今回は二作品、気になる映画がありましたが、先ずはイタリア映画『絆』(ガブリエーレ・サルヴァトレス監督)を観てきました。
会場のABCホール前には映画にちなんだ料理やお酒が楽しめる<映画祭ヴィレッジ>がOPEN。冴えわたった青空のもと、盛況でした。


story
アルプスの岩肌が迫る北イタリアの町で、クリスティアーノは失業中の父親リーノと暮らしている。父親は排外主義に凝り固まっ酒浸りのネオナチ。周囲から孤立する親子にはクワットロと呼ばれる父親の元同僚の他に友人もない。だが、脳に損傷を負うこの友人こそある取り返しのつかない事件を引き起こすことになる。(※story、写真とも映画祭HPより転載)

*原題は「Come Dio comanda 神の思し召しのままに」
前半は、ネオナチの父親リーノの暴力的なまでの息子への支配や、愛情なのか自己満足なのか分からない教育に感情移入できず、物語との間に距離が出来てしまって居心地が良くなかったけれど、後半、この映画は俄然光ってくる。
息子クリスティアーノがたった独りで、全てに刃を向けて必死で立ち向かおうとし始める辺りから。
この息子の取った行動を、カメラはじっと追い続ける。殆ど台詞もなく、ただ彼の傍に寄り添うように。
なんといってもこのクリスティアーノを演じる男の子がとてもいい。
ナイーブさと全身尖ったナイフのような危なっかしい感じが同居してて、じっと前を見据える瞳には吸い込まれそうなほど魅せられた。
グレーと深い蒼緑の色合いを秘めた透明感を感じさせる映像も、彼の魅力をさらに高めていたと思う。そう、惨い画も幾つかあったのに、映像は美しいという印象を残すものだった。
クワットロが犯した事件は痛ましいが、やがては迎えるべき決着をみる。
クワットロが脳に損傷を負うに至った経緯もまた痛ましいが、彼がああいう決着を付けなければ、彼はもっともっと苦しみもがき続けねばならなかったはずだから。
終盤を迎えるまで、私はこの監督がどうこの物語を結び、どう「絆」を問うつもりなのか、どう落としどころを作るつもりなのか、正直言って分からなかった。
だけど最後の、あのクリスティアーノの涙と「ごめんなさい」の言葉を聞いた時、「ああ、これだったのか・・・ここだったのか」って思った。
前半に抱いた暗鬱な思いや、やや不快で疑問視して観てしまっていた幾つかの場面にも、すっと切れ間が見えた思いがした。この一瞬の感動は佳きものだった。
信じる信じないに関わらず、キミがしたことは絶対にキミでしか出来なかったことな
んだよ。
その時、何が出来るか・・・それが大事で、それが結局、お父さんを救ったんだよ。
スクリーンに向かってそう言いたい私だった。
ただ、ネオナチというのはこの親子の現状を描くための一つのアイテムだったのか、外国人労働者の問題やネオナチの台頭などという社会問題にはあまり深く切り込んだ考察は提示されていなかったように思う。
この国の現状云々といったところを超えて、むしろ普遍的なテーマを感じ取って終わったのだけど。私の鑑賞眼が稚拙なせいかなぁ。

先日のワインの宴。
テッレ・デッリ何とか・・・あ、イタリアワインだっけ、これ。
ちなみにこのワイン、映画祭ビレッジのとはまた違うんでしょうか?映画祭ビレッジではワインやチーズ、おまけにタンドリーチキンも売っていました。ワインの陰の食べ物はなんだろう?
いや、違う写真だったですね。
深く考えてないからこういうふうに書けたのかもしれません。
確かに重たいものがありましたから。
でも私としてはどちらかといえば、重たいものを提示しながら、中盤以降にそれが何となく棚上げされてしまっていたようなところに疑問が残りました。
普遍的な父子の物語として(取り敢えずの)決着を付けてしまっていたように思えました。それはそれで良い感動も残りましたけれどね。
私は映画の後のディスカッションには参加せずに映画だけ観て帰りましたが、何かそういうことに触れられた会話ってあったのでしょうかねぇ・・・。
さてさて、これは違う場(先日の会社帰りのワインBAR)での一杯です。(*^_^*)
何杯かいただいたうちの一杯がイタリアワインでした。(因みにグラスの向こうのは前菜盛合わせです。)
当日は、映画の後は風が強くなって来ててヴィレッジでは飲まずに移動しました。いい匂いはしてたんですけどね〜。(^^)
話題を変えてマイ骨壷の話を。
ひょんなことから骨壷を作ってみることに。
そして以前読んだ水上勉の「骨壷の話」を読み直したりして始めたが、作っている途中で仲間から「それ大きすぎてお墓に入らないよ」と。
関西と関東では骨壷の大きさが違うとのこと。
どうして大きさが違うのだ?
関東の骨壷(亡き母のときの)をイメージして作ったのが失敗。
それで、こちら関西の標準的な墓石はどうなっているのか、墓石屋に出かけて骨壷の納まるスペースを実際に見せてもらい、確かに狭い(狭いのは今の我が家だけでいいのに)。
小さく作り直した骨壷は、全体に地味な概観に。
但し外側には桜と菊の花を部分的に散らし、暗い内部には蓋の内側に夏と冬の星座を配し、この中に入れられてからも一年中四季を楽しめるようにしておいた。
さて、このマイ骨壷は年内に完成の予定だが、
これに入るまでは間がありそう。それまでは梅干入れにでもしとくか。
では、この辺でご免。
モノ作りに励んでおられるのですね。
葬儀も形式フリーな世です。ご自身の骨壺を作る
というのも一つの自由な自己表現ですね。
よいものが出来るとよいですね。
重そうだけど、セリフが少なそうで、色々と(観客それぞれが)考える余地のある
佳作のようですね。
今のごちゃごちゃした世の中にこそ「モノクロ+サイレント」手法のシンプルな作品が光ったりする・・ような気もしますね。
一歩間違うと、あざといだけなんですが(=^_^=)
前半は台詞攻めでした。しかもイタリア語で父親リーノが喚くので、殆ど“うるさいよ!”の世界でした。(^_^;)
その分、後半は雰囲気的にはサイレント感も。
しかしBGMは結構効いてましたね。
音楽はかなりガツンと心に迫る感じのものでした。
以前の弊コメントでも書きましたが、ちょっと問題の幾つかが棚上げにされて終わった感が否めなかったのが・・・それはそれで良かったにせよ、「どうなんだろう」って思う自分もいます。