2009年05月26日

ベルサイユの子

 24日(日)、久々のテアトル梅田へ『ベルサイユの子』(ピエール・ショレール監督)を観に行ってきました。
初めて本作のチラシを手にした時から観に行こうと決めていました。 
だって何だか良いでしょ、このチラシの画。

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本作の主人公ダミアンを演じたギョーム・ドパルデューは、昨年37歳の若さで他界。肺炎による合併症が原因だそうです。
フランスで名優と謳われるジェラール・ドパルデューの息子であった彼ですが、軋轢や重圧があったのか否か、十代の頃から幾つかの社会的トラブルも起こし、後年にはバイク事故の手術に伴う細菌感染で右足の切断を余儀なくされ、荒れた生活はその後も続いていたと言われています。

本作が遺作となったのですね。ご冥福をお祈りします。

story
   社会からはみ出て独り暮らす男と、母親に置き去りにされた見ず知らずの子どもとの交流を描く。監督は、これが長編デビュー作となるピエール・ショレール。
   パリの街をさまよった末、ベルサイユ宮殿近くの森にたどり着いたホームレスの母子。二人は社会からはみ出て生きるダミアン(ギョーム・ドパルデュー)と出会うが、母親は5歳のエンゾ(マックス・ベセット・ドゥ・マルグレーヴ)を置いて姿を消す。予期せぬ事態に困惑するダミアンだったが、生活を共にするうちに親子のような情愛が芽生えていく。  (※story、作品写真とも映画情報サイトより転載)


  この映画を観ながら、「主演のギョーム・ドパルデューはもうこの人はこの世にいないのだ」という思いが根底にあったせいか、物語の終盤である日突然ふいに姿を消す(そして二度と現れることのない)ダミアンの人生がギョームのそれに重なって見えて切なく思えました。


                      M[.jpg  ギョーム・ドパルデュー

50%を超すと言われるシングルマザー率、増え続ける失業や都市に蔓延するホームレス問題など、フランスが抱える辛苦が“現実的”に描かれているのに、何故か全体を通じて“観念的”な作品としての印象が残った映画でした。
落とし所に落として泣かせる、という類の映画じゃない。それがフランス映画らしさなのか否か、観ているうちに「社会の中で生きる」我々と「社会の外で生きる」彼等との間でボーダーレス感覚に陥り、不思議な雰囲気に包まれてしまいました。今も、あのベルサイユの森でのダミアンとエンゾを取りまく出来事の全てが私の中に詩的で柔らかい余韻を残し続けているのです。

ホームレス達が一つの焚き火に集ってエンゾを囲んで様々な言葉を交わすシーンなんて、まさに観念的と言えるシーン。
何の脈絡もないことを其々が思い思いに喋っているようで、実は“その時その時”を生きてきた彼等の“生身の言葉”がそこには在り、炎の揺らめきの中で語られるそれらの言葉が「真理」とも思われて・・・。

しかしホームレスといえど、決して人との関わりをゼロにはできない。
ホームレスとして生きることは最後の手段の一つではあるけれど、其処にも、必ず人と関わる何かが一つは介在しているように思います。
現にダミアンは生死の境で「人」によって助けられます。助ける道筋を作ったのはエンゾだし、何より「人」に助けを乞うたのはダミアン自身であったのです。
あの展開は興味深かったです。
あれがキッカケとなって、ダミアンはエンゾを連れて実父の元へと戻る・・・現実の社会と正面から関わることを選んだのでしょう、エンゾのために。


                      xTCQ.jpg   

               
如何せん、しかし容易に人間は根底にあるものを変えることはできません。
ダミアンと現実社会を隔てていたものは、ダミアンにしか分り得ない深淵なのです。
自分の人生でさえ支えきることが難しかったダミアンが、エンゾの父となり母となりエンゾを守る存在として生まれ変わることを決意した時、どこかでポキンとその柱が折れる事を、怖がりながらも予期していた彼だったに違いないと感じました。
ふと現われてやがて忽然と姿を消すことになるダミアンは、その魂だけをエンゾの心に残し、いったいどこへ消えたのか。
ダミアンの残した面影が悲しくて切なくて堪りません。


母親ニーナに続いて、結局はダミアンにも手を離されてしまったエンゾですが、新しくエンゾの家族となったダミアンの父親とその妻は、決してエンゾの手を自ら放すことはしないでしょう。エンゾの心に残る決して小さくない傷も、彼等の慈愛の力が癒せる日がいつかは来ると信じたい。

だから、ラストはどう取るか・・・
どの道を選んでも、エンゾの人生はエンゾのものです。
だけど、叶うことならあそこに留まって、ダミアンがエンゾの為に作ってくれた人生を生きていってほしいなぁって思う私です。

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「お前の母さんは何も言わずにお前の前から居なくなった。・・・いつか逢ったら、冒険の話をしてやれ。」
ダミアンがエンゾに言ったこの言葉が胸を突きました。
あの時、紛れもなくダミアンはエンゾの父であり母であったのですから。


5歳のエンゾを演じたマックス・ベセット・ドゥ・マルグレーヴくん、とっても愛くるしいです。
じっと何かを見つめ続ける表情とか、もの言いたげで言わない時の眼差しとか、アップになる度にスクリーンに吸い寄せられました。
この子に逢う為だけに、本作をもう一度観てみたい気がするくらいです。
成長した思春期のエンゾを演じた男の子も、すごく目が魅力的な子でした。


  さてさて、この映画ではやっぱり赤ワインの登場が目立ちました。
それから、ほんの一瞬ですが、ダミアンが自棄的にぐいっとストレートで飲んでたあのボトルは確かジン?だったでしょうか??

でも今日の画は「ビール二景」です。


       BASS@y[G[.jpg     ubNK[.jpg   


一つは梅田ドルフィンズでの<バス・ペール・エール>、もう一つは Jazz Bar Wishy-Washy での<ブルックリン・ラガー>です。
ブルックリン・ラガーは初めて飲みましたが、ちょっと癖になる味わいでgood! ですよ。

もともとビールはあまりたくさん飲めない私ですが、時々、定期的に飲み返したくなるテイストのビールがあります。
個性的なビールの方が好きですが、先日は久々に麒麟のラガーを飲んで「あ、やっぱりコレも美味しい」って独りごちてた私です。







  
posted by ぺろんぱ at 21:39| Comment(8) | TrackBack(2) | 日記
この記事へのコメント
ぺろんぱさん、こんばんは。
そうそう、
>詩的で柔らかい余韻
が残りますよねぇ。
切実な現代社会問題を取りあげているというのに、そういうことにはあまりとらわれずに、フランス映画の味わいに浸るのでした。
エンゾくんのくりんとした瞳が本当にかわいくって。
ギョームがこういう役をやるのもハマり過ぎちゃって、ドキリとさせられます。
焚火を囲んでの語らい、よかったですよね。
そう、彼の父の家、おいしそうなお酒が充実しているところにも注目でした♪
Posted by かえる at 2009年05月26日 22:14
おお、何となく親父さんの風貌があるんですねー。

それにしても、何と言う短命・・
ご冥福をお祈り致します。

追記:30代も半ばを過ぎると、なかなか「旅」と言うものに踏み出す意欲すらも減退するのですが・・せめて心だけは自由に、何処までも飛び回りたいものです。
Posted by TiM3 at 2009年05月27日 01:08
かえるさん、こんばんは。

フランス映画らしき?“一筋縄ではいかないよ”的な描き方を感じました。(^^)
ギョーム・ドパルデューは笑顔が似合わなさそうな人でした。(←私の褒め言葉です)
かえるさんのブログでのコメントで気付いたのですが、必ずしも本作だけが彼の「遺作」とは限らないのですね。他の作品も公開されたら観てみたいです。

ダミアンの父、年とって丸くなったのか、そんなに悪い父親には見えませんでしたよね。
魅力的で理解力と包容力もあるあんな素適な女性をパートナーにしちゃってるし…。
あの女性は魅力的でした。(*^_^*)
Posted by ぺろんぱ at 2009年05月27日 20:41
TiM3さん、こんばんは。

ギョーム、お父さん似で堂々たる風貌! 
そしてお母さんが美しい女性だったのでしょう、彼も美形の顔立ちでした。
しかしだからと言って、人は幸福になるかというと、そうでもないのでしょうね。
お父さんとの確執は埋まらぬままだったのでしょうか・・・。

ブログで交流させて頂いているだけの私が言うのは僭越至極ですが、TiM3さんの心にはきっと“自由という名の翼”が付いていると思います。
何処までも何処までも飛んで、キャッチされた素敵なものを我々に届けて下さい。
Posted by ぺろんぱ at 2009年05月27日 20:47
ばんはです。

何だか“ソレイユ漬け”になってます(=^_^=)>

>しかしだからと言って、人は幸福になるかというと、
>そうでもないのでしょうね。

色々やって、太く短く、精一杯生きはったのかも知れませんね。

1.細々と長生きし、富なんかとは無縁のまま静かに独り死んで行く
2.若くして富と名声の絶頂を極めるも、誘拐され惨たらしい姿で発見される

の2択を良く心の中で反芻したものですが、どちらを選ぶもその人の自由でしょうし、どちらが幸福とも言えないのでしょうね(・ω・) ←その2つしかないんかい! ってのはありますが、、

>TiM3さんの心にはきっと“自由という名の翼”が付いている
>と思います。
>何処までも何処までも飛んで、キャッチされた素敵なもの
>を我々に届けて下さい。

眩しいトコロまで上昇し過ぎて、翼を焼き尽くされ、海面に叩き付けられぬように気を付けてます(⌒〜⌒ι)

ぺろんぱさんもステキな方なのでしょう・・ワタシのそういう一面に気付いて下さる辺り・・(おい!)
Posted by TiM3 at 2009年05月27日 22:33
TiM3さん、こんばんは。

ソレイユって佳き名前の映画館ですね。
あ、これって前にもコメントさせて頂きましたっけ??? でも、よいです、ソレイユという名。あたたかい希望の光を感じます。

>色々やって、太く短く、精一杯生きはった

そうですね。
私も彼の死に方やその時期については言及するつもりはないです。
気になったのは“破滅型”ともとれる彼の生き様でした。
しかしそれも今になってネット上で知り得ただけのことで、実際の彼を見てきたわけではありませんしね。その人の一生はその人にしか分らぬものですものね・・・。(しんみり)

>1、2の選択

二者択一なら私は「1」です。
細々とした人生の中に私なりの幸を見つけたいです。

>翼を焼き尽くされ・・・

そういうのも何だか“孤独なヒロイズム”を感じて、それはそれでカッコイイです。

私はちっともステキじゃないですが、TiM3さんの“心の冒険模様”は何となく見えるような気がします。(^_^)
Posted by ぺろんぱ at 2009年05月28日 20:57
あのチラシの画像、いいですよね。(=^_^=)
「父のたくましい歩み、そして手をひかれる子」
みたいな感じで。映画の内容はちょっと違ったけれど。

がっしり系のパパさんに身をあずけている(肩ぐるまとか)
子供を見ると、うらましいなぁーといまだに思うんです。
私自身父親にそういう事をしてもらえなかったので、
甘え足りない気持ちが消化できてないのかも。( ̄▽ ̄;A

ギョームはなんかすごみあったなぁ。
それだけに、森の小屋の中でエンゾとじゃれ合うシーンは
ほほえましかったです。
筋書きそのものよりもいろんなシーンが印象に残る
こういう作品は好きなんやなぁとあらためて確認。
いろんな意味で余韻の残る映画でしたね。

※TBさせていただきました。
Posted by ゆるり at 2009年05月31日 20:51
ゆるりさん、こんばんは。
TBもありがとうございます。

チラシの画、醸している雰囲気と実際の映画の世界と違っていましたね。
もしかしたら本当は、単純にというか純粋にあのチラシのような世界を描きたかったんでしょうか、監督は・・・。

>ギョーム

「あの子に母親はいるのか」って問われた時に「いるよ、俺だ」って答えたダミアンが忘れられません。
エンゾに対して母性と父性を両方持とうとしたんだなぁって。

>いろんなシーンが

そうですね。
エンゾの身体や髪を洗ってやってる時のシーンも甦ります。(涙) 
そういうシーンの挿入、いいですよね・・・。


私もどっちかと言えば幼少時に父親とのスキンシップは少なかったんじゃないかと思います。
今の‘甘え方の下手な自分’に通じてる気がします。
Posted by ぺろんぱ at 2009年06月01日 20:14
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