4F・ガーデンシネマへ、ウェイン・ワン監督の『千年の祈り』を観に行って参りました。

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妻に先立たれてからは高齢者向けの料理教室に通うなどし、引退生活を静かに楽しんでいたシー(ヘンリー・オー)。彼はアメリカで暮らす離婚のトラウマを持つ娘のイーラン(フェイ・ユー)を気がかりに思い、はるばる北京から娘のもとを訪ねる。しかし、朝食も食べずに出勤し、帰宅も夜遅いイーランとシーは心を通わせ合うことができず……。(story、写真ともシネマトゥデイより転載)

「同じ舟で海を渡るには300年祈らねばならない。同じ枕で眠るには3000年祈らねばならない。」
これは、劇中、娘イーリンによって語られた中国の故事である。
人と人とは、真に理解し合うことなど、現世に於いては到底無理だということなのか。まして夫婦になろうとする男女なら尚更に。
そして更に、肉親、親子といえども、それは全く同じことなのかも知れない。
そう思うくらい、この物語の父と娘はぎくしゃくとすれ違う。
けれど、父が思うほど、娘は自分を見失ってはいないものではないだろうか。
孤独はいつか、“温もりを求めたい”と自身が願った時に打ち破られる。離婚は「失敗」ではない・・・そう思う、いや、思いたい。生き方の一つの選択肢だと思うから。
そして父も、娘が嫌うほど、家族への欺瞞の人生を生きてきたわけではなかった。
父には父なりの苦悩があり、不器用であるが故にその心の内を明かすことなく年月を重ねてきたのだと思った。
肉親、親子であっても、全てを分かっていると思うのは傲慢なのかも知れない。だからこそ、何も知り得ない、言葉すらうまく通じ得ないあのイラン人女性との間にこそ、心が触れ合った一瞬の邂逅を見たのだと思う。
互いに片言の英語で会話をする二人のシーンは滋味を漂わせ、心にじわじわと染み込んできた。娘との会話は息が詰まるほどに窮屈だったけれど、このイラン人女性とのそれは心が自由で伸びやかなものだった。
結局、人は自分の舟を自分で漕いでいかなければいけないのだろう。父であっても娘であっても、その漕ぎ方を見つけるのはそれぞれの自分自身でしかなく、それに気付いて初めて、“温もりある距離”をもって互いの人生を認め合えるのかもしれない。
そしてそれが、いろいろあったとしても結局は前世からの“縁”でもある「家族」の真っ当な形なのだろう。千年の祈りを超えてね。
娘との会話劇よりも、イラン女性との会話劇の方が数段心に染み入った。
こちらの物語で別の物語を作り出して欲しいと思ったくらい。

さて、千年にはほど遠いけれど、私はこの透明な旨し水に、日々祈りを込めて。
言葉は通じない(通じにくい)けど、近い存在
遠いと思ってるけど、近い存在
近いと思ってるけど、遠い存在
色々とありますね・・
・・
スカイビル前では、クリスマスづいてるんでしょうね。
ここ数年(もっと?)行けてないですが・・
ライトアップを眺めに行ってみたいモノですね。
>近いと思ってるけど、遠い存在
これに気付いた時って愕然としちゃいますね、きっと。
でも人と人って本来はそうなのかもしれませんね。100%は解りあえないですものね。
>クリスマス
>ライトアップ
眺め方もきっと「いろいろ」あるでしょうね〜。
そういえば、いまだに山下達郎の「クリスマスイブ」を聴くと泣けてきませんか?
クリスマス・・・不思議な時期です。
今日も酔っ払いました(×_×)
>でも人と人って本来はそうなのかもしれませんね。
>100%は解りあえないですものね。
とある人の「本当の心」が確かめられたら、
生命を奪われてもいい、と思うときがあります。
悲しいことに、本当の相手の心は分からないし、死にもしないんですが・・
>眺め方もきっと「いろいろ」あるでしょうね〜。
>そういえば、いまだに山下達郎の「クリスマスイブ」
>を聴くと泣けてきませんか?
「きっと君は来ない」ってのが泣けますね。
「分かっとんのかい!」みたいなね(・ω・)
人と人とは100%の理解は無いと思います、合ったり離れたり人は気ままなもの。その意味で男女だろうと親子だろうと理解しあえるものではないです。
> 結局、人は自分の舟を自分で漕いでいかなければいけないのだろう。
そうでしょうね.......
でも理解しあえなくとも信じあうことはできますから、いつかはどこかでその接点はあると思います。私もそうありたい。
うーん、年末に観たい映画が色々出てきて....これも観たい、観たい、観たい。
PS 始まりましたね、梅田スカイビルのツリーイベント!!この期間中にここに映画を観に行けたらと思います。
本当の心、ですか。
命と引き換えにでも、と思うTiM3さんのお気持ちが何らかの形で届くといいですね。
全てでなくとも、ひとすくいの何かが見えてくるといいですね。
状況が分からないので、もしかしたら勘違いのコメントを返してしまっていたらごめんなさい。
>「分かっとんのかい!」みたいなね
ココを読んでてプッと笑ってしまいました。(*^_^*)
そういう突っ込み、関西人らしくてよいですね。
私は「まだ消え残る 君への想い 夜へと降り続く」ってとこで泣けます。
>信じあうことはできる…接点はあると・・・
そうですね。一箇所でも重なる、触れあうところがあればそれで十分ですよね。
第一、相手のことを分り過ぎたら苦しいですよね。特に私なんて自分のことで精一杯なもので。^_^;
ここは毎年この時期になるとカーニバルをやるのですね。
明るいうちは親子連れが多いです。メリーゴーランドに乗ってる幼子がきゃっきゃっとはしゃいでて、お父さんお母さんが近くで目を細めていらっしゃいます。
そういえば私もメリーゴーランド大好きでした〜。(*^_^*)
私は、いま梅ガデで同時上映中の『戦場でワルツを』がとても気になっています。
何だか酔うとメソメソしてしまって、いけんですね(⌒〜⌒ι)
>本当の心、ですか。
自分でも自分の心が分かんなくなる時が多いので、
他人の心が分かるようになるには、あと100年ほどかかりますね。ああ、何か漱石の『夢十夜』みたいだ。。
>命と引き換えにでも、と思うTiM3さんのお気持ちが
>何らかの形で届くといいですね。
やっぱり死にたくない!(=^_^=)
>全てでなくとも、ひとすくいの何かが見えてくる
>といいですね。
時間に委ねてみます、、って何事もそうですよね(・ω・)
>状況が分からないので、もしかしたら勘違いのコメントを
>返してしまっていたらごめんなさい。
いえ、有難うございます。
寂しいような嬉しいような、今はそんな気持ちです。
酔うとメソメソするもんです。
なので私は毎晩メソメソしています。^_^;
でも酔った時の心持ちをないがしろにしてはいけないと思うのです。結構、真実の自分が見えたりして、ね。
TiM3さんの、佳き形での心の開放を願っておりまする。「届け、想い」と・・・。