな感動に包まれてしまうのです。
「愛の物語」をキャッチコピーにしている映画は多数あれど、ここに育まれたそれはありきたりのものではなくて、不思議な驚きが入り混じる感銘がありましたねー。
はい、ほんとに“ガツンと”感動しました!
最期にこんなふうに「温かな感動」を差し出されると、観ている方もそれまでの苦しみからすぅっと解き放たれる感じでした。
私は初のダルデンヌ作品でした。
これを機に、ダルデンヌ兄弟の他作品にもいずれ触れてみたいなぁって思っています。
また記事アップが再開されて嬉しく思っていましたが
作品がなかなか被らなくておじゃまできずにいました〜
この「ロルナの祈り」はDVDで観ましたが
衝撃と感動の両方を受けましたよ。
ロルナの生き方も,クローディの人生も
そしてあんな風に生まれた愛も,とても痛々しく切なかったです。
>突発的と思えたことも、クローディを救わねばならなかった“あの瞬間”に、ロルナ自身が気付かなかった感情に初めて気付かされたからではなかったか、と。
わたしもそう思いました。クローディに対する憐れみや愛情はその前から芽生えていても
彼女はあの行為をするまで,そんな自分の気持ちに気づいてなかったのでしょうね。
失ってからはっきりと自覚した愛,というのは哀しいですが
森の中でロルナは母性に目覚め,愛に目覚め,そして善人としても生まれ変わったのだと思いました。
本作、ご覧になられたのですね。
私も衝撃とともに心にずしんと響くものがあり、今もって今年の鑑賞作でマイベスト“上位”に残っております。(*^_^*)
あの行為、何かに突き動かされたかのようでした。
ななさんの仰る通り、とても「哀しい」のだけれど、「生まれ変わった」あとのロルナの祈りに、揺るぎない姿勢と崇高な美しさを感じましたね。