2009年06月07日

重力ピエロ

  梅田ガーデンシネマで『重力ピエロ』(森淳一監督)を鑑賞しました。封切3週目にしてやっと鑑賞が叶いました。

  「本当に深刻なことは陽気に伝えるべきなんだよ」

春クンのこの言葉を受け取るなら、私もこの映画をもっと軽やかに語るべきなのかもしれませんが、そうは出来ない重たい何かが残りました。

楽しいフリをしたって重力は消せないよ。
二度目に二階から落ちてきた春クンは、あの後どうしたんだろう。

負の迷宮に陥った私を原作はどう導いてくれるのか、読んでみたいです。


story
  作家・伊坂幸太郎のベストセラー小説の映画化作品。
遺伝子を研究する泉水(加瀬亮)と芸術的な才能を持つ春(岡田将生)は、一見すると仲の良さそうな普通の兄弟だ。そんな二人の住む街では、謎の連続放火事件が発生していた。泉水と春は事件に深く踏み込み、家族を巻き込みながら次第に家族の過去にも近づいていくのだが……。(※story、作品写真ともシネマトゥデイより転載)

                  重力1.jpg

遺伝か環境か。

泉水の研究テーマでもあるこのこと。これがこの映画のテーマではないにせよ、終始その問いが付きまとっていた。
「自分自身がこの世で見たい変化になりなさい」と言ったガンジーの言葉に、おそらく一番初めに最も忠実に従っていたのは父親・正志(小日向文世)だったのだと思うけれど、その父親が望んだ「最強の家族」に、春は結局はあのような形でしか応えられなかったことを思うと、何だかひどく悔しくて、悲しくて堪らなかった。

誰かに憎しみを抱くこと、そして誰かを殺めること、どちらも不幸だと思う。
家族の誰かが、その命を奪わねばならないほどに人を深く強く憎んだとしたなら、これほどつらく悲しいことはないと思う。それを知って悲しむ家族もまた、不幸だと思う。
あの時の父親のあの選択は間違っていなかったのだろうか、そんなことさえ思ってしまった。

人の良心を遥かに超えるのが「悪」だというなら、良心を超えたあのような形で対決するのは「悪」の術中に嵌ることではないか。
最後のあの行為を、春には絶対して欲しくなかった、というのが「映画」を超えたところでの正直な私の気持ちだった。

                 重力3.jpg

だけど、そんな正論を分かっていて尚、あの行為をしてしまった春を受け入れようとした泉水と父・正志。
正論が何だ?どうした?そんなの関係ない、俺たちは家族だっていう静かな内なる叫びが聞こえた気がした。 
あそこから本当の「最強の家族」が始まったのかもしれない。

そう、楽しい顔をしていたって本当は重力は消せないものなのだ。
だけど消せるって思いたい、幻想だと分かってても追い求めたい、信じたい。
信じようと努力することが家族の形なんだと思った。

 *********

葛城を演じた渡部篤郎さん、好きだけれど絶対的悪の象徴としての不気味さや怖さが余り感じられなかったなぁ。もっと違う描かれ方(切り込まれ方)でも良かったのじゃないだろうか。

夏子さんの存在には救われた。
彼女のエネルギーはきっと何かを生んでくれると思う。

泉水と春の子どもの頃の二人。
二段ベッドでの会話・・・お兄ちゃんの愛が、春には本能的にしっかりと分かったはず。

それから野球バット。
村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』でも、主人公が絶対悪と対決するくだりではバットが登場していた。
「破壊する」「撲滅」という意味においては、ツールはやはり“バット”でなければならないのかな・・・興味深く観た。



 さて・・・重力が無くても“落ちる”世界。そして重力が有っても“ふわふわ浮かぶ”世界。
お酒の酔い。 刹那的癒しです。

                     和しん 焼酎.jpg                 
posted by ぺろんぱ at 19:31| Comment(18) | TrackBack(1) | 日記
この記事へのコメント
こんばんは。

春クン辺りの年代の男の子となるとクラブチームとまで行かなくても
野球かサッカーのどちらかは経験していそうですよね。

そうしたなか、サッカーに関する“ある行為の結果”は成立しにくく
その点、野球はいくつかの道具が利用できますよね^^
なかでもバットは最もポピュラーな存在なんでしょうかね〜。

ボールを持たずにバットだけ持ってる奴は怖いです^^;
本作は未見なので、そこだけに食い付いてます(すみません^^;)
Posted by ituka at 2009年06月07日 21:32
こんばんは、ぺろんぱさん。
原作を読みながら、なんで伊坂サンは、悪行の報いを相手に与えて、自分たちには与えないのだろうか。どんな理由にせよ悪行は悪行でしょう。という疑問が湧いてきました。

今日、地下鉄の中で、春クンのように帽子をかぶった少年4人が、スプレーをふくポーズをしながら、携帯で撮った自分の落書き写真を互いに見せ合い、自慢しあっていました。重力ピエロの世界でした。彼らは、重力から解き放たれた開放感で満ち満ちた表情でした。

映画どうしようかな?
Posted by keyakiya at 2009年06月07日 22:19
ばんはです。

鑑賞、お疲れ様でした(・ω・)

考え過ぎると「どよ〜ん」としちゃう作品なので、
ワタシは鈴木京香さんの「野菜の歌」を思い出そうとしたりして、重い気分を紛らわせてます(=^_^=)

ときに、春は兄貴の「計画」を知っていたんでしょうかね?

そこが、一番気になります。

彼は、きっと、兄のために悪業をすら背負うような人間でしょうから。
Posted by TiM3 at 2009年06月08日 01:19
itukaさん、こんばんは。

確かに、そうですね。(^^) サッカーじゃ・・・。
少林サッカーのメンバーたちならボールだけでも十分に功を奏しそうですが・・・^^;。

春樹の『ねじまき鳥・・・』ではバットそのものが“暴力”の一つの象徴として描かれているようなところがあって、それで本作との類似性を探してしまったのかもしれません。

それから、仰る通りバットだけ持ってる子って怖いかも。
本来なら“輝ける青春”のアイテムなのにねぇ・・・。(T_T)

どんなことでも“喰いついて”頂けて私は嬉しいです(*^_^*)!。ありがとうございます!

Posted by ぺろんぱ at 2009年06月08日 19:26
keyakiyaさん、こんばんは。

原作をお読みなのですね。
では、出来れば映画もご覧になってその両方の在り様についてお聞かせ頂ければ嬉しいです。(*^_^*)
(勿論、お忙しい中スケジュールが叶えば・・・ということで。)

私は、原作では春クンは自分の取った行動について何らかの決着をつけるのではないかと思っているのですが、そうではないのでしょうか。

でも考えれば考えるほど分からなくなってきました・・・「現実」にソレを行う事と「意識下」で行う事とは違うのだと思いたいのですが。やっぱり春クンには現実としてのソレをして欲しくは無かったんです。

>少年4人

その少年たちは一体どんな落書きをするのでしょう。
アートなのでしょうか、それとも何かのメッセージ?いいえ、それとも単なる鬱憤の吐き出しでしかないのでしょうか?

公共の場であるなら「元通りに戻す」ことを忘れないでほしいです。でも落書きはその痕跡を残すこと自体が目的なんでしょうかね。許容の境目は何処にあるのか・・・。

迷走ばかり・・・私は絶対、指導者にはなれませんね・・・。



Posted by ぺろんぱ at 2009年06月08日 19:59
TiM3さん、こんばんは。

野菜の歌・・・「きゅっきゅっきゅ〜♪しゃきしゃきしゃきっ♪」(*^_^*) 幸せやったなぁ・・・。

ああ、でも直ぐ後に泉水の泣く声が・・・。
考えたらお兄ちゃんの泉水が一番苦しかったのかも。
あ、いけないいけない、「どよ〜ん」としてしまいましたね、ごめんなさい!

>ときに、春は兄貴の

あ・・・そうかも知れませんね。
なるほど、それだと春の行為ももう少し合点のいくものになります。
う〜ん、私も凄く気になってきました。
やっぱり“最強の兄弟”なんでしょうかね・・・。
Posted by ぺろんぱ at 2009年06月08日 20:07
ぺろんぱさん、こんばんは。
私、この映画のレヴュー記事を今まで10件近く読んだかと思うのですが、その中でぺろんぱさんの感想がもっとも<悲/非>の思いを感じるものかもしれません。
("これは賛否両論でしょうね"なんていう書き方をしている人はいたけれど。)
というわけで、とても興味深いです。
映画としては、今をときめく若手俳優ありきの映画になっている感もありますが、小説家伊坂の正義・悪の取扱い方もまた面白いのですよ。
村上チルドレンといわれているらしいー
Posted by かえる at 2009年06月09日 01:07
かえるさん、こんばんは。
こちらにもお越し下さり嬉しいです。

そうですね、「悲」の思いは自分自身、大きかったと思います。
「非」については・・・「非ず」や「否定」というよりも(“してほしくなかった”と書いている以上、否定になってしまうのかも知れませんが…^_^;)、肯定するには余りに複雑すぎるということでしょうか。

一番大きな思いは行為そのものよりも、「そこまでに至った春の(誰かを)憎む心を思うとやりきれない」ということでしょうか。
誰かの存在を、命を奪うまでに憎むってことは、春はある意味とても不幸だったのだと思うので。
その憎しみの発露が父親の尊い選択にあったことを思うと、あの選択の是非にまで思いが及んでしまいました。

もう一つの思いは、やはり現実にあの行為をしてしまったことで、春がこれから一生抱えていくであろう深い苦しみを考えてしまったことです。
だからやっぱり出来れば回避してほしかったなぁというのが行き着くところでしょうか。

でもね、私、かえるさんが返して下さったコメントの「犯罪云々ではなく深度の根源に近い悪」への制裁ということ、とても興味深く読ませて頂きました。
またしても春樹の小説に話を持って行って恐縮ですが、新作『1Q84』にもまさしく、その対決の構図が見えています(まだ一冊目の後半ですけど)。
『ねじまき…』に次いで、「圧倒的な悪」の存在との闘いの構図が感じ取れます。かえるさんの仰る「根源に近い悪」との闘いだと思うのです。

そうした今、この映画にも触れられて、「小説家・伊坂の正義・悪の取扱い」に触れてみたい思いでいます。
村上チルドレンと言われているなら尚更です。(*^_^*)

『1Q84』を頑張って早く読み終えて、伊坂作品を手に取りたいです。

Posted by ぺろんぱ at 2009年06月09日 20:23
ぺろんぱさん、こんにちは。
鑑賞後のどんより感というか、すっきりしない想いと
胸の痛みを引き摺ったまま劇場を後にする結果となりました。
私も負の迷宮に陥ったのでしょうか・・・(-_-;)
やはり原作を読んでみたい気持ちに駆られました。
二段ベッドでの会話は切な過ぎます!(涙)
ファンタがこんなに哀しく苦しいフレーズだとは・・・
ファン太郎を思い描いて気持ちを切り替えねば。

家族のキャスティングはバッチリでしたね☆
お兄ちゃんは最高に普通っぽくて流石加瀬さん、
癒し系お父さんの小日向さんも良かったです。
でも何といっても美しい春=岡田くんでしょうか。
ぺろんぱさん・・あんな子が2階から落ちてきたらどうします〜?(笑)
Posted by Any at 2009年06月15日 14:37
Anyさん、こんばんは。

あれだけの憎しみを背負うという悲劇があまりに哀しくて、だからラストの爽やか感が上手く受け止められなかったです。

二段ベッドでの会話は切なかったですね。
言葉にせずとも、互いの本当の心がきっと分かり合えた瞬間だったのだと思います。
勿論、成長した二人も最高のキャスティングでしたよね。
春クンの不確かな、でもきらきらとした透明感が良かったです。

>あんな子が二階から落ちてきたら

ぺしゃんこになってもいいから身を投げ打って受け止めようとするでしょう。で、肝心のその子はきっと違う着地点にひらりと綺麗に舞い降りるのでしょうね。(涙)
Posted by ぺろんぱ at 2009年06月16日 21:50
ぺろんぱさんこんばんは〜♪

伊坂幸太郎ファンの私は、伊坂映画はいつも"読んでから観る"(古〜っ)派です。

映画化の予告があると、「えっ?!あれをどうやって映像化するの??」と思うことが多く、楽しみにしながら出来上がった映画を観ては「へぇ〜」と素直に感心しています。

「重力ピエロ」は・・・。
正直、大好きな小説とは言えなかったので、映画の方もちょっと消化不良だったかな(^^;
でも、鈴木京香さんのお母さんがとても魅力的でしたね。


しばらくブログお休みとのこと。
気まぐれにお邪魔させてもらっていましたが、寂しいです(/_;

パワーアップしてまた戻って来て下さいねっ!
Posted by karcy at 2009年06月21日 22:26
karcyさん、こんばんは〜♪

確かそうでしたね、伊坂幸太郎ファンのkarcyさんでしたね!(*^_^*)

>正直、大好きな小説とは言えなかったので

なるほど・・・。もしも機会がございましたkarcyさんの伊坂作品BEST3?などお聞かせ下さいませね。
伊坂作品の次なる映画化としては『ラッシュライフ』の公開が待たれるところですね。ラッシュ…も「あれをどうやって映像化するの???」っていうところがある小説なのでしょうか???
それと、ファンであれば配役も気になるところですね。
本作の京香さんはkarcyさんとしては「○」だったのですね。(^^)

拙ブログ、忘れられないうち再開できれば、、、と思っています。
是非その時はまたお越し下さいね。

Posted by ぺろんぱ at 2009年06月22日 21:09
はろはろ、しげぞうでございます。

やっと観ましたが色々と感想も言いたいですが
内容が深過ぎて語れず。
でも最後、殺人をしてしまったけどって
感じでしたね。どうなんでしょうね。
Posted by しげぞう at 2009年06月29日 23:04
しげぞうさん、こんばんは。

私は数日前に原作を読み終えたところです。
原作でも春クンの“してしまったこと”は同じでした。
そこに至るまでの春クンの心の闇を思うと、ただただ辛いです。
しかしそれをも抱合する“最強さ”なのでしょうか・・・。

いろんな“角度”から、心に残る作品となりました。
Posted by ぺろんぱ at 2009年06月30日 20:31
こんばんは

楽しいふりをしていても重力は消せない・・・
その通りですよね,ほんとうは。
重力は変わらないけど,本人がそれを感じなくなる,という意味なのでしょうか。

葛城は確かに生きる値打ちのない人間で
法の力では彼を死刑にはできないので
代わりの誰かによって抹殺されたとしても一片の同情も感じませんが
願わくばそれを春にやってほしくなかった,という思いは誰しも感じることでしょうね。
春自身がその罪を一生背負っていかねばならないのは重すぎるのではないかと。

最強の家族の愛は,彼らの人生哲学は
春が抱える「最強の重力」を消せるのか?
それはわからないことですが,可能だと信じたいと思います。
Posted by なな at 2009年11月09日 22:20
ななさん、いらっしゃいませ〜(*^_^*)。

この映画はやはりいまだに自分の心の中で左右(是非?肯否??)両方にベクトルが働いている状態です。
それだけこの作品がいつまでも印象に残っているということなのだと思います。

およそ、人が人を殺めるという憎しみ・苦しみを背負うことなど、まして自分の家族にだけはそんな思いを背負わせたくない、というのが正直なところですよね、誰でも。
だから、そこを綺麗にまとめてエンドになったところで、何処か昇華し切れないものが残ったのだと思うのです。

でもこの作品自体を決して否定はしていません。しかと受け止めたい作品です。
ななさんの書かれている通り「可能だと」私も信じたいです。
そして、「家族の力」を真正面から問うたこの作品を、いろんな意味で忘れないと思います。

ななさん、真摯な語りのコメント、本当にありがとうございます!
Posted by ぺろんぱ at 2009年11月10日 21:34
ぺろんぱさん、こんばんは♪
お言葉に甘えて、また過去記事にお邪魔しますm(_ _)m
今頃ですが気になっていた作品なので観てみました。
あの後春くんはいったいどうしたか…本当に気になり、原作者の意図を探らない訳にはいきませんよね。
さらりと軽やかに描かれていたのに、益々重力を意識する事になりました(^^ゞ
絶対悪はたとえ命でも消し去って良いのか…
結論を出さなかった原作者から渡されたバトンを、読んだ観た者がそれぞれの中で考え続けなきゃいけないんだと言われた気がしました。

>楽しい顔をしていたって本当は重力は消せない
>信じようと努力することが家族の形なんだと思った
ああ!本当にそうですね!
いつもながらぺろんぱさんの深い理解に感動です。

伊坂氏の作品、何故か挫折しているので、違う作品でリベンジしたいと思います(笑)
Posted by fizz♪ at 2010年02月28日 00:26
fizz♪さん、こんにちは。ようこそ、です。

私は本作鑑賞後に原作も読んでみたのですが、若干のトーンの違いはあれ、同じように読者に委ねられているところを感じました。

このお休みに観てきた映画も「家族」への思いに溢れる作品でしたので、本作に通じるものを感じ、再考するよい機会となりました。fizz♪さん、ありがとうございます。

「(何があろうと)それでも家族なのだ」という思いが今以て強く感じられる本作です。
私は感じることはできても、理解なんて多分できていないように思います。でもだからこそ今も考え続ける事が出来るのかもしれませんね。

先の記事で挙げていますが『ゴールデンスランバー』も伊坂作品です。
もしもこの先に機会がございましたら是非に。(*^_^*)
あ、・・・リベンジになるかどうかは分かりませんが。(^^)


Posted by ぺろんぱ at 2010年02月28日 16:41
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