「グロテスクな映像のオンパレード」との前情報と、前売りチケットの「あなたに本当の自由を見る覚悟はあるだろうか」という挑戦的な言葉に一瞬ひるんだものの、某情報誌で同監督の下記の言葉を目にし、「自由」と「精神の開放」を求めて?劇場ヌーヴォへ。
「想像力は作る側のものであると同時に観客のもの
でもある。」
「自己の潜在する欲望が何であるか考えてもらえたら
それでいい。
シュールレアリスムこそが自由への道だ。」
(by ヤン・シュヴァンクマイエル)

作品解説
人形や粘土を使ったアニメや実写を織り交ぜて、摩訶不思議な映像を創り出す、世界中のクリエイターが熱狂的に支持するチェコの鬼才アーティスト、ヤン・シュヴァンクマイエルの最新作。エドガー・アラン・ポーやマルキ・ド・サドから着想を得て30年の構想の後に創られた、性と暴力、幻想と現実が混在する“哲学ホラー”。
story
精神病院の職員に拘束される悪夢にうなされ、知らぬ間に大暴れしていたジャン(バヴェル・リシュカ)は、とある公爵が所有する城に招待された。そこでは神を冒涜するか言葉が飛び交い、男女の異様な光景が繰り広げられていた・・・。(情報誌ぴあ及びチラシより抜粋)
「哲学ホラー」なる言葉は初めてです。
監督は冒頭に登場し「これはホラーだ」と言ってますが、それはいい意味では使われていません。「ホラーなりの落胆をお届けする」と・・・。
「これは決して芸術作品などではない」と・・・そう言っています。
芸術作品云々と祭り上げられることが本意ではない、ということなのでしょうか。でも、そこから何かを学べと言われているようにも聞こえました。

芸術作品かどうかは私には断言などできませんが、映像には圧倒され尽くしました。
実写の不気味さもさることながら、私が本来好きだったクレイアニメも、流石に生肉と目玉がコミカルに動く様では決して「心地よい」映像美とは言えません。
けれど嫌悪感ばかりが先立つわけでもない・・・ドギツク、ただ見せつけるだけの悪趣味とは一線を画しているように思えます。
“結果”としての映像を見せて、その“経緯”は観る側のイマジネーションに委ねているところもその理由として大きい気がしますが、何より、確たる思想に基づいての作画だからと思えたからでしょうか・・・。
さて、その「思想」・・・。
「何故神に救われる必要がある?!」との公爵の言葉に何故か一瞬の救いは感じたものの、「神と自然は悪の権化」とするその思想はやはり理解を超えています。
というか「分かる」と言ってしまえば、それはもう自分自身を含めこの世の全存在・全成り立ちを否定することになってしまうような気がします。
監督自身、「民主主義の世界でさえ抑圧と操作で大衆をまとめ上げているにすぎない」「我々に“命の限りを与えた”自然に対しても抗わねば真の自由は得られない」と言っているように、真の自由とはこの世の全てのモノからの完全解放に他ならないような気がしてくるのです。

もうそうなってくると何が何だか分からない・・・・劇中、幕間に登場する生肉たちのダンスも、あれは肉体からの解放を讃えるダンスのようにも見受けられます。でもそれならばその肉の中に生きる細胞たちは?それらもまた、新たな解放を求めて彷徨うのでしょうか?
突き詰めて考えれば残るものは「個」なのですね。
監督が語った「真の自由を獲得したければ、個人的に反逆する以外、方法はありません。」とい言葉の意味は、そう言うふうに考えると見えてくる気がします。
でもそれは自分の属する全てのモノを廃するという非常に“勇気”のいることなのです。だから、チケットのあの台詞・・・「あなたに本当の自由を見る覚悟はあるだろうか」になるでしょうね。
監督は「分からなくてもいい」と言ってくれていると思います。
少しでも自己の解放且つ開放について考えることがあればそれでいいじゃないかと・・・。
分かったような分からないような、いえ、やっぱりよく分からない世界でしたが、2時間と少し、たっぷりとヤン・シュヴァンクマイエルワールドに浸かりました。私は同監督作品はこれが初体験でしたが、今作をきっかけに過去作の『アリス』『オテサーネク』などに挑戦してみたいです。

シアターロビーに様々な映画チラシに混じってダリ展の案内がありました。
見に行こうと思っていた展覧会ですが、同じ“シュールレアリスム”を代表するアーティストとして、「ルナシーの映画の半券を持って行けば前売り料金でダリ展に入れる」そうです。嬉しい計らいです。来たる日の為にしっかりと映画の半券を財布に仕舞い込みました。
さて、劇中では、公爵が何かというと赤ワインをコプコプ飲んでいます。
デキャンタに移された赤ワインをね。色的にはやや薄めのくすんだ赤色で、枯れた味わいを思わせるなかなかのものでした。
私も昨日は当初、阪神百貨店11Fグリーンルームで開催される<ワイン祭>に参加してくるつもりでしたが、生憎我が家の猫クンの容態が芳しくなく、映画の後はとんぼ返りでした。

今年7歳 シニアの仲間入り
持病が再発してから今度は終息の目処が立たず、この病気とは静かに長い付き合いになるかなと思っていた折の悪化だったので「また入院させねばならないのか!?」と昨夜はかなり凹みました。
が、動物の自己治癒力には敬服の念、今朝からは落ち着いて食欲も出始め鳴き声もしっかりしてきました。良かった。
ワイン祭に行けなかったから、公爵に倣って自宅で買いおき赤ワインをコプコプと。<ディーキン・エステート メルロー>です。
メルロー種の柔らかい口当たり・・・・。

公爵とは乾杯したくないけれど、牢獄から出されて精神病院長に返り咲いた、あのダーティーな匂い120%の男と乾杯するのはもっと嫌だ!やっぱり正義と理性の皮を被った「拘束と支配」よりも、「自由」を選びたいのでしょうね。
コメントを読むだに
重そうな作品ですね(⌒〜⌒ι)
私的にでっちあげた言葉は
「“生”を究極まで突き詰めた答え、それは“死”に他ならぬ」とかでしょうか。。
いえ、決してそちらの世界を覗いて来た訳ではないんですけれども・・
>コメントを読むだに
>重そうな作品ですね(⌒〜⌒ι)
いえ、それは私が「予習」していったせいかもしれません^^; 前情報なくもっと気楽に臨めば別の見方で楽しめたかもしれません。
生と死は、仰るとおり一つの線の上にあるような気がします。…ん…これってTiM3さんの言葉を理解できてませんでしょうか???
九条のシネ・ヌーヴォ・・いつか行かなきゃ、と思ってるうちに数年が過ぎてしまっております(×_×)
>前情報なくもっと気楽に臨めば別の見方で
>楽しめたかもしれません。
昔のカドカワ映画で「観てから読むか、読んでから観るか」みたいなキャッチコピーのあったのを思い出しました。
話題作とか群像劇とかだと、つい予習してから行きたくなりますね。
>生と死は、仰るとおり一つの線の上にあるような気がします。
>…ん…これってTiM3さんの言葉を理解できてませんでしょうか???
こと生と死に関しては、万人が万人なりの解釈をすればいいと思います。
その正解を垣間みた人間は、生還しては来ていませんし・・(⌒〜⌒ι)
そう言えば、
トニー・スコット監督『ラスト・ボーイスカウト』の冒頭では、“人生なんざSHITだ”なる名言(?)が放たれておりましたか・・(・ω・)
全て、世の藝術作品は生と死に集約されるのでしょうか。
>“人生なんざSHITだ”なる名言(?)
私は未だその境地には達せていませんが・・・(^_^;)。
>全て、世の藝術作品は生と死に集約されるのでしょうか。
そうではないのですが・・万人に分かりやすく(普遍的であるが故)、鑑賞者の心に響かせ易い(共感の得易い)テーマとして、取り上げられることは多いのでしょうね。
反対に「“死”を連想させない恐怖」を取り上げたホラー映画を、ワタシはまだ知りません(=^_^=)
TiM3さん、勉強になります、ありがとうございます。
>ワタシはまだ知りません(=^_^=)
と、自分では書いてしまいましたが・・
案外『ナッティー・プロフェッサー』なんかは、その例外に当たるのかも知れませんね(笑)
(^_^)括りはホラーなんですね。