昨日17日は寒かったですね。
会社のある堂島界隈でも、行き交う人が擦れ違いざまに皆口々に「う〜さむぃ!」って言ってるのが聞こえてきました。
余りの寒さに真っ直ぐ帰る勇気が湧かず?ほんの一杯だけ?お酒を飲んで温まってから帰途につきました。
お酒が回ってしまわぬよう濃いコーヒーで気持ちを引き締めながら、帰宅後に『美しい人』(ロドリゴ・ガルシア監督)をDVD鑑賞しました。
劇場公開時に見送り、衛星放送での放映も観逃し、レンタルショップT.でも「取扱いしてません」と言われ諦めていたところ、WWのママさんが衛星録画撮りをコピーしてくださったことで鑑賞が叶いました。(ありがとうございます。)
ロカルノ映画祭で作品賞と主演女優賞をダブル受賞したオムニバス・ドラマで、登場する9人の女性たちの愛をめぐる9つの物語を、ワンシーン・ワンカットでリアルに描き出している作品です(シネマトゥデイより)。

各話とも「唐突な終わり方」をするらしいということは鑑賞前の情報で何となく分ってはいたものの、いざ自分が向き合うと、その“いきなりさ”に戸惑ってしまいました。
二話あたりから漸く「なるほど、こういうスタンスなのね」と思う事ができ、それ以後はそれなりの向き合い方で臨みましたが、「戸惑い」と「置いてきぼり感」が尾を引いていた前半の三話については、全て観終えた後で再度観直しをすることとなりました。
一夜明けて今ゆっくり考えてみて、ここに登場する9話はそれぞれ10分ほどの物語ながら、それは彼女たちの人生のほんの一部に過ぎないのだということに気付かされたのです。
奇しくも6話<ローナ>の段で某登場人物が語っていた「もう行くわ。人生は続くから。」という台詞に象徴されるように、ね。
だから、この9つの物語は、フィルム自体はエンドを迎えても決してそこで終わってはいないわけです。
劇中のヒロインたちの怒りや迷いや不安や歓びは、そのまま私が当初に感じた戸惑いや置いてきぼり感と同じ周波数のものなのではないかと思えたのです。
そう思ったらそれぞれの唐突なエンディングも、それは“続いている人生のほんの一瞬”なのであって、唐突は唐突でないのかもしれないなと、今は妙な落ち着き感を得ている私です。
それぞれに、みんな、美しい人。
痛々しいまでに自分の中の「美しくないもの」をえぐり出しながら、それを消化して飲みこみ内包していく、、、10分前とは違ったより強く美しい自分になっていく、そんな物語・・・といえるでしょうか。
それぞれのお話や登場人物の一部が微妙に別のお話や登場人物とリンクしているとことも見逃せません。
ここでも、奇しくも8話<カミール>の段でカミールの夫が「全部つながっているんだよ」と言っていた、その台詞に象徴されるように、ね。

以下に、それぞれに感じたことを記してみます。
<第一話 サンドラ>
ああ、無情。 彼女が本当に“運に見放された人”なのか・・・。
人生の不条理感を先ず付きつけられた感。
しかし何ものにも屈することのない母性の強さをも付きつけられた感あり。
<第二話 ダイアナ>
一度目の鑑賞後は、実は不快感が残った。もういい加減、別れた男女をこんな視点で描くのは止めてほしいなぁ、と。
しかし二度目の鑑賞で、ダイアナの“自分自身を見失って戸惑う様”が、シチュエーションは違えど、人生の途上でふとした事で迷路に陥る女性たちの精神的破綻とリンクした気がした。
<第三話 ホリー>
彼女は、結局は“愛”の存在を確認しにやってきたのだね。
「家族」という言葉をかみしめた一作。
実はこれが私にとっては最も印象深い作品だったといえ、9話の内どれか一話のみを拡大して一つの長いストーリーに紡いでもらうとしたら、私はこのホリーの物語を選びたい。
<第四話 ソニア>
えっ!? それで・・・!? トイレに行ってからはどうするの??
はい、恐らくそのまま彼女は消えるのではないか、と。
完全に末期的症状の二人。しかし迎える側の夫婦も目に見えない破綻の影(二話:ダイアナのエピソードと絡み合っている)が見え、どちらが本当に怖いのか分からなくなってくる。
<第五話 サマンサ>
家族の「愛」が、同時に「呪縛」でもあると感じた一作。
「かすがい」という言葉でごまかしているけれど、どちらかが早く気付いてサマンサの心を解き放ってあげて欲しいと願わずにいられない。
<第六話 ローナ>
台詞が最も刺のように痛く、また一方で、(手話による会話は)最もメロウに響いた一作。
聾唖の元・夫アンドリューを演じていたウィリアム・フィッチナーに何故か心惹かれるものがあった。
<第七話 ルース>
作品の持つ雰囲気としては好きな一作。
そして示唆に富んだ台詞が最も多かったと思えた一作でもあった。
シシー・スペイセクという女優さんは“経年の孤独”を醸しだすのにピタリとはまる、諦観を秘めた感じの人。
もの陰で穏やかに輝き始めた小さな光を見つけた、という感じの終わり方なのがいい。
<第八話 カミール>
傍若無人なまでの言動に観ていて心がささくれ立ったけれど、やがて迎える深い安らぎにホッとできる瞬間。
彼女が「私たち、幸せね」という言葉を発していたが、「私」ではなくごく自然に「私たち」と言っていたことで、彼女の心底に流れていた安泰が見てとれた感あり。
<第九話 マギー>
「喪失」と、これからも生きていく(生きていかねばならない)「自分の生」との折り合いをつけられないで苦悶するマギーを感じた。
しかし周りにある風景は平和であまりに美しく、愛娘の存在も紛れもなく「生」であり、木々の間から輝く光を浴びる彼女が真に「美しい人」だと感じられた。
WWママさん、観賞が叶いました。ありがとうございました。
さて、それでもって、このDVDを戴いた日のお酒のお話を。

仕事に疲れ?(いえ、それほどの働きはしていません、私)、人生に疲れ?(確かに年だけは重ねてます)、美味しいお酒を求めてやってきた Jazz Bar Wishy-Washy でまた新たに出会った美酒はこちら、<オールド・ラジェ>という名のジンです。
アルコール度数55度の、“ガツン系”の非常に刺激的なジンです。
これはやはりオン・ザ・ロックでいただきましょう。
マスター氏が加水用のミネラルも添えて下さいました。途中でちょっとだけミネラルを注いでみましたが、とろりとしたジンのなかに溶け込んでいこうとするお水を魔の力で封じ込めようとするかのようなせめぎ合いがグラスの中で起こります。
実にストロングなジンです。
これで私も少しは強い女になれたでしょうか。
ワタシなりに、今更に、記憶を辿るに(←「に」が多い!)
「総じて(どのエピソードも)男側が弱かったなぁ」って印象が強かったです(×_×)
それでも。いや、だからこそ。
こう言う作品を造り上げた監督の女性的な視点やそれでいてのある種の頑固さに、感心させられます。
も少し、女優陣に華があっても・・とも感じましたが、
きっと「ちょうど良い」リアルな女性たちを意識したキャスティングだったんでしょうね。
仰る通り、あくまで「女性」を描いた映画でしたよねー。
男性に付いては、存在の弱さ以上に“腹立たしさ”を覚える男性もいましたし。^_^;
そんな中で何故かウィリアム・フィッチナーさんにはちょっと惹かれました。
そしてエイダン・クインさんも良かったです。TiM3さんのブログでビイルネンさんがコメントされていましたが、確かに老けて、そしてお太りになっていたクインさんでしたね。
『妹の恋人』でのイケメン振りからはビックリでした。
パッと見、デヴィッド・モースかと思ってしまいました。頬の辺りの丸味が。でも不器用そうなところの演技が良かったです。
>ある種の頑固さ
あ、そのご表現、ピッタリときます。
穏やかそうに見える同監督ですが、意外と厳し〜い難し〜い人やったりして・・・。^_^;
>華
そうですね。
私も「リアルさの追究」だったと思います。
それから、、、「9つの話」の、ヒロインに緩急をつける為でもあったのかも??です。
それにしてはそのラストを飾るグレン・ローズは“華”というより“凄味”がありましたが。^_^;
師匠に「師匠」って言われたらどないしたらええんでしょうか、大師匠!
何だか「ええところ」だけを取り上げて表現してしまったような気もしますが・・・。
そういう肯定的?に物事を捉えるところがもうちょっと今までの人生で発揮できていたら、私の人生も今とはもうちょっと違うものになっていたかも知れませんね。(今さら遅いんですけどね^_^;)
↑ ネガティブ・ぺろんぱの独白として読み捨てて下さい。^_^;
(ワ〜ッパチパチ〜ッ)
で、何故ここでーおめでとうーを書き込むのかというと・・それは、お察しのとおり・・
「ぺろんぱさんが美しい人だからです」(キッパリ)
一年一年、年をとっていくのではなく、一年一年、より美しい人になられておられます。(マジ話)
お身体くれぐれも気ィつけてくださいっ。
ずっとファンでいますぅ。
ほなまたです。beer
ビイルネンさん
「美しい人」などでは絶対ない私です。
分不相応なお言葉にただひたすら恐縮しております。
でも覚えていて下さって誕生祝のお言葉を頂けるのは本当に嬉しいです。ありがとうございます。
この年になっても未だ「(人生に)惑う」ことばかりですが・・・ひとえに精進の足りなさのせいだと来し方を振り返つつ、それでもやっぱり前向いて進みたいと思います。
私こそ、ビイルネンさんの大ファンでい続けます!
ありがとうございました!